エリザベート・ディッペルは悪役令嬢になれない

秋月真鳥

文字の大きさ
上 下
497 / 528
最終章 わたくしの結婚一年目とクリスタの結婚

5.辺境伯領からファッションを

しおりを挟む
 カサンドラ様から貰ったスーツを執務中には着るようになってから、侍女たちの態度が変わってきたような気がする。それまでもわたくしに敬意を払ってくれていたのだが、給仕のときに指が触れると顔を赤らめたり、恥じらったりするようになったのだ。
 髪型もカサンドラ様を真似て結い上げているが、それがカサンドラ様のように格好よく目に映っているのだろうか。

 わたくしが気にしていると、軍の勉強の前にカサンドラ様が笑いながらマルレーンの新刊を渡してきた。マルレーンは無事に『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』を完結させて、新刊に手を付けているらしい。
 表紙を見てみると、わたくしによく似ている。

 フロックコート形式のスーツを着て、髪を結い上げて腰に剣を下げている黒髪の令嬢と、褐色肌の辺境伯の物語。
 題名は『男装の令嬢は辺境伯に溺愛される』だった。

 男子しか家を継げない国で、女性ばかりが生まれてついに生まれてきた末っ子を男子として育てることにした公爵と男子として育てられ、士官学校に通って軍人になった公爵令嬢。しかし、年の離れた弟が生まれたことから男装の公爵令嬢の運命は狂っていく。
 女に戻れと言われて辺境伯と婚約させられて、反発し、自分は国王陛下のために命を懸けるのだと誓う公爵令嬢と、彼女を溺愛しその心を溶かしていく辺境伯の物語のようだ。

 マルレーンは今はわたくしのそばにいないが、表紙の絵がわたくしとエクムント様に似ている気がしてならない。

「これはエリザベートに仕えていた侍女が書いたものなのだな」
「そうです。マルレーンは文章の才能があったようなのです」
「それにしても、似ているな」
「似ていますね……」

 わたくしの元を離れても、どうにかして情報を手に入れてマルレーンはわたくしをモデルに書いているのではないかと思わずにはいられない。
 この本をエクムント様に見せると苦笑していた。

「この表紙はエリザベートと私のようですね」
「今のわたくしたちを見たことがないはずなのに、どうして分かるのでしょう」
「カサンドラ様の働き方を考えてみれば、エリザベートがスーツを着て髪を結い上げて仕事をするであろうことは分かりますよね」
「そういえばそうですね」

 マルレーンはわたくしだけでなくカサンドラ様もモデルにしていたのだ。
 それがマルレーンの書き方ならば何も言えないが、わたくしが複雑な気分になってしまうのはどうしようもない。この世界も元々前世でわたくしが生きていた世界の中で書かれたロマンス小説の中なのだから、小説の中で小説を読んで微妙な気分になっているというのも不思議な話だ。
 それにわたくしは前世の記憶がそれほど強くはない。わたくしはあくまでもエリザベート・ディッペルとしての意識が強いし、前世はそれについてきた、夢の中のできごとのようなものだった。

「もしもエクムント様とわたくしの生きるこの世界が物語だったらどうしますか?」

 ふとエクムント様に聞いてみると、エクムント様の答えは明瞭だった。

「どうもしません。私はエリザベートと幸せに暮らすのみです」

 そうなのだ。
 物語の中に生まれ変わってしまったからと言ってわたくしができるのはこの世界で精一杯に生きることしかない。

「エリザベート、今日はカサンドラ様も夕食をご一緒するようです。夕食の時間がいつもより少し遅くなりますから、もう少し食べておくといいでしょう」
「いえ、わたくしはもうお腹いっぱいですわ。お茶の時間にそんなに食べないようにしておくと、食べなくても平気になりました」

 午後のお茶の時間にエクムント様とマルレーンの新刊のことを話していたのだが、わたくしはサンドイッチを幾つか食べただけで十分に満たされていた。残ったサンドイッチやケーキは使用人たちにお下げ渡しになるのだが、最近はわたくしもエクムント様もケーキを食べないので、厨房もお茶の時間にケーキを出さなくなってきた。
 サンドイッチと、時々スコーンとキッシュを食べるくらいで、わたくしはケーキを山盛り食べていた幼い日々を忘れかけていた。

 お茶の時間が終わるとエクムント様とわたくしで執務室で執務を続ける。
 毎日、朝食後に執務、昼食後に軍の勉強、お茶会の後には執務となっていて、わたくしはとても忙しかったが、充実した日々を送っていた。

 執務室には国王陛下から陳述書の返事が届いていた。

「国王陛下が直々に書面を送って、海賊の件を海を隔てた国に突きつけ、今後このようなことがないように交渉するそうです」
「それでは、辺境伯領の海軍が出撃することも少なくなるのですね」
「そうなるといいですね。辺境伯領の海軍には傷付いてほしくないとエリザベートは思っているのでしょう?」
「はい。わたくしはできる限りひとが傷付いてほしくないと思うのです。特に海軍はわたくしの部下に当たりますからね」

 国王陛下からの返事に喜んでいると、エクムント様が国王陛下にその旨をお願いする書類を書いて送っていた。

「海賊騒ぎがおさまったら海を隔てた国と交易をするのもいいかもしれません」
「辺境伯領のものを売るのですか、エクムント様?」
「辺境伯領の特産品の布やフィンガーブレスレット、コスチュームジュエリーは海を隔てた国でも有名になっているようです。ただ、今のような状況だと交易ができないので、海を隔てた国の民は手に入らずに、少しだけ手に入ったものを高値で取引しているのだとか」

 海を隔てた国に潤沢に辺境伯領の特産品が売れるようになれば、交易路を塞ぐよりも辺境伯領と交易をした方が国の利益になると海を隔てた国も思ってくれるのではないだろうか。
 こうして辺境伯領が戦いの場ではなく、ファッションの都になってほしい。
 ファッションで周辺諸国との平和を築いてほしいとわたくしは強く思っていた。

 夕食を共にしたカサンドラ様の話題も国王陛下のことだった。

「海賊騒ぎは国王陛下の直々の書面でおさまるかもしれない。そうなったら、ハインリヒ殿下の誕生日の式典のときに国王陛下に重々礼を言うように」
「はい、カサンドラ様」
「それにかんしては、そうしようと思っていました」
「海賊が落ち着きさえすれば、この領地は交易の場となる。エリザベートはこの地で作られたヴェールに加工をして結婚式に使ったのだったな?」
「はい、そうです、カサンドラ様」
「ヴェールは花嫁を守るもの。クリスタ嬢の姉として、辺境伯夫人として、エリザベート、クリスタ嬢のヴェールを辺境伯領で請け負ってはどうかな?」

 皇太子妃となるクリスタの結婚式のときのヴェールを辺境伯領が請け負って作る。
 それはとても名誉なことだった。
 辺境伯領と中央の関係性をよりよくするためにも、ぜひ実現させたい。

「わたくし、ハインリヒ殿下とクリスタ、国王陛下と王妃殿下に相談してみます」

 カサンドラ様の妙案にわたくしは力を込めて返事をしていた。

「エリザベートが申し出ればきっとクリスタ嬢は喜ぶことでしょうね」
「大切な妹の晴れの舞台のヴェールです。辺境伯領で特注したものをぜひ身に着けてほしいものです」

 これは辺境伯夫人としての初めての交渉にもなる。
 中央に辺境の印象を強めるとしたら、やはりファッションが一番だと思うのだ。
 辺境伯領はこれまで戦いの歴史が続いてきたが、これからはファッションで名が知られるようになってほしい。辺境伯領のファッションを手に入れるために、他国が攻め入るのを躊躇うくらいになってほしい。
 そうすれば辺境伯領はずっと平和でいられるのではないだろうか。

 エクムント様が前線に出て、傷付くようなことは決してあってはならない。
 エクムント様や辺境伯領の軍隊を守るためにも、わたくしはこれからは全く違う戦い方をしなければいけないのではないかと思っていた。
しおりを挟む
感想 150

あなたにおすすめの小説

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?

いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、 たまたま付き人と、 「婚約者のことが好きなわけじゃないー 王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」 と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。 私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、 「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」 なんで執着するんてすか?? 策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー 基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

思い出してしまったのです

月樹《つき》
恋愛
同じ姉妹なのに、私だけ愛されない。 妹のルルだけが特別なのはどうして? 婚約者のレオナルド王子も、どうして妹ばかり可愛がるの? でもある時、鏡を見て思い出してしまったのです。 愛されないのは当然です。 だって私は…。

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

転生ヒロインは不倫が嫌いなので地道な道を選らぶ

karon
ファンタジー
デビュタントドレスを見た瞬間アメリアはかつて好きだった乙女ゲーム「薔薇の言の葉」の世界に転生したことを悟った。 しかし、攻略対象に張り付いた自分より身分の高い悪役令嬢と戦う危険性を考え、攻略対象完全無視でモブとくっつくことを決心、しかし、アメリアの思惑は思わぬ方向に横滑りし。

処理中です...