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十章 奏歌くんとの十年目
25.春公演と奏歌くんの高校入学
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奏歌くんの高校の入学式に私は行きたかったのだが、春公演の期間中なので自由に休みが取れず、日程を確認すると行けないことが確定してしまった。落ち込んでいる私に奏歌くんが言ってくれる。
「やっちゃんに写真を撮ってもらうよ」
「その件なんだけど……やっちゃんも多分休めないのよね」
写真を撮るのはプロ並みでいいカメラも持っているやっちゃんだが、今は劇団の広報のトップである。公演期間中は基本的に休みが自由に取れないのは私と同じだった。今年度からは沙紀ちゃんも広報の一員として仕事に就く。やっちゃんは来年の春には退職するのだから、後輩を育てる意味でも今年一年は非常に忙しくなりそうだった。
「やっちゃんも休めないのか……。母さんは来てくれると思うし、寂しくないよ。写真も母さんに撮ってもらう」
「そう……寂しいけど、美歌さんにお願いしよう」
気落ちしている私を見かねたのか、奏歌くんは約束をしてくれた。
「制服って、結婚式とかにも着ていってもいい正装なんでしょう。僕、ちょっと恥ずかしいけど、海瑠さんの春公演の日は、制服で行く」
「帰りは一緒に帰ってくれる?」
「うん。着替えを部屋に置いておいて、制服で行くから、僕の制服姿を見てね」
私の春公演を見に来てもらうはずが、今回の春公演は奏歌くんの制服姿を見ることになりそうだった。入学式に出られないことはショックだったが、それ以上のショックが私を待っていた。
「高校になると授業の時間が遅くまであるんだよね。晩ご飯に間に合わない日もあるかもしれない」
「嘘っ!? 奏歌くんと晩ご飯を食べられないの!?」
「早く終わった日は部屋で待ってるけど、遅い日は無理かもしれない」
高校生にもなると奏歌くんは忙しくなってしまうようだ。ますます落ち込む私を奏歌くんが慰めてくれる。
「お弁当は自分の分も作らなきゃいけないから、必ず毎日作るよ。高校に入ったらお弁当だから、お昼になったら海瑠さんのことを考えて食べる」
「私も奏歌くんが今頃同じお弁当を食べてるんだって考えて食べるわ」
救いはお弁当が変わらずに私の元に届けられるということだった。
最近はやっちゃんはマンションを売りに出すために家具を引き払って篠田家に住んでいるらしい。篠田家から出勤してくるやっちゃんは毎朝劇団の稽古場や、劇団の劇場で私にお弁当を渡してくれる。
それまでも朝は篠田家に寄って朝食とお弁当を作ってから出勤していたやっちゃんは本当にマメだと思う。私なら絶対にできない。
「今年の夏休みにはやっちゃんと茉優ちゃんは住む場所を決めるためにイギリスに行くし、別れが近くなったみたいで寂しいわ」
寂しがり屋の私は奏歌くんがいればいいというわけではなくて、やっちゃんや茉優ちゃんがいなくなることにも寂しさを感じるようになっていた。やっちゃんとは劇団で出会ってからかなりの年月が経つが、はっきりと認識したのは奏歌くんと出会ってからだった。
あれからもうすぐ十一年目が来て、やっちゃんとの付き合いも長くなったものだと思う。
色んなことがあったのを思い出してしみじみしていると、奏歌くんが勉強道具を片付けて伸びをしていた。
「課題やっと終わったよ。これで、安心して海瑠さんの春公演に行ける!」
「終わったのね。おめでとう。頑張ったね」
「ありがとう。量が多かったし、まだ習ってないところもあったから大変だったけど、推薦枠で入学するんだからきっちり仕上げておかないとね」
奏歌くんの課題も無事に終わって、春公演は心置きなく楽しめるようだった。
春公演は初日から順調に進んでいた。美鳥さんがピンマイクを飛ばしてしまうアクシデントはあったが、そこは私が抱き合うようにして私のマイクで音を拾ってなんとかした。
その件でSNSでルパン役と警察役ができているなんて騒がれもしたが、それもあまり気にしていなかった。
奏歌くんが公演を見に来る日はマチネだけの日だった。お昼の公演が終わったら奏歌くんと一緒に帰ってマンションで過ごせる。その日を狙ってチケットを取ってもらったのだから当然だが、私は制服姿の奏歌くんと過ごすのを楽しみにしていた。
入学式はまだだが私のためだけに奏歌くんは高校の制服を着てくれる。
百合に送ってもらって劇場入りすると、奏歌くんは入り待ちをしていてくれた。灰色のブレザーにスラックスの制服。白いシャツを着ている奏歌くんは大人びて見えた。声をかけたかったがファンの皆様は平等なのでぐっと我慢して、ご挨拶をして劇場に入る。
衣装を着て化粧をする間も、奏歌くんのことばかり考えていた。
舞台に立つと私はスイッチが切り替わったかのように舞台のことしか考えない。
昼休憩を終えてお弁当を食べた私は万全の状態で舞台に立つ。
演目はアルセーヌ・ルパンの物語だ。
巷を騒がせる怪盗アルセーヌ・ルパンと、それを追う警察官。そこに起きたフランスの超有名貴族の屋敷からの盗み。
警察官も世間もアルセーヌ・ルパンの仕業と言うのだが、当のアルセーヌ・ルパンはそれに関わっていない。
お嫁入に持っていく宝石のネックレスを盗まれた令嬢の嘆きを知ったアルセーヌ・ルパンは、真犯人を見つけ出すために動き出す。
途中で謎の女怪盗と出会ったり、警察官と協力したりして、宝石のネックレスを盗んだのは令嬢に横恋慕していた男だと分かるのだが、それからがまた大変なのだ。
取り返したはずの宝石のネックレスを奪っていく女怪盗。それを追い駆けるアルセーヌ・ルパンと警察官。
息もつかせぬ展開で、最終的には女怪盗からも宝石のネックレスを取り返し、アルセーヌ・ルパンは令嬢を結婚破棄の危機から救うのだった。
歌うパートも踊るパートも全部演じ切った後で、女怪盗を演じた百合とデュエットダンスを踊る。リフトしてくるくると回ると客席から拍手喝さいが上がった。
幕が下りて、カーテンコールにも応えて、最後に私が挨拶をする。
「春公演もまだまだ始まったばかりですが、私たちは稽古を重ねてこの日を迎えました。これからも日々演技を磨いて、最高の舞台を作り上げていきたいと思っています。また劇場にお越しの際はよろしくおねがいします。本日は本公演にお越しいただき、誠にありがとうございました!」
舞台の最後の挨拶もすっかりと慣れてしまった。
深々と私が頭を下げるのに合わせて、劇団員全員が頭を下げる。
スタンディングオベーションの中、その日の演目は終わった。
楽屋に戻って化粧を落として着替えて廊下に出ると、奏歌くんが待っていてくれる。奏歌くんはいつも通りやっちゃんに通してもらって楽屋まで来たようだ。
「海瑠さん、ものすごく面白かった。ハラハラしたよ」
「奏歌くん、制服とっても格好いいよ」
奏歌くんの声と私の声が重なる。
奏歌くんと私は顔を見合わせて笑った。
電車でマンションまで帰って、奏歌くんにじっくりと制服を見せてもらった。灰色のブレザーとスラックスの制服は、とても大人っぽく私の目に映った。
「夏場はブレザーを脱いで、上はシャツだけで通っていいことになってるんだ。冬場はブレザーの下にカーディガンを着てもいいことになってる」
「冬はブレザーの下にカーディガンが見えるのね。カーディガンは何色?」
「黄土色なんだけど、ダサいってみんな言ってる」
周囲の感想はダサいというもののようだが、私は奏歌くんが着ると格好いいのではないかと考えてしまう。
「意外と似合うかもよ?」
「あまり海瑠さんに見せたくない」
制服姿で部屋に来ることもあまりないかもしれないと言われてしまうと、私はますます惜しくなって、奏歌くんの制服姿を携帯電話で何枚も写真に撮った。
その数日後、奏歌くんは高校に入学した。
これから忙しくなるのは寂しいけれど、奏歌くんがまた一歩大人に近付く。
美歌さんから送られてきた写真の奏歌くんは、制服姿で高校の校庭のもう散った桜の木の下にいて、恥ずかしそうにしていた。即座に写真を保存して、私は『ご入学おめでとうございます』というメッセージと写真のお礼を返しておいた。
「やっちゃんに写真を撮ってもらうよ」
「その件なんだけど……やっちゃんも多分休めないのよね」
写真を撮るのはプロ並みでいいカメラも持っているやっちゃんだが、今は劇団の広報のトップである。公演期間中は基本的に休みが自由に取れないのは私と同じだった。今年度からは沙紀ちゃんも広報の一員として仕事に就く。やっちゃんは来年の春には退職するのだから、後輩を育てる意味でも今年一年は非常に忙しくなりそうだった。
「やっちゃんも休めないのか……。母さんは来てくれると思うし、寂しくないよ。写真も母さんに撮ってもらう」
「そう……寂しいけど、美歌さんにお願いしよう」
気落ちしている私を見かねたのか、奏歌くんは約束をしてくれた。
「制服って、結婚式とかにも着ていってもいい正装なんでしょう。僕、ちょっと恥ずかしいけど、海瑠さんの春公演の日は、制服で行く」
「帰りは一緒に帰ってくれる?」
「うん。着替えを部屋に置いておいて、制服で行くから、僕の制服姿を見てね」
私の春公演を見に来てもらうはずが、今回の春公演は奏歌くんの制服姿を見ることになりそうだった。入学式に出られないことはショックだったが、それ以上のショックが私を待っていた。
「高校になると授業の時間が遅くまであるんだよね。晩ご飯に間に合わない日もあるかもしれない」
「嘘っ!? 奏歌くんと晩ご飯を食べられないの!?」
「早く終わった日は部屋で待ってるけど、遅い日は無理かもしれない」
高校生にもなると奏歌くんは忙しくなってしまうようだ。ますます落ち込む私を奏歌くんが慰めてくれる。
「お弁当は自分の分も作らなきゃいけないから、必ず毎日作るよ。高校に入ったらお弁当だから、お昼になったら海瑠さんのことを考えて食べる」
「私も奏歌くんが今頃同じお弁当を食べてるんだって考えて食べるわ」
救いはお弁当が変わらずに私の元に届けられるということだった。
最近はやっちゃんはマンションを売りに出すために家具を引き払って篠田家に住んでいるらしい。篠田家から出勤してくるやっちゃんは毎朝劇団の稽古場や、劇団の劇場で私にお弁当を渡してくれる。
それまでも朝は篠田家に寄って朝食とお弁当を作ってから出勤していたやっちゃんは本当にマメだと思う。私なら絶対にできない。
「今年の夏休みにはやっちゃんと茉優ちゃんは住む場所を決めるためにイギリスに行くし、別れが近くなったみたいで寂しいわ」
寂しがり屋の私は奏歌くんがいればいいというわけではなくて、やっちゃんや茉優ちゃんがいなくなることにも寂しさを感じるようになっていた。やっちゃんとは劇団で出会ってからかなりの年月が経つが、はっきりと認識したのは奏歌くんと出会ってからだった。
あれからもうすぐ十一年目が来て、やっちゃんとの付き合いも長くなったものだと思う。
色んなことがあったのを思い出してしみじみしていると、奏歌くんが勉強道具を片付けて伸びをしていた。
「課題やっと終わったよ。これで、安心して海瑠さんの春公演に行ける!」
「終わったのね。おめでとう。頑張ったね」
「ありがとう。量が多かったし、まだ習ってないところもあったから大変だったけど、推薦枠で入学するんだからきっちり仕上げておかないとね」
奏歌くんの課題も無事に終わって、春公演は心置きなく楽しめるようだった。
春公演は初日から順調に進んでいた。美鳥さんがピンマイクを飛ばしてしまうアクシデントはあったが、そこは私が抱き合うようにして私のマイクで音を拾ってなんとかした。
その件でSNSでルパン役と警察役ができているなんて騒がれもしたが、それもあまり気にしていなかった。
奏歌くんが公演を見に来る日はマチネだけの日だった。お昼の公演が終わったら奏歌くんと一緒に帰ってマンションで過ごせる。その日を狙ってチケットを取ってもらったのだから当然だが、私は制服姿の奏歌くんと過ごすのを楽しみにしていた。
入学式はまだだが私のためだけに奏歌くんは高校の制服を着てくれる。
百合に送ってもらって劇場入りすると、奏歌くんは入り待ちをしていてくれた。灰色のブレザーにスラックスの制服。白いシャツを着ている奏歌くんは大人びて見えた。声をかけたかったがファンの皆様は平等なのでぐっと我慢して、ご挨拶をして劇場に入る。
衣装を着て化粧をする間も、奏歌くんのことばかり考えていた。
舞台に立つと私はスイッチが切り替わったかのように舞台のことしか考えない。
昼休憩を終えてお弁当を食べた私は万全の状態で舞台に立つ。
演目はアルセーヌ・ルパンの物語だ。
巷を騒がせる怪盗アルセーヌ・ルパンと、それを追う警察官。そこに起きたフランスの超有名貴族の屋敷からの盗み。
警察官も世間もアルセーヌ・ルパンの仕業と言うのだが、当のアルセーヌ・ルパンはそれに関わっていない。
お嫁入に持っていく宝石のネックレスを盗まれた令嬢の嘆きを知ったアルセーヌ・ルパンは、真犯人を見つけ出すために動き出す。
途中で謎の女怪盗と出会ったり、警察官と協力したりして、宝石のネックレスを盗んだのは令嬢に横恋慕していた男だと分かるのだが、それからがまた大変なのだ。
取り返したはずの宝石のネックレスを奪っていく女怪盗。それを追い駆けるアルセーヌ・ルパンと警察官。
息もつかせぬ展開で、最終的には女怪盗からも宝石のネックレスを取り返し、アルセーヌ・ルパンは令嬢を結婚破棄の危機から救うのだった。
歌うパートも踊るパートも全部演じ切った後で、女怪盗を演じた百合とデュエットダンスを踊る。リフトしてくるくると回ると客席から拍手喝さいが上がった。
幕が下りて、カーテンコールにも応えて、最後に私が挨拶をする。
「春公演もまだまだ始まったばかりですが、私たちは稽古を重ねてこの日を迎えました。これからも日々演技を磨いて、最高の舞台を作り上げていきたいと思っています。また劇場にお越しの際はよろしくおねがいします。本日は本公演にお越しいただき、誠にありがとうございました!」
舞台の最後の挨拶もすっかりと慣れてしまった。
深々と私が頭を下げるのに合わせて、劇団員全員が頭を下げる。
スタンディングオベーションの中、その日の演目は終わった。
楽屋に戻って化粧を落として着替えて廊下に出ると、奏歌くんが待っていてくれる。奏歌くんはいつも通りやっちゃんに通してもらって楽屋まで来たようだ。
「海瑠さん、ものすごく面白かった。ハラハラしたよ」
「奏歌くん、制服とっても格好いいよ」
奏歌くんの声と私の声が重なる。
奏歌くんと私は顔を見合わせて笑った。
電車でマンションまで帰って、奏歌くんにじっくりと制服を見せてもらった。灰色のブレザーとスラックスの制服は、とても大人っぽく私の目に映った。
「夏場はブレザーを脱いで、上はシャツだけで通っていいことになってるんだ。冬場はブレザーの下にカーディガンを着てもいいことになってる」
「冬はブレザーの下にカーディガンが見えるのね。カーディガンは何色?」
「黄土色なんだけど、ダサいってみんな言ってる」
周囲の感想はダサいというもののようだが、私は奏歌くんが着ると格好いいのではないかと考えてしまう。
「意外と似合うかもよ?」
「あまり海瑠さんに見せたくない」
制服姿で部屋に来ることもあまりないかもしれないと言われてしまうと、私はますます惜しくなって、奏歌くんの制服姿を携帯電話で何枚も写真に撮った。
その数日後、奏歌くんは高校に入学した。
これから忙しくなるのは寂しいけれど、奏歌くんがまた一歩大人に近付く。
美歌さんから送られてきた写真の奏歌くんは、制服姿で高校の校庭のもう散った桜の木の下にいて、恥ずかしそうにしていた。即座に写真を保存して、私は『ご入学おめでとうございます』というメッセージと写真のお礼を返しておいた。
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