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一章 クリスタ嬢との出会い

30.エリザベートの決意

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 ノルベルト殿下とお茶をして両親のところに戻ると、キルヒマン侯爵夫妻がわたくしとクリスタ嬢のところにやってきた。二人とも申し訳なさそうな顔をしている。

「ノメンゼン子爵が招待していないのに来たので、お帰りいただこうとしたのですが、バーデン公爵が一緒にいたのでできなかったのですよ」
「はっきりと追い返しておけばこんなことにはならなかったですね」
「クリスタ嬢もエリザベート様も、怖かったことでしょう」

 バーデン公爵とは、この国に二つある公爵家のうちの我が家、ディッペル家と違うもう一つの公爵家だった。
 キルヒマン侯爵では太刀打ちができないのは仕方がない。
 それにしても、バーデン公爵家がなぜノメンゼン子爵家を連れてくるようなことをしたのかよく分からない。
 これは今後バーデン公爵家に警戒した方がよさそうだとわたくしは思った。

 謝られてしまってわたくしはクリスタ嬢の顔を見る。前回の宿泊式パーティーのときにはクリスタ嬢はノメンゼン子爵夫人の顔を見ただけで泣いてしまっていたが、今回はクリスタ嬢は泣いていなかった。

「クリスタ嬢、怖くなかったですか?」
「おねえさまがまもってくれるっておもったら、こわくなかったです」

 クリスタ嬢はノメンゼン子爵夫人の呪縛から抜け出すことができたようだ。それでもクリスタ嬢が虐待されて、体と心に傷を負ったことは変わりない。

「これからもわたくしがクリスタ嬢を守って差し上げますね」
「おねえさま! だいすき!」

 クリスタ嬢に抱き付かれてわたくしはクリスタ嬢を抱き締め返した。

 キルヒマン侯爵家のお茶会が終わると、わたくしとクリスタ嬢は両親と一緒にディッペル公爵家のお屋敷に帰った。
 お屋敷に帰る馬車の中でクリスタ嬢は眠ってしまっていた。眠っているクリスタ嬢を抱っこして母が馬車から降りて、靴を脱がせてベッドにクリスタ嬢を寝かせてあげていた。

 昼食後にお昼寝の時間がなかったので、クリスタ嬢はかなり疲れていたようだ。お昼寝をしないと体力がもたないのも、クリスタ嬢の年齢ならばおかしくはなかった。

 お昼寝から起きて来たクリスタ嬢が髪を服を整えていると、両親がわたくしとクリスタ嬢を呼んだ。裏庭に連れて行かれると、厩舎からエクムント様がポニーを連れて来てくれた。

「エラだわ! おねえさま、エラがうちにきたのよ!」
「お父様、クリスタ嬢と話し合って、ポニーの名前はエラにしたのです。これからよろしくね、エラ」

 わたくしとクリスタ嬢は代わる代わるエラの鬣を撫でる。艶々とした長い鬣は手触りがよく、手入れが行き届いている。

「これからは乗馬の練習のときにはエクムントに付き添ってもらいなさい」
「はい、分かりました。よろしくお願いします、エクムント」
「危険のないように十分気をつけます」
「エクムントさま、よろしくおねがいします」
「クリスタお嬢様も気を付けてポニーに乗りましょうね」

 ポニーに乗るときにはエクムント様との時間が取れる。わたくしはそのことがとても嬉しかった。
 両親はわたくしがエクムント様を好きなことに気付いているのだろうか。
 エクムント様はこのお屋敷の護衛の騎士でわたくしの専属にすることはできないが、わたくしのことを気にかけてくださっている。それは前回ノメンゼン子爵夫人に扇で叩かれたときに、迅速に両親を呼んできてくれたことからも分かる。

 わたくしの気持ちは恋心だが、エクムント様の気持ちが赤ん坊のころから知っている妹を思うような気持であっても、もっとわたくしが大きくなればエクムント様との恋を叶えることもできるだろう。

 今はまだ六歳のわたくしにはできることは少なかった。

 子どもも参加できるお茶会がそんなに頻繁に開かれているわけではない。
 ほとんどが両親だけが行くパーティーやお茶会ばかりだった。

 ハインリヒ殿下とノルベルト殿下と約束した牡丹の造花の髪飾りを着けてお茶会に出るのはもう少し先になりそうだ。
 その前にわたくしは礼儀作法をもう一度クリスタ嬢が習うのに合わせておさらいをしていた。

 クリスタ嬢の椅子には足を置ける踏み台が下に置かれた。
 踏み台に足を置ければクリスタ嬢も脚を閉じて座ることができた。
 スカートで見えないからと言って、足を開いて座るのはお行儀が悪い。

「クリスタ嬢、姿勢を真っすぐにして、前のめりにならないように食事をするようにしましょうか」
「わたくし、まえのめりになっている?」
「フォークに食べ物を乗せたときに、お口が迎えに行っている感じになっていますよ」

 母にクリスタ嬢が指摘されて一生懸命直そうとしているが、フォークから食べ物が落ちてしまうので、それより先にクリスタ嬢はフォークを口に運ばなくてはいけなくて、どうしても前のめりになってしまう。
 わたくしもクリスタ嬢のやっていることを見て、自分が前のめりになっていないかを気を付けるようにした。

「できない……」
「ゆっくり時間をかけてできるようになればいいですよ。毎日気を付けておけば自然とできるようになります」
「おばうえ、わたくし、みっともなくない?」

 みっともない。
 その言葉はノメンゼン子爵夫人がクリスタ嬢に浴びせかけた言葉だった。
 気にしていないように見えてもクリスタ嬢はノメンゼン子爵夫人の言葉を気にしていたのだ。

「五歳の女の子にできないことがあっても、少しもおかしくありません。むしろ、努力する姿は美しいのです。クリスタ嬢は少しもみっともなくないですよ」
「クリスタ嬢は頑張っています。ノメンゼン子爵夫人の言葉など気にしなくていいのです」

 堂々と言ってくれる母にわたくしも言葉を添える。泣き顔になりかけていたクリスタ嬢がにこっと微笑んだ。

 初めて出会ったときには痩せて、薄汚れて、目も落ち窪んで頬もこけていたクリスタ嬢。
 今では頬も子どもらしく丸くなって、水色の目はきらきらと輝いている。

「クリスタ嬢はディッペル家に来てできることがたくさん増えました。これからも増えていくでしょう。クリスタ嬢のような従妹がいて、わたくしは幸せです。クリスタ嬢を妹のように思っています」
「わたくしも、ずっとおねえさまがほしかったの。おねえさまがわたくしのところにきてくれて、わたくしをたすけだしてくれて、とてもうれしかった。おねえさま、だいすきよ」

 微笑んでわたくしに言ってからクリスタ嬢は両親に向き直る。

「おじうえも、おばうえも、やさしくて、ほんとうのおとうさまとおかあさまみたいで、だいすきです。ありがとうございます」
「クリスタ嬢はわたくしの可愛い妹の娘。わたくしもクリスタ嬢のことを本当の娘のように思っていますよ」
「私もクリスタ嬢を本当の娘のように思っているよ」
「うれしいです、おじうえ、おばうえ」

 ロマンス小説、『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』ではクリスタ嬢は貴族社会では生きていけないような奔放な令嬢だった。そういう令嬢が成功する物語なのだと思って読めば楽しめたのだが、実際に物語の世界に入ってクリスタ嬢や貴族社会を見て学習すると、物語の中のクリスタ嬢のやっていたことが貴族社会にそぐわない行いだと理解することができた。

 これからクリスタ嬢をしっかりと教育して立派なフェアレディに育て上げて、皇太子殿下と婚約できるようにしなければいけない。
 ノメンゼン子爵家でクリスタ嬢が育っていたら、皇太子妃として絶対にやっていけなかったであろう。
 『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』ではクリスタ嬢が皇太子妃になるまでが描かれていて、その後の話はなかった。クリスタ嬢が皇太子妃になって初夜を迎えるところで物語が完結したのだ。
 あのまま物語が進んでいれば、クリスタ嬢は王家の風習に馴染めず、貴族社会の闇に飲まれて、皇太子妃としての座を退いていたかもしれない。

 それでは真実のハッピーエンドとは言えないではないか。

 わたくしは真実のハッピーエンドのためならば何でもするつもりだった。
 それだけクリスタ嬢のことが可愛く思えるようになっていたからだ。

 クリスタ嬢のためならばわたくしは悪役にでもなれる。

 でも、できるならばわたくしは公爵位を奪われることなく、辺境に追放されることなく、エクムント様と結ばれたい。
 そのために何をすればいいのか。

 今はできることをするだけだった。
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