上 下
13 / 528
一章 クリスタ嬢との出会い

13.続・両親の不在

しおりを挟む
 部屋に戻ると私は本棚から植物図鑑を取り出した。これは私が植物に興味を持ち出した三歳のお誕生日に両親が買ってくれたものだ。製本技術が確立はしているが、本はこの世界ではかなり高価なものだ。
 子ども用の絵本も私の部屋にはかなりの数本棚に置いてあるけれど、これは私が公爵家の娘で、両親が私の教育のためにお金を惜しまずに本を揃えてくれたおかげなのだ。
 前世から本好きだった私は、今世でも本が大好きだった。

 私が好きだったのはロマンス小説を呼ばれるジャンルの本だった。
 『クリスタ・ノメンゼンの真実の愛』もロマンス小説の一つで、クリスタ嬢が学園に入学してから皇太子であるハインリヒ殿下と婚約するまでの日々を描いたものだった。

 物語の始まりがクリスタ嬢が貴族の子女のためのサロン的な学園に入学するところから始まっているので、それ以前のストーリーは私は全く知らない。
 まさかクリスタ嬢が継母のノメンゼン子爵夫人に虐待されていて、食事も碌に与えられず、お風呂にも入れてもらっていなかったうえ、何かすれば叩かれるような状態だったなんて考えもしなかった。
 そうでなければ私はクリスタ嬢を苛めて最後には辺境に追放されて爵位を奪われる悪役だったので、クリスタ嬢に近付こうとは思わなかった。私がクリスタ嬢とこんなにも深く関わってしまったのは全部ノメンゼン子爵夫人と、彼女を野放しにしているノメンゼン子爵が悪いのだ。

「おねえたま、これがバラ?」
「そうですよ。はなびらがいくえにもかさなっていて、とてもきれいでしょう?」
「いろんないろがあるのね。おねえたまのすちな、そらいろはないの?」
「そらいろのバラはずかんにものっていませんね」

 胸の奥にノメンゼン子爵夫人とノメンゼン子爵への怒りを燃やしながらも、私はクリスタ嬢には笑顔で対応する。クリスタ嬢が虐待されていたのはクリスタ嬢のせいではないのだから。
 四歳の何も分からない子を大人の勝手な理屈で虐待するだなんて許されるわけがない。
 フェアレディとなるように私を大事に育ててくれた両親の教えと、前世の感覚がそう言っている。

「そらいろのバラ、ないねー……おねえたまのかみかじゃり……」
「ないのならば、つくってしまえばいいのですよ。じっさいにないいろのバラでも、しょくにんさんならつくれます」

 私のために空色の薔薇の髪飾りを作れないか、一生懸命図鑑のページを捲って空色の薔薇を探すクリスタ嬢に、私は語り掛ける。クリスタ嬢は頷いて紙とクレヨンを持ってきた。
 クレヨンは私が母から勉強を教えてもらっている間に、クリスタ嬢が教本を読めなくて退屈しないように母がクリスタ嬢にあげたものだ。
 紙にぐりぐりと空色の丸を描いて、その横にオールドローズ色の丸も描いて、クリスタ嬢は私に手渡した。

「おねえたま、こんなバラがほちいの」
「おとうさまとおかあさまにこのえをわたしておはなししましょうね」
「はい!」

 クリスタ嬢のお誕生日なのに私の分も入っているなんてクリスタ嬢はどれだけ私のことを慕ってくれているのだろう。お揃いの薔薇の髪飾りを着けたらクリスタ嬢はきっととても可愛いだろう。
 受け取った紙を丁寧に折り畳んで私はワンピースのスカートのポケットに入れた。

 昼食もお茶の時間もクリスタ嬢と二人きりだったが、私は全然寂しくなかった。
 両親が忙しいときにはこれまでも一人で昼食やお茶の時間を過ごすことがなかったわけではない。両親はできる限り私と食事を共にしてくれるように心がけていたが、父には統治の仕事があるし、母も社交界に出なければいけないことがある。
 残された私は寂しくなかったわけではなかった。

 こういうときにエクムント様が一緒に食事をしてくれればいいのにとどれだけ考えただろう。
 エクムント様は侯爵家の三男なので、ディッペル公爵家の騎士になっていなければ、私と食事を一緒にすることもできないわけではなかった。ディッペル家の騎士になってしまったので、エクムント様を私が呼んでお茶に付き合わせることもできないのだ。

 身分とは六歳の私には理解できないほど複雑で、難しいものだった。

「おねえたま、このくっちー、さくさくでとってもおいちい!」
「おかわりがありますよ。もういちまいもらいますか?」
「いいの!?」
「デボラ、クリスタじょうにこのクッキーをもういちまいおねがいします」

 デボラに言えばすぐにクリスタ嬢のお皿の上にクッキーが乗せられる。あまり食べ過ぎると夕飯が食べられなくなるのでいけないが、クッキーの一枚くらいはお代わりしてもいいだろう。

「おいちい。たべおわるの、もっちゃいない」

 クリスタ嬢はクッキーをちびちびと齧って食べていた。

 お茶の時間が終わると私とクリスタ嬢は順番にお風呂に入る。今日は夕飯も両親とは一緒に食べられないので、私とクリスタ嬢だけで早い時間に食べるのだ。そのために、眠る準備をしておかなければいけなかった。

 クリスタ嬢がお風呂に入っている間に、私は自分の部屋で本を読んでいた。クリスタ嬢と一緒に読む簡単な絵本ではなくて、しっかりと分厚い挿絵の少ない児童書だ。
 童話の書かれたそれは、怖い話もあって、ドキドキしながらページを捲る。

「おねえたま、わたち、おふろでたの」
「クリスタじょう、おしえにきてくれたのですね。かみをしっかりとかわかしてくださいね。かぜをひかないように」
「わたち、デボラたんにかみかわかちてもらう!」

 元気よく隣りの部屋に行ったクリスタ嬢を見送って、私はバスルームに移動した。バスルームではバスタブにたっぷりとお湯が張られている。
 シャワーで体を流して、一人では髪が上手に洗えないのでマルレーンに手伝ってもらって髪を洗って、バスタブの中に浸かる。体を洗うのも、髪を洗うのもバスタブの中で行うので、バスタブには泡が浮いていた。

 前世では信じられないのだが、このままかかり湯もせずにバスタオルで拭くだけでお風呂は終わりなのだ。これがこの世界の常識なのだから仕方がない。
 お風呂には前世のように洗い場はなく、バスタブの中で洗うしかないのだ。

「明日は奥様がシャンプーを使っていいと仰っていましたよ」
「ほんとう? クリスタじょうもつかっていいのかしら?」
「奥様に聞いてみてくださいませ」

 普段は私は子ども用の石鹸とシャンプーで体と髪を洗っているが、月に一度だけ母の使っているいい香りのするシャンプーを使っていいことになっていた。それは私が母のいい香りに憧れて、母におねだりした結果だった。
 その月に一度の日が明日はやってくる。
 母のシャンプーを使うと髪がいい香りで、とても艶々になるので今日から楽しみだった。

 お風呂から出ると、クリスタ嬢が私の部屋で絵本を読んでいた。私の絵本の棚から自分の好きな絵本を選んで取ったようだ。

「おねえたま、えほん、かりてるの」
「クリスタじょうはそのえほんがだいすきですね」
「うえでんぐどれつと、あたまのおはながきれーなの」

 まだ文字を読むことができないクリスタ嬢は、絵本の最後のページの主人公が王子様と結婚式を挙げるページの挿絵をずっと見ていたようだ。主人公の頭には白い薔薇の造花が飾ってあって、そこからベールが垂れていた。

「クリスタじょうがおはながほしいといったのは、これだったのですね」
「そうなの! わたち、あたまにおはな、ちゅけたかったの」

 造花など知らないであろうクリスタ嬢の口から頭に付ける花の話が出たのはおかしいと思っていたのだが、クリスタ嬢はこの絵本の挿絵に憧れていたようだ。

「しろいおはなではなくていいのですか?」
「おねえたまがそらいろ、わたちはピンク。おとろいがいーの」
「いろちがいというのですよ」
「いろちがいのおとろい?」
「いろちがいのおそろいですね」

 説明すると私はワンピースのスカートのポケットにクリスタ嬢から預かった紙を入れっぱなしだということを思い出した。

「マルレーン、わたしのワンピースはまだせんたくにだしていませんよね?」
「今から持って行くところでしたよ」
「ポケットをみてくれますか?」
「あぁ、紙が入っていますね。これを選択してしまわなくてよかったです」

 何とかギリギリのところでクリスタ嬢の書いた紙は守られた。マルレーンから紙を受け取って、私は自分の机の上にそれを置いておいた。風で飛ばないように上に重し代わりにお風呂に入るまで読んでいた本を置いておく。

「おねえたま、おかあたまとおとうたまがかえってくるのは、あちた?」
「クリスタじょうのおかあさまとおとうさまではないのですよ」
「それじゃあ、なぁに?」

 問いかけられて私は考えてしまう。
 クリスタ嬢のお母上と私の母は姉妹だ。クリスタ嬢のお母上が私の母の妹なので、クリスタ嬢にとって私の母は伯母にあたるだろう。そうなると母の伴侶の父は伯父にあたる。

「クリスタじょうは、おかあさまのいもうとのむすめさんなので、わたしのおかあさまはおばうえ、おとうさまはおじうえにあたります」
「おばーえと、おじーえ! おねえたまとわたちは?」
「いとこになります」
「おねえたまとわたち、いとこ!」

 人間関係は難しいがクリスタ嬢は何度も呟いて覚えようとしている。
 私とクリスタ嬢は従姉妹であるのだから、私がクリスタ嬢を妹のように可愛がっていてもおかしくはないのだと私は思っていた。
しおりを挟む
感想 150

あなたにおすすめの小説

婚約者に毒を飲まされた私から【毒を分解しました】と聞こえてきました。え?

こん
恋愛
成人パーティーに参加した私は言われのない罪で婚約者に問い詰められ、遂には毒殺をしようとしたと疑われる。 「あくまでシラを切るつもりだな。だが、これもお前がこれを飲めばわかる話だ。これを飲め!」 そう言って婚約者は毒の入ったグラスを渡す。渡された私は躊躇なくグラスを一気に煽る。味は普通だ。しかし、飲んでから30秒経ったあたりで苦しくなり初め、もう無理かも知れないと思った時だった。 【毒を検知しました】 「え?」 私から感情のない声がし、しまいには毒を分解してしまった。私が驚いている所に友達の魔法使いが駆けつける。 ※なろう様で掲載した作品を少し変えたものです

妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢

岡暁舟
恋愛
妹に正妻の座を奪われた公爵令嬢マリアは、それでも婚約者を憎むことはなかった。なぜか? 「すまない、マリア。ソフィアを正式な妻として迎え入れることにしたんだ」 「どうぞどうぞ。私は何も気にしませんから……」 マリアは妹のソフィアを祝福した。だが当然、不気味な未来の陰が少しずつ歩み寄っていた。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

【完結】実は白い結婚でしたの。元悪役令嬢は未亡人になったので今度こそ推しを見守りたい。

氷雨そら
恋愛
悪役令嬢だと気がついたのは、断罪直後。 私は、五十も年上の辺境伯に嫁いだのだった。 「でも、白い結婚だったのよね……」 奥様を愛していた辺境伯に、孫のように可愛がられた私は、彼の亡き後、王都へと戻ってきていた。 全ては、乙女ゲームの推しを遠くから眺めるため。 一途な年下枠ヒーローに、元悪役令嬢は溺愛される。 断罪に引き続き、私に拒否権はない……たぶん。

「殿下、人違いです」どうぞヒロインのところへ行って下さい

みおな
恋愛
 私が転生したのは、乙女ゲームを元にした人気のライトノベルの世界でした。  しかも、定番の悪役令嬢。 いえ、別にざまあされるヒロインにはなりたくないですし、婚約者のいる相手にすり寄るビッチなヒロインにもなりたくないです。  ですから婚約者の王子様。 私はいつでも婚約破棄を受け入れますので、どうぞヒロインのところに行って下さい。

処理中です...