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エヴェリーナは悪役令嬢になりたい

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 エヴェリーナ・カゼッリは公爵家の令嬢で、年齢は二十歳。
 この国の成人年齢は十八歳なので、成人年齢を越して結婚するに相応しい年齢と言われていた。

 列車が街を通り、貴族の中には自家用車を持っているものもいるが、ほとんどはまだ馬車で移動する。
 この国はその程度の科学力は持っていた。

 貴族制度はまだ健在だが、貴族と裕福な平民の差がなくなりつつある過渡期でもある。
 そんな中カゼッリ家は貴族の中でも高位にあたり、財産も持っているということで、エヴェリーナはこの国の皇子の妃となるのではないかと噂されていた。

 第一皇子のファビアーノには、カオヴィッラ公爵家のミケーラが妃となっている。第二皇子のジャンルカが高等学校を卒業したので、結婚するのではないかと噂になっている。

 エヴェリーナは幼い頃から言われてきた。

「お前は貴族の中の貴族、公爵家の生まれだ。いずれは王家に嫁いで、この家をますます盤石なものにしていくのだ」

 そのたびにエヴェリーナは答えてきた。

「いやです。わたくしは、わたくしのあいしたかたとしか、けっこんしません」

 自分の気持ちを貫き通すと言い張るエヴェリーナに父も母も呆れ返っていた。

 エヴェリーナにはその頃から好きな相手がいた。
 自分より十歳年上でエヴェリーナの護衛になったばかりのリッカルドだ。
 リッカルドは南の地から来ていたので、よく日に焼けた小麦色の肌に黒髪に金色の目で、それがエヴェリーナにはエキゾチックに見えていた。

 初めて会ったときには、護衛など必要ないと庭を逃げ回ってまいてしまったのだが、リッカルドはエヴァリーナが隠れている場所を何度も見つけ出した。

「おとうさまも、おかあさまも、うばも、みつけられなかったのに」
「私はかくれんぼが得意なのですよ。神殿で小さな子たちとかくれんぼで遊んであげるのが日課でした」

 リッカルドは貴族と平民との間の生まれで、母親が亡くなって神殿で育てられた。十二歳で高等学校に入学する年になって、跡継ぎが結局生まれなかった貴族の家に引き取られて、そこから貴族として暮らすようになった。
 そのせいか、リッカルドはエヴァリーナに気安いところがあった。

「勉強はもう分かっているのでしょう。庭に出ますか?」
「ぬけだすのをみのがすのですか?」
「私もついて行きますからね」

 エヴェリーナはすっかりリッカルドに夢中になっていた。
 けれどリッカルドとは身分の差がありすぎる。
 両親はリッカルドとの結婚を認めないだろう。

 リッカルドに来る見合いだけはきっちりと邪魔をして結婚しないようにしてきたが、エヴェリーナももう二十歳、リッカルドは三十歳。妨害も難しくなってくるし、エヴェリーナにも見合いが山ほど来ている。

 その見合いを断れているのは、第二皇子のジャンルカの存在があるからだった。
 ジャンルカよりも二歳年上だが、両親はエヴェリーナをジャンルカに嫁がせようとしている。

「二歳の年の差くらい小さなものだ」
「女性が年上の方が家庭は円満と言いますよ」

 両親の言葉に逃げ出したい気持ちが募る。
 どこか田舎の静かな町で、リッカルドと二人、逃げ延びて暮らせないものか。
 二人ならば多少苦労はしても、エヴェリーナは平気だと思っていた。

 ジャンルカのお妃候補はエヴェリーナが一番と言われている。
 身分も申し分はないし、お妃候補として教育されてきたので王家に入るのも問題ない。

 これまで受けてきた教育がお妃候補としてのものだということはエヴェリーナには受け入れがたいが、真実だった。

 ジャンルカと結婚しないために、エヴェリーナは何ができるのだろうか。
 考えているときに、エヴェリーナの頭をよぎったのが、ビアンカ・モンカルヴォの名前だった。

 ビアンカはジャンルカの一つ年下の十七歳で、まだ高等学校に通っている。
 家は公爵家で、他に兄弟がいないのが問題だが、それは親戚から養子を取ればいいのでどうにかなる。
 エヴェリーナには兄がいるので、兄が家を継ぐことは決まっている。その点だけは不利だったが、年齢といい、身分といい、ビアンカはジャンルカにぴったりな気がしていた。

「この御令嬢と、第二皇子を恋に落ちさせることができれば、わたくしは、自由になれますわね」

 その過程で第二皇子に失礼なことでもすれば、エヴェリーナは田舎に引きこもる口実になるだろう。

 エヴェリーナは悪役になって、ビアンカとジャンルカをくっ付けて、自分はリッカルドと田舎暮らしをする。
 そのために、悪役令嬢になることに決めたのだ。

 両親がカゼッリ家でお茶会を開く。
 そこにジャンルカとビアンカも呼ばれている。
 お茶会の席で両親はエヴェリーナとジャンルカの仲を取り持とうというのだ。

 そうはさせないと、エヴェリーナは動き出した。

 長く艶やかな漆黒の髪を結い上げたエヴェリーナは、ドレスを身に纏って大広間に出てきた。
 エヴェリーナのドレスの色は淡い紫。ビアンカはラベンダー色で、色が被ってしまっている。

 これもエヴェリーナが仕組んだことだった。
 ビアンカの招待状に「ぜひ紫のドレスで」と書いたのだ。

 主催の娘であるエヴェリーナとドレスの色が被ることは、失礼に当たる。それを気付いているのかいないのか、ビアンカはハーフアップにしている髪を揺らしながら頭を下げてエヴェリーナに挨拶をした。

「ビアンカ・モンカルヴォで御座います。本日はお招きいただき誠にありがとうございます」

 周囲からひそひそと声が漏れる。

「ビアンカ様のドレスとエヴェリーナ様のドレスの色が被っていらっしゃるわ」
「ビアンカ様はお気付きでないのかしら」

 ドレスの色が被ってしまっている時点でショックを受けて帰ってしまうと思ったのだが、そんなことはなさそうだ。ビアンカは輝く金の髪を揺らしながら、顔を上げた。
 その顔に戸惑いも憂いもない。

「ビアンカ様、お話ししてみたいと思っていたのです」

 紅茶のカップを持って椅子に座ると、ビアンカもエヴェリーナの隣りに座って来る。
 エヴェリーナの作戦は、ビアンカを気まずい気分にさせて、先に帰らせて、ジャンルカにその後を追わせるものだった。
 それが今の時点では全く通じていない。

「ビアンカ様は、とても美しい髪をしているのですね。ハーフアップがお似合いですわ」

 エヴェリーナは褒めているように聞こえるかもしれないが、これは貴族社会では嫌味だった。
 こういう場では髪を全部上げて来るのが正式なスタイルなのに、そんなこともできていないのか。
 そう伝えたつもりなのに、エヴェリーナの言葉にビアンカは自分の髪を撫でて緑の目を輝かせる。

「亡くなった母に似て美しい髪だと父も褒めてくれました。母がいないので、わたくしは貴族社会のことが分からずに、失礼をしてしまうことが多くて、わたくしに話しかけてくださる方がいるだなど思いませんでした。とても嬉しいです」

 嫌味のつもりが喜ばれてしまった。
 早くに母親を亡くしているビアンカには貴族社会の掟が分かっていないのだろう。
 頬を染めて喜ぶビアンカに、エヴェリーナは一度その場を離れることにした。
 ジャンルカの方にも嫌われておかねばならない。

 ジャンルカは燕尾服のポケットから懐中時計を出してそれを撫でている。
 これはチャンスかもしれないとエヴェリーナは近寄る。

「素敵な時計を持っていらっしゃいますね」

 これも、そのままの意味ではない。
 貴族社会においては、「時間を見ろ! こんな時間だぞ! さっさと帰れ!」という意味になるそれを口にすると、ジャンルカがニヤッと笑う。

 撫で付けた銀髪に水色の目の美青年なのだが、笑うと子どもっぽさが際立つ。

「これは兄上が俺にくれた時計なんだ。褒めてくれるなんて嬉しいな。俺が授業に遅れることが多いから、兄上は俺のためにこの時計を注文したんだ」

 文字盤は夜空のようになっていて、そこに金の針と数字が光るのだと自信満々に説明されて、エヴェリーナは戸惑ってしまう。

 ビアンカといい、ジャンルカといい、嫌味が全く通じない。
 こうなったら仕方がない。

 エヴェリーナは全員の方を見て言った。

「皆様、ぶぶ漬けでも食べて帰られますか?」

 さすがにこれならば通じるだろう。
 異国の食べ物であるぶぶ漬けは、食べて帰るかと言われたら、「もうさっさと帰れ」という意味で、本気で食べて帰るものなどいない、最高の嫌味だった。

「こんな時間でしたわね。失礼いたしました」
「本日は本当に楽しゅうございました」
「ありがとうございます」

 口々に貴族たちが帰っていくのを見て、エヴェリーナはジャンルカにビアンカを送って行くように言おうと近付くと、ジャンルカとビアンカは椅子に座っていた。

「わたくし、ぶぶ漬けを食べたことがありませんの」
「俺も、ぶぶ漬けは初めてだ」
「エヴェリーナ様は初めてのことを教えてくださって、とても親切で、貴族社会でつまはじきにされているわたくしにお声をかけてくださいます。お姉様と呼んでいいですか?」

 そんなの、望んでない。

 エヴェリーナは立ち尽くしていた。
 こうなったらぶぶ漬けを出さないわけにはいかない。
 厨房に行ってぶぶ漬けを出させるエヴェリーナに、両親は驚いていた。

「エヴェリーナがあんなに積極的にジャンルカ殿下と関わるなんて」
「もう一人いるようですが、友人ができるのもいいことですね」

 貴族社会で友人など作る必要はないと言っていた娘の姿に、両親は感動しているようだった。

「ぶぶ漬けがこんなに美味しいものだったなんて初めて知りました。お姉様、ありがとうございました」

 ビアンカの表情が頬を赤くして何となくおかしいような気がする。

「俺に堂々と話しかけて来るなんて、面白い女だ。エヴェリーナ、気に入ったぜ」

 ジャンルカはウインクをしている。

 何かがおかしい。

 ビアンカもジャンルカも、しっかりとぶぶ漬けを完食して帰って行った。
 残したら腹が立つが、完食して楽しそうに変えられるのも腹が立つ。

 お茶会は終わって、エヴェリーナは部屋に戻った。
 ドレスから普段着に着替えて、ため息を吐く。
 部屋の外には護衛のリッカルドが立っているのをエヴェリーナは見ている。
 リッカルドはお茶会の間もエヴェリーナが視界に入る場所にいたはずだ。

 全てを見ていたリッカルドの顔色が悪かったような気がして、エヴェリーナは、机に突っ伏す。
 怯えて欲しかったビアンカは頬を染めて妙な雰囲気を出していたし、ビアンカに惚れて欲しかったジャンルカはエヴェリーナを気に入ったかのようなことを言っていた。

「なんなんですの、あの二人! なんで! わたくしの! 嫌味が! 通じないのですか!」

 呻くエヴェリーナに、足元に擦り寄りかけていた愛猫が驚いて逃げていく。逃げた愛猫は、部屋から出てリッカルドの腕に納まった。
 愛猫が開けたときにドアの隙間から見たリッカルドも、恐怖に引き攣った顔をしているのは気のせいではないだろう。

「なんで……わたくしの愛するにゃんことリッカルド様には怖がられて、あの二人には何も通用しないの!」

 リッカルドに聞こえないようにぎりぎりと歯噛みするエヴェリーナ。

 エヴェリーナは悪役令嬢になれない。
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