上 下
403 / 528
十二章 両親の事故とわたくしが主役の物語

11.ファーストダンスからラストダンスまで

しおりを挟む
 わたくしも十六歳になったのだから、晩餐会でもう少し長く会場にいられるようにしなければいけない。
 晩餐会では料理を食べた後に大広間に移って、大広間で大人たちはお酒を飲んだり、お喋りをしたり、ダンスを踊ったりする。
 わたくしはエクムント様とダンスがしたかった。
 料理を食べ終えて大広間に移ると、わたくしにエクムント様が手を差し伸べる。
 ファーストダンスは婚約者か結婚している相手としか踊らないものだと貴族の中では決まっている。
 エクムント様に導かれて、エクムント様の手に手を乗せて、がっしりとした肩に手を添えて踊っているとふわふわとしてくる。眠気も若干あるが、それよりも幸福感が強かった。
 踊ってから休憩していると、褐色の肌の男性がエクムント様とわたくしのところに近付いてくる。エクムント様は構わずにわたくしに冷たい飲み物を渡してくれていた。グラスに入った葡萄ジュース。わたくしは喉が渇いていたので一息で半分ほど飲んでしまった。
 飲んでから何か変だと思った。
 葡萄ジュースが甘くなくて、酸っぱくて少し渋いのだ。

「エクムント様、これは……」
「どうされました?」
「葡萄ジュースではなかったかもしれません」

 わたくしの言葉にエクムント様が慌ててわたくしの手からグラスを取って中のものを嗅いで確かめている。わたくしも踊った後で喉が渇いていなければ、こんな風に一気に飲んだりせずに警戒するのだが、今回はエクムント様が渡してくださったものだし、大丈夫だろうという甘い考えがあった。
 酔いが回ってくるわたくしをエクムント様が端に連れて行って休ませようとする。わたくしの顔は真っ赤だっただろう。頬が熱くなっている。

 それに構わず男性が声をかけてくる。

「エクムント様、とても美しい婚約者ですね。私に紹介していただけませんか? どうか、一曲踊る名誉を私にください」

 声をかけてきているのはエクムント様とそれほど年の変わらない貴族のようだった。
 エクムント様以外と踊るなんて考えられないし、わたくしは今、ステップが踏めるような状況ではない。

「私以外の男性が私の婚約者について言及するのは面白くありませんね」
「何を仰っているのですか? 美しいと褒めただけではないですか」
「褒めるのも下心あってのことでしょう。私の婚約者は私にだけ褒められていればいいのです」

 酔っているせいかエクムント様の言葉が苛烈に聞こえるのは気のせいだろうか。ソファに腰かけて水のグラスをエクムント様から手渡されてわたくしは水をちびちびと飲んでいた。レモンの浮かんだ水は冷やされていて、飲むと少しすっきりとする。

「私は士官学校の同期ではないですか。美しい婚約者様と一曲踊らせてください」
「そんなことを言っているから、その年になっても結婚できていないし、婚約者もいないのではないですか?」
「な、なにを!?」
「ひとの婚約者に声をかけるよりも、自分の唯一無二を探される方が人生のためだと思いますよ。エリザベート嬢は美しい。それは真実です。ただ、エリザベート嬢は残念ながらファーストダンスからラストダンスまで全てのダンスを私を踊ることが決まっているのです」

 ものすごいことを言われている気がする。エクムント様はわたくしのファーストダンスからラストダンスまで全てを独り占めするのだと言っている。
 それは同時にわたくしがエクムント様のファーストダンスからラストダンスまでを独り占めするということだった。

「エクムント様……わたくしとずっと踊ってくださるのですか?」
「特別に、エリザベート嬢のお父上と弟君にはダンスを譲りましょう。それ以外の相手には皇太子殿下でも国王陛下でもお断りするつもりですよ」
「皇太子殿下でも、国王陛下でも!?」
「それが婚約者として許されると思っています」

 普段から品行方正で辺境伯として立派に勤めていらっしゃるエクムント様ならば、元々皇太子殿下であるハインリヒ殿下も国王陛下も手を出してこないだろうし、わたくしと踊るのを断られてもお叱りは受けないであろう。エクムント様の考えに頭がどんどん熱くなってくる。
 エクムント様が独占欲を見せてくださっている。
 それが嬉しいやら、恥ずかしいやら。

「私の婚約者について、二度と声をかけてこないでください。白手袋を投げて差し上げましょうか?」
「ダンス一回くらいいいではないですか」
「粘りますね。もしかして、私の婚約者に懸想しているのではないでしょうね?」

 すっとエクムント様の周囲の温度が下がった気がした。今は初夏で夜は涼しい風が入るが、もう暑いくらいなのに、さぁっと汗が引いていくのが分かる。

「ま、まさか、そんなことはありません」
「私は エリザベート嬢の婚約者。あなたに決闘を挑んでもおかしくはないのですが」
「え、エクムント様、落ち着かれてください」
「私は落ち着いていますよ。そういえばあなたは同期ですが、一度も手合わせで私に勝ったことがなかったですね?」
「大変失礼いたしました、エクムント様。私は下がらせていただきます」

 敬礼をして下がっていく男性を見て、わたくしはエクムント様の顔を見た。エクムント様は凍り付いたような笑顔ではなくて、すっかりと元の優しい笑顔に戻っていた。

「エリザベート嬢に私の不手際で葡萄酒を飲ませてしまいましたね。歩けますか?」
「あるけま……きゃっ!」

 立ち上がろうとしてわたくしはくらくらとしてエクムント様の手に縋ってしまう。エクムント様は素早く動いてわたくしを抱き上げた。

「お部屋までお送りいたします。本日は本当に申し訳ありませんでした」
「わたくしも気付かずに飲んでしまったのですもの、エクムント様のせいではありませんわ」
「いえ、このまま抱き上げて運ばせていただくことに対して、先に謝っておこうと思いまして」
「え……!? きゃあ」

 姫抱きのままでエクムント様は歩き出す。不安定さとかは全くなくて、しっかりと抱きかかえられている安心感があるのだが、周囲の目がある中で抱きかかえられているというのも恥ずかしくて仕方がない。
 両手で顔を覆っていると、エクムント様は気にせずにそのまま歩いてわたくしの部屋まで向かっていた。
 エクムント様の両手がわたくしで埋まっているので、わたくしが部屋のドアをノックする。ノックするとレーニちゃんとクリスタちゃんも部屋に戻っていた。
 エクムント様はわたくしを部屋の入り口で降ろして、クリスタちゃんとレーニちゃんに預けた。

「私のミスで葡萄ジュースと間違って葡萄酒を飲ませてしまったのです」
「お姉様、大丈夫ですか?」
「足元がおぼつかなくなっているようなので、手を貸して差し上げてください」
「分かりました。エクムント様、お休みなさいませ」

 クリスタちゃんもレーニちゃんもわたくしを心配してくれて、わたくしに手を貸して部屋に連れ戻ってくれた。

「お姉様、お風呂は明日の朝にした方がいいかもしれません」
「エリザベートお姉様、今日は洗面と歯磨きと着替えをして、休まれた方がいいでしょう」

 世界がくるくるふわふわとしているので、クリスタちゃんとレーニちゃんに支えてもらって、洗面と歯磨きと着替えをして、わたくしはベッドに運んでもらって休んだのだった。

――エリザベート嬢は残念ながらファーストダンスからラストダンスまで全てのダンスを私を踊ることが決まっているのです

 エクムント様の声が頭の中で聞こえる。
 わたくしはエクムント様に独り占めされるのだと同時に、エクムント様を独り占めできるのだ。
 わたくしとダンスを踊るのはエクムント様だけ。
 そう思うと嬉しさのような、恥ずかしさのような、複雑な思いが浮かんでくる。

「クリスタちゃんとレーニちゃんは早く部屋に戻ったのですか?」

 ふわふわとした頭で問いかけると答えが返ってくる。

「そうです。わたくしは一緒に踊る殿方もいなかったので先に帰りました」
「わたくしは、ハインリヒ殿下がお腹を空かせているだろうと気を利かせてくださって、先に部屋に戻りました。部屋には軽食が用意されていたので食べて寛いでいました」

 レーニちゃんはふーちゃんがいないから踊る相手もいないので先に戻っていた。クリスタちゃんはハインリヒ殿下が料理に手を付けられなくてお腹を空かせていただろうと気を遣ってくださって先に戻っていた。
 二人がいてくれたからこそ、わたくしは葡萄酒を間違えて飲んでしまって酔っ払っても、部屋に戻って助けてくれるひとがいた。

「クリスタちゃん、レーニちゃん、ありがとうございました」

 お礼を言うと二人とも「どういたしまして」「お姉様のためなら」と快く返事をしてくれた。
しおりを挟む
感想 150

あなたにおすすめの小説

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

王妃の仕事なんて知りません、今から逃げます!

gacchi
恋愛
側妃を迎えるって、え?聞いてないよ? 王妃の仕事が大変でも頑張ってたのは、レオルドが好きだから。 国への責任感?そんなの無いよ。もういい。私、逃げるから! 12/16加筆修正したものをカクヨムに投稿しました。

「殿下、人違いです」どうぞヒロインのところへ行って下さい

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームを元にした人気のライトノベルの世界でした。  しかも、定番の悪役令嬢。 いえ、別にざまあされるヒロインにはなりたくないですし、婚約者のいる相手にすり寄るビッチなヒロインにもなりたくないです。  ですから婚約者の王子様。 私はいつでも婚約破棄を受け入れますので、どうぞヒロインのところに行って下さい。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈@12/27電子書籍配信
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

貴族令嬢に生まれたからには念願のだらだらニート生活したい。

譚音アルン
ファンタジー
ブラック企業に勤めてたのがいつの間にか死んでたっぽい。気がつくと異世界の伯爵令嬢(第五子で三女)に転生していた。前世働き過ぎだったから今世はニートになろう、そう決めた私ことマリアージュ・キャンディの奮闘記。 ※この小説はフィクションです。実在の国や人物、団体などとは関係ありません。 ※2020-01-16より執筆開始。

願いの守護獣 チートなもふもふに転生したからには全力でペットになりたい

戌葉
ファンタジー
気付くと、もふもふに生まれ変わって、誰もいない森の雪の上に寝ていた。 人恋しさに森を出て、途中で魔物に間違われたりもしたけど、馬に助けられ騎士に保護してもらえた。正体はオレ自身でも分からないし、チートな魔法もまだ上手く使いこなせないけど、全力で可愛く頑張るのでペットとして飼ってください! チートな魔法のせいで狙われたり、自分でも分かっていなかった正体のおかげでとんでもないことに巻き込まれちゃったりするけど、オレが目指すのはぐーたらペット生活だ!! ※「1-7」で正体が判明します。「精霊の愛し子編」や番外編、「美食の守護獣」ではすでに正体が分かっていますので、お気を付けください。 番外編「美食の守護獣 ~チートなもふもふに転生したからには全力で食い倒れたい」 「冒険者編」と「精霊の愛し子編」の間の食い倒れツアーのお話です。 https://www.alphapolis.co.jp/novel/2227451/394680824

処理中です...