エリザベート・ディッペルは悪役令嬢になれない

秋月真鳥

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十三章 わたくしの結婚

34.匿名の作者

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「エリーお姉様、本当に美しい。エリーお姉様と結婚する方はとても幸せですわ」

 称賛の言葉にエリーは淡く微笑みを浮かべる。十七歳とは思えない大人びた顔に、妹のリズはハッと息を飲んだ。

「わたくしは美しいから結婚を望まれたのではないのです」
「エリーお姉様がこの国一のフェアレディになるでしょうということは、みんなが言っていますわ」
「そんなことは関係ないのです、リズ」
「どうしてそんなことを仰るの、エリーお姉様?」

 悲し気な笑みに問いかけるリズに、エリーは静かに答える。

「辺境伯がお望みなのはわたくしの美しさではなくて、わたくしの家柄なのだから」
「そんなことはありません。辺境伯はエリーお姉様を愛していますわ。少しそれが伝わりにくいだけなのです」
「いいえ、わたくしは公爵家の娘。中央と辺境を結ぶ役目を背負っています。この婚約が破棄できるとは思っていませんが、辺境伯に愛されているという幻想だけは抱かないようにしなければ」

 表情を引き締めて言うエリーの脳裏には、先日見た晩餐会での光景が浮かんでいた。それまでは辺境伯に心を許しかけていたのに、辺境伯は美しい褐色の肌の女性に笑いかけていた。あんな表情の辺境伯は見たことがない。

「わたくしは公爵家の娘で王家の血が入っているという家柄を求められているだけ……」
「エリーお姉様らしくないですわ! 辺境伯に直接話を伺いましょう!」

 立ち上がったリズはエリーの手を握り、辺境伯領へ行く許可を両親に取りに行くのだった。


 『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』の最新刊を見せられて、わたくしはクリスタが熱く語るのを聞いていた。

「きっとこの辺境伯と話していた令嬢は辺境伯の兄のお嫁さんとかなのでしょうけれども、物凄く続きが気になる終わり方をしているのです」

 アッペル大公領から帰って、わたくしはクリスタの部屋に話をしに来ていた。元ノメンゼン子爵と妾が処刑されていたということをクリスタに伝えるつもりだったのだ。
 それなのに、いつの間にか『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』の最新刊の話になっていたのだ。

「そういえば、わたくし、エクムント様が女性と話しているので気後れしていたら、お兄様のお嫁さんだったことがありましたわ」
「そうでしょう! 主人公のエリーはお姉様そっくりなのです!」
「わたくし、こんなに劣等感を抱いているように見えますか?」
「そこは違いますが、起きるエピソードがお姉様とエクムント様の間で起きたことにそっくりなのです」

 やはりこの本はわたくしに近い人物が書いているのではないかと疑ってしまう。わたくしのことをよく知っているクリスタがこんな風にわたくしとこの本の主人公のエリーを重ねるのだから、相当似ているに違いない。

「物語の中の辺境伯は、少し素っ気ない感じもするのですが、エリーのことを愛しているのが伝わってくるのですわ!」
「そうなのですね。クリスタはこの本がお気に入りなのですね」
「最近最新刊が出たのに、もう次の刊が楽しみでなりません」

 わたくしと状況が似ているのならば、できればわたくしはこの本を発売禁止にしたかったが、クリスタがこんなにも気に入っているのならばそれもできない。
 それにしても、誰がこの本を書いているのだろう。

「お姉様、わたくしにお話とは何でしたの? ウエディングドレスが縫いあがった件ですか?」
「それに関しては、後でクリスタにも見せます。そうでなくて、クリスタ、落ち着いて聞いてくださいね」
「はい。わたくしは『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』で少し興奮していますが、落ち着きますわ」
「元ノメンゼン子爵とその妾が、十年前に処刑されていたのです」

 真剣な眼差しでわたくしが告げると、クリスタは水色の目を不思議そうに丸くしている。

「えーっと、その方々が何か?」
「元ノメンゼン子爵は、クリスタの前の父親です。その妾は、レーニ嬢の前の父親の愛人で、二人で共謀してクリスタの実のお母様を暗殺したのです」

 そこまで説明してクリスタはやっとその存在を思い出したようだ。

「わたくし、ディッペル家に来たときに幼かったので、それ以前のことはほとんど覚えていなくて。そうだったのですね。わたくしの前の父とその妾がわたくしの本当のお母様を……」
「ショックなことを思い出させてごめんなさい」
「いえ、はっきりと言ってくださってよかったですわ。わたくし、本当に覚えていなかったもので」

 クリスタはディッペル家に引き取られたときに四歳だったので、それ以前のことをほとんど覚えていなくても仕方がない。それ以前の生活は酷いものだったので忘れてしまっていた方がわたくしも心は軽かった。
 一応、元ノメンゼン子爵と妾は処刑されて、クリスタが皇太子妃になったときにクリスタの元に金の無心をしに来るような輩はいなくなったのだということは伝えたかった。

「クリスタはディッペル家の娘として堂々と皇太子妃になっていいのですからね」
「ありがとうございます、お姉様。わたくしの覚えていない方々が処刑されてもどうでもあまり構わないのですが、皇太子妃になったときにそういう方々がわたくしの元にやってくる心配はなくなったということですね」
「そうです。両親は血生臭いことだからわたくしやクリスタにそのことを伝えていなかったし、緘口令をしいていたようなのですが、わたくしはクリスタはもうそれを受け止められる年齢になったと思って伝えています」
「お姉様、わたくしは大丈夫です。お姉様こそ、そういう話は苦手だったのではないですか?」
「わたくしも成人しました。真実を受け止められるようになりたいと思っています」

 クリスタにその話を伝えられてわたくしは本当に安堵していた。
 話し終えると、わたくしとクリスタとマリアとフランツは両親に呼ばれた。
 わたくしの結婚式のウエディングドレスの試着を行うのだ。

 マルレーンに手伝ってもらってまだ仕上げの終わっていないウエディングドレスを着ると、マルレーンが真剣な顔でわたくしを見ている。

「マルレーン、どうしましたか?」
「ドレスはこのようになっていて……い、いえ、なんでもございません。エリザベート様が結婚なさる日が近付いているのだとしみじみと感慨深く思っていたところです」
「マルレーンには本当にお世話になりましたね」

 ドレスの作りを見ていたような気がしたが、それもわたくしが結婚することでしみじみとしていたのかもしれない。
 マルレーンの手を取ってお礼を言って、わたくしは家族の前に出た。

 銀色のティアラに銀の刺繍の入ったドレス、左肩と左の腰には薔薇の花が飾ってあって、ヴェールの裾にも薔薇の花が揺れる。胸と腰には辺境伯領の紫色の布に金糸で刺繍が入ったリボンを結んでいた。

「エリザベート、なんて美しいのでしょう」
「エリザベート、本当によく似合っているよ」

 そういえば、『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』の中でもエリーがドレスを褒められていた場面があった。主人公エリーの妹のリズのあの褒め方はクリスタにそっくりだった気がする。
 クリスタは気付いていないのかもしれないが、リズのモデルはクリスタなのかもしれない。

「お姉様、こんなに美しい花嫁さんをわたくしは見たことがありませんわ」
「ありがとうございます、お父様、お母様、クリスタ」

 お礼を言っていると、フランツもマリアも目を輝かせている。

「エリザベートお姉様、素晴らしいです」
「エリザベートお姉様のような花嫁さんにわたくしもなりたいですわ」
「フランツ、ありがとうございます。マリアは気が早いですね」
「わたくしも早く結婚したいのです。オリヴァー殿も成人されましたし、焦る気持ちも分かるでしょう?」

 それはよく分かる。
 わたくしもエクムント様が成人したときには、自分の幼さが悲しく悔しかったものだ。それが今、エクムント様と結婚を間近にして、ウエディングドレスの最終仕上げに入っている。

「このデザインでよろしいですね? これで仕上げに入らせていただきます」
「よろしくお願いします。最高のウエディングドレスを作ってください」

 仕立て職人が確認するのに、母が答えていた。

 ウエディングドレスの試着を終えて部屋に戻ってマルレーンに手伝ってもらって着替えると、マルレーンが申し出てくれる。

「わたくしが仕立て職人の元にこのドレスを持ってまいりますので、エリザベート様は楽なワンピースに着替えていてください」
「それではお願いします」
「こんな美しいウエディングドレスに触れられる機会はないので、大事に持って行かせていただきます」

 マルレーンにウエディングドレスとヴェールはお願いして、わたくしは楽なワンピースに着替えた。ワンピースだけでは寒いのでカーディガンも上に羽織る。
 話は終わっていたが、クリスタの部屋に行くと、『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』を読んでいるところだった。

「やっぱり、続きが気になりますわ。この続きはどうなるのでしょう」

 十七歳の誕生日の晩餐会で辺境伯と女性が親し気に話しているのを目撃してしまったエリー。やっと辺境伯との間に心が通じ始めていたのにエリーはまた辺境伯の愛を疑ってしまう。

「わたくしだったら、エクムント様の愛情を疑ったりしません」
「お姉様はエクムント様と女性が話しているのを見て、不安になったことがありませんか?」
「それは、あります」

 わたくしとエクムント様は十一歳も年が離れている。
 エクムント様も年の近い相手と結婚したかったのではないかと考えたことがないわけではない。エクムント様がお兄様のイェルク殿の奥方、ゲルダ夫人と話しているのを見たときに、そうとは知らずにショックを受けたことも確かにあった。

「この作者、わたくしの身近な人物のような気がするのですよね」
「お姉様、どうか暴かないでください。作者は性別も年齢も名前も明かしていません。暴いてしまったら、続きを書いてくれなくなるかもしれないじゃないですか」

 懇願するクリスタに、わたくしは様々な思いが胸の中を駆け巡ったが、全てを不問にすることに決めたのだった。
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