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番外編
これはわたくしがクリスタ・ディッペルとなるまでの物語
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わたくしはノメンゼン子爵家に生まれた後継者だったようなのだけれど、小さすぎてディッペル家に来る前のことはほとんど覚えていない。
いい思い出ではないのでお姉様も忘れていていいと言っていたので、思い出さないことにする。
わたくしがディッペル家で物心ついたときにはお姉様がそばにいた。お姉様はわたくしと一年半しか年齢が変わらないのに六歳にして完璧な淑女だった。わたくしは小さくて幼くてとても淑女と言える振る舞いができなかったので、ずっとお姉様に憧れてお姉様のことが大好きだった。
お姉様はわたくしと一緒にいるといつもわたくしを守ってくださる。
お茶会でノメンゼン子爵夫人……後にただの妾だったと分かる彼女が仕掛けて来たときにも、その前にハインリヒ殿下に髪飾りを奪われたときにも、わたくしの元に駆け付けてくれて味方になってくれた。
それはディッペル家主催の宿泊式のパーティーでの出来事だった。
わたくしはディッペル家のお父様とお母様に作っていただいたお姉様とお揃いの薔薇の髪飾りを付けてパーティーに出席した。
パーティーではわたくしが歌って、お姉様が伴奏を弾くという大役を任されたのだけれど、わたくしは最初、緊張してうまく歌いだせなかった。それに気付いたお姉様は、前奏の部分を何回も弾いてわたくしが歌いだせるまで待ってくれた。
こんなにも優しいお姉様のおかげでわたくしも無事歌えて、パーティーは大成功に思えたのだ。
テラスに出たわたくしとお姉様にハインリヒ殿下が話しかけてきた。
ハインリヒ殿下はわたくしの三つ編みに付けているオールドローズの髪飾りが気になったのか、取り上げてしまったのだ。
「そのかみかざり、きれいだな。みせてみろよ」
「きゃあ!? かえして!」
大事な髪飾りを取られて取り返そうとするが、ハインリヒ殿下の方が背が高いので上に持ち上げられてしまうとわたくしは手が届かない。泣きそうになりながらわたくしは必死に訴える。
「おねえさまとおそろいのかみかざり! だいじなの! かえして!」
「みてるだけじゃないか。すこしくらいいいだろ?」
「うぇ……かみのけ、ほどけちゃったぁ!」
髪も乱れて、泣き顔になっているわたくしに、お姉様がはっきりと言ってくださる。
「ハインリヒでんか、クリスタじょうがいやがっているではありませんか。おやめください」
「うるさいな! かえせばいいんだろ!」
返すというには乱暴にハインリヒ殿下がオールドローズの髪飾りを投げると、わたくしは受け取れずに、それがノメンゼン子爵の妾と娘のローザのところに転がってしまった。
ノメンゼン子爵の妾は、その髪飾りをローザにもらうと言い出したのだ。
「お前みたいな子どもには贅沢なのよ。これはローザにもらうわね」
「おまちください、ノメンゼンししゃくふじん。そのかみかざりは、わたくしのりょうしんのディッペルこうしゃくとこうしゃくふじんがクリスタじょうのおたんじょうびにあつらえたもの。かってにもっていかれてはこまります」
「ハインリヒ殿下が私にくださったのよ。そうでしょう、ハインリヒ殿下?」
「え? そんなことしてない……」
それに対してもお姉様ははっきりと抗議をしていて、わたくしは怖くてお姉様に取りすがって泣いてしまった。
「お前なんかよりも、ローザに相応しい髪飾りだわ。ローザにあげると言いなさい!」
「やー! わたくしのかみかざりよ! おねえさまとおそろいなの!」
「言うことを聞かない子はどうなるか分かっているでしょう?」
ノメンゼン子爵の妾の扇が畳まれて振りかざされたとき、わたくしは叩かれるのだと思った。怖くて恐ろしくてお姉様にしがみ付いていると、お姉様がわたくしを庇ってくれた。
お姉様はわたくしの代わりに額を叩かれて涙目になっているが、しっかりとわたくしの体を抱き締めて守ってくれている。
このとき、わたくしはハインリヒ殿下のことが大嫌いになった。
ハインリヒ殿下が最初から髪飾りを取ったりしなければこんなことは起こらなかった。
ノメンゼン子爵の妾とローザはノメンゼン子爵のところに連れて行かれて、無礼を窘められて、謝罪させられた。ハインリヒ殿下も無礼だったことを認めて、ディッペル家のお母様とお父様がその日はディッペル家からお帰り願った。
ハインリヒ殿下がノルベルト殿下に連れられてわたくしに謝罪に来たのは誕生日の直前だった。
わたくしはカーテンの陰に隠れてしまった。
「パーティーではおとうとのハインリヒがしつれいをいたしました。ほんにんにもよくいいきかせています。あやまりたいといっているので、きいてやってください」
ノルベルト殿下はそう言っていたが、わたくしはハインリヒ殿下に会いたいとも思わなかった。
「クリスタ嬢、ノルベルト殿下とハインリヒ殿下が来ましたよ」
「いやー! わたくしのかみかざりとった! かみのけ、ほどいた!」
お姉様に言われても、わたくしはハインリヒ殿下の謝罪を受け入れるつもりはない。
ドアの前に立っているハインリヒ殿下とノルベルト殿下が困っているのは分かっていたが、ハインリヒ殿下がわたくしに意地悪をしたせいで優しいお姉様はわたくしを庇って叩かれてしまったのだ。わたくしは絶対に許すつもりはなかった。
ハインリヒ殿下に会うつもりがないわたくしの気持ちを尊重してくださって、お姉様は王族であろうとも無理やりわたくしに会わせるなどということはなかった。
ハインリヒ殿下とノルベルト殿下が帰るとカーテンの陰から出てきたわたくしに、お姉様はブーケを見せた。
「このお花は、ハインリヒ殿下からのお詫びの品だそうです」
「おわびのしなって、どういうこと?」
「ごめんなさいを伝えるために用意したお花だということです」
「いらない! わたくしのおへや、エクムントさまのおはながかざってあるもの」
その日はエクムント様からお誕生日お祝いに薔薇の花束をもらっていた。お姉様ももらっていて、わたくしとお姉様はお揃いでお部屋に飾っていたのだ。エクムント様のお花があったのでわたくしはハインリヒ殿下のお花を受け取らなかった。
わたくしが受け取らなかったお花は、廊下に飾られることになった。
その後でお姉様は白い箱をわたくしに見せた。
「これはお誕生日プレゼントだそうです」
「なぁに?」
「髪飾りだと言っていましたが、中身を確認しますか?」
「みるだけよ?」
箱の中を見てみると薄ピンクの牡丹の造花の髪飾りと、薄紫の牡丹の造花の髪飾りが入っていた。美しい髪飾りだったが、わたくしはそれを欲しいとは思わなかった。
「きれい……」
「これはもらっておきますか?」
「いらない」
「え? いらないのですか?」
「おねえさまとおそろいのバラのかみかざりがあるもの」
お姉様とお揃いの薔薇の髪飾りがあればいい。
そう言うわたくしに、お姉様は根気強く伝える。
「いつか使いたくなるかもしれません。デボラとマルレーンに保管してもらっておきましょうね」
「つかいたくならないわ。おねえさまとおそろいのバラがあるもの」
「バラの髪飾りもずっと使っていれば、古くなってきます。そのときに替えがあった方がいいでしょう?」
「そのときには、あたらしくおねえさまとおそろいをつくってもらうわ」
「これもお揃いですよ?」
「おそろい……それなら、もっておくだけならいいわ」
王族からのプレゼントを無碍にするのはよくないとお姉様は思っていたのかもしれないが、幼いわたくしはそれがよく分かっていなかった。ただ、お姉様とお揃いならばもらっておいてもいい。付けるかどうかは別として。
そう思った五歳の誕生日だった。
お姉様はバーデン家のブリギッテ嬢が来たときにもわたくしを助けてくれた。
ブリギッテ嬢はわたくしにぶつかっておきながら、わたくしが落としたケーキを自分で踏んで、靴が汚れたと騒ぎ立てた。わたくしは泣かないように頑張って靴を拭いて謝罪をしたのだが、ブリギッテ嬢が去ってからわたくしはお姉様に泣きついてしまった。
そのときにハインリヒ殿下はわたくしを庇ってくれたようだが、お姉様の印象が強くてあまり覚えていない。
両親が不在のときを狙って、ブリギッテ嬢はわたくしをバーデン家に連れ去ろうとしたのだ。
「ブリギッテ様!?」
「御機嫌よう、エリザベート様。遊びに来てくださらないので、わたくしの方から出向きましたわ。せっかく来たのですから、お茶くらい飲ませてくださいますよね?」
「わたくしの両親は、ブリギッテ様が来ることを承知しておりません。招待されずにいらっしゃるのは、いささか、無礼ではありませんか?」
「小さいのによく口が回ること。子ども二人で退屈しているだろうと思って遊びに来てあげたのですよ。歓迎するのが当然でしょう?」
「いいえ、ブリギッテ様。招かれてもいないのに押しかけて歓迎せよとは、あまりにも不作法。バーデン家の教育が問われますよ」
言い争うお姉様とブリギッテ嬢に、わたくしは怖くて言葉が挟めずにいた。
お姉様とエクムント様に守られていると、ブリギッテ嬢とエクムント様とお姉様が激しく言い争っているのが分かる。
お姉様は両親が不在のときには、ディッペル家の後継者である自分がディッペル家の主人だと主張して年上のブリギッテ嬢の前から一歩も引かないし、エクムント様も侯爵家の三男ごときがと言われても、公爵家に仕える騎士なのでこの家を守るのが仕事だと言って一歩も引かない。
二人に守られていると、わたくしは怖いのが少しずつ溶けていく気がした。
「我が家と同格のバーデン家のご令嬢がこんな無作法な真似をなさるとは思えない! 偽物です! 偽物に違いありません! エクムント、やってしまいなさい!」
「はい、エリザベートお嬢様! 偽物め! 覚悟!」
最終的には、お姉様とエクムント様はブリギッテ嬢のあまりに無作法な行為に、ブリギッテ嬢を偽物と断じることで対抗することにしたようだ。
「賊が侵入しようとしておりますー! バーデン家を名乗っておりますが、こんな無作法をなさる筈がないので偽物ですー! 助けてくださいませ、国王陛下!」
「エリザベートお嬢様、王都に早馬を送りましょう」
「エクムント、そうしてください。国王陛下に助けを求めましょう」
エクムント様が馬車の取っ手をもぎ取って、ブリギッテ嬢は逃げ帰り、取っ手は賊が来た証として早馬で王都に届けられた。
「あのかた、きらい! おねえさまにひどいことをいっていたわ!」
「この件に関しても、両親に伝えましょう」
「ハインリヒでんかに、わたくし、おてがみをかきます」
「それは、両親が帰って来てからにしましょうね。手紙を見てもらってから出しましょう」
「わかりました、おねえさま」
ブリギッテ嬢が帰ってからわたくしがお姉様にしがみ付いて安心していると、お姉様はわたくしの髪を優しく撫でながら、宥めてくださる。ハインリヒ殿下にお手紙を書こうと思ったのは、ブリギッテ嬢が最初に仕掛けて来たときにハインリヒ殿下が味方してくれたからだった。
このころにはハインリヒ殿下のことも少しは信頼してもいいかもしれないと思っていた。
わたくしの本当の母であるマリアお母様のお墓に行ったときに、ノメンゼン子爵の妾は、本当は夫人ではなくただの妾ではないのかということは分かっていた。ローザがわたくしが生まれてから七か月しか経っていないのに生まれていたことが分かったのだ。ローザはわたくしの母のマリアお母様が妊娠していたころにノメンゼン子爵が浮気をしてできた子どもということになる。それはつまり、ノメンゼン子爵夫人として振舞っているあの女は妾で、ローザは妾の子だということになる。
その上、マリアお母様を毒殺したことが明らかになったのだ。
マリアお母様の出産に立ち会った医者はマリアお母様が元気だったと言っていたが、帰ってから急に容体が急変して亡くなったと聞いていた。それはノメンゼン子爵の妾が毒を飲ませたからだった。
わたくしの六歳の誕生日直前にノメンゼン子爵は牢に入れられて、妾と子どもは市井に放り出すという国王陛下の沙汰が下った。
その後でディッペル家のお父様が国王陛下に申し出てくれた。
「ノメンゼン子爵家は、私の妻のテレーゼの生家、シュレーゼマン家の子どもを養子に立てて継がせてはいかがでしょうか。成人するまでは、シュレーゼマン子爵が後見人となります」
「ノメンゼン子爵家の跡継ぎはクリスタ嬢だったのではないのか?」
「クリスタ嬢は、六歳の誕生日に、公爵家の養子にしようと思っております」
わたくしはお姉様の妹になれるのだ。
そのときにはよく意味は分かっていなかったし、元々お姉様の妹のつもりだったのだが、養子になれるということはディッペル家からノメンゼン家に戻らなくていいということで、わたくしの人生を変える一歩だった。
そのころにはわたくしはハインリヒ殿下を許して、交友を持つようになっていた。
六歳のお誕生日、ハインリヒ殿下はわたくしにプレゼントを持ってパーティーに来てくださった。
もらったプレゼントは早く開けたかったが、わたくしはお茶会の主催なのでお客様を歓迎しなければいけなかった。プレゼントはデボラに預けたが、わたくしはずっとその中身が気になっていた。
お誕生日のお茶会ではディッペル家の両親が宣言してくれた。
「本日より、クリスタ嬢は我がディッペル家の養子となります」
「わたくしの妹の娘です。ずっと自分の娘のように育てたいと思っていました」
「私たちの娘として、今後ともよろしくお願いします」
わたくしはその日、正式にクリスタ・ディッペルとなった。
「クリスタ嬢、これからはわたくしの妹ですよ」
「え、わたくし、お姉様の妹じゃなかったの?」
「今までは従妹でしたが、クリスタ嬢がディッペル家の養子となったので、実の妹になりました」
わたくしはずっとお姉様の妹のつもりでいたけれど違ったことに驚いてしまったが、お姉様の妹になれたことは嬉しかった。
わたくしがディッペル公爵家の娘となったおかげで、十二歳で学園に入学するときにはハインリヒ殿下の婚約者に堂々となれた。
わたくしは、クリスタ・ディッペル。
そして、ハインリヒ殿下の妻となり、皇太子妃となって幸福な毎日を過ごしている。
いい思い出ではないのでお姉様も忘れていていいと言っていたので、思い出さないことにする。
わたくしがディッペル家で物心ついたときにはお姉様がそばにいた。お姉様はわたくしと一年半しか年齢が変わらないのに六歳にして完璧な淑女だった。わたくしは小さくて幼くてとても淑女と言える振る舞いができなかったので、ずっとお姉様に憧れてお姉様のことが大好きだった。
お姉様はわたくしと一緒にいるといつもわたくしを守ってくださる。
お茶会でノメンゼン子爵夫人……後にただの妾だったと分かる彼女が仕掛けて来たときにも、その前にハインリヒ殿下に髪飾りを奪われたときにも、わたくしの元に駆け付けてくれて味方になってくれた。
それはディッペル家主催の宿泊式のパーティーでの出来事だった。
わたくしはディッペル家のお父様とお母様に作っていただいたお姉様とお揃いの薔薇の髪飾りを付けてパーティーに出席した。
パーティーではわたくしが歌って、お姉様が伴奏を弾くという大役を任されたのだけれど、わたくしは最初、緊張してうまく歌いだせなかった。それに気付いたお姉様は、前奏の部分を何回も弾いてわたくしが歌いだせるまで待ってくれた。
こんなにも優しいお姉様のおかげでわたくしも無事歌えて、パーティーは大成功に思えたのだ。
テラスに出たわたくしとお姉様にハインリヒ殿下が話しかけてきた。
ハインリヒ殿下はわたくしの三つ編みに付けているオールドローズの髪飾りが気になったのか、取り上げてしまったのだ。
「そのかみかざり、きれいだな。みせてみろよ」
「きゃあ!? かえして!」
大事な髪飾りを取られて取り返そうとするが、ハインリヒ殿下の方が背が高いので上に持ち上げられてしまうとわたくしは手が届かない。泣きそうになりながらわたくしは必死に訴える。
「おねえさまとおそろいのかみかざり! だいじなの! かえして!」
「みてるだけじゃないか。すこしくらいいいだろ?」
「うぇ……かみのけ、ほどけちゃったぁ!」
髪も乱れて、泣き顔になっているわたくしに、お姉様がはっきりと言ってくださる。
「ハインリヒでんか、クリスタじょうがいやがっているではありませんか。おやめください」
「うるさいな! かえせばいいんだろ!」
返すというには乱暴にハインリヒ殿下がオールドローズの髪飾りを投げると、わたくしは受け取れずに、それがノメンゼン子爵の妾と娘のローザのところに転がってしまった。
ノメンゼン子爵の妾は、その髪飾りをローザにもらうと言い出したのだ。
「お前みたいな子どもには贅沢なのよ。これはローザにもらうわね」
「おまちください、ノメンゼンししゃくふじん。そのかみかざりは、わたくしのりょうしんのディッペルこうしゃくとこうしゃくふじんがクリスタじょうのおたんじょうびにあつらえたもの。かってにもっていかれてはこまります」
「ハインリヒ殿下が私にくださったのよ。そうでしょう、ハインリヒ殿下?」
「え? そんなことしてない……」
それに対してもお姉様ははっきりと抗議をしていて、わたくしは怖くてお姉様に取りすがって泣いてしまった。
「お前なんかよりも、ローザに相応しい髪飾りだわ。ローザにあげると言いなさい!」
「やー! わたくしのかみかざりよ! おねえさまとおそろいなの!」
「言うことを聞かない子はどうなるか分かっているでしょう?」
ノメンゼン子爵の妾の扇が畳まれて振りかざされたとき、わたくしは叩かれるのだと思った。怖くて恐ろしくてお姉様にしがみ付いていると、お姉様がわたくしを庇ってくれた。
お姉様はわたくしの代わりに額を叩かれて涙目になっているが、しっかりとわたくしの体を抱き締めて守ってくれている。
このとき、わたくしはハインリヒ殿下のことが大嫌いになった。
ハインリヒ殿下が最初から髪飾りを取ったりしなければこんなことは起こらなかった。
ノメンゼン子爵の妾とローザはノメンゼン子爵のところに連れて行かれて、無礼を窘められて、謝罪させられた。ハインリヒ殿下も無礼だったことを認めて、ディッペル家のお母様とお父様がその日はディッペル家からお帰り願った。
ハインリヒ殿下がノルベルト殿下に連れられてわたくしに謝罪に来たのは誕生日の直前だった。
わたくしはカーテンの陰に隠れてしまった。
「パーティーではおとうとのハインリヒがしつれいをいたしました。ほんにんにもよくいいきかせています。あやまりたいといっているので、きいてやってください」
ノルベルト殿下はそう言っていたが、わたくしはハインリヒ殿下に会いたいとも思わなかった。
「クリスタ嬢、ノルベルト殿下とハインリヒ殿下が来ましたよ」
「いやー! わたくしのかみかざりとった! かみのけ、ほどいた!」
お姉様に言われても、わたくしはハインリヒ殿下の謝罪を受け入れるつもりはない。
ドアの前に立っているハインリヒ殿下とノルベルト殿下が困っているのは分かっていたが、ハインリヒ殿下がわたくしに意地悪をしたせいで優しいお姉様はわたくしを庇って叩かれてしまったのだ。わたくしは絶対に許すつもりはなかった。
ハインリヒ殿下に会うつもりがないわたくしの気持ちを尊重してくださって、お姉様は王族であろうとも無理やりわたくしに会わせるなどということはなかった。
ハインリヒ殿下とノルベルト殿下が帰るとカーテンの陰から出てきたわたくしに、お姉様はブーケを見せた。
「このお花は、ハインリヒ殿下からのお詫びの品だそうです」
「おわびのしなって、どういうこと?」
「ごめんなさいを伝えるために用意したお花だということです」
「いらない! わたくしのおへや、エクムントさまのおはながかざってあるもの」
その日はエクムント様からお誕生日お祝いに薔薇の花束をもらっていた。お姉様ももらっていて、わたくしとお姉様はお揃いでお部屋に飾っていたのだ。エクムント様のお花があったのでわたくしはハインリヒ殿下のお花を受け取らなかった。
わたくしが受け取らなかったお花は、廊下に飾られることになった。
その後でお姉様は白い箱をわたくしに見せた。
「これはお誕生日プレゼントだそうです」
「なぁに?」
「髪飾りだと言っていましたが、中身を確認しますか?」
「みるだけよ?」
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「きれい……」
「これはもらっておきますか?」
「いらない」
「え? いらないのですか?」
「おねえさまとおそろいのバラのかみかざりがあるもの」
お姉様とお揃いの薔薇の髪飾りがあればいい。
そう言うわたくしに、お姉様は根気強く伝える。
「いつか使いたくなるかもしれません。デボラとマルレーンに保管してもらっておきましょうね」
「つかいたくならないわ。おねえさまとおそろいのバラがあるもの」
「バラの髪飾りもずっと使っていれば、古くなってきます。そのときに替えがあった方がいいでしょう?」
「そのときには、あたらしくおねえさまとおそろいをつくってもらうわ」
「これもお揃いですよ?」
「おそろい……それなら、もっておくだけならいいわ」
王族からのプレゼントを無碍にするのはよくないとお姉様は思っていたのかもしれないが、幼いわたくしはそれがよく分かっていなかった。ただ、お姉様とお揃いならばもらっておいてもいい。付けるかどうかは別として。
そう思った五歳の誕生日だった。
お姉様はバーデン家のブリギッテ嬢が来たときにもわたくしを助けてくれた。
ブリギッテ嬢はわたくしにぶつかっておきながら、わたくしが落としたケーキを自分で踏んで、靴が汚れたと騒ぎ立てた。わたくしは泣かないように頑張って靴を拭いて謝罪をしたのだが、ブリギッテ嬢が去ってからわたくしはお姉様に泣きついてしまった。
そのときにハインリヒ殿下はわたくしを庇ってくれたようだが、お姉様の印象が強くてあまり覚えていない。
両親が不在のときを狙って、ブリギッテ嬢はわたくしをバーデン家に連れ去ろうとしたのだ。
「ブリギッテ様!?」
「御機嫌よう、エリザベート様。遊びに来てくださらないので、わたくしの方から出向きましたわ。せっかく来たのですから、お茶くらい飲ませてくださいますよね?」
「わたくしの両親は、ブリギッテ様が来ることを承知しておりません。招待されずにいらっしゃるのは、いささか、無礼ではありませんか?」
「小さいのによく口が回ること。子ども二人で退屈しているだろうと思って遊びに来てあげたのですよ。歓迎するのが当然でしょう?」
「いいえ、ブリギッテ様。招かれてもいないのに押しかけて歓迎せよとは、あまりにも不作法。バーデン家の教育が問われますよ」
言い争うお姉様とブリギッテ嬢に、わたくしは怖くて言葉が挟めずにいた。
お姉様とエクムント様に守られていると、ブリギッテ嬢とエクムント様とお姉様が激しく言い争っているのが分かる。
お姉様は両親が不在のときには、ディッペル家の後継者である自分がディッペル家の主人だと主張して年上のブリギッテ嬢の前から一歩も引かないし、エクムント様も侯爵家の三男ごときがと言われても、公爵家に仕える騎士なのでこの家を守るのが仕事だと言って一歩も引かない。
二人に守られていると、わたくしは怖いのが少しずつ溶けていく気がした。
「我が家と同格のバーデン家のご令嬢がこんな無作法な真似をなさるとは思えない! 偽物です! 偽物に違いありません! エクムント、やってしまいなさい!」
「はい、エリザベートお嬢様! 偽物め! 覚悟!」
最終的には、お姉様とエクムント様はブリギッテ嬢のあまりに無作法な行為に、ブリギッテ嬢を偽物と断じることで対抗することにしたようだ。
「賊が侵入しようとしておりますー! バーデン家を名乗っておりますが、こんな無作法をなさる筈がないので偽物ですー! 助けてくださいませ、国王陛下!」
「エリザベートお嬢様、王都に早馬を送りましょう」
「エクムント、そうしてください。国王陛下に助けを求めましょう」
エクムント様が馬車の取っ手をもぎ取って、ブリギッテ嬢は逃げ帰り、取っ手は賊が来た証として早馬で王都に届けられた。
「あのかた、きらい! おねえさまにひどいことをいっていたわ!」
「この件に関しても、両親に伝えましょう」
「ハインリヒでんかに、わたくし、おてがみをかきます」
「それは、両親が帰って来てからにしましょうね。手紙を見てもらってから出しましょう」
「わかりました、おねえさま」
ブリギッテ嬢が帰ってからわたくしがお姉様にしがみ付いて安心していると、お姉様はわたくしの髪を優しく撫でながら、宥めてくださる。ハインリヒ殿下にお手紙を書こうと思ったのは、ブリギッテ嬢が最初に仕掛けて来たときにハインリヒ殿下が味方してくれたからだった。
このころにはハインリヒ殿下のことも少しは信頼してもいいかもしれないと思っていた。
わたくしの本当の母であるマリアお母様のお墓に行ったときに、ノメンゼン子爵の妾は、本当は夫人ではなくただの妾ではないのかということは分かっていた。ローザがわたくしが生まれてから七か月しか経っていないのに生まれていたことが分かったのだ。ローザはわたくしの母のマリアお母様が妊娠していたころにノメンゼン子爵が浮気をしてできた子どもということになる。それはつまり、ノメンゼン子爵夫人として振舞っているあの女は妾で、ローザは妾の子だということになる。
その上、マリアお母様を毒殺したことが明らかになったのだ。
マリアお母様の出産に立ち会った医者はマリアお母様が元気だったと言っていたが、帰ってから急に容体が急変して亡くなったと聞いていた。それはノメンゼン子爵の妾が毒を飲ませたからだった。
わたくしの六歳の誕生日直前にノメンゼン子爵は牢に入れられて、妾と子どもは市井に放り出すという国王陛下の沙汰が下った。
その後でディッペル家のお父様が国王陛下に申し出てくれた。
「ノメンゼン子爵家は、私の妻のテレーゼの生家、シュレーゼマン家の子どもを養子に立てて継がせてはいかがでしょうか。成人するまでは、シュレーゼマン子爵が後見人となります」
「ノメンゼン子爵家の跡継ぎはクリスタ嬢だったのではないのか?」
「クリスタ嬢は、六歳の誕生日に、公爵家の養子にしようと思っております」
わたくしはお姉様の妹になれるのだ。
そのときにはよく意味は分かっていなかったし、元々お姉様の妹のつもりだったのだが、養子になれるということはディッペル家からノメンゼン家に戻らなくていいということで、わたくしの人生を変える一歩だった。
そのころにはわたくしはハインリヒ殿下を許して、交友を持つようになっていた。
六歳のお誕生日、ハインリヒ殿下はわたくしにプレゼントを持ってパーティーに来てくださった。
もらったプレゼントは早く開けたかったが、わたくしはお茶会の主催なのでお客様を歓迎しなければいけなかった。プレゼントはデボラに預けたが、わたくしはずっとその中身が気になっていた。
お誕生日のお茶会ではディッペル家の両親が宣言してくれた。
「本日より、クリスタ嬢は我がディッペル家の養子となります」
「わたくしの妹の娘です。ずっと自分の娘のように育てたいと思っていました」
「私たちの娘として、今後ともよろしくお願いします」
わたくしはその日、正式にクリスタ・ディッペルとなった。
「クリスタ嬢、これからはわたくしの妹ですよ」
「え、わたくし、お姉様の妹じゃなかったの?」
「今までは従妹でしたが、クリスタ嬢がディッペル家の養子となったので、実の妹になりました」
わたくしはずっとお姉様の妹のつもりでいたけれど違ったことに驚いてしまったが、お姉様の妹になれたことは嬉しかった。
わたくしがディッペル公爵家の娘となったおかげで、十二歳で学園に入学するときにはハインリヒ殿下の婚約者に堂々となれた。
わたくしは、クリスタ・ディッペル。
そして、ハインリヒ殿下の妻となり、皇太子妃となって幸福な毎日を過ごしている。
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