エリザベート・ディッペルは悪役令嬢になれない

秋月真鳥

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五章 妹の誕生と辺境伯領

6.妹の名はマリア

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 王都から父が帰って来たのは夜遅い時間だった。
 列車ももう走っていなかったので、馬車を飛ばして帰ってきたようだ。
 王都でのハインリヒ殿下とノルベルト殿下の生誕の式典が終わって、お茶会も終わって、晩餐会まで出た後で、父は馬車を走らせてディッペル家のお屋敷に帰って来た。

 それだけ急いだのには訳がある。
 母が産気付いたのだ。
 それで王都まで早馬を走らせて知らせたら、父はいてもたってもいられずに、式典が終わるとすぐに馬車を走らせてディッペル家のお屋敷に戻って来た。

 翌朝のハインリヒ殿下とノルベルト殿下のお見送りをお断りする形になってしまったが、早馬が来た時点で国王陛下も母が産気付いたと知っており、特別に早く帰ることを許してもらえたのだ。

 真夜中にわたくしとクリスタちゃんも起きていた。
 クリスタちゃんはわたくしの部屋に来て、眠そうにしていたが、落ち着かない様子だった。
 帰って来た父も母に付き添ってお産を見守っている。

 眠くてたまらずにわたくしとクリスタちゃんは、わたくしの部屋のベッドで眠ってしまったが、赤ちゃんは無事に朝方に生まれたようである。
 朝になって起きてから、わたくしとクリスタちゃんには知らされた。

 眠っていないので目の下に隈を作っている父が、涙目で小さな赤ちゃんを抱っこしてわたくしとクリスタちゃんに見せてくれる。赤ちゃんは黒髪に黒い目の女の子だった。

「可愛いわ。お父様、お母様は平気なの?」
「疲れ切ってはいるけれど、出血も酷くなくて、無理をしなければ平気だとパウリーネ先生も言っているよ」
「赤ちゃんはマリアになったのですね」
「実は、私は赤ちゃんが女の子のような気がしていてね。それで、男の子の名前を考えられなかったんだ」

 父の勘は当たっていたようで、赤ちゃんは女の子で母が付けたいと言っていたマリアという名前になった。

 疲れ切って眠っている母とは会えないが、マリアには会えたのでわたくしは満足だった。

「マリアちゃん……まーちゃんって呼びましょうか、お姉様」
「まーちゃん! 可愛いですわ」

 公の場でないときにはわたくしはフランツをふーちゃんと呼んでいる。マリアもまーちゃんと呼びたいというクリスタちゃんの考えにわたくしは賛成だった。
 父も疲れ切って寝室に行っているので、わたくしは乳母に預けられたまーちゃんのベビーベッドを覗き込んで生まれたてほやほやのまーちゃんを見詰めていた。
 黒髪がぽやぽやしていて、黒いお目目も円らでとても可愛らしい。赤ちゃんというだけあって、顔は赤かったが、ふーちゃんが生まれた頃のことを思い出して可愛くて堪らない。
 ふーちゃんも新しく来た赤ちゃんに興味津々でベビーベッドの柵に額をくっ付けて覗き込んでいた。

「ふーちゃん、マリアですよ」
「まーちゃんよ。ふーちゃん、お兄様になったのよ」
「ふー、にぃに?」
「そうですよ、ふーちゃん、おめでとうございます」
「ふーちゃんよかったわね」

 まだ実感がわいていないようだが、ふーちゃんは小さなまーちゃんに興味津々だった。

 まーちゃんの乳母はレギーナという若い女性だった。ヘルマンさんと違ってレギーナは平民なので名字がない。なので、ヘルマンさんと違って乳母だがレギーナと呼ぶことになっていた。レギーナはまだ十代だったが、実家で妹の世話をよくしていたと言っていた。

「妹を学校に行かせてあげたいんです。あの子はとても優秀だから。それでディッペル家の乳母に応募しました」

 年の離れた妹が学校に行けるようにレギーナはディッペル家でしっかりと働いてくれるようだった。
 ふーちゃんは最初レギーナに人見知りしていたが、レギーナは無理にふーちゃんに近寄らず、距離を取りつつ接していたので、ふーちゃんもレギーナがいる空間にすぐ慣れたようだ。
 ミルクの作り方などはヘルマンさんがレギーナに教えている。

「ミルクは熱いお湯で作って、哺乳瓶を水に浸けて冷まします。人肌くらいになったらマリア様に飲ませて差し上げてください」
「分かりました」
「オムツは小まめに見て差し上げてください。オムツかぶれができないように、気を付けること」
「替えたオムツはどうすればいいですか?」
「お手洗いのバケツの中に入れておけば、洗濯してもらえます。汚れた服も同様です」
「わたくしが洗濯しなくていいのですか?」
「洗濯には洗濯をするものが別にいます。あなたはマリア様の面倒だけをしっかりと見てください」

 オムツを洗わなくていいというところからレギーナには衝撃的だったようだ。わたくしの服も、クリスタちゃんの服も、ふーちゃんの服も、着替えれば洗濯してもらってアイロンまでかけて帰ってくるのが普通だったから、わたくしは平民の家では自分たちの服は自分で洗っていることを思い出して逆に衝撃を覚えてしまった。
 前世では自分の服は自分で洗っていたはずなのに、やはりエリザベートとしての感覚が強いわたくしは、洗濯物が綺麗になって帰ってくるのを当然だと受け止めていたのだ。

「分からないことがあればわたくしにでもデボラさんにでもマルレーンさんにでも、いつでも聞いてくださいね」
「はい、ヘルマンさん」

 ヘルマンさんは男爵家だが貴族の令嬢なので、レギーナよりも貴族社会には慣れている。そういうことも見越して両親はヘルマンさんをふーちゃんの乳母に雇ったのかもしれない。
 一人でも貴族社会に通じているものがいれば、他の乳母も教育してくれるに違いないのだ。

 ヘルマンさんの存在をわたくしは今更ながらに大きく感じていた。

 まーちゃんが生まれてから、国王陛下と王妃殿下からお祝いが届いた。
 綺麗なベビードレスで、生後七日のお祝いから生後百日のお祝いまで着られるようなサイズだった。
 ベビードレスを着たまーちゃんと、わたくしとクリスタちゃんが刺繍したシャツを着たふーちゃんと、ドレスを着たわたくしとクリスタちゃんと、両親で、肖像画を一枚描いてもらうことになった。
 前回の肖像画の出来がとてもよかったので、同じ絵描きさんに来てもらうことになって、わたくしはそれを楽しみにしていた。

 ふーちゃんは長時間耐えられないし、まーちゃんは生まれたばかりなので、二人の部分の詳細は別に描いてもらうことにして、わたくしとクリスタちゃんと両親で下書きをしてもらった。
 前の肖像画の出来を知っているので、わたくしもクリスタちゃんも絵描きさんを信頼していた。

 わたくしもクリスタちゃんもじっとしていることができる年齢になっていたので、肖像画は問題なく書き進められた。

「エリザベートにクリスタにマリアにテレーゼ。ディッペル家は女性ばかりだね。フランツ、男性は私とお前だけだよ」
「ぱっぱ!」
「しかし、フランツはディッペル家の後継者だからね。ディッペル家はフランツが継ぐんだね」

 肖像画のために連れて来られたふーちゃんが退屈しないように父はずっと話しかけ続けている。母はまーちゃんを抱っこして目を伏せて優しい表情になっている。

「マリアはわたくしの妹から名前をもらいましたが、妹には似なかったようですね。でもお父様に似てとても可愛い」
「お母様、わたくし、マリアがマリアお母様に似なくてよかったと思います」
「そうですか、クリスタ?」
「マリアお母様は嫌な男のところに嫁がされて、悲しいことになってしまいました。マリアはそんなことがない、幸せな女の子に育って欲しいのです」

 クリスタちゃんは母とマリア叔母様を分けるために、「マリアお母様」と呼ぶように決めたようだ。
 マリア叔母様は元ノメンゼン子爵と妾のせいで亡くなってしまったが、妹のマリアにはそんなことがないようにとクリスタちゃんが願っている。
 わたくしもその願いに同感だった。

「マリアはマリア叔母様の分も幸せになってもらわなければいけませんね」
「わたくし、マリアのためなら何でもするわ。わたくし、お姉様ですもの」

 クリスタちゃんのまーちゃんを見る目はとても優しいものだった。
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