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二章 ノメンゼン子爵の断罪

1.『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』考察

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 前世で読んだ『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』は十九世紀をモデルとした小説のように思えた。母の本棚から見付けたものを気に入って譲ってもらったので、母が若い頃に読んでいたようで、新しい本ではなかった。
 作者は資料集めよりも小説の展開を大事にして、クリスタ嬢が子爵家令嬢なのに皇太子のハインリヒ殿下と婚約するところや、クリスタ嬢が礼儀作法がなっていないことを奔放で可愛らしいように書いているところにかなり無理があった。現代に生きていた頃には何も気にせず読んでいたが、この世界に生まれ変わって貴族社会に入ってから考えると、あまりにもあり得ない。

 それでも物語のストーリーがこの世界の根幹なのだとすれば、子爵家の令嬢を皇太子の婚約者にしてよからぬことを企んでいた勢力があったのではないだろうか。

 そう考えるのがこのストーリーを成り立たせるために一番筋が通っていた。

 そんな勢力がクリスタ嬢に近寄らないようにしなければいけない。
 クリスタ嬢は皇太子のハインリヒ殿下と婚約するのだが、それはきっちりと筋を通して、公爵家の養子になってからにすればいいだけの話だ。国を乱すような勢力にはクリスタ嬢に近付かないでもらう。それがわたくしの考えだった。

 少しずつわたくしには物語を成り立たせるために、『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』には書かれていなかったものが動いているのではないかと勘付き始めていた。

 季節は夏に入って強い日差しを受けてわたくしとクリスタ嬢はサマードレスを着せられるようになっていた。顔は日焼けしないように帽子を被せられるのだが、この国は緯度が高いために夏が短く冬が長い。日照時間も短いので、体の中でビタミンDを作るための日差しが足りなくなる場合があるのだ。
 そのためにこの国の子どもたちは夏になると軽装でたくさんお日様の光を浴びさせられた。

 この辺りはわたくしに前世の知識があるから分かることで、父も母も日差しに当たった方が健康になる程度の知識しかないままにわたくしとクリスタ嬢にサマードレスを着せていた。

 袖のないサマードレスはとても涼しくて心地いい。
 母は袖のあるワンピースを着ているし、リップマン先生もピアノの先生も袖のあるワンピースを着ていたので、サマードレスを着せられて日差しを浴びさせられるのは子どもだけのようだった。

「お母様、月に二回では少ないと思うのです」
「わたくしももっとエラにのりたいです」

 朝食の席でわたくしとクリスタ嬢がお願いしたのは、ポニーのエラに乗る日の打ち合わせだった。母は月に二回乗馬の日を考えていてくれていたが、それでは上達しないのでわたくしはもっと頻繁に乗馬をしたかった。それはクリスタ嬢も同じようだった。

 乗馬の指南役はエクムント様が請け負ってくれているので、乗馬のときには二人きりになれる。ポニーのエラは一頭しかいないのでクリスタ嬢と順番で乗っているのだ。

「月二回で、雨で乗れないときもあります」
「もっとふやせませんか、おばうえ?」

 わたくしとクリスタ嬢のお願いに母はナイフとフォークを置いて父の方を見た。

「毎週では多すぎるでしょうか?」
「動物と触れ合うことは悪くないと思うよ。エラに乗った後に、ブラッシングや餌やりをして仲良くなってみなさい」
「それならば、週に一度乗馬の日を設けましょう。くれぐれも危険のないようにするのですよ」
「エクムントにも伝えておかなければいけないね」

 両親はわたくしとクリスタ嬢の願いを叶えてくれて乗馬の日を増やしてくれた。ブラッシングや餌やりもしていいと言ってくれている。

「お父様、お母様、ありがとうございます。クリスタ嬢、エラのお世話を一緒にしましょうね」
「はい、おねえさま! ありがとうございます、おじうえ、おばうえ。」

 両親にお礼を言ってわたくしとクリスタ嬢は週一回の乗馬の日を楽しみにしていた。
 この世界も前世と同じように一週間は七日間で、太陽暦が使われている。
 春からはサマータイムが導入されていて、時計を一時間進めて読むようになっている。秋には一時間戻して通常の時間に戻る。
 これはこの国で昔から日照時間を長くして、日没時間を遅くする知恵で、ろうそくや石炭を節約するために実施されている。

 春には気付いていなかったが、一日が二十三時間の日があって、時間が調整されていたのだ。秋には一日が二十五時間の日があってまた時間が調整される。

 実際に暮らしてみるとこの国は、名称がわたくしの前世の知識の中にあるドイツに似ているようで、風土はイギリスと似ている気がする。
 『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』を書いた作者は二つの国を混ぜてこの世界を作り上げたのだろう。

「中世より続いた我が国の前身は、隣国の皇帝の侵攻を受けて解散し、各領邦国家に分裂しました。その後で他の帝国を盟主とした連邦国家が生まれましたが、統一国ではなかったために、その帝国を滅ぼして、我が国の初代国王がこの国を築き上げたのです」

 リップマン先生がこの国の歴史を語ってくれるが、聞けば聞くほどドイツに思えてくる。しかし風土はイギリスに似ているからわたくしは混乱してしまう。

「この国の名前は何なのですか?」
「エリザベート様はご存じなかったのですか? この国は、オルヒデー帝国ですよ」

 オルヒデーとは英語ではオーキッド、つまり蘭のことではなかっただろうか。
 そういえばこの国の紋章は蘭が描かれていた気がする。

 ロマンス小説にありがちな創作された国名なのだろうが、蘭の帝国というのはわたくしには少し抵抗があった。

「わたくし、しってます。しょだいこくおうさま、おねえさまとおなじかみのいろとおめめのいろよ」

 手を上げてクリスタ嬢が発言する。
 クリスタ嬢の発言にわたくしは自分の髪の色と目の色を思い出す。
 公爵家には数代前に王家の血が入っているので初代国王と同じ色彩が出てもおかしくはなかったが、紫の光沢をもつ黒髪に銀色の光沢をもつ黒い目など、わたくしが前世で生きていた現実ではありえないことだった。

「このまえのおちゃかいで、ハインリヒでんかがいっていたの。おねえさまはしょだいこくおうさまのしょうぞうがと、おなじいろのかみとおめめをしてるって」
「この前のお茶会でハインリヒ殿下とわたくしの話をしたんですか?」
「そうよ。ハインリヒでんかがおねえさまをほめていたから、わたくし、ハインリヒでんかのかみかざりをつけてもいいっておもったの」

 何ということでしょう。
 ハインリヒ殿下も将を射るならまず馬からとばかりに、わたくしを話題にあげることでクリスタ嬢の気を引いていた。

「おねえさまは、わたくしのじまんなの。さいこうにやさしくて、だいすきなおねえさまよ」

 ハインリヒ殿下がクリスタ嬢と距離を縮められたと思ったのは、間違いだったかもしれない。クリスタ嬢はまだまだわたくしのそばを離れられない幼子のようだった。

 リップマン先生の授業は平日には毎日ある。
 午前中がリップマン先生の授業で、授業内容によっては午後にまで授業が延びることもあるが、午後は週に一回ピアノの先生のレッスンがあるだけで、他は母が教えたいことがあると呼び出されるが、それ以外は自由に過ごしていい。
 わたくしもクリスタ嬢もまだ幼いので、勉強量は少なくしてもらえているのだろう。
 毎週土曜日は乗馬の練習の日になっていた。
 土曜日にはエクムント様と、デボラとマルレーンについて来てもらって、ポニーのエラを預けている近くの牧場に行く。牧場ではエラは毎日草を食んでゆっくりと過ごしているようだ。

 日曜日には父と母はパーティーやお茶会に誘われることがある。
 社交界に出るのも公爵と公爵夫人として大事な役目なのだ。
 そのときにはわたくしとクリスタ嬢はお留守番をしているか、お茶会には参加させてもらうかしている。
 それがないときには、家族でゆっくりと休日を過ごす。

 リップマン先生の授業を受けながら、わたくしは土曜日のエクムント様の乗馬の練習を楽しみにしていた。
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