エリザベート・ディッペルは悪役令嬢になれない

秋月真鳥

文字の大きさ
上 下
384 / 528
十一章 ネイルアートとフィンガーブレスレット

38.口付けの場所

しおりを挟む
 お茶会が終わって両親と共にお客様のお見送りをして、少し休むとすぐに夕食の時間になった。
 長時間お茶会でミルクティーを飲んでケーキや軽食も食べていたので、それほどお腹は空いていなかったけれど、夕食を食べないと夜中にお腹が空いてしまうことは分かっていたので夕食の席に着いた。
 こういう日は夕食は量が少なめで簡素なものになっている。
 お茶会でお腹がいっぱいになっているのを分かっているからだろう。

 夕食に肉じゃがが出てきたのを見て、エクムント様が不思議そうな顔をしている。

「これは初めて食べますが、どういう料理ですか?」
「これはエリザベートが考えた、肉じゃがという料理です。シチューの汁気をなくして、もっと素材の味を生かそうとしたようです」
「そうなのですね。初めて食べますが美味しいです」

 肉じゃがを食べているエクムント様は満足そうな顔をしていた。
 お茶会でケーキや甘いものは食べず、ポテトチップスも食べず、サンドイッチを少し食べるだけのエクムント様にしてみれば、夕食が少ないのはよくなかったかもしれない。

「エクムント様の夕食はいつも通りの量にしてもらうように厨房に言えばよかったですね」

 反省するわたくしにエクムント様は笑顔で首を左右に振る。

「お気になさらずに。美味しいものを少しだけ食べるのも悪くないですよ」
「夜にお腹が空くかもしれません。そうですわ。夜食を届けさせましょう」
「ありがとうございます。ですが、私は夜にはものを食べないようにしているのです」

 軍人であるエクムント様は自分を律することに関しても厳しかった。夜の何時以降にはものは食べないときっちりと決めているのだろう。
 エクムント様が引き締まった体つきをしている理由が分かったような気がした。

「この前はコロッケを考えて、肉じゃがも考えていたなんて、エリザベート嬢は本当に発想が豊かですね」
「思い付いただけですわ」
「他にも思い付いたことがあったら話してください。なんでも聞きます」

 それならばわたくしはエクムント様と相談したいことがあった。
 この国にはジャガイモがある。ジャガイモが主食のようなものだ。それにトマトもある。人参もある。玉ねぎもある。
 そうなるとわたくしが作りたいものは決まってくる。

「ジャガイモと人参と玉ねぎをお肉と炒めて、色んな香辛料で味を付けて、ご飯にかけるのはどうでしょう?」
「ご飯に? お米にということですか?」
「はい。炊いたお米にかけるのです」

 この国ではお米はサラダのような扱いしかされていない。それ以外ではパエリアのような炊き込みご飯系になってしまうだろうか。
 炊いたお米の上に香辛料で味を付けたジャガイモと人参と玉ねぎとお肉をかける。
 それは、カレーだ。

「香辛料はどのようなものを考えていますか?」
「レッドペパー、クミン、コリアンダー、シナモン、カルダモン、ブラックペパー、ターメリック、ガラムマサラなどを考えています」
「香辛料の名前をよくご存じですね。それならば、異国との交易で手に入るかもしれません」

 辺境伯領は海軍も有名だが、それ以外にも漁師の船も出ているし、交易船も出ている。交易船を守るために海軍がいるようなものなのだ。
 交易船で香辛料を手に入れられるのは辺境伯領しかないとわたくしは確信していた。

「香辛料が揃ったら、エリザベート嬢の言う料理を作ってみましょう。ちなみに、その料理は名前を付けているのですか?」
「はい。カレーライスと」
「カレーライス……聞いたことのない名前ですが、美味しいかもしれませんね」

 カレーライスを作る約束がエクムント様とできてわたくしはとても満足だった。
 香辛料を集めるには時間がかかるかもしれないが、わたくしは辺境伯領に嫁ぐのだ。そのときに香辛料が揃っていればカレーライスを作ることができる。
 米や水が若干違うので、似たような別物になるかもしれないが、わたくしは前世で食べたカレーライスを食べたかった。

 夕食が終わるとエクムント様はわたくしを部屋まで送ってくださる。
 手を取られて階段を上っていくと、クリスタちゃんが横を通りながら目を光らせているのが分かる。クリスタちゃんはわたくしとエクムント様の進展が気になっているのだ。
 クリスタちゃんが部屋に入ったのを確かめたところで、わたくしはエクムント様にお休みの挨拶をしようとした。

「エクムント様……」
「エリザベート嬢、キスをしても、よろしいですか?」

 キスだ!
 もう分っている。
 エクムント様はお休みのキスをするつもりなのだ。
 場所はおでこ。
 唇かもしれないなんて期待はもうしない。
 目を閉じてエクムント様に口付けられるのを待っていると、エクムント様の手がわたくしの頬を撫でた。
 おでこでもキスはキスなので、わたくしは胸が高鳴る。
 こうやってキスをするような仲になっていくのだろうか。
 結婚したら、エクムント様も唇にキスをしてくれるだろう。それまではおでこでも我慢しなければいけない。
 そう思っていると、頬に柔らかな感触が触れた。

「お休みなさい、エリザベート嬢」
「お、おやふみなしゃい、エクムントしゃま」

 頬を押さえたまま、わたくしは妙な声を出してしまっていた。

 前はおでこにキスをされたので、おでこだとばかり思って油断していた。
 まさか頬にキスをされるだなんて思わなかったのだ。
 頬は唇に近い。
 徐々にこうして唇に近付けていくつもりなのだろうか。

 熱くなった頬を押さえて呆然と立ち竦むわたくしを置いて、エクムント様は部屋に帰って行ってしまった。
 わたくしも部屋に戻るが、体が熱くて頭まで痛くなってくる。

 エクムント様がわたくしの頬にキスをした。

 おでこは小さな子どもが眠るときにキスをされる場所で、エクムント様もわたくしのおでこにキスをしたときには、子どものようにしか思われていないのだと期待しただけにがっかりした覚えがある。
 今回は頬である。

 頬にキスなんて、恋愛感情がなければしないのではないだろうか。
 朝のお散歩でもエクムント様はわたくしが痩せていても太っていても、背が高くても低くても、胸の大きさに関わりなく、わたくしならば好きだと言っていた。

「エクムント様は、わたくしのことが、好き……」

――私が好きになる女性はエリザベート嬢以外ありえません。エリザベート嬢が私にとっての唯一の女性です。

 エクムント様の声が耳の中でこだまする。
 わたくしはベッドに倒れ込んだ。

「お姉様、どうされたのですか?」

 クリスタちゃんの部屋とは窓で繋がっているので、クリスタちゃんの声が聞こえてくる。

「何でもありません」
「何でもなくはないでしょう。お姉様、お顔が真っ赤です」
「覗かないでください」

 窓から覗いてくるクリスタちゃんに、わたくしは両手で頬を押さえる。

「夕食のときもエクムント様と楽しそうにお話ししていました」
「エクムント様と話すのは楽しいですから」
「お姉様、もしかして、エクムント様に……」
「クリスタちゃん、言わないでください」
「プロポーズされたのですか?」
「はい?」

 クリスタちゃんに言われてわたくしは思わず聞き返してしまった。
 クリスタちゃんは今何と言っただろう。

「お姉様があまりにも美しくて素晴らしいから、エクムント様は婚約者なのに改めてお姉様にプロポーズしたくなったのではないですか?」
「いえ、そんなことはありません。そもそも、わたくしとエクムント様は婚約していて、結婚することが決まっていますから」

 わたくしとエクムント様の婚約が壊れることは決してあり得ない。
 公爵家と辺境伯家の婚約は国の一大事業であるし、破棄することなどできないと分かっていてわたくしも婚約を受けたのだ。
 結婚することが決まっているのにプロポーズするようなことは、エクムント様に限ってあり得ないだろう。

「わたくしだったら、ハインリヒ殿下が改めてプロポーズしてくださったら嬉しいですが」
「プロポーズはもうされているようなものでしょう? 婚約しているのですから」
「そうなのですか。ハインリヒ殿下はわたくしに改めてプロポーズしてくださらないのかしら」

 クリスタちゃんは国王陛下が決めた婚約という形だけでなくて、ハインリヒ殿下の意思でプロポーズしてほしいと考えているようだった。

 どうやら頬にキスをされた件に関しては、クリスタちゃんには見えていなかったようだ。
 例え可愛い妹のクリスタちゃんであろうとも、わたくしとエクムント様との間のことは知られたくないと思ってしまう。
 エクムント様とわたくしとの間の甘い思い出は二人だけのものにしておきたい。

 クリスタちゃんには悪いが、わたくしはキスの件をクリスタちゃんに伝えることはなかった。
しおりを挟む
感想 150

あなたにおすすめの小説

王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?

いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、 たまたま付き人と、 「婚約者のことが好きなわけじゃないー 王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」 と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。 私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、 「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」 なんで執着するんてすか?? 策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー 基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

転生ヒロインは不倫が嫌いなので地道な道を選らぶ

karon
ファンタジー
デビュタントドレスを見た瞬間アメリアはかつて好きだった乙女ゲーム「薔薇の言の葉」の世界に転生したことを悟った。 しかし、攻略対象に張り付いた自分より身分の高い悪役令嬢と戦う危険性を考え、攻略対象完全無視でモブとくっつくことを決心、しかし、アメリアの思惑は思わぬ方向に横滑りし。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

魔法が使えない令嬢は住んでいた小屋が燃えたので家出します

怠惰るウェイブ
ファンタジー
グレイの世界は狭く暗く何よりも灰色だった。 本来なら領主令嬢となるはずの彼女は領主邸で住むことを許されず、ボロ小屋で暮らしていた。 彼女はある日、棚から落ちてきた一冊の本によって人生が変わることになる。 世界が色づき始めた頃、ある事件をきっかけに少女は旅をすることにした。 喋ることのできないグレイは旅を通して自身の世界を色付けていく。

処理中です...