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八章 エリザベートの学園入学
20.ヒューゲル伯爵の思惑
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お茶会から晩餐会まで少し休憩時間があった。
わたくしは部屋に戻って休もうかとも思ったのだが、一度部屋に戻ってしまうとふーちゃんとまーちゃんがわたくしのことを追って来るかもしれない。ふーちゃんとまーちゃんに「いかないで」「寂しい」と言われたら、わたくしはついつい晩餐会に遅れてしまうかもしれなかった。
そんなことがないようにお茶会の会場が片付けられるのを見ながら部屋の端で座って休んでいると、次の会場の指示を使用人たちに出しているエクムント様とカサンドラ様のところに近付いてくる影があった。
あれはヒューゲル侯爵ではないだろうか。
伝統的なスカートを膨らませた豪奢なドレスを着て、真っ赤な口紅を塗ってアイシャドーも塗って、爪も美しく彩色したヒューゲル侯爵はエクムント様と同じ年か少し年下くらいだ。
エクムント様に近寄って行く様子にわたくしは気になってしまって、そっと物陰から話を聞いていた。
「辺境伯様、わたくし、独立派の貴族たちを書き出して一覧表にしてきました」
「ヒューゲル伯爵、何故そのようなことを!?」
「わたくしの叔父は独立派で、隣国との国境を超えた場所から法律で禁じられた鳥を密輸して捌かれました。わたくしの父も独立派で、わたくしがヒューゲル伯爵として選ばれたのをいいことにお屋敷で独立派の集会を開いています。そこに出席している独立派をわたくしは書き出して来たのです」
「それはありがたいが、何故そのようなことを……」
エクムント様もカサンドラ様もヒューゲル伯爵の渡す一覧表を見て驚いている。独立派の貴族の名簿があるのならば、今後取り締まって行けばいい貴族が分かるのでとても助かるのだが、ヒューゲル伯爵がどうしてそれを渡して来るかが全く理解できないようだった。
「わたくしがヒューゲル伯爵家の当主です。わたくしの父が独立派であろうとも、わたくしは独立を考えておりません」
「ヒューゲル伯爵はオルヒデー帝国との融和を考えているのですね」
「わたくし、今日、エリザベート様を見て思いました。わたくしは化粧をして爪も塗って、必死にお洒落をしたつもりだったのに、なんと古臭いドレスを着て、みっともない山猿のような格好なのでしょう。エリザベート様は中央の流行の短い丈のドレスを軽やかに纏っていらして可愛らしかった……。わたくし、辺境伯領の独立など望んでいません。中央と辺境伯領がますます強く繋がって、エリザベート様のようなドレスがわたくしも着られたらいいと思ったのです」
美しく年上のヒューゲル伯爵にわたくしが胸をもやもやさせているときに、ヒューゲル伯爵の方はわたくしを見て軽やかにモダンなドレスを着ていると羨ましがっていた。
わたくしが昼食会でエクムント様の隣りに立って挨拶をしたことで、ヒューゲル伯爵は中央への憧れを強くして、独立派の父親を裏切ってオルヒデー帝国と辺境伯領の融和を求めるようになっていたのだ。
それにしてもこんなに美しいのに自分のことを山猿と言ってしまうくらいヒューゲル伯爵は中央の流行に心を奪われているようだ。
「ヒューゲル伯爵は、わたくしを見て……」
思わず口から零れた言葉に、ヒューゲル伯爵が観葉植物の影に隠れていたわたくしの姿に気付いた。
「エリザベート様、聞いておられたのですね。お恥ずかしい限りです。わたくしはヒューゲル伯爵家の当主だというのに父の暴走を今まで止めて来なかった。エリザベート様の姿を見て、わたくしは中央と融和することこそが辺境伯領を更に発展させることだと確信したのです」
「ヒューゲル伯爵は独立派ではないのですね」
「はい。わたくしは辺境伯様に従います。それにしても、エリザベート様のドレスの素敵なこと。これは中央で流行っているスタイルなのでしょう?」
「モダンスタイルと言って、新しいドレスのスタイルです」
「とても美しいです。わたくしもモダンスタイルのドレスが着たいものです」
「ヒューゲル伯爵もモダンスタイルのドレスを誂えてください。ぜひ、辺境伯領の特産品の布で」
ヒューゲル伯爵が辺境伯領の特産品の紫色に染められた絹を纏ったら美しいに決まっている。わたくしが促すと、ヒューゲル伯爵は黒い目を輝かせている。
「その布でモダンスタイルのドレスを誂えたら、わたくしも中央のパーティーに呼ばれるようになるでしょうか?」
そういえば王都でのハインリヒ殿下とノルベルト殿下のお誕生日の式典には、辺境伯領の貴族はあまり招かれていなかった。辺境伯領の貴族は独立派がまだ多くいるので、王宮も招きかねているのだろう。
「ヒューゲル伯爵は中央のパーティーに出たいのですね」
「わたくし、王都の学園に通っている年下の婚約者がおります。王都の学園では中央の洗練された淑女がたくさん通っていることと思います。婚約者に恥をかかせないように、わたくしも中央の洗練された淑女の仲間入りをしたいのです」
「婚約者の方をお慕いしているのですね」
「はい、小さな頃から知っていて、学園を卒業して結婚する日を楽しみにしております」
ヒューゲル伯爵がエクムント様に近付くのがわたくしは心配だったが、その心配も杞憂に終わりそうだった。ヒューゲル伯爵には想っている婚約者が存在するのだ。
「この名簿は国王陛下とも共有して独立派を見分けるときの参考にさせてもらいます。ヒューゲル伯爵、協力をありがとうございます」
「これからは父に集会などさせません。ヒューゲル伯爵家は辺境伯家に従います」
ヒューゲル伯爵家の当主として、ヒューゲル伯爵は凛として顔を上げて宣言していた。
ヒューゲル伯爵が下がって、晩餐会の会場に行く前にわたくしもエクムント様から名簿を見せてもらった。葡萄酒を売り込んで来た貴族や、紫色の布を染めている土地の貴族はいなかったが、わたくしがエクムント様と挨拶を受けた貴族がたくさんそこに名前を連ねていた。
辺境伯領の五分の一程度の貴族の名前がそこにあっただろうか。
「こんなにも独立派は大勢いるのですね」
「名簿になっているので分かりやすく浮き彫りになりましたが、こんなに隠れていたとは私も予測していませんでした」
「これからは対応がしやすくなりますか?」
「そうですね。近々、独立派を一斉に取り締まれるかもしれません」
辺境伯領の独立派の動きもこれで封じられるかもしれない。そうなるとわたくしも安心して辺境伯領に嫁いでいくことができる。
ヒューゲル伯爵は中央の流行のお洒落をしたいというとても個人的で女性的な要望からの独立派離脱だったが、そのことがエクムント様のこれからの動きの助けとなりそうなことは間違いなかった。
晩餐会で挨拶をする貴族の中で、誰が独立派なのか、もうエクムント様もわたくしもカサンドラ様も分かっていた。
どれだけ取り繕っても、ヒューゲル伯爵家でヒューゲル伯爵の父親が開いた集会に出席したものは独立派確定だった。
挨拶を受けながらも、愛想笑いの下にある野心をわたくしもエクムント様もカサンドラ様も見抜いていた。
晩餐会も食事は碌に取ることができずに、下げられるお皿を悲しく見送るしかなかった。
晩餐会が終わって部屋に戻ると、エクムント様が部屋に軽食を用意しておいてくれていた。
ドレスを脱いで楽な格好になって、わたくしは軽食とフルーツティーでお腹を満たす。これがなければ空腹のまま眠らなければいけないところだった。
わたくしが戻ったときにはふーちゃんもまーちゃんも眠っていて、クリスタちゃんがベッドに腰かけて本を読んで待っていてくれた。
軽食を食べ終わってお風呂に入ると、わたくしもベッドに入る。隣り同士のベッドでクリスタちゃんとわたくしは眠る。
「お姉様、お疲れさまでした。お休みなさいませ」
「クリスタ、お休みなさい」
クリスタちゃんと言い合ってわたくしは眠りについた。
翌朝帰るときにエクムント様は馬車を見送って下さった。
「エリザベート嬢、次に辺境伯領に来たときには湖でピクニックをしましょう」
「楽しみにしています」
「それまでに、私はできることをやっておきます」
それが独立派に関することだというのは、詳しく説明されなくても理解できた。
頷いてわたくしはエクムント様に手を取られて馬車のステップを登った。
わたくしは部屋に戻って休もうかとも思ったのだが、一度部屋に戻ってしまうとふーちゃんとまーちゃんがわたくしのことを追って来るかもしれない。ふーちゃんとまーちゃんに「いかないで」「寂しい」と言われたら、わたくしはついつい晩餐会に遅れてしまうかもしれなかった。
そんなことがないようにお茶会の会場が片付けられるのを見ながら部屋の端で座って休んでいると、次の会場の指示を使用人たちに出しているエクムント様とカサンドラ様のところに近付いてくる影があった。
あれはヒューゲル侯爵ではないだろうか。
伝統的なスカートを膨らませた豪奢なドレスを着て、真っ赤な口紅を塗ってアイシャドーも塗って、爪も美しく彩色したヒューゲル侯爵はエクムント様と同じ年か少し年下くらいだ。
エクムント様に近寄って行く様子にわたくしは気になってしまって、そっと物陰から話を聞いていた。
「辺境伯様、わたくし、独立派の貴族たちを書き出して一覧表にしてきました」
「ヒューゲル伯爵、何故そのようなことを!?」
「わたくしの叔父は独立派で、隣国との国境を超えた場所から法律で禁じられた鳥を密輸して捌かれました。わたくしの父も独立派で、わたくしがヒューゲル伯爵として選ばれたのをいいことにお屋敷で独立派の集会を開いています。そこに出席している独立派をわたくしは書き出して来たのです」
「それはありがたいが、何故そのようなことを……」
エクムント様もカサンドラ様もヒューゲル伯爵の渡す一覧表を見て驚いている。独立派の貴族の名簿があるのならば、今後取り締まって行けばいい貴族が分かるのでとても助かるのだが、ヒューゲル伯爵がどうしてそれを渡して来るかが全く理解できないようだった。
「わたくしがヒューゲル伯爵家の当主です。わたくしの父が独立派であろうとも、わたくしは独立を考えておりません」
「ヒューゲル伯爵はオルヒデー帝国との融和を考えているのですね」
「わたくし、今日、エリザベート様を見て思いました。わたくしは化粧をして爪も塗って、必死にお洒落をしたつもりだったのに、なんと古臭いドレスを着て、みっともない山猿のような格好なのでしょう。エリザベート様は中央の流行の短い丈のドレスを軽やかに纏っていらして可愛らしかった……。わたくし、辺境伯領の独立など望んでいません。中央と辺境伯領がますます強く繋がって、エリザベート様のようなドレスがわたくしも着られたらいいと思ったのです」
美しく年上のヒューゲル伯爵にわたくしが胸をもやもやさせているときに、ヒューゲル伯爵の方はわたくしを見て軽やかにモダンなドレスを着ていると羨ましがっていた。
わたくしが昼食会でエクムント様の隣りに立って挨拶をしたことで、ヒューゲル伯爵は中央への憧れを強くして、独立派の父親を裏切ってオルヒデー帝国と辺境伯領の融和を求めるようになっていたのだ。
それにしてもこんなに美しいのに自分のことを山猿と言ってしまうくらいヒューゲル伯爵は中央の流行に心を奪われているようだ。
「ヒューゲル伯爵は、わたくしを見て……」
思わず口から零れた言葉に、ヒューゲル伯爵が観葉植物の影に隠れていたわたくしの姿に気付いた。
「エリザベート様、聞いておられたのですね。お恥ずかしい限りです。わたくしはヒューゲル伯爵家の当主だというのに父の暴走を今まで止めて来なかった。エリザベート様の姿を見て、わたくしは中央と融和することこそが辺境伯領を更に発展させることだと確信したのです」
「ヒューゲル伯爵は独立派ではないのですね」
「はい。わたくしは辺境伯様に従います。それにしても、エリザベート様のドレスの素敵なこと。これは中央で流行っているスタイルなのでしょう?」
「モダンスタイルと言って、新しいドレスのスタイルです」
「とても美しいです。わたくしもモダンスタイルのドレスが着たいものです」
「ヒューゲル伯爵もモダンスタイルのドレスを誂えてください。ぜひ、辺境伯領の特産品の布で」
ヒューゲル伯爵が辺境伯領の特産品の紫色に染められた絹を纏ったら美しいに決まっている。わたくしが促すと、ヒューゲル伯爵は黒い目を輝かせている。
「その布でモダンスタイルのドレスを誂えたら、わたくしも中央のパーティーに呼ばれるようになるでしょうか?」
そういえば王都でのハインリヒ殿下とノルベルト殿下のお誕生日の式典には、辺境伯領の貴族はあまり招かれていなかった。辺境伯領の貴族は独立派がまだ多くいるので、王宮も招きかねているのだろう。
「ヒューゲル伯爵は中央のパーティーに出たいのですね」
「わたくし、王都の学園に通っている年下の婚約者がおります。王都の学園では中央の洗練された淑女がたくさん通っていることと思います。婚約者に恥をかかせないように、わたくしも中央の洗練された淑女の仲間入りをしたいのです」
「婚約者の方をお慕いしているのですね」
「はい、小さな頃から知っていて、学園を卒業して結婚する日を楽しみにしております」
ヒューゲル伯爵がエクムント様に近付くのがわたくしは心配だったが、その心配も杞憂に終わりそうだった。ヒューゲル伯爵には想っている婚約者が存在するのだ。
「この名簿は国王陛下とも共有して独立派を見分けるときの参考にさせてもらいます。ヒューゲル伯爵、協力をありがとうございます」
「これからは父に集会などさせません。ヒューゲル伯爵家は辺境伯家に従います」
ヒューゲル伯爵家の当主として、ヒューゲル伯爵は凛として顔を上げて宣言していた。
ヒューゲル伯爵が下がって、晩餐会の会場に行く前にわたくしもエクムント様から名簿を見せてもらった。葡萄酒を売り込んで来た貴族や、紫色の布を染めている土地の貴族はいなかったが、わたくしがエクムント様と挨拶を受けた貴族がたくさんそこに名前を連ねていた。
辺境伯領の五分の一程度の貴族の名前がそこにあっただろうか。
「こんなにも独立派は大勢いるのですね」
「名簿になっているので分かりやすく浮き彫りになりましたが、こんなに隠れていたとは私も予測していませんでした」
「これからは対応がしやすくなりますか?」
「そうですね。近々、独立派を一斉に取り締まれるかもしれません」
辺境伯領の独立派の動きもこれで封じられるかもしれない。そうなるとわたくしも安心して辺境伯領に嫁いでいくことができる。
ヒューゲル伯爵は中央の流行のお洒落をしたいというとても個人的で女性的な要望からの独立派離脱だったが、そのことがエクムント様のこれからの動きの助けとなりそうなことは間違いなかった。
晩餐会で挨拶をする貴族の中で、誰が独立派なのか、もうエクムント様もわたくしもカサンドラ様も分かっていた。
どれだけ取り繕っても、ヒューゲル伯爵家でヒューゲル伯爵の父親が開いた集会に出席したものは独立派確定だった。
挨拶を受けながらも、愛想笑いの下にある野心をわたくしもエクムント様もカサンドラ様も見抜いていた。
晩餐会も食事は碌に取ることができずに、下げられるお皿を悲しく見送るしかなかった。
晩餐会が終わって部屋に戻ると、エクムント様が部屋に軽食を用意しておいてくれていた。
ドレスを脱いで楽な格好になって、わたくしは軽食とフルーツティーでお腹を満たす。これがなければ空腹のまま眠らなければいけないところだった。
わたくしが戻ったときにはふーちゃんもまーちゃんも眠っていて、クリスタちゃんがベッドに腰かけて本を読んで待っていてくれた。
軽食を食べ終わってお風呂に入ると、わたくしもベッドに入る。隣り同士のベッドでクリスタちゃんとわたくしは眠る。
「お姉様、お疲れさまでした。お休みなさいませ」
「クリスタ、お休みなさい」
クリスタちゃんと言い合ってわたくしは眠りについた。
翌朝帰るときにエクムント様は馬車を見送って下さった。
「エリザベート嬢、次に辺境伯領に来たときには湖でピクニックをしましょう」
「楽しみにしています」
「それまでに、私はできることをやっておきます」
それが独立派に関することだというのは、詳しく説明されなくても理解できた。
頷いてわたくしはエクムント様に手を取られて馬車のステップを登った。
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