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九章 クリスタちゃんの婚約と学園入学

29.工場見学とお部屋での詩の会

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 ハインリヒ殿下とノルベルト殿下とノエル殿下の滞在二日目は、辺境伯領の特産品の布の工場見学にあてられた。工場見学にはわたくしとクリスタちゃんとふーちゃんとまーちゃんと両親も付いていくことになった。
 あの紫色がどうやって染められるのか、わたくしはとても興味があった。

「辺境伯領でしか取れないリラベリーという紫色の実を使って養蚕で作られた絹の布を染めます。染める回数があって、一回だと薄い紫色に、二回だと少し薄い紫色に、三回だと普通の紫色にというように、回数を重ねるごとに色が濃くなってきます」
「お父様とお母様のスーツとドレスは黒に近い紫ですわ」
「それは一番濃い色で、ミッドナイトパープルとでも言ったらいいでしょうか」

 両親のスーツとドレスの色を思い出してわたくしが言えば、エクムント様は丁寧に説明してくださる。
 工場には紫色の液体の入った大きな樽が幾つも置いてあって、そこに絹の布が浸されていた。

「浸した布は、水に晒して付き過ぎた色を落とします。その後で、もっと濃くしたい場合にはまた樽に浸けます」

 工場の中を歩きながらわたくしとクリスタちゃんとふーちゃんとまーちゃんと両親とハインリヒ殿下とノルベルト殿下とノエル殿下は説明を聞いていた。
 工場見学にはカサンドラ様もご一緒していた。
 最後は出来上がった布を畳んで出荷できるように色ごとに棚に納めている部屋に辿り着いた。そこでカサンドラ様は様々な濃さの布を取り出してテーブルに広げて見せる。

「この絹は男性のスーツにも、女性のドレスにも使えます。ハインリヒ殿下とノルベルト殿下も一着いかがですか?」
「私たちもこの布でスーツを誂えたいものですね」
「この布で作ればノエル殿下ともお揃いになります」

 乗り気のハインリヒ殿下とノルベルト殿下に、カサンドラ様が布を見せている。

「お好きな濃さを選んでください」

 ハインリヒ殿下はクリスタちゃんと同じ淡い紫を選んで、ノルベルト殿下はノエル殿下と同じ少し薄い紫を選んでいた。

「ハインリヒ殿下とノルベルト殿下には私たちからプレゼントさせてください」
「ありがとうございます。大事に使います」
「嬉しいです。ありがとうございます」

 カサンドラ様から布を渡されてハインリヒ殿下もノルベルト殿下も喜んでいた。
 わたくしもクリスタちゃんもノエル殿下もこの布のドレスは持っているのだが、これだけ濃淡の違う布が展開されているとなると、もう一着くらい欲しくなってしまうものだ。
 布をじっと見ているわたくしとクリスタちゃんとノエル殿下に、カサンドラ様が微笑む。

「エリザベート嬢とクリスタ嬢とノエル殿下も欲しい濃さがありますか?」
「わたくし、もう少し濃いものが欲しいです」
「わたくしは一番薄いものが」
「わたくしは二番目に薄いものが……あ、そうしたらノエル殿下と完全にお揃いになってしまいますね」
「わたくしはクリスタ嬢とお揃いは嬉しいですよ」
「そうですか?」

 それぞれに欲しい色を言えば、カサンドラ様が用意させてくれる。布を受け取ってわたくしもクリスタちゃんもノエル殿下も大満足で工場見学を終えた。

 ふーちゃんもまーちゃんも工場見学は楽しかったようだ。

「おおきいたるがあったね」
「なんかいもぬのをつけるっていってたわ」
「わたしたちのスーツとドレスのぬのも、ああやってつくられたんだね」
「わたくしのだいじなドレス!」

 布の製造過程を理解したふーちゃんとまーちゃんは、ますますスーツとドレスが大事に思えたようだった。

 夕食を終えて部屋に戻るとノエル殿下がノートに何か書き物をしていた。

「ノエル殿下、それは詩ではありませんか?」
「分かりますか、クリスタちゃん。わたくし、毎日ひとつ詩を書くようにしているのです」
「ノエル殿下の今日の詩、お聞かせ願えますか?」

 あぁ、わたくしの分からない時間が来てしまった。
 この世界の詩が全てそうなわけではないのは、ノエル殿下が朗読した詩集や、ノエル殿下にいただいた詩集の中の詩で分かっているが、ノエル殿下とクリスタちゃんとふーちゃんの詩は何かが違う気がするのだ。
 まーちゃんもわたくしと同じ感覚を持っているので、わたくし一人がそうではなくてよかったと思うが、この場ではわたくしは少数派である。

「夢の紫を作り出す妖精さんは、どこから来たのでしょう。この国の貴婦人はみんなその紫に夢中。辺境伯領の紫の布は女性を虜にさせる魔法のかかった布。その布を纏うとき、わたくしも魔法にかかったような気分になるのです。鏡に映るわたくしは美しいでしょうか。鏡に問いかけても答えてはくれません」
「今日の工場見学の詩ですね」
「そうなのです。工場見学が素晴らしかったので、詩に組みこんでみました」

 工場見学の詩なのだろうか。
 そこにどうして妖精さんや魔法が出て来るのだろう。

 原作の『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』は魔法のある世界観ではなかった。当然魔法使いなど出てこないし、妖精だって出てこない。
 それなのにノエル殿下の詩には魔法も妖精も出て来るのが不思議でならない。

「お姉様、素晴らしい詩でしたよね?」
「わたくしは芸術が分からないので、よく分からなかったのですが、工場見学で受けた感銘を読んだ詩なのですね?」
「そうですわ。クリスタちゃんも詩を読んでみませんか?」
「わたくしもですか? 難しいけれど、考えてみます」

 ノエル殿下だけでなくて、クリスタちゃんの詩も来てしまう。

「濃淡でひとを魅了する魔法の布よ。あなたはどうしてそんなに美しいのでしょう。その布を纏うとき、わたくしは自分が美しくなったかのように錯覚してしまいます。罪な布よ、魔法の布よ。どうかわたくしに夢を見させたままでいてください」
「素敵ですわ! 即興とは思えない素晴らしい詩です」
「ありがとうございます、ノエル殿下」

 やはりよく分からない。
 クリスタちゃんはノエル殿下に絶賛されて嬉しそうにしているが、わたくしは詩の意味がよく分かっていない。首を傾げているわたくしにノエル殿下が言う。

「お次はエリザベートちゃんの番ですよ?」
「え!? わたくしもですか!?」
「わたくしたちも詩を読んだのです。お姉様も読んでください」

 なんということでしょう。
 わたくしはノエル殿下とクリスタちゃんに詩を読むように言われています。
 動揺してわたくしは内心冷や汗をかいていた。
 わたくしに詩など読めるはずがない。

「それならば、俳句を読ませていただきます」
「ハイク? お姉様、それは何ですか?」
「五文字、七文字、五文字の十七文字で季節の言葉を入れて短く読む東方の詩です」
「ハイクですね。読んでください」

 ノエル殿下に促されてわたくしは咳払いをした。少しでも考える時間を稼ぎたかったのだ。

「リラベリー、生まれ変わって、夏の布」
「あの布は涼しくて夏のドレスを作るのにぴったりですからね」
「お姉様、短いけれど素敵な詩ですわ。紫の布を夏の布と例えたのは面白いです」

 よかった。
 なんとか俳句でわたくしはこの場をしのげたようだ。

 安堵していると、ノエル殿下がノートに何か書いているのが見えた。

「ノエル殿下、それは、わたくしの俳句!?」
「わたくしの詩もありますわ!」
「今日の素晴らしい交流を記録に残しておきたいのです。クリスタちゃんの詩も、エリザベートちゃんの俳句もとても素晴らしかったですから」

 記録に残されてしまうとなるとかなり恥ずかしい。
 ノエル殿下ともなると、遠い未来にまで書いた詩が残されてしまうのではないだろうか。このノートも何十年、何百年先まで保管されて、ノエル殿下の記録として残されるかもしれない。

 前世でも戦国武将が私的なやり取りで交わしていた文が、現代に残っていて、それを分析されているという特集があったような気がする。そういうものは、そのときに書いた人物からしてみれば、子々孫々にまで語り継がれるようなものではなく、そのときで終わらせたいものだったかもしれないのに。

 わたくしはその戦国武将の気持ちが分かるような気がしてきていた。
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