エリザベート・ディッペルは悪役令嬢になれない

秋月真鳥

文字の大きさ
上 下
15 / 528
一章 クリスタ嬢との出会い

15.滑舌の練習

しおりを挟む
 リップマン先生の授業は朗読や書き取りに留まらず、この国の言葉の正確な発音にも至っていた。
 特にクリスタ嬢はまだ発音が明瞭ではない。私が勉強をしている横で、リップマン先生はクリスタ嬢に発音を教えていた。

「『わたくしは、クリスタ・ノメンゼンです』と言ってみましょう」
「わたくちは、クリスタでつ!」
「惜しいですね。もう少し頑張ってみましょう。『わたくち』ではなく、『わたくし』と言うのです」
「わたくち!」
「わたくし、です」
「わたくー……し?」
「できましたね! とても上手ですよ」

 クリスタ嬢が『わたくし』と言えた。
 私も自分のことはこれから『わたくし』と言った方がいいのかもしれない。

「わたくし、ひとりのときや、クリスタじょうとふたりきりのとき、おとうさまとおかあさまといっしょのときには、じぶんのことを『わたし』といっています」
「エリザベート様もでしたか」
「『わたくし』といったほうがいいでしょうか?」
「普段の行動が急なときにも出てしまうことがありますからね。普段から公爵夫人が敬語を使って、自分のことを『わたくし』というのも、どんなときもフェアレディであろうとするお姿なのだと思いますよ」

 ついつい甘えて『私』と言ってしまっていた幼い自分とはお別れしなければいけないのかもしれない。
 私……いや、わたくしはこれから自分のことは『わたくし』と常に言うように心がけることにした。

「おねえたま、わたち、いっちゃ、め?」
「クリスタじょう、『おねえさま』といえますか?」
「おねえたま……おねえたま……おねえ、さーまー!」

 妙なところで切ってしまっているが何とか『おねえさま』と言えたクリスタ嬢にわたくしはクリスタ嬢の体を抱き締めて褒めてあげる。

「とてもじょうずですよ」
「おねえさま、わたくし、じょーじゅ?」
「はい、とてもじょうずです」

 クリスタ嬢には指導していかなければいけないと思っていると、リップマン先生から注意が入る。

「エリザベート様、クリスタ様に教える姿勢はとても素晴らしいのですが、クリスタ様はエリザベート様とお話がしたいのです。毎回訂正されていてはお話ができなくて、じれったく感じてしまうかもしれません」
「どうすればいいのですか、リップマンせんせい?」
「クリスタ様が喋った言葉を、正しい発音で言い直しながら会話ができませんか? 先ほどのように、『じょーじゅ』と『じょうずです』と繰り返したみたいに」

 それならばわたくしでもできそうだ。
 口うるさく普段の会話まで訂正されていたらクリスタ嬢にストレスもたまるし、クリスタ嬢のわたくしと話したいという気持ちを蔑ろにしてしまう。それは避けたかった。
 リップマン先生がわたくしに指導してくれてわたくしはとても助かった。

「これからは、わたくしのしゃべることばをまねしてみてくださいね」
「おねえさまのしゃべることば、まねつる」
「まねするのですよ」
「まねする」

 こうやればよかったのか。『まねつる』と上手に言えていない部分を指摘するのではなく、言い直してあげるとクリスタ嬢は理解してもう一度言い直すことができる。
 クリスタ嬢の賢さにわたくしは感心していた。

「クリスタじょうはとてもゆうしゅうですね。しゃべるのがどんどんうまくなっていますよ」
「わたくし、ゆうしゅう! おねえさまがおちえてくれたからだわ」
「わたくしがおしえたからですか?」
「おねえさまが、おしえてくれたから」
「そういってもらえるとうれしいです。クリスタじょうにはりっぱなしゅくじょになってもらわねばなりませんからね」

 もうすぐ宿泊式のパーティーが開かれる。公爵家の客間をメイドさんたちが綺麗に整えている。ノメンゼン子爵夫妻と娘、ハインリヒ殿下とノルベルト殿下を含め、公爵家の一族のものが一週間の宿泊をして寛ぎながら、母の歌の披露や、わたくしのピアノの披露、ダンスパーティーやお茶会を楽しむのだ。
 公爵家主催の宿泊式のパーティーは父の代に公爵位が移ってから初めてということで盛大に行われる。父にとっては一族へのお披露目のパーティーでもあるのだ。

 ハインリヒ殿下とノルベルト殿下が参加するのは予定外だったが、それも侯爵家ならばなんとかなるだろう。

「パーティーまでにクリスタ様は滑舌をよくして、参加者の方を驚かせて差し上げましょう」
「わたくし、かちゅぜちゅ、がんばります」
「滑舌、エリザベート様とも練習なさってくださいね」
「はい、かつぜつ、がんばります」

 舌ったらずの喋りをしていたクリスタ嬢がこんなにもしっかりと喋れるだなんてわたくしは思ってもみなかった。クリスタ嬢可愛さにわたくしはクリスタ嬢の喋りを訂正しようだなんて思っていなかったのだ。
 リップマン先生は近付いて来ている宿泊式のパーティーのことまでも考えてくれていた。

 勉強が終わるとお茶の時間になって、わたくしとクリスタ嬢は食堂に呼ばれた。
 食堂に入ると、クリスタ嬢とわたくしの椅子の前に箱が置いてある。

「おとうさま、おかあさま、これはなんですか?」
「開けてみなさい、エリザベート、クリスタ嬢」
「やっと出来上がったのですよ」
「おじーえ、おばーえ、なんですか?」
「おじうえ、おばうえ、ですね」
「おじうえ、おばうえ」

 言い直したクリスタ嬢が椅子によじ登って箱を開ける。リボンを解いて白い箱の蓋を開けると、中にはオールドローズ色の薔薇の髪飾りが入っていた。わたくしの箱も開けると、空色の薔薇の髪飾りが入っている。

「これ、おたんどうびの!?」
「クリスタじょうのおたんじょうびはもうすこしさきではありませんでしたか?」

 驚いているわたくしとクリスタ嬢に父と母は穏やかに微笑んでいる。

「お誕生日がパーティーの後なので、パーティーに付けられるように先にあげてしまおうとテレーゼと話し合って制作を早めてもらったんだ」
「パーティーで薔薇の髪飾りを着けている二人を想像するだけで可愛らしくて。わたくしの我が儘で、早く渡したかったのです」
「ありがとうございます、おとうさま、おかあさま」
「とってもしゅてき! ありがとうごじゃます」
「すてきですね、クリスタじょう」
「そう、すてき!」

 これは少しずつ滑舌をよくして言葉を正確に発音できるようになろうと努力しているクリスタ嬢と、教えているわたくしへのご褒美のように思えた。箱の中にある薔薇の花から目が離せないでいると、母が席から立ってわたくしの髪に触れた。
 ハーフアップにしている髪を一度解いて、リボンを外し、母がわたくしの髪に空色の薔薇の造花を飾ってくれる。
 わたくしの髪のアレンジが終わると、母はクリスタ嬢の三つ編みにした髪の根元にオールドローズ色の造花を飾っていた。

「おかあさま、ありがとうございます。クリスタじょう、とてもかわいいですよ」
「おねえさまも、とてもかわいいわ」

 素敵な造花がもらえてわたくしもクリスタ嬢も大喜びだった。

「クリスタ嬢の生まれた日はわたくしにとっては大事な妹が亡くなった悲しい日でもあります」
「おかあさま……」
「ママ……」

 スカートを整えながら優雅に椅子に座る母を見て、クリスタ嬢の水色の目が潤んでくるのが分かる。

「悲しい日だったのが、クリスタ嬢を我が家に引き取って、お誕生日の準備をしていると、わたくしは妹のことを悲しく思い出さなくなっているのに気付いたのです」
「かなしくないの?」
「妹の死は確かに悲しいものですが、妹にそっくりのクリスタ嬢がいてくれて、命日にはクリスタ嬢のお誕生日をお祝いすることができる。クリスタ嬢が我が家に来てくれたことで、わたくしは悲しみを乗り越えることができました。ありがとうございます、クリスタ嬢」

 母にとってはクリスタ嬢のお誕生日は妹の亡くなった日であり、ずっと悲しい日だったようだが、クリスタ嬢のお誕生日を祝えることによって母は妹の死を乗り越えられたのだと言っている。
 自分の母親のことを考えているのか目を潤ませているクリスタ嬢に、母がハンカチを渡す。クリスタ嬢は涙を拭いてハンカチで洟も拭いていた。

「おばうえは、ママがだいすきだったのね。わたくし、ママをよくしらないの。おばうえ、おしえてください」
「わたくしの知っている妹のことを話して差し上げましょうね。あの子はとてもおてんばだったのですよ」

 わたくしも母の口から妹であるクリスタ嬢の母親の話が出るのは初めて聞く。それだけ深い悲しみの中にいて、母は妹のことを話せなかったのだろう。

「おてんば? おてんば、なぁに?」
「とても元気がよかったということです。あの子、馬に乗りたがったのですよ」
「ママ、うまにのれたの?」
「そうです。わたくしも淑女の嗜みとして乗馬は習いましたが、あの子の方がずっと上手でした」

 母の妹は馬に乗るのが好きだった。懐かしむような目で語る母に、わたくしは会ったことのない叔母を思い浮かべていた。
しおりを挟む
感想 150

あなたにおすすめの小説

王子の片思いに気付いたので、悪役令嬢になって婚約破棄に協力しようとしてるのに、なぜ執着するんですか?

いりん
恋愛
婚約者の王子が好きだったが、 たまたま付き人と、 「婚約者のことが好きなわけじゃないー 王族なんて恋愛して結婚なんてできないだろう」 と話ながら切なそうに聖女を見つめている王子を見て、王子の片思いに気付いた。 私が悪役令嬢になれば、聖女と王子は結婚できるはず!と婚約破棄を目指してたのに…、 「僕と婚約破棄して、あいつと結婚するつもり?許さないよ」 なんで執着するんてすか?? 策略家王子×天然令嬢の両片思いストーリー 基本的に悪い人が出てこないほのぼのした話です。

魅了が解けた貴男から私へ

砂礫レキ
ファンタジー
貴族学園に通う一人の男爵令嬢が第一王子ダレルに魅了の術をかけた。 彼女に操られたダレルは婚約者のコルネリアを憎み罵り続ける。 そして卒業パーティーでとうとう婚約破棄を宣言した。 しかし魅了の術はその場に運良く居た宮廷魔術師に見破られる。 男爵令嬢は処刑されダレルは正気に戻った。 元凶は裁かれコルネリアへの愛を取り戻したダレル。 しかしそんな彼に半年後、今度はコルネリアが婚約破棄を告げた。 三話完結です。

【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?

アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。 泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。 16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。 マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。 あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に… もう…我慢しなくても良いですよね? この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。 前作の登場人物達も多数登場する予定です。 マーテルリアのイラストを変更致しました。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

毒を盛られて生死を彷徨い前世の記憶を取り戻しました。小説の悪役令嬢などやってられません。

克全
ファンタジー
公爵令嬢エマは、アバコーン王国の王太子チャーリーの婚約者だった。だがステュワート教団の孤児院で性技を仕込まれたイザベラに籠絡されていた。王太子達に無実の罪をなすりつけられエマは、修道院に送られた。王太子達は執拗で、本来なら侯爵一族とは認められない妾腹の叔父を操り、父親と母嫌を殺させ公爵家を乗っ取ってしまった。母の父親であるブラウン侯爵が最後まで護ろうとしてくれるも、王国とステュワート教団が協力し、イザベラが直接新種の空気感染する毒薬まで使った事で、毒殺されそうになった。だがこれをきっかけに、異世界で暴漢に腹を刺された女性、美咲の魂が憑依同居する事になった。その女性の話しでは、自分の住んでいる世界の話が、異世界では小説になって多くの人が知っているという。エマと美咲は協力して王国と教団に復讐する事にした。

記憶喪失になった嫌われ悪女は心を入れ替える事にした 

結城芙由奈@コミカライズ発売中
ファンタジー
池で溺れて死にかけた私は意識を取り戻した時、全ての記憶を失っていた。それと同時に自分が周囲の人々から陰で悪女と呼ばれ、嫌われている事を知る。どうせ記憶喪失になったなら今から心を入れ替えて生きていこう。そして私はさらに衝撃の事実を知る事になる―。

転生ヒロインは不倫が嫌いなので地道な道を選らぶ

karon
ファンタジー
デビュタントドレスを見た瞬間アメリアはかつて好きだった乙女ゲーム「薔薇の言の葉」の世界に転生したことを悟った。 しかし、攻略対象に張り付いた自分より身分の高い悪役令嬢と戦う危険性を考え、攻略対象完全無視でモブとくっつくことを決心、しかし、アメリアの思惑は思わぬ方向に横滑りし。

処理中です...