エリザベート・ディッペルは悪役令嬢になれない

秋月真鳥

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十三章 わたくしの結婚

21.続『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』について

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 夏休みが終わりに近付くと、わたくしはエクムント様のお誕生日のために辺境伯領に行く準備を始める。
 夏休みを辺境伯領で過ごした後で、また辺境伯領に行くのはわたくしには毎年のことで慣れていた。

 荷物を準備するわたくしに、隣りの部屋でクリスタも荷物を準備している。
 フランツもマリアも自分で荷物を準備して、ヘルマンさんとレギーナに確認してもらっていることだろう。

 辺境伯家に向かう馬車の中でクリスタがわたくしにハンカチを手渡してきた。
 猫とハシビロコウとオウムの刺繍の施された白い清潔な真新しいハンカチだ。
 猫の刺繍はシロとクロにそっくりだ。ハシビロコウとオウムはコレットとシリルにそっくりである。

「お姉様は成人の年ですし、結婚されたら辺境伯家に住むようになってしまいます。わたくし、お姉様が少しでも寂しくないようにコレットとシリルの刺繍をしました。シリルは真っ白だから難しかったのですが、刺繍と縫物の先生に教えてもらいました」
「エリザベートお姉様、私は上手にできなかったのですが、シロの刺繍をしました」
「わたくし、クロの刺繍をしました。エリザベートお姉様がディッペル家を離れてもシロとクロとコレットとシリルのことを忘れないように、クリスタお姉様とお兄様と話し合って一緒に刺繍したのです」

 そんなことを隠れていただなんてわたくしは全く知らなかった。
 驚きながら受け取ると、可愛くデフォルメされたシロとクロとコレットとシリルがハンカチに刺繍してある。フランツは刺繍は苦手だったようだが、可愛いシロの顔が刺繍されていた。

「とても嬉しいです。わたくしも、わたくしが買ったのにシリルをディッペル家に置いていくことを悩んでいました。コレットも、シロもクロも、わたくしにとって可愛いペットです」
「エリザベートお姉様とクリスタお姉様が結婚されても、私が責任を持ってシリルとコレットとシロとクロは育てます」
「わたくしも、辺境伯領に嫁ぐ日まで責任を持ちます」

 一度飼ったらペットはその命がなくなる日まで責任を持たなければいけない。その教えをフランツもマリアもしっかりと頭に刻んでいた。

 もらったハンカチをわたくしは丁寧に畳んでバッグの中に入れた。

「お姉様のお誕生日も近かったので、プレゼントにしました」
「エリザベートお姉様はエクムント様にハンカチを差し上げたようですが、エリザベートお姉様にハンカチを差し上げる方がいないのは寂しいですからね」
「少し早いですがお誕生日のプレゼントとして受け取ってください」

 こんな優しい弟妹を持って、わたくしは馬車の中でフランツとマリアを抱き締めていた。
 クリスタには手を握ってお礼を言った。

「クリスタ、フランツ、マリア、本当にありがとうございます」

 わたくしは本当に幸せな姉なのだと実感していた。

 そういえば、『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』のことだが、エクムント様もご存じのようだった。エクムント様も読んだのだろうか。
 辺境伯領に行ったらわたくしはそれを確かめたかった。

 辺境伯家に着くと、食堂に招かれて夕食をご馳走になる。
 わたくしが辺境伯家の席でお客様を迎えなければいけないので、辺境伯家にはお誕生日の前日から行っていた。
 エクムント様とカサンドラ様が迎えてくれて、一緒に夕食を食べる。
 食後にはわたくしとエクムント様だけが食堂のソファに残って、他のみんなは部屋に戻っていた。

「エクムント様は、『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』を読んだことがあるのですか?」
「辺境伯家の侍女たちが大勢読んでいます。カサンドラ様も勧められて読んだようで、それで私に笑いながら見せてきたのです」
「カサンドラ様も読んだのですか!?」
「『エクムント、お前が小説になっているぞ』とそれは楽しそうに言われました」

 侍女からカサンドラ様の手に渡って、エクムント様がそれを見せられたようだ。

「読みましたか?」
「ぱらぱらとは。完全に事実ではないけれど、壊血病の予防策などはそのままで、私とエリザベート嬢をモデルにしたのではないかと思いました」
「エクムント様も思いましたか。わたくしも、わたくしとエクムント様をモデルにしたのではないかと思っているのです。作者は匿名で、性別も隠しているようですが、わたくしはわたくしに近い人物が書いているのではないかと思っているのです」
「私もそう思います。作者が分かったら出版を差し止めるつもりですか?」
「それは……」

 エクムント様に言われてわたくしは言葉に詰まってしまう。
 クリスタも『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』を楽しんで、続刊が出るのを待っていた。レーニ嬢も読んでいるようである。辺境伯家の侍女に流行っているということは、国中で流行っているのではないだろうか。その中にディッペル家の侍女たちもいるに違いない。

「クリスタは皇太子妃になる未来があります。その中では自分の自由にならないことがたくさん出てくるでしょう。そんな中で、クリスタはあの本の続きをとても楽しみにしているのです。作者はあの本を出版禁止にされてしまっては今後出版社に出入りできないかもしれません」

 そうなると、『公爵令嬢と辺境伯の婚約から始まる恋』が終わった後に、新作を書いたとしてもクリスタの元には届かなくなってしまう。

「せめて本を読むという想像の中ではクリスタは自由であってほしいのです。わたくしとしては自分のことを書かれているようで不本意ですが、それでも、出版禁止にはしたくありません」

 わたくしは公爵家の娘で、エクムント様は辺境伯である。出版社に圧力を掛ければ出版禁止にすることくらいたやすいのだ。この世界には著作権がなかったように、表現の自由も当然ない。
 この国にも憲法は一応あるのだが、表現の自由や著作権については書かれていなかった。

「エリザベート嬢がいいのならば、私も構いません。表紙を見ると、何というか……美化されすぎていて恥ずかしいですけれどね」
「わたくしも表紙を見ると恥ずかしいですわ。わたくしはあんな美しいきらびやかな顔ではないのに」
「エリザベート嬢は美しい顔をしていると思いますが、何といいますか、表紙の絵は睫毛がミジンコのようにびっしりと生えていて……」
「ぶはっ!」

 ミジンコ!
 言い得て妙すぎてわたくしは噴き出してしまった。
 淑女というのに恥ずかしい。
 しかし、あまりにもエクムント様の例えが的確過ぎた。
 ミジンコの長い手のようなばさばさの睫毛を生やして、目の中には星が煌めいて、唇には揚げ物を食べた後のような照りと艶があるあの独特の絵をわたくしはどうしても許容できなかった。

「わたくし、ロマンス小説は初めて読んだのですが、全部あんな絵柄なのでしょうか?」
「あの小説は新鋭的と言われています。新しい絵柄のようです」
「みんな、あんな絵柄が好きなのでしょうか……」

 そういえば、ノエル殿下やクリスタやフランツの詩もどこか古めかしいイメージだった。原作の『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』はわたくしの前世の母から受け継いだものなので、一昔前の作風だったのかもしれない。
 そう思うと、挿絵がわたくしにはなんとなく許容できないものでも仕方がないような気がしていた。

「カサンドラ様はあの絵を見て、爆笑されて、『お前の顔はこんなイメージなのか』と仰っていました」
「それが普通の対応ですよね?」

 クリスタのようにあっさりと受け入れているのがわたくしには信じられないのだが、それでもこの世界ではものすごく流行っていて、ベストセラー級なのだろうから、あれがこの世界のひとたちには目新しく映るのだろう。

「わたくしも自分がモデルのような気がしていなければ許容できた気がするのですが」
「私も、自分をイメージしなければ気にならないのですが、難しいですね」

 エクムント様と言い合ってわたくしは部屋に戻った。
 辺境伯家の自分の部屋に戻るとクリスタが先にお風呂に入って髪を乾かしていた。
 わたくしもお風呂に入って髪を乾かしてベッドに横になる。

「エクムント様と例の本の話をしてきました」
「エクムント様は気を悪くされていませんでしたか? あの本が出版禁止になってしまったら、わたくしはとても悲しいです」
「クリスタがそう言うと思ったので、出版禁止にはしなくていいという旨を伝えてきました」
「さすがお姉様です。寛大なお心をお持ちです」
「クリスタがそんなに楽しみにしているのならば仕方がないでしょう」

 それにしても、とわたくしは続ける。

「あの表紙絵どう思いましたか?」
「これまでに見たことのない斬新な絵柄で、とても素敵だと思いました」

 やはりそうなのか。
 この世界ではあの絵が最先端なのだ。
 この世界で生きていくには、それを受け入れるほかはないのかとわたくしは思っていた。
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