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三章 バーデン家の企みを暴く

6.乳母の正体は

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 ハインリヒ殿下とノルベルト殿下に国王陛下の別荘に招待されたのは、お二人のお誕生日の式典の十日ほど前だった。
 本来ならば王城に戻って式典の準備をしなければいけないお二人だったが、内密にわたくしとクリスタちゃんに相談があるということだった。
 わたくしとクリスタちゃんだけで行くわけにはいかないので、両親にもついて来てもらうと、両親は王妃殿下からお茶に誘われていた。

「国王陛下の学友のディッペル公爵とその夫人でしょう? わたくしと国王陛下の仲は国中に知れ渡っているとは思いますが、それでも、わたくしは王妃として国王陛下に歩み寄れたらと思っているのです」
「私たちで役に立てるのでしたら何でもおっしゃってください」
「国王陛下のこと、お話しできませんか?」
「わたくしたちでよろしければ」

 王妃殿下からのお誘いに両親はお茶を共にすると答えていた。

 わたくしはクリスタちゃんと、ハインリヒ殿下とノルベルト殿下とお茶をすることになる。
 話題はバーデン家のことかと思っていたのだが、全く違ったようだ。

 ノルベルト殿下が真剣な表情でわたくしに向き直る。

「エリザベート嬢は年齢よりもずっと賢い方だと思っております。僕の話を聞いてくれませんか?」
「どんなお話でしょう?」
「僕の母は僕を産んだ後に王家から手切れ金を渡されて追い出されたと聞いています。その後の消息は分かっていません」
「その話はわたくしも聞いております」
「ですが、僕は母ではないかと思っている方がいるのです」

 ノルベルト殿下のお母上に関しては、この国では絶対に口に出してはいけない相手のような扱いになっていた。
 国王陛下にはもう隣国から嫁いできた王妃殿下がいらっしゃって、二度とノルベルト殿下のお母上に会わせてはならないと王家で厳しく取り締まられているのだ。
 隣国から嫁いできた王妃殿下はハインリヒ殿下を産むと、役目は終わったとばかりに国王陛下の別荘に移り住み、公の式典には参列するものの、国王陛下が別荘を訪ねても私的な会話は一切交わさないと決めているようだった。

 王妃殿下としての仕事はきっちりとするが、私的な立場としては国王陛下を愛してはいないのだとはっきりと分かる。
 その王妃殿下の取り仕切る国王陛下の別荘で、ノルベルト殿下のお母上と思しき相手がいるというのはどういうことなのだろう。

「ノルベルト殿下は、どの方がお母様だと思っているのですか?」

 直球で聞いたのはクリスタちゃんだった。わたくしはそこまで直球で聞けなかったが、クリスタちゃんは六歳児の素直さで聞いてしまう。

「銀色の髪、菫色の瞳、これは僕が父と全く違うところです。同じ色彩の人物がこの別荘内にいるのです」
「それはだぁれ?」
「僕の乳母です」
「乳母ですか!?」

 乳母と言えば、わたくしにとってはマルレーン、クリスタちゃんにとってはデボラのように、ずっとそばにいて、空気のように存在感なく、わたくしとクリスタちゃんのお世話を何から何までしてくれる存在ではないか。
 それだけ近しい場所にノルベルト殿下のお母上がいらっしゃるということは、王妃殿下はご存じなのだろうか。

「王妃殿下はこのことはご存じなのですか?」
「それを聞いてみたいのです。僕の乳母を選んだのは王妃殿下と聞いています。あの方は僕に『わたくしのことは母だと思って構いません。国王陛下と別の女性との間にどんなことがあろうとも、生まれて来たあなたには何の責任もありません。母がいないことは幼いあなたにはつらいことでしょう。わたくしがあなたの母の代わりになります』と言ってくださったのです」

 国王陛下は女性関係に関してはあまり感心できた相手ではないが、王妃殿下はそれを理解した上でしっかりとノルベルト殿下を王族として受け入れ、教育しようとしている。その姿が見えた気がした。
 ハインリヒ殿下が気付けなかったわたくしの不敬を、ノルベルト殿下は気付けたように、王妃殿下の教育はノルベルト殿下に行き届いているようだ。ハインリヒ殿下に行き届いていないのは年齢と性格の問題が大きい気がする。

「王妃殿下に聞いてみたことはあるのですか?」
「いいえ、勇気がなくて。でも、聞いてみたいと思っていました。ディッペル公爵とディッペル公爵夫人、それにエリザベート嬢がいらっしゃるなら、僕は聞けるような気がするのです」

 ノルベルト殿下の願いを受けて、わたくしとクリスタちゃん、ノルベルト殿下とハインリヒ殿下は王妃殿下のお茶をしている部屋に向かった。
 お茶会に入り込むと、王妃殿下も、両親も、わたくしたちを迎えてくれた。

「こちらのお茶会に参加したかったのですか? ハインリヒとノルベルト、それにエリザベート嬢とクリスタ嬢の席を用意しなさい」
「よろしいのですか、王妃殿下?」
「お茶はみんなで飲む方が美味しいでしょう」

 国王陛下の別荘に閉じ籠って、式典にしか出てこない王妃殿下ということでわたくしは王妃殿下にかなりの不信感を抱いていた。それを払拭するように王妃殿下はわたくしにもクリスタちゃんにもノルベルト殿下にもハインリヒ殿下にも優しい。

「王妃殿下、お聞きしたいことがあって参りました。乳母を呼んでもいいですか?」
「ノルベルト、乳母は呼んでも構いませんが、聞きたいこととは何ですか?」
「乳母が来てから話します」

 ノルベルト殿下の乳母が呼ばれる。ノルベルト殿下の乳母はノルベルト殿下が言った通りに銀色の髪に菫色の瞳をしていた。
 恐縮して頭を下げている乳母に目をやり、ノルベルト殿下は王妃殿下に問いかけた。

「この乳母は、僕の母ではないのですか?」
「そんなはずは御座いません。ノルベルト殿下、おやめください」

 乳母が慌てて言うが王妃殿下は落ち着いて紅茶を飲んでいた。

「それを知ったところでどうするのですか?」
「母だと分かれば、乳母になどさせておけません」

 必死に縋るように言うノルベルト殿下に、わたくしは申し訳ないが口を挟ませてもらった。

「恐れながら申し上げます、ノルベルト殿下、王妃殿下。もし、万が一、そのようなことがあったとしても、ノルベルト殿下のお母上は王家から国王陛下と縁を切られた身。ノルベルト殿下のおそばにいることを許されているのは、王妃殿下の恩情でありましょう。ノルベルト殿下のお母上と言ってしまえば、そばにいることは叶わなくなりますよ?」

 それ以上の追及はやめた方がいい。わたくしの言葉に王妃殿下が目を伏せる。

「エリザベート嬢の言う通りです。その者は何もいらないのでノルベルトの乳母として働かせてほしいと言ってきた酔狂な女性です。国王陛下の息子の乳母となるのですから、素性を調べるべきでしたが、ノルベルトに何かあったときには命を懸けて守るとまで言われてしまえば、わたくしも許すとしか言えませんでした」

 王妃殿下は乳母がノルベルト殿下のお母上だと言ってしまえば、ノルベルト殿下のお母上がノルベルト殿下のそばにいられなくなるのは承知しているようだ。
 素性を調べていないように言っているが、王妃殿下がノルベルト殿下のお母上の素性を調べていないはずがなかった。何もかも分かっていて、その上で目を瞑ってくれているのだ。
 あくまでも何も知らないことにして、ノルベルト殿下のお母上がノルベルト殿下と一緒に過ごせるように取り計らってくれている。

「ノルベルト殿下、この件に関しては、これ以上追及しない方がよさそうですよ」

 王妃殿下の態度で、ノルベルト殿下も乳母がお母上だということに確信を持ったであろう。わたくしが言えばノルベルト殿下は深く頷いていた。

「王妃殿下、僕はあなたにどれだけ感謝すればいいのでしょう……」
「子どもは伸び伸びと過ごして、成長するのが親の喜びですよ。感謝など必要ありません」

 素っ気なくも聞こえるが、ノルベルト殿下のお母上をノルベルト殿下の乳母にしたということが分かっているからには、王妃殿下の言葉はどこまでも暖かく感じられた。

「バーデン家のことを調べているハインリヒの熱量を見て、僕は考えるのです。ハインリヒは僕が支えてやらねばならないのではないかと。僕とハインリヒの生誕の式典で国王陛下は皇太子を発表すると言われています。僕はハインリヒが皇太子になって、ハインリヒを支える役目になるのが一番ではないかと思っているのです」

 ノルベルト殿下の口から出た言葉にハインリヒ殿下が驚いている。

「兄上が皇太子になるべきです。この国は長子相続なのですから!」
「いいえ、ハインリヒ。僕はハインリヒを支えていきたいんだ。王妃殿下へのご恩もある。ハインリヒがよき国王となるように、僕が導きたい」
「兄上……」
「ハインリヒもきっと分かってくれると思っている。皇太子に相応しいのは、血統からしてもハインリヒの方だよ」

 それがこの国の平和を続かせる。
 ノルベルト殿下の言葉にハインリヒ殿下が神妙な顔になっている。

「母上、私は皇太子になった方がいいのですか?」
「皇太子は楽な地位ではありません。いずれ国王となる制約の多い地位です。そうなるのに相応しいのが誰かをよく自分に問うてみるのです」
「私は皇太子になれますか?」
「それはこれからの努力次第ですね。ハインリヒ、ノルベルトによく学びなさい。ノルベルト、ハインリヒを導いてやってください。わたくしもハインリヒをよく教育致します」

 運命が変わる音がした気がした。
 ハインリヒ殿下がノルベルト殿下こそ皇太子に相応しいと言い張って、自分が廃嫡になるように素行を悪くしていくのが原作のストーリーだ。
 このままならばハインリヒ殿下とノルベルト殿下のすれ違いも起こりそうにない。

 平和に皇太子になるハインリヒ殿下が見られるのではないだろうか。
 また一つ、わたくしの運命が変わった気がした。
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