あなたへの道

秋月真鳥

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三章 十年後の勇者と聖女

19.藍の気持ち

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 夏から季節が秋に移り変わろうとする頃、冬ごもり前の動物たちは餌を求めて麓の街へ降りて行ったりする。麓の街に大黒熊が出たという報せを聞いて、青慈と紫音は猟師たちと一緒に山を降りて行った。山から滅多に降りることのない大黒熊が麓の街に出たとなると、それだけ数が増えて食べ物が足りなくなっているか、山に魔物が出て追い出されたかだ。
 魔物が出たのだとすればその退治も必要だが、まずは麓の街に降りてきている大黒熊の退治をしなければいけない。

「青慈、紫音、気を付けて」
「お父さん、藍さん行ってくるよ」
「帰ったら美味しいお昼ご飯よろしくね!」

 元気に青慈と紫音が出かけて行ったところで、朱雀は洗濯物を干し終えた藍を居間に呼んだ。

「大事な話があるんだ。少しいいかな」
「分かったわ」

 ここ数日朱雀が藍に話しかけたそうにしている素振りに気付いていたのだろう。藍は長椅子に腰かけて話をする体勢をとってくれる。温かな紅茶に冷たい牛乳を入れて、朱雀は取っ手のある茶杯で藍に差し出した。自分の分を一口飲んで、おもむろに話し出す。

「青慈と紫音が不老長寿の妙薬を飲みたがっている件なんだけど、不老長寿の妙薬を飲まされたことについて、藍さんはどう思ってる?」

 真剣に問いかける朱雀に、藍の返事はあっさりとしたものだった。

「飲んじゃったものは仕方ないわよね」
「それでいいのか!?」

 思わず大きな声が出た朱雀に、藍はころころと笑った。

「紫音は不老長寿の妙薬をもらったときに3歳だったんだもの。私に飲ませたいと思ったら制御ができなかったのは仕方がないわ。それは紫音の責任じゃなくて、紫音に不老長寿の妙薬が手に渡らないように気を付けなかった私の責任よ。紫音が責められることは何もないわ」

 不老長寿の妙薬を飲まされたことについて、藍は紫音に責任を負わせようとは全く考えていなかった。それどころか、自分の責任だという。

「それは、私の責任でもある」
「そうね。朱雀さんは紫音の保護者だものね」
「すまない」
「いいのよ。紫音は思い込んだら一筋なところがあって、あのときに実行していなくてもいずれは絶対に実行していたと思うわ」

 自分が不老長寿の妙薬を飲まされたことについて、藍は納得済みだった。

「妖精種の村に行った後に紫音のがま口を探して不老長寿の妙薬を隠してしまおうと思ったんだが、空の瓶が入っているだけで、探し出せなかったんだ」
「そうだったのね。この家に帰ったときには私は不老長寿の妙薬を飲まされていたのね」

 魔法薬作りが得意な玄武が作ったとはいえ、あれは試作品で本当に効果があるか分からなかった。不老長寿の妙薬といえば、外法でもある。薬の効果が歪んでしまって、藍は魔物になってもおかしくはなかった。

「不老長寿の妙薬は危ないんだ。体質に合わなかったり、作り方を間違えたりすると魔物になってしまうこともある」
「幸い、私は魔物にならなかったみたいね」

 よかったと胸を撫で下ろす藍は、事態を軽くとらえているような気がしてならない。不老長寿の妙薬を飲まされてしまった以上、藍は紫音よりも長い年月を生きるかもしれないのだ。
 試作品だから少ししか寿命は延びないかもしれないと言っていても、妖精種の玄武の言う「少し」なのだ。それが二百年や三百年でもおかしくはなかった。
 藍だけを長く生きさせるわけにはいかないと、紫音は不老長寿の妙薬の完成品を求めている。それを藍にも改めて飲んでもらって、青慈も飲んで、家族全員でずっと生きていこうと考えているのだ。

「国王からも不老長寿の妙薬を勇者と聖女に飲ませろと手紙に書いてあった。国王の思惑通りになるのも面白くない」

 呟く朱雀に、藍が牛乳の入った紅茶を一口飲む。それから、ふと昔を懐かしむように遠い目をした。

「あの日、妖精種の村で飲んだお茶はとても美味しかった。あれ以上に美味しいお茶を私は飲んだことがないの。あのお茶に入っていたのが本当に紫音の入れてくれた牛乳だったか私には分からない」
「あのときに、紫音が不老長寿の妙薬を入れたということか!?」

 妖精種の村に行って玄武から不老長寿の妙薬をもらって、長老に挨拶をして、青龍の家に行った。青龍の家で出されたお茶に、もらった不老長寿の妙薬の試作品を、早速紫音は入れていたのか。
 猪突猛進の紫音らしいと言えばそうだが、あまりにも行動が早い。ずっとがま口に入れておくと朱雀に取り上げられることも、紫音はちゃんと気付いていたのかもしれない。
 牛乳で白濁した紅茶の水面を見詰める朱雀に、藍は言う。

「私は紫音が可愛いの。多分、ずっとずっと可愛くて可愛くて堪らない。紫音が私と結婚したいと言ったら、私は了承してしまう」
「藍さんは紫音が好きなのか?」
「これが愛なのか分からない。けれど、紫音がそれだけ私を求めてくれて、一生私のそばにいてくれるなら、私はきっと幸せだと思うのよ」

 青慈が遠くに離れて行ってほしくない。
 青慈にずっとそばにいて欲しい。
 そう願う朱雀と同じようなことを藍も考えていた。

「私はどうすればいいんだろう……」

 悩む朱雀に今度は藍が問いかけてくる。

「朱雀さんは青慈が嫌いなの?」
「嫌いなわけがない。青慈はいつまでも私の天使だ。青慈の成長を見て、青慈が喜んでいるのを見るのが私の人生の最大の楽しみだ」
「青慈のことを受け入れれば、一生青慈の幸せそうな顔を見ていられるのよ?」

 愛かどうかは分からないが、紫音が藍だけを求めて、一生藍のそばにいてくれるならば、藍はきっと幸せだと言った。それは朱雀にも綺麗に当てはまる。
 青慈に対する感情が恋愛感情かどうかは分からないが、青慈が朱雀だけを求めて、一生朱雀のそばにいてくれるならば、朱雀は絶対に幸せになれる自信がある。その幸せが青慈も同じかどうかは分からない。

「青慈も紫音もまだ若い。人生を決めてしまうには早すぎる気がするんだ。二人が不老長寿の妙薬を飲んだことを後悔しても取り返しはつかない」
「不老長寿の妙薬ってどれくらいの長さを生きるものなの?」
「作り手の腕によって違うと思うが、玄武が本気になって作れば、私と同じくらいの年月は生きるんじゃないかな」

 長命の妖精種は千年近いときを生きる。まだ朱雀は生まれてから三百年くらいしか経っていないが、残りの年月を青慈なしで暮らせと言われたら、気が狂いそうな気すらしている。
 出会ったのは偶然で、大きくなったら自分の元を離れて自立していくのだろうと思っていた。それが青慈も紫音も麓の学校を卒業して世界が広がっても、朱雀の元に戻って来て朱雀と藍と一緒に暮らしている。
 窓の外から涼しい風が吹いてくる。山の季節は麓の村よりも少し早く移り変わって、前まではむしむしと湿気の多い熱い風が、今は乾いた涼しい風に変わっている。

「私はもう不老長寿の妙薬の試作品を飲んでしまっている。これから何が起きても私の体質は変わらないことは決まっているわ」
「すまない、藍さん」
「朱雀さんが謝ることじゃないわよ。私の責任でもあるし」

 藍はもう戻れないところに来ているので、追加で不老長寿の妙薬の完成品を飲むことも躊躇いはないようだ。朱雀は不老長寿の妙薬がなくても、妖精種として長いときを生きる。

「正直、私の我が儘かもしれないけれど、紫音には不老長寿の妙薬を飲んで欲しいのよ」
「藍さんはそう思うのか」
「私だけが紫音が老いて死んでいく中、若く生き延びるというのは考えたくない。青慈だってそう。朱雀さんも本当はそう思っているんじゃない?」

 不老長寿の妙薬を飲んで欲しくない。自然の理を曲げて欲しくないと自分では思っているつもりだった。それでもどこかで朱雀は青慈が自分より先に老いて死んでしまうことを怖がっているのかもしれない。

「不老長寿の妙薬を飲んで長いときを生きれば、仙人と呼ばれるようになるかもしれないわね。この山は妖精種の賢者と、仙人の勇者と聖女と、その乳母の暮らす山になるんだわ」

 明るく藍は言っているが、そんなに軽くていいのだろうかと朱雀は戸惑ってしまう。

「ただいまー! お父さん、お腹空いたー!」
「紫音ちゃん、まだお昼ご飯の時間じゃないよ」
「運動したら疲れたんだもん。あ、お父さんと藍さん、お茶してたのね。私も飲みたい」

 元気よく紫音と青慈が帰って来て、朱雀と藍の話は中断された。中断されたが、朱雀の気持ちは大きく揺れていた。
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