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四章 婚約式
1.カサンドラ様からのお願い
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恋愛では無茶なところがあると考えていた『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』だが、世界設定は思ったよりしっかりしている。
貴族社会も実際に生きてみればしっかりとしているし、わたくしはこの世界観で起きることに関してはある程度信頼をしていた。
ふーちゃんが生まれてから両親は変わらずわたくしとクリスタちゃんを可愛がってくれていたが、ふーちゃんのこともものすごく気にかけていた。
子ども部屋で乳母に育てられてミルクを哺乳瓶で飲ませてもらっているふーちゃんは、母が来たときだけは母乳を飲ませてもらっている。哺乳瓶で飲んでいるときにはそれほどやる気なく哺乳瓶の乳首を口から出したりして遊んでいることが多いのに、母のお乳はしっかりと吸い付いて必死に飲んでいるから、何が違うのかとわたくしは不思議に思っていた。
ふーちゃんの乳母はエルマ・ヘルマンという。
貴族の乳母になる女性は特に丁重に扱われて、メイドの中でも名字に「さん」を付けて呼ばれるのが普通だった。
「ヘルマンさん、わたくしにも哺乳瓶を持たせてくれませんか?」
「エリザベートお嬢様、手を洗って来てくださいますか?」
「分かりました」
「わたくしも手を洗って来ます」
ふーちゃんを守る立場としてヘルマンさんが言うことは当然だったので、わたくしとクリスタちゃんは手を洗って来る。綺麗に手を洗うと椅子に座ったわたくしの膝の上にヘルマンさんがふーちゃんをおくるみで包んだまま置いてくれた。
哺乳瓶を握ってわたくしは異変に気付く。
「これは、冷たいではないですか」
「そうですよ。雑菌が増えないように冷たいままで差し上げています」
ふーちゃんがミルクを飲みたがらない理由が分かった。
わたくしから言ってもどうしようもないので、パウリーネ先生に相談する。
「フランツのミルクは冷たいようなのです。雑菌が増えないためと言われましたが、母のお乳は温かいでしょう? 母のお乳を一生懸命飲むのにフランツはミルクはあまり飲みません」
「ミルクの雑菌は作るときに八十度以上にしないとなくならないことを指導しなければいけませんね。その後で人肌までミルクをぬるくするのです」
「ぬるくするにしても人肌までですよね。冷たいとフランツの体が冷えてしまいます」
「夏場は冷たくても構わないかもしれませんが、まだ春ですからね」
パウリーネ先生からヘルマンさんに指導が行って、ミルクの調合は熱いお湯でされて、それをぬるくしてふーちゃんに飲ませることになった。
前世のわたくしの記憶が役に立ったようでわたくしは嬉しかった。
ふーちゃんがすくすくと育っている毎日が輝かしく、嬉しくて堪らない。
クリスタちゃんもふーちゃんをお膝に抱っこさせてもらって、ミルクを上げさせてもらって喜んでいた。
「ふーちゃん、わたくしのお顔をじっと見ていたわ。わたくしとお母様と同じお目目に髪の毛。とっても可愛い」
「ふーちゃんはクリスタちゃんの弟ですからね」
「わたくしの弟。わたくし、誰よりも可愛がるわ!」
七歳になっているクリスタちゃんは危険なので大人が付いていないとさせてくれないが、ふーちゃんを抱っこすることもできるようになっていた。もちろんわたくしもふーちゃんは抱っこできるが、危険なので大人がついているときだけだ。
ふーちゃんに夢中になっていると、辺境伯領からお手紙が来た。
それを読んで両親が難しい顔をしている。
夕食の席でわたくしは両親に問いかけた。
「カサンドラ様からのお手紙だったのでしょう? なんて書いてありましたか?」
「壊血病の実験が成功したと書いてあったよ」
「エリザベートにとても感謝しているそうです」
カサンドラ様の大事な方の命を奪った壊血病は、ザワークラウトで予防できるようになったようだ。話を聞いてわたくしが喜んでいると、両親が夕食後にわたくしとクリスタちゃんをソファに呼んだ。
ソファに座ると両親がどうやって切り出せばいいのか分からないように言葉を選んでいるのが分かる。
何か重要なことなのだろうとわたくしは背筋を伸ばした。
「カサンドラ様からお願いが書かれていたのだよ」
「お手紙にですか?」
「そうです。エリザベート、よく聞いてくれますか?」
「はい、お母様、お父様」
わたくしが緊張しながら話を聞けば、両親は長く息を吐いて話し出す。
「エリザベートを辺境伯領の後継、エクムントと婚約する約束を交わしたいと仰られているのだ」
「この国は長子相続ですが、エリザベートには弟のフランツが生まれて、フランツに相続権を譲ることができます。フランツに相続権を譲って、エリザベートが成人した暁には辺境伯領に嫁いできて欲しいとのお願いなのです」
「了承が取れれば、皇太子殿下であるハインリヒ殿下と兄上のノルベルト殿下の誕生日の式典のときに国王陛下に認めてもらうとカサンドラ様は仰っている」
カサンドラ様はエクムント様の婚約者にわたくしを望んでくださっている。
それは天にも昇る心地だった。
わたくしはクリスタちゃんに負けて辺境に追いやられるのではなくて、辺境伯領とこの国を繋ぐ強い絆として誉を背負って嫁いで行ける。
「急な話でエリザベートもすぐには返事ができないだろう」
「エリザベートはまだ八歳ですもの。早すぎますわ」
「それでも、カサンドラ様は壊血病を予防する手段を示したエリザベートを高く買ってくれていて、何より、辺境伯領が王家に反乱の意思なしと示すためにも、王家の血が入ったエリザベートを婚約者に求めているのだ」
わたくしの紫の光沢のある黒髪と銀色の光沢のある黒い目は、初代国王陛下と同じ色彩で、わたくしに王家の血が入っていることをはっきりと示している。
王都にほど近いディッペル公爵領から初代国王と同じ色彩を持つわたくしが嫁いできたとなれば、辺境伯領は完全にオルヒデー帝国の王家に従うという意志を示せるのだ。
「わたくし、お受けしたいです」
凛と答えたわたくしに、隣りでクリスタちゃんが水色の目を煌めかせて拍手をしている。
「公爵家の後継はフランツに譲ります。わたくしは、辺境伯領領主となるエクムント様の元に嫁ぎます」
はっきり言えば両親が驚きに目を見開いている。その目が潤んでくるのをわたくしは感じていた。
「辺境伯に嫁ぐのは王家と辺境伯領を繋ぐものすごい誉だ」
「エリザベートの気持ちが決まっているのでしたら、お返事を書きましょう」
「エリザベート、本当にいいのだね?」
「はい、お父様、お母様」
これでわたくしは将来辺境伯領に嫁ぐことができる。エクムント様と結ばれたいと夢想していたが、それが現実として近付いたのだ。
国王陛下に報告しての約束となれば、婚約の約束状態であっても、破られることはほぼないであろう。辺境伯とこの国唯一の公爵家の娘との結婚は、国にとっても一大事業となるからだ。
一時期ノルベルト殿下に婚約を求められていたが、辺境伯領を繋ぐためとなれば、ノルベルト殿下も納得してくださるだろう。
「エリザベート、これからはエクムントのことは、『エクムント様』とお呼びしなさい」
「エリザベートの婚約者となるのだからね」
「エクムントにも、エリザベートのことは『エリザベート嬢』と呼ぶように伝えます」
今はまだディッペル家に仕えている身で、両親からしてみれば呼び捨てにしなければいけないのだが、わたくしは「エクムント様」と堂々と呼ぶ許可が下りた。エクムント様もわたくしのことを「エリザベート嬢」と呼んでくださるようだ。
「エクムント様がわたくしの婚約者……」
「カサンドラ様は国王陛下の前で婚約式を望んでいらっしゃる。その衣装も早急に作らなければ」
「エリザベートがこの年で婚約してしまうなんて、寂しいことですが、エリザベートにとってもとてもいいお話ですし、この国にとってエリザベートが大きな楔となれるなんて、名誉なことです」
複雑な心境を口にしているが、両親はわたくしの婚約に乗り気のようだった。
エクムント様との婚約式が王都で行われる。
わたくしは白いドレスと花冠を注文してもらっていた。
貴族社会も実際に生きてみればしっかりとしているし、わたくしはこの世界観で起きることに関してはある程度信頼をしていた。
ふーちゃんが生まれてから両親は変わらずわたくしとクリスタちゃんを可愛がってくれていたが、ふーちゃんのこともものすごく気にかけていた。
子ども部屋で乳母に育てられてミルクを哺乳瓶で飲ませてもらっているふーちゃんは、母が来たときだけは母乳を飲ませてもらっている。哺乳瓶で飲んでいるときにはそれほどやる気なく哺乳瓶の乳首を口から出したりして遊んでいることが多いのに、母のお乳はしっかりと吸い付いて必死に飲んでいるから、何が違うのかとわたくしは不思議に思っていた。
ふーちゃんの乳母はエルマ・ヘルマンという。
貴族の乳母になる女性は特に丁重に扱われて、メイドの中でも名字に「さん」を付けて呼ばれるのが普通だった。
「ヘルマンさん、わたくしにも哺乳瓶を持たせてくれませんか?」
「エリザベートお嬢様、手を洗って来てくださいますか?」
「分かりました」
「わたくしも手を洗って来ます」
ふーちゃんを守る立場としてヘルマンさんが言うことは当然だったので、わたくしとクリスタちゃんは手を洗って来る。綺麗に手を洗うと椅子に座ったわたくしの膝の上にヘルマンさんがふーちゃんをおくるみで包んだまま置いてくれた。
哺乳瓶を握ってわたくしは異変に気付く。
「これは、冷たいではないですか」
「そうですよ。雑菌が増えないように冷たいままで差し上げています」
ふーちゃんがミルクを飲みたがらない理由が分かった。
わたくしから言ってもどうしようもないので、パウリーネ先生に相談する。
「フランツのミルクは冷たいようなのです。雑菌が増えないためと言われましたが、母のお乳は温かいでしょう? 母のお乳を一生懸命飲むのにフランツはミルクはあまり飲みません」
「ミルクの雑菌は作るときに八十度以上にしないとなくならないことを指導しなければいけませんね。その後で人肌までミルクをぬるくするのです」
「ぬるくするにしても人肌までですよね。冷たいとフランツの体が冷えてしまいます」
「夏場は冷たくても構わないかもしれませんが、まだ春ですからね」
パウリーネ先生からヘルマンさんに指導が行って、ミルクの調合は熱いお湯でされて、それをぬるくしてふーちゃんに飲ませることになった。
前世のわたくしの記憶が役に立ったようでわたくしは嬉しかった。
ふーちゃんがすくすくと育っている毎日が輝かしく、嬉しくて堪らない。
クリスタちゃんもふーちゃんをお膝に抱っこさせてもらって、ミルクを上げさせてもらって喜んでいた。
「ふーちゃん、わたくしのお顔をじっと見ていたわ。わたくしとお母様と同じお目目に髪の毛。とっても可愛い」
「ふーちゃんはクリスタちゃんの弟ですからね」
「わたくしの弟。わたくし、誰よりも可愛がるわ!」
七歳になっているクリスタちゃんは危険なので大人が付いていないとさせてくれないが、ふーちゃんを抱っこすることもできるようになっていた。もちろんわたくしもふーちゃんは抱っこできるが、危険なので大人がついているときだけだ。
ふーちゃんに夢中になっていると、辺境伯領からお手紙が来た。
それを読んで両親が難しい顔をしている。
夕食の席でわたくしは両親に問いかけた。
「カサンドラ様からのお手紙だったのでしょう? なんて書いてありましたか?」
「壊血病の実験が成功したと書いてあったよ」
「エリザベートにとても感謝しているそうです」
カサンドラ様の大事な方の命を奪った壊血病は、ザワークラウトで予防できるようになったようだ。話を聞いてわたくしが喜んでいると、両親が夕食後にわたくしとクリスタちゃんをソファに呼んだ。
ソファに座ると両親がどうやって切り出せばいいのか分からないように言葉を選んでいるのが分かる。
何か重要なことなのだろうとわたくしは背筋を伸ばした。
「カサンドラ様からお願いが書かれていたのだよ」
「お手紙にですか?」
「そうです。エリザベート、よく聞いてくれますか?」
「はい、お母様、お父様」
わたくしが緊張しながら話を聞けば、両親は長く息を吐いて話し出す。
「エリザベートを辺境伯領の後継、エクムントと婚約する約束を交わしたいと仰られているのだ」
「この国は長子相続ですが、エリザベートには弟のフランツが生まれて、フランツに相続権を譲ることができます。フランツに相続権を譲って、エリザベートが成人した暁には辺境伯領に嫁いできて欲しいとのお願いなのです」
「了承が取れれば、皇太子殿下であるハインリヒ殿下と兄上のノルベルト殿下の誕生日の式典のときに国王陛下に認めてもらうとカサンドラ様は仰っている」
カサンドラ様はエクムント様の婚約者にわたくしを望んでくださっている。
それは天にも昇る心地だった。
わたくしはクリスタちゃんに負けて辺境に追いやられるのではなくて、辺境伯領とこの国を繋ぐ強い絆として誉を背負って嫁いで行ける。
「急な話でエリザベートもすぐには返事ができないだろう」
「エリザベートはまだ八歳ですもの。早すぎますわ」
「それでも、カサンドラ様は壊血病を予防する手段を示したエリザベートを高く買ってくれていて、何より、辺境伯領が王家に反乱の意思なしと示すためにも、王家の血が入ったエリザベートを婚約者に求めているのだ」
わたくしの紫の光沢のある黒髪と銀色の光沢のある黒い目は、初代国王陛下と同じ色彩で、わたくしに王家の血が入っていることをはっきりと示している。
王都にほど近いディッペル公爵領から初代国王と同じ色彩を持つわたくしが嫁いできたとなれば、辺境伯領は完全にオルヒデー帝国の王家に従うという意志を示せるのだ。
「わたくし、お受けしたいです」
凛と答えたわたくしに、隣りでクリスタちゃんが水色の目を煌めかせて拍手をしている。
「公爵家の後継はフランツに譲ります。わたくしは、辺境伯領領主となるエクムント様の元に嫁ぎます」
はっきり言えば両親が驚きに目を見開いている。その目が潤んでくるのをわたくしは感じていた。
「辺境伯に嫁ぐのは王家と辺境伯領を繋ぐものすごい誉だ」
「エリザベートの気持ちが決まっているのでしたら、お返事を書きましょう」
「エリザベート、本当にいいのだね?」
「はい、お父様、お母様」
これでわたくしは将来辺境伯領に嫁ぐことができる。エクムント様と結ばれたいと夢想していたが、それが現実として近付いたのだ。
国王陛下に報告しての約束となれば、婚約の約束状態であっても、破られることはほぼないであろう。辺境伯とこの国唯一の公爵家の娘との結婚は、国にとっても一大事業となるからだ。
一時期ノルベルト殿下に婚約を求められていたが、辺境伯領を繋ぐためとなれば、ノルベルト殿下も納得してくださるだろう。
「エリザベート、これからはエクムントのことは、『エクムント様』とお呼びしなさい」
「エリザベートの婚約者となるのだからね」
「エクムントにも、エリザベートのことは『エリザベート嬢』と呼ぶように伝えます」
今はまだディッペル家に仕えている身で、両親からしてみれば呼び捨てにしなければいけないのだが、わたくしは「エクムント様」と堂々と呼ぶ許可が下りた。エクムント様もわたくしのことを「エリザベート嬢」と呼んでくださるようだ。
「エクムント様がわたくしの婚約者……」
「カサンドラ様は国王陛下の前で婚約式を望んでいらっしゃる。その衣装も早急に作らなければ」
「エリザベートがこの年で婚約してしまうなんて、寂しいことですが、エリザベートにとってもとてもいいお話ですし、この国にとってエリザベートが大きな楔となれるなんて、名誉なことです」
複雑な心境を口にしているが、両親はわたくしの婚約に乗り気のようだった。
エクムント様との婚約式が王都で行われる。
わたくしは白いドレスと花冠を注文してもらっていた。
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