エリザベート・ディッペルは悪役令嬢になれない

秋月真鳥

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十三章 わたくしの結婚

46.『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』の真実

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 目が覚めるとエクムント様のお顔が至近距離にあった。
 彫りの深い顔だちも、長い黒い睫毛も、乱れた緩やかに波打つ黒髪も格好良くて見とれてしまう。
 わたくしの旦那様がこんなにも格好いい!
 心の中で悲鳴を上げていると、エクムント様が目を開けた。
 金色の目が開かれてわたくしを映す。

「おはようございます、エリザベート。よく眠れましたか?」
「はい、おかげさまでぐっすり眠れました」

 気が付けば朝のお散歩の時間はとうに過ぎている。フランツもマリアも今日はわたくしを呼びに来るのは遠慮してくれたようなのだ。
 ゆっくり眠ったので足の痛みも治まっていた。

「足もすっかりよくなりました。エクムント様がバスタブの中で足を揉むように言ってくださったおかげですわ」
「今日も立ちっぱなしになるでしょうから、昨日の疲れが残っていないようで安心しました」

 エクムント様はわたくしを休ませるために初夜も我慢してくださった。そのおかげでわたくしはぐっすり眠って、腫れていた足も治って万全の体勢で辺境伯領での結婚式に臨むことができる。

 ドアがノックされて辺境伯家の部屋に朝食が運び込まれる。パンとフルーツとサラダとスクランブルエッグとカリカリに焼いたベーコンとハムの朝食を食べ終えると、身支度を整えてわたくしは荷物も纏めてしまった。エクムント様も着替えて荷物を纏めている。

 ウエディングドレスには辺境伯領に行ってから着替えるのだが、国王陛下と王妃殿下とはここでお別れをしなければいけないので、適当な服ではいけない。ドレスを纏ったわたくしはフロックコート形式のスーツを着たエクムント様に手を引かれて玄関まで降りて行った。
 玄関では国王陛下と王妃殿下が見送りをしている。
 最初に送り出されるのは、辺境伯領で結婚式を挙げるわたくしとエクムント様だ。

「参列はできないが、辺境伯領での結婚式も昨日のように賑わうように祈っているよ、エクムント、エリザベート」
「ありがとうございます、国王陛下」
「王宮で素晴らしい結婚式を挙げさせてくださってありがとうございました」
「お幸せに、エクムント殿、エリザベート嬢」

 国王陛下と王妃殿下に見送られてわたくしとエクムント様は列車の駅まで馬車で移動する。
 エクムント様と二人きりで辺境伯家の馬車に乗っているわたくしは、もうエクムント様と夫婦なのだと思うと、まだ実感がわかない気がしていた。昨日結婚式を挙げて国王陛下の御前で誓いの言葉を述べ、誓約書にサインをするまでは、わたくしは独身だった。誓いの言葉を述べてサインをした瞬間から、エクムント様の配偶者になったのだ。

 この国では結婚した場合にはほとんど当主である方の姓に変えるのだが、辺境伯領は共同統治でわたくしもエクムント様も同じ領主という身分になる。そのため、わたくしは結婚してもエリザベート・ヒンケルにはならずに、エリザベート・ディッペルのままだった。
 夫婦が別々の姓を名乗れるというのも、それぞれの権利を尊重するために大事なことなのかもしれない。

 馬車が駅に着くと、わたくしとエクムント様は他の貴族たちよりも一つ早い列車で辺境伯領へ向かう。辺境伯領で準備をしなければいけないことがあるからだ。
 マルレーンもわたくしを助けるために一緒に列車に乗ってくれていた。

 わたくしの結婚式が終わったらマルレーンはディッペル家を辞める。自分の夢のために独立したいのだとマルレーンは言っていた。
 幼いころから一緒だったマルレーンが夢を追いかけるのは応援したいが、ディッペル家に帰ってももうマルレーンはいないのだと思うと少し寂しい。

「エクムント様、マルレーンはわたくしが幼いころから面倒を見てくれていて、わたくしの結婚を機にディッペル家を辞めるのです。少しだけこの個室席に呼んでもいいですか?」
「存分に別れを惜しんでください」

 エクムント様に許可をもらってから、わたくしはマルレーンを個室席に呼んだ。
 恐縮しているマルレーンは椅子に座ろうとしないので、わたくしの方が立ってマルレーンの手を取る。

「結婚式の後にはもう挨拶ができないかもしれないので、今言っておきます。マルレーン、今までわたくしに仕えてくれて本当にありがとうございました」
「エリザベート様の成長がわたくしの喜びでした。エリザベート様のことを心から大事に思っておりました」
「ありがとうございます、マルレーン。ディッペル家を辞めた後には仕事はあるのですか?」

 仕事がないのであればなにか紹介してあげたいと思っていたわたくしに、マルレーンは意外なことを口にした。

「わたくし、実は匿名で小説を書いておりまして、それが国内で有名になっているのです」
「え!? もしかして……」
「『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』という物語です。エリザベート様もご存じですか?」
「知っています。わたくしとエクムント様と似ている感じがしたので、わたくしの身近なものが書いているのではないかと思っていましたが、マルレーンだったのですね」

 これは物凄い驚きだった。
 貴族や侍女たちにも広がって、物凄く売れている『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』をマルレーンが書いていただなんて。

「エリザベート様のことを少しだけモデルにしておりました。お許しください」
「マルレーンならば叱れませんね。マルレーンにはわたくし、本当にお世話になったのですもの。クリスタもレーニ嬢も続きを楽しみにしていました。これからも頑張ってくださいね」
「ありがとうございます。『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』完結の暁には、わたくしは自分の名前と性別と身分を明らかにして、次回作を書いていきたいと思います」

 女流作家が生まれればいいとミリヤム嬢は言っていなかっただろうか。それが今現実となっている。マルレーンは国中を魅了する小説を書いて、一躍有名な女流作家になるだろう。それが今後の女性の社会進出にも関わってくるだろう。

 他の人物だったならば認められなかったかもしれないが、幼いころからわたくしを守り、育ててくれたマルレーンならば仕方がない。わたくしはマルレーンを応援することにした。

 マルレーンが下がった後で個室席の椅子に座ると、エクムント様がわたくしを見詰めていた。

「話は聞きました。例の小説はエリザベート嬢の侍女が書いていたのですね」
「わたくしも驚きました。わたくしに身近な相手が書いているのではないかと思いましたが、まさかマルレーンとは」

 それでも、エクムント様も『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』を出版禁止にするようになどという野暮なことは言わなかった。

 列車を降りて馬車に乗り換えて辺境伯家に行く。
 今日からはここがわたくしの帰る家になるのだ。

 わたくしの部屋でウエディングドレス姿に着替えていると、手伝ってくれているマルレーンが涙ぐんでいるのが分かる。

「エリザベート様、本当にお美しい。こんなに美しい花嫁は初めて見ました」
「ありがとう、マルレーン」
「どうか幸せになってください」
「エクムント様と幸せになります」

 マルレーンに送り出されてわたくしはエクムント様のいる大広間に向かう。
 大広間にはまだ貴族たちは来ていなくて、わたくしとエクムント様とカサンドラ様の三人だけだった。

「エリザベート嬢、これからは『エリザベート』と呼んでもいいかな?」
「もちろんです、カサンドラ様」
「私のことは、『お義母様』なんて似合わないから、カサンドラのままでいい」
「はい、カサンドラ様」

 カサンドラ様の義理の娘になるのだから、カサンドラ様がわたくしを呼び捨てにするのも当然のこと。受け入れて頷けば、カサンドラ様は自分のことはそのままでいいという。カサンドラ様に言われた通りにわたくしは頷いた。

 王都から、辺境伯領から貴族たちが集まってくる。
 今回の結婚式は辺境伯領の貴族たちのためのものでもあるので、王都から来るのは、ハインリヒ殿下とディッペル家の一家とリリエンタール家の一家とキルヒマン侯爵一家くらいで、残りは辺境伯領の貴族たちが集まるのだ。

「エリザベート、エクムント殿、二度目の結婚式ともなると大変だろうが、最後までしっかりと務めてください」
「エクムント殿、カサンドラ様、エリザベートをよろしくお願いします」

 一番に大広間に入ってきたのは両親とフランツとマリアだった。続いてクリスタがハインリヒ殿下にエスコートされて入ってくる。

「お姉様の結婚式を最後まで見届けますわ」
「エクムント殿、素晴らしい結婚式になりますように」
「ありがとうございます、クリスタ、ハインリヒ殿下」
「素晴らしい結婚式にしてみせます」

 声を掛けてくれるクリスタとハインリヒ殿下にわたくしとエクムント様は手を繋いで返事をした。
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