エリザベート・ディッペルは悪役令嬢になれない

秋月真鳥

文字の大きさ
上 下
19 / 528
一章 クリスタ嬢との出会い

19.騒ぎの後で

しおりを挟む
 部屋でクリスタ嬢は髪の毛を結び直してもらって、取り返した造花の髪飾りを着ける。顔も洗ってさっぱりとしたクリスタ嬢は、もう泣いた後も残っていなかった。

「クリスタじょう、かいじょうにもどりましょう」
「おねえさま、すこしだけやすんでいってはいけない?」
「つかれたのですか?」

 あんな怖いことがあったのだ。クリスタ嬢が疲れていてもおかしくはない。
 部屋からクリスタ嬢を連れ出そうとするのをわたくしが止めると、クリスタ嬢はハンカチを差し出して来た。

「デボラ、これをぬらして。おねえさまのひたいを、ひやしてあげて」

 クリスタ嬢の髪を整えたり、泣き顔を直すことに気が行っていて、わたくしは自分が叩かれた額がどうなっているのか見ていなかった。

「クリスタお嬢様、ハンカチはしまっておきましょう。すぐに冷たく絞ったタオルを持ってきます」
「ありがとう、デボラ」

 クリスタ嬢に言われてわたくしは鏡で額を見た。前髪を上げて見ると、白い額に赤い叩かれた痕が残っているのが分かる。それほどはっきりと残っているわけではないから、すぐに治ってしまうだろう。

「わたくしをしんぱいしてくれたのですね。クリスタじょう、ありがとうございます」
「おねえさまはわたくしをかばってくださったわ。おねえさま、ありがとう」
「クリスタじょうがぶじならわたくしはへいきです」

 とはいえ、わたくしが怖くなかったわけではなかった。
 わたくしは六歳で、ノメンゼン子爵夫人は大人なのだ。大人に叩かれるようなことがあって、怖くないはずがない。
 デボラが水で冷やしたタオルでわたくしの額を押さえる。赤くなっているところを冷やされると痛みが引くようでわたくしは息をつく。

「エクムントさまがおとうさまとおかあさまをよんできてくれなかったら、どうなっていたでしょう」
「エクムントさま、おじうえとおばうえをよんできてくれた」

 叩かれた瞬間に聞こえたエクムント様の声がわたくしの救いだった。クリスタ嬢を腕の中から奪われずに守り通すことができたのも、エクムント様が迅速に動いてくださったおかげだった。

 やはりエクムント様は頼りになる。
 わたくしはますますエクムント様への恋心を強くしていた。

 叩かれた痕を冷やしてから会場に戻ると、貴族たちが話しているのが聞こえる。

「ノメンゼン子爵夫人は前妻の娘のクリスタ嬢を虐待していたそうだ」
「食事も与えず、理由もなく叩いていたらしい」
「それでクリスタ嬢の母君の姉の公爵夫人がクリスタ嬢を引き取ったのですね」

 ノメンゼン子爵夫人がクリスタ嬢にしていたことも、クリスタ嬢が侯爵家に引き取られたいきさつも、すっかりと貴族に広まったようだ。
 もしかするとこのために両親は宿泊式のパーティーを開いたのだろうか。
 ノメンゼン子爵の後継と国王陛下に認められたクリスタ嬢を、ディッペル公爵家で理由もなく引き取っていたら子爵家の乗っ取りを疑われかねない。その疑いを晴らすためにノメンゼン子爵夫人がしたことを明らかにして、クリスタ嬢がノメンゼン子爵家では平和で安全に暮らせないことを広めたのだ。

「エリザベート様、クリスタ嬢、先ほどは可愛らしい歌とピアノを披露してくださって、素晴らしかったですよ」
「キルヒマンこうしゃくふじん、ありがとうございます」
「おねえさま、だぁれ?」
「エクムントのごりょうしんのキルヒマンこうしゃくふさいですよ」

 キルヒマン侯爵夫妻から声をかけられて、わたくしはスカートを摘まんで一礼する。
 クリスタ嬢はすぐに気付いたようで、名乗っていた。

「わたくし、クリスタ・ノメンゼンともうします」
「存じていますよ。先ほどは子爵夫人に怖い目に遭わされたようですね。エクムントが間に合っていれば」
「エクムントは、わたくしとクリスタじょうをまもってくれました。りっぱにしごとをなしとげました」
「エクムントさま、すぐにおじうえとおばうえをよんできてくれたの。わたくし、かんしゃしているの」

 キルヒマン侯爵夫人はエクムント様が間に合っていないような言い方をしたが、クリスタ嬢に危害を加えられる前に父と母を連れて来られたので、わたくしはエクムント様は立派に仕事をしたと感じていた。

「エクムントはいい主人に恵まれたものですね。エリザベート様、クリスタ嬢、これからもエクムントをよろしくお願いします」
「わたくしのほうが、エクムントによろしくされるほうですわ」
「エクムントさま、えほんをよんでくれるの。それに、おねえさまとべつべつのへやになるのがいやだっていったら、まどをつけるといいっていってくれたの。きょうもたすけてくれて、とてもやさしいの」
「エクムントがエリザベート様とクリスタ嬢に認められて仕事ができていて安心しました。それにしても、子爵夫人の酷かったこと。こんな小さな子に惨いことを」
「子爵家ではクリスタ嬢は酷い扱いを受けていたのでしょう。公爵夫妻は礼儀作法には厳しいところがありますが、愛情あふれる方です。エクムントをお預けできると信頼した方です。ここでは安心して過ごされるといいでしょう」

 キルヒマン侯爵夫妻と話していると、エクムント様のことを思い出す。
 特にキルヒマン侯爵夫人は褐色の肌に艶やかな黒髪に黒い目で、エクムント様を思い起こさせた。

 キルヒマン侯爵夫人は肌の色や容貌で差別される場面もあるのだが、辺境伯家の遠縁だということで常に堂々としていた。こんな方に育てられたのでエクムント様も素晴らしい男性に育ったのだろう。

「エクムントはエリザベート様やクリスタ嬢から見ると大人に見えるかもしれませんが、わたくしたちから見ると、まだまだ子ども」
「至らないところもありますが、よろしくお願いしますね」

 士官学校を卒業してすぐに公爵家に努めるようになったエクムント様はまだ十七歳だ。前世の感覚からすれば、十七歳といえば高校生である。そんな年齢でもしっかりと働いているエクムント様にわたくしはますます尊敬の念と恋心を燃やしていた。

「エリザベート、クリスタ嬢、戻っていたのですね」
「もう大丈夫かな? エリザベートは額が少し赤くなっているね」
「ひたいがあかいのにきづいて、クリスタじょうがひやすようにいってくれたのです。それで、あかみもすこしきえました」
「それはよかった。クリスタ嬢、ありがとう」
「おねえさま、わたくしをまもってたたかれたの。わたくし、おねえさまになにかしてさしあげたかった」
「クリスタ嬢は本当にいい子ですね。エリザベートもこんな従妹がそばにいて楽しいでしょう」
「はい。わたくし、クリスタじょうがだいすきです」
「わたくしも、おねえさまがだいすきです」

 額を確かめて赤みが少し引いていることに気付いた父が安心しているようだ。母は冷やす提案をしてくれたクリスタ嬢を褒めている。
 両親から少し離れて、わたくしは会場で護衛についているエクムント様のところに行った。エクムント様は両親の少し後ろで剣を腰に下げて姿勢よく立っている。
 この場で両親に何かあればすぐに動けるようにしているのだ。

「エクムント、さきほどはありがとうございました」
「もう少し旦那様と奥様を呼んでくるのが早ければ、エリザベートお嬢様も嫌な思いをしなくて済みましたのに。申し訳ありません」
「いいえ、エクムントはさいぜんをつくしてくれました。わたくしはクリスタじょうがきずつけられることがなくて、ほんとうにかんしゃしています」

 腕の中に抱き締めたクリスタ嬢を奪われて、クリスタ嬢が叩かれていたら、わたくしは一生後悔していただろう。クリスタ嬢もノメンゼン子爵家で受けていた仕打ちを思い出して、トラウマを抉られていたかもしれない。
 それを考えれば、エクムント様が間に合わなかったというのは全くの間違いだった。

「エリザベートお嬢様はお強いのですね」
「そんなことはないです。わたくしもおかあさまをみたら、あんしんしてないてしまいました」
「そんな怖い状況でもしっかりとクリスタお嬢様を守っていたではないですか。ご立派です」

 エクムント様に褒められるとわたくしは額の痛みも忘れてしまう。
 エクムント様との時間が永遠に続けばいいのにと思ってしまうが、それは不可能のようだ。

「そろそろ昼食会の準備を致します。皆様、一度お部屋にお戻りください」
「音楽会にご参加いただきありがとうございました」

 父と母の声が会場に響いて、音楽会はお開きになった。
しおりを挟む
感想 150

あなたにおすすめの小説

婚約破棄の甘さ〜一晩の過ちを見逃さない王子様〜

岡暁舟
恋愛
それはちょっとした遊びでした

(完結)もふもふと幼女の異世界まったり旅

あかる
ファンタジー
死ぬ予定ではなかったのに、死神さんにうっかり魂を狩られてしまった!しかも証拠隠滅の為に捨てられて…捨てる神あれば拾う神あり? 異世界に飛ばされた魂を拾ってもらい、便利なスキルも貰えました! 完結しました。ところで、何位だったのでしょう?途中覗いた時は150~160位くらいでした。応援、ありがとうございました。そのうち新しい物も出す予定です。その時はよろしくお願いします。

働かなくていいなんて最高!貴族夫人の自由気ままな生活

ゆる
恋愛
前世では、仕事に追われる日々を送り、恋愛とは無縁のまま亡くなった私。 「今度こそ、のんびり優雅に暮らしたい!」 そう願って転生した先は、なんと貴族令嬢! そして迎えた結婚式――そこで前世の記憶が蘇る。 「ちょっと待って、前世で恋人もできなかった私が結婚!?!??」 しかも相手は名門貴族の旦那様。 「君は何もしなくていい。すべて自由に過ごせばいい」と言われ、夢の“働かなくていい貴族夫人ライフ”を満喫するつもりだったのに――。 ◆メイドの待遇改善を提案したら、旦那様が即採用! ◆夫の仕事を手伝ったら、持ち前の簿記と珠算スキルで屋敷の経理が超効率化! ◆商人たちに簿記を教えていたら、商業界で話題になりギルドの顧問に!? 「あれ? なんで私、働いてるの!?!??」 そんな中、旦那様から突然の告白―― 「実は、君を妻にしたのは政略結婚のためではない。ずっと、君を想い続けていた」 えっ、旦那様、まさかの溺愛系でした!? 「自由を与えることでそばにいてもらう」つもりだった旦那様と、 「働かない貴族夫人」になりたかったはずの私。 お互いの本当の気持ちに気づいたとき、 気づけば 最強夫婦 になっていました――! のんびり暮らすつもりが、商業界のキーパーソンになってしまった貴族夫人の、成長と溺愛の物語!

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

かつて私のお母様に婚約破棄を突き付けた国王陛下が倅と婚約して後ろ盾になれと脅してきました

お好み焼き
恋愛
私のお母様は学生時代に婚約破棄されました。当時王太子だった現国王陛下にです。その国王陛下が「リザベリーナ嬢。余の倅と婚約して後ろ盾になれ。これは王命である」と私に圧をかけてきました。

稀代の悪女として処刑されたはずの私は、なぜか幼女になって公爵様に溺愛されています

水谷繭
ファンタジー
グレースは皆に悪女と罵られながら処刑された。しかし、確かに死んだはずが目を覚ますと森の中だった。その上、なぜか元の姿とは似ても似つかない幼女の姿になっている。 森を彷徨っていたグレースは、公爵様に見つかりお屋敷に引き取られることに。初めは戸惑っていたグレースだが、都合がいいので、かわい子ぶって公爵家の力を利用することに決める。 公爵様にシャーリーと名付けられ、溺愛されながら過ごすグレース。そんなある日、前世で自分を陥れたシスターと出くわす。公爵様に好意を持っているそのシスターは、シャーリーを世話するという口実で公爵に近づこうとする。シスターの目的を察したグレースは、彼女に復讐することを思いつき……。 ◇画像はGirly Drop様からお借りしました ◆エール送ってくれた方ありがとうございます!

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

その転生幼女、取り扱い注意〜稀代の魔術師は魔王の娘になりました〜

みおな
ファンタジー
かつて、稀代の魔術師と呼ばれた魔女がいた。 魔王をも単独で滅ぼせるほどの力を持った彼女は、周囲に畏怖され、罠にかけて殺されてしまう。 目覚めたら、三歳の幼子に生まれ変わっていた? 国のため、民のために魔法を使っていた彼女は、今度の生は自分のために生きることを決意する。

処理中です...