エリザベート・ディッペルは悪役令嬢になれない

秋月真鳥

文字の大きさ
上 下
327 / 528
十章 ふーちゃんとまーちゃんの婚約

34.まーちゃんの宣言

しおりを挟む
 貴族社会は恐ろしい場所である。
 少しでも陥れる隙があれば、そこに付け込んで蹴り落として自分たちの地位を上げようとする心根のよくないものが多いのだ。
 エクムント様のお誕生日のパーティーにシュタール家は当然招待されていた。
 嫌疑も晴れて、国王陛下からもユリアーナ殿下の特別講師の任を解くなどという知らせは全くなかった。

 それでもエクムント様のお誕生日の昼食会で聞こえてくるのはシュタール家の偽りの醜聞に関することばかりだった。

「シュタール家は王家に取り入って、ユリアーナ殿下に近付き、ユリアーナ殿下を暗殺しようと企んでいたとか」
「辺境伯は若くていらっしゃるから、シュタール家の支えなしに辺境伯領を治められないのでしょう。シュタール家の言いなりになってしまったのではないでしょうか」
「シュタール家の奥方が亡くなられてから、息子を王都に忍び込ませて、入念に計画していたようですからね」
「シュタール家が次期当主を軍人にしなかったのは、そういう企みがあったからなのですね」

 聞こえよがしに話される根も葉もないことに、わたくしは憤っていた。
 オリヴァー殿は王家に取り入ろうとなどしていない。そもそも、王家とオリヴァー殿との繋がりを持たせたのはわたくしなのだ。
 それがいいように解釈されて、ユリアーナ殿下の暗殺をオリヴァー殿が学園に入学するときから考えていたようなことを言われているのはシュタール家にとってもものすごい侮辱だろう。

 周囲の貴族が辺境伯領の士官学校に通って軍人になる中、王都の学園に通うことを決めたオリヴァー殿は、お父様と揉めたこともあると言っていた。それを乗り越えて、自分には軍人としての才覚よりも文官としての才覚の方があると理解して、王都の学園に入学を決めたオリヴァー殿。
 辺境伯領の貴族の中ではその当時から浮いていたのかもしれない。学園の中でも優秀な成績は修めていたが、孤独だったのかもしれない。

 それを王家に反乱するために学園に入ったなどと言われては、心外だっただろう。

 昼食会が終わってお茶会の席でも、シュタール家への陰口は止まなかった。

「王家に取り入って、ユリアーナ殿下を暗殺しようとしていただなんて信じられない」
「シュタール家は代々軍人の家系だった。それが王都の学園に後継者を入れた時点で何かおかしいと思っていたのです」
「辺境伯家も、よくシュタール家を許してそばに置いていること」

 陰口を叩く者たちに、エクムント様が咳払いをするとさっとひとが離れて行った。
 エクムント様はわたくしの手を取って招きつつ、オリヴァー殿に歩み寄って行っていた。

「オリヴァー殿、お茶を一緒にしませんか?」
「ありがとうございます、エクムント様。喜んでご一緒させていただきます」

 声をかけられて明らかに安堵しているオリヴァー殿は昼食会でもお茶会でも孤立していたようだ。
 シュタール家を蹴落としてその場所にのし上がろうとする貴族のなんと多いことだろう。辺境伯領がこんな状態だから、エクムント様も信頼できるヒューゲル家やシュタール家をより大切にしようと思うのだろう。

「この度は大変でしたね」
「父も今回のことはユリアーナの特別講師となったオリヴァー殿を妬んでのことと理解しています」
「ありがとうございます、ハインリヒ殿下、ノルベルト殿下」

 辺境伯領に来られていたハインリヒ殿下もノルベルト殿下もオリヴァー殿に理解を示していた。この様子を見れば少しは周囲の貴族の態度も変わるかと思ったのだが、逆効果だったようだ。

「やはり、王族に取り入ろうとしている」
「ハインリヒ殿下もノルベルト殿下も騙されているのです」

 この貴族たちを黙らせる方法がないものか。
 わたくしが考えていると、まーちゃんが両親を連れてオリヴァー殿のところにやってきていた。

「オリヴァーどの……いえ、わたくし、ちゃんと大人のように喋ります。オリヴァー殿に提案があって参りました」
「どうなさいましたか、マリア様?」
「シュタール家にかけられた、根も葉もない嫌疑、わたくしは許せません!」
「マリア様にそのように言っていただけるだけでも安心します」
「わたくし、公爵家の娘としても、辺境伯の将来の妻の妹としても見過ごせません!」
「そんなに私に心を傾けてくださるのですね」

 両足を踏ん張ってオリヴァー殿を見上げて立っているまーちゃんに、オリヴァー殿は純粋に感動しているようだ。
 この後に続く言葉も知らずに。

「わたくし、オリヴァー殿と婚約いたします!」
「はぁ……え!? はぁ!?」

 宣言したまーちゃんにオリヴァー殿は驚いて言葉も出ない様子だ。
 まーちゃんはくるりと両親の方を振り返った。

「オリヴァー殿は、わたくしの世界を広げてくれました。わたくしが理解できない詩を教えてくれて、わたくしは前よりもお兄様が好きになりました。オリヴァー殿にこの感謝をお伝えしたいのです」
「ま、マリア、オリヴァー殿と婚約するつもりなのかい?」
「はい! オリヴァー殿には婚約者はいないと聞きました。オリヴァー殿が……いいえ、シュタール家が王家に反乱の意志がないと示すために、王家と関わりの深いディッペル家の娘であるわたくしと婚約するのが一番だと思うのです」

 お見事。
 正直、わたくしはまーちゃんにここまでのことが言えるとは思っていなかった。
 公爵家から圧力をかけて、適齢期になる侯爵家の跡継ぎのオリヴァー殿の結婚を遅らせるなどということは、できれば避けたかった。最終的にはどうにもならなければディッペル家からシュタール家に資金援助をするとかいう名目で、札束でどうにかしようとまで考えていたのだが、そこまでは至らずに済んだようだ。
 まーちゃんが銀色の光沢のある黒い目でオリヴァー殿を見上げる。

「マリア様はまだお小さい。婚約をしても、成長する間に気持ちが変わるかもしれません」
「わたくしの気持ちは変わりません。オリヴァー殿はわたくしに新しい世界を見せてくれた方です」
「マリア様と私だけで決められることでもありません」

 オリヴァー殿が困惑して言うのに、オリヴァー殿のお父様がやってきて両親に話をする。

「話しは全部聞かせていただきました。ディッペル公爵家とご縁が持てるのでしたら、シュタール家としても光栄です」
「マリアはオリヴァー殿よりも十歳も年が下です。十年も結婚を待たせてしまうことになるかもしれません」
「それも構いません。成長に伴って、マリア様のお気持ちが変わってしまったら、婚約は白紙としてもいいでしょう」
「そこまで言ってくださるのでしたら、マリアとオリヴァー殿の婚約のこと、国王陛下に許可をいただきましょう」
「マリアをよろしくお願いします」

 両親もオリヴァー殿のお父様の言葉に納得したようだ。
 まーちゃんはこれでオリヴァー殿との婚約が決まったようなものだった。

「エリザベートお姉様は八歳で婚約をしました。お兄様は六歳で婚約をしました。わたくしが五歳で婚約をしていけないわけがありません」

 ノエル殿下も言っていた。
 王族や貴族の中には生まれたときから婚約が決まっている者もいるのだと。そういうものがいるのだとすれば、まーちゃんの五歳での婚約も決しておかしくはなかった。

「マリア様、本当に私でいいのですか?」
「オリヴァー様をお慕いしております」

 まーちゃんが「殿」ではなく「様」と言っていることに誰も訂正はしない。まーちゃんはまだ五歳なのだし、心の中だけで「様」と呼んでいるのが時々出てしまっても仕方がないのかもしれない。

「マリア様が大きくなって、気持ちが変わったら、この婚約をいつでも白紙に戻せるようにしましょう」
「気持ちは変わりません! わたくしが大きくなるまで待っていてくださいね!」
「今はマリア様のことは恋愛感情を持って見られませんが、成人した暁には、きっと恋愛感情を持って見られるようになるでしょう」
「わたくしも、その日まで待っております」

 背伸びしてオリヴァー殿の手を握っているまーちゃんの目に銀色の光沢があると気付いたのはオリヴァー殿だった。オリヴァー殿はまーちゃんのことを最初から真っすぐに見つめていた。
 この二人が婚約するというのはディッペル家にとってもいい話であるし、辺境伯領を支えるシュタール家にまーちゃんが嫁いでくれるというのはわたくしにとってもとても心強い話である。

「ディッペル家がどれだけ辺境伯領を思ってくださっているのか、マリア嬢の言葉と、ディッペル公爵夫妻の決断でよく分かりました」
「マリアのためにもシュタール家のことは、どうか頼みます、エクムント殿」
「わたくしたちは、国王陛下に婚約の許可を得ます」
「ディッペル公爵夫妻、こちらこそ、国王陛下への許可の件、よろしくお願いします」

 エクムント様もまーちゃんとオリヴァー殿の婚約には賛成のようで、まーちゃんの声がお茶会の会場に響いた瞬間から、陰口も消え去っていた。
しおりを挟む
感想 150

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢エリザベート物語

kirara
ファンタジー
私の名前はエリザベート・ノイズ 公爵令嬢である。 前世の名前は横川禮子。大学を卒業して入った企業でOLをしていたが、ある日の帰宅時に赤信号を無視してスクランブル交差点に飛び込んできた大型トラックとぶつかりそうになって。それからどうなったのだろう。気が付いた時には私は別の世界に転生していた。 ここは乙女ゲームの世界だ。そして私は悪役令嬢に生まれかわった。そのことを5歳の誕生パーティーの夜に知るのだった。 父はアフレイド・ノイズ公爵。 ノイズ公爵家の家長であり王国の重鎮。 魔法騎士団の総団長でもある。 母はマーガレット。 隣国アミルダ王国の第2王女。隣国の聖女の娘でもある。 兄の名前はリアム。  前世の記憶にある「乙女ゲーム」の中のエリザベート・ノイズは、王都学園の卒業パーティで、ウィリアム王太子殿下に真実の愛を見つけたと婚約を破棄され、身に覚えのない罪をきせられて国外に追放される。 そして、国境の手前で何者かに事故にみせかけて殺害されてしまうのだ。 王太子と婚約なんてするものか。 国外追放になどなるものか。 乙女ゲームの中では一人ぼっちだったエリザベート。 私は人生をあきらめない。 エリザベート・ノイズの二回目の人生が始まった。 ⭐️第16回 ファンタジー小説大賞参加中です。応援してくれると嬉しいです

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

悪役令嬢ですが、ヒロインの恋を応援していたら婚約者に執着されています

窓辺ミナミ
ファンタジー
悪役令嬢の リディア・メイトランド に転生した私。 シナリオ通りなら、死ぬ運命。 だけど、ヒロインと騎士のストーリーが神エピソード! そのスチルを生で見たい! 騎士エンドを見学するべく、ヒロインの恋を応援します! というわけで、私、悪役やりません! 来たるその日の為に、シナリオを改変し努力を重ねる日々。 あれれ、婚約者が何故か甘く見つめてきます……! 気付けば婚約者の王太子から溺愛されて……。 悪役令嬢だったはずのリディアと、彼女を愛してやまない執着系王子クリストファーの甘い恋物語。はじまりはじまり!

悪役令嬢を陥れようとして失敗したヒロインのその後

柚木崎 史乃
ファンタジー
女伯グリゼルダはもう不惑の歳だが、過去に起こしたスキャンダルが原因で異性から敬遠され未だに独身だった。 二十二年前、グリゼルダは恋仲になった王太子と結託して彼の婚約者である公爵令嬢を陥れようとした。 けれど、返り討ちに遭ってしまい、結局恋人である王太子とも破局してしまったのだ。 ある時、グリゼルダは王都で開かれた仮面舞踏会に参加する。そこで、トラヴィスという年下の青年と知り合ったグリゼルダは彼と恋仲になった。そして、どんどん彼に夢中になっていく。 だが、ある日。トラヴィスは、突然グリゼルダの前から姿を消してしまう。グリゼルダはショックのあまり倒れてしまい、気づいた時には病院のベッドの上にいた。 グリゼルダは、心配そうに自分の顔を覗き込む執事にトラヴィスと連絡が取れなくなってしまったことを伝える。すると、執事は首を傾げた。 そして、困惑した様子でグリゼルダに尋ねたのだ。「トラヴィスって、一体誰ですか? そんな方、この世に存在しませんよね?」と──。

罠にはめられた公爵令嬢~今度は私が報復する番です

結城芙由奈@2/28コミカライズ発売
ファンタジー
【私と私の家族の命を奪ったのは一体誰?】 私には婚約中の王子がいた。 ある夜のこと、内密で王子から城に呼び出されると、彼は見知らぬ女性と共に私を待ち受けていた。 そして突然告げられた一方的な婚約破棄。しかし二人の婚約は政略的なものであり、とてもでは無いが受け入れられるものではなかった。そこで婚約破棄の件は持ち帰らせてもらうことにしたその帰り道。突然馬車が襲われ、逃げる途中で私は滝に落下してしまう。 次に目覚めた場所は粗末な小屋の中で、私を助けたという青年が側にいた。そして彼の話で私は驚愕の事実を知ることになる。 目覚めた世界は10年後であり、家族は反逆罪で全員処刑されていた。更に驚くべきことに蘇った身体は全く別人の女性であった。 名前も素性も分からないこの身体で、自分と家族の命を奪った相手に必ず報復することに私は決めた――。 ※他サイトでも投稿中

乙女ゲームの世界だと、いつから思い込んでいた?

シナココ
ファンタジー
母親違いの妹をいじめたというふわふわした冤罪で婚約破棄された上に、最北の辺境地に流された公爵令嬢ハイデマリー。勝ち誇る妹・ゲルダは転生者。この世界のヒロインだと豪語し、王太子妃に成り上がる。乙女ゲームのハッピーエンドの確定だ。 ……乙女ゲームが終わったら、戦争ストラテジーゲームが始まるのだ。

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

(完結)もふもふと幼女の異世界まったり旅

あかる
ファンタジー
死ぬ予定ではなかったのに、死神さんにうっかり魂を狩られてしまった!しかも証拠隠滅の為に捨てられて…捨てる神あれば拾う神あり? 異世界に飛ばされた魂を拾ってもらい、便利なスキルも貰えました! 完結しました。ところで、何位だったのでしょう?途中覗いた時は150~160位くらいでした。応援、ありがとうございました。そのうち新しい物も出す予定です。その時はよろしくお願いします。

処理中です...