可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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九章 奏歌くんとの九年目

20.ホワイトデーのお礼と私の憂い

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 バレンタインデーにはチョコスティックケーキをさくらに上げて、ガトーショコラ・オ・カフェのカップケーキを海香と宙夢さんの分置いて帰った。バレンタインデー当日ではなかったのだが、海香はかえでくんを私たちに二時間預けて眠ることができたし、さくらは美歌さんのために三本入っていたチョコスティックケーキの一本を残して渡してくれるように頼んだ。
 ラッピングの可愛い袋の中に一本だけ入ったチョコスティックケーキを受け取った美歌さんの喜び方はすごかった。

「あの食いしん坊のさくらちゃんが、私のために我慢して、一本残してくれたのね。嬉しい。大事に食べなきゃ」
「さくらからどうしても渡したかったみたいですよ」
「バレンタインデーはまだよね。まだ間に合うわ。作りましょう」

 さくらの行動が美歌さんのやる気に火を点けた。
 バレンタインデーのお茶会とディナーショーがバレンタインデーのある週の土日に開催されるのだが、その前に私は奏歌くんと美歌さんに呼び出されていた。

「先輩からもお礼があるみたいだし、先輩とさくらちゃんにバレンタインデーのチョコレートを渡したいから、一緒に行かない?」
「喜んで行きます!」

 答えた私を車に乗せて美歌さんはさくらと、海香と宙夢さんに別々にチョコレートを作っていたようだった。
 海香の家に着くと、玄関でさくらが待っていた。美歌さんを見つけると飛び付いてくる。

「みかさん、だいすき! あいたかったの!」
「私も会いたかったわ、さくらちゃん。この前はチョコレートをありがとう」
「たべた? おいしかった?」
「とっても美味しかったわ」

 自分が我慢して美歌さんに分けたチョコレートを美味しかったと言ってもらえてさくらはとても嬉しそうだった。鞄から箱を取り出して、美歌さんがさくらに渡す。

「これ、私から。生チョコのブッセよ」
「ブッセ……わかんないけど、おいしそう! うれしい!」

 箱を掲げてさくらが部屋の中をぐるぐる回って踊り出す。嬉しいと踊ってしまうのは私に似ているのかもしれない。
 海香と宙夢さんからは私たちにチョコサンドクッキーが出された。
 奏歌くんが勝手知ったる様子で紅茶を淹れてみんなに振舞ってくれる。

「さくらの美味しそうね。私にも一個ちょうだい?」
「だめー! さくのなのー!」
「一口だけ」
「ぜったい、だめー!」

 さくらちゃんと海香さんの攻防戦が始まっている。

「海香さん、お昼寝中や保育園に行ってる間にさくらの取って食べたら、絶対根に持つからね」
「本当に誰に似たんだか」

 宙夢さんに注意されて海香はさくらに呆れていた。サクッとした生地に生チョコを挟んだ生チョコのブッセをさくらは幸せそうに頬張っていた。
 私たちはチョコサンドクッキーをいただく。チョコクッキーの間に生クリームが挟まれているそれは、生クリームが甘すぎずに、クッキー生地もビターでミルクティーとよく合う。
 美歌さんは鞄から別の箱を取り出していた。

「先輩にはこれを。初めて作ってみたんですけど、楽しかったです」
「なになに?」
「チョコ羊羹です」

 チョコレートの羊羹は食べたことがない。珍しさに私が興味を持つと、美歌さんはちゃんと私と奏歌くんの分も用意してくれていた。

「海瑠さんにはチョコ羊羹と、抹茶羊羹よ。奏歌と一緒に食べるでしょう?」

 海香と宙夢さんにチョコサンドクッキーをいただいていたので、今日は食べないが、羊羹なら日持ちがするので別の日に奏歌くんと食べることができる。

「ありがとうございます。チョコと抹茶の羊羹、楽しみ」
「さくは?」
「え? さくらは私たちに美歌さんの生チョコのブッセ分けてくれないんでしょう? 私も分けないわよ」
「ママのばかー!」

 4歳児と張り合う海香に、美歌さんも宙夢さんも苦笑していた。

「パパはそんなことないもんね?」
「僕の分を分けてあげるから、ママに馬鹿って言わないで、さくら」
「それなら、いわない」

 チョコ羊羹を分けてもらえることが分かってさくらは機嫌を直したようだった。
 バレンタインデーは平和に過ぎて行く。
 バレンタインデーのお茶会もディナーショーも、百合とは息がぴったりで楽しく歌って踊ることができた。前代未聞のトップスター同士の共演とあって、チケットは売り出して数分で完売したという。
 二日間の日程を終えてマンションに戻ると、奏歌くんのお味噌汁の匂いがした。ご飯の炊ける甘い香りもする。ディナーショーが終わってからの帰宅だったので遅くなっていて、奏歌くんはもう家に帰っていたが、奏歌くんがいてくれた気配が残っていて、お味噌汁を温め直して、冷蔵庫のお惣菜を電子レンジで温めて、私はご飯をお茶碗によそって、晩ご飯にした。
 一月は行く、二月は逃げるというが、三月になるまでの時間は妙に短く感じられた。
 三月に入るとホワイトデーがある。私は渡した方なのでお礼を受け取るだけかと思っていたが、海香と宙夢さんと美歌さんからは受け取ったのだと気付いた。

「奏歌くん、ホワイトデーのお返しどうする?」

 チョコ羊羹も抹茶の羊羹も、チョコサンドクッキーも全部美味しかった。
 お礼を上げなければいけないとなると、考えてしまう。

「何か作る? 買ってもいいと思うんだけど」

 買ってお返しをするのでも構わない。奏歌くんの言葉に、私は一つのものを思い浮かべていた。以前に海香と宙夢さんに上げた、最中に入ったスープだった。最中を溶かしながらお湯を注いでスープにするのは、自分たちの分も買ったけれどとても美味しかったし、海香と宙夢さんも喜んでくれていた気がするのだ。

「あの最中のスープ、また買わない?」
「あれはいいかもね。料理が一品簡単に増やせるし」

 かえでも生まれて海香と宙夢さんは大変だろうし、美歌さんにもあの蕩ける最中が美味しいスープを飲んで欲しい。私の提案に奏歌くんは賛成してくれて、ホワイトデーのお返しは決まった。
 三月の終わりにはさくらのお誕生日もあるし、何より私が気にしていたのは、三月が終わってしまうと奏歌くんが中学三年生になるということだった。
 受験というものがどれだけ大変なのか私にはよく分からないけれど、受験勉強をするために奏歌くんはもうあまり私のマンションには来られなくなるかもしれない。そのことを考えるだけで気持ちが沈んでくる。

「奏歌くん、高校受験って大変なの?」

 口に出して聞いてみると、奏歌くんが遠くなるような気がして、私は椅子から立ち上がって奏歌くんの隣りに座った。肩の触れ合う距離にいる奏歌くんは、また少し背が伸びた気がする。

「受験勉強はしないといけないけど、僕は塾に行くつもりはないよ」
「私の部屋にも来られなくなる?」
「海瑠さんのマンションで勉強するつもりでいるけど?」

 心配する私を他所に、奏歌くんは私のマンションで勉強する気でいたようだった。

「辞書も揃ってるし、参考書を持ってくればいいし、これまでの二年間、しっかりと実績を積んだんだから、海瑠さんのマンションで勉強したらダメだって、母さんも言わないと思うんだ」

 見て、と奏歌くんがテストの結果の書かれた用紙を見せてくれる。そこにはよく分からないが点数と、Aという英語が書かれている。

「これはどういう意味?」
「志望校の合格圏内かってことだよ。Sが一番高くて、その次がA、それからB、Cって下がっていくんだ」
「Aはいいの?」
「うん、合格ほぼ確実だよ、今の時点では」

 どの高校に奏歌くんが行きたいのかは分からないけれど、その高校には今の成績ならばほぼ合格確実と聞いて私は安心する。結果を出しているからこそ奏歌くんは私と引き離されずに私のマンションで勉強できている。

「忙しくなるけど、お弁当作りと晩ご飯のお味噌汁かスープ作りはやめないから。お惣菜は作れなくなるかもしれないけど」
「そんなの平気よ。お惣菜は買えばいいもの」
「海瑠さん、一年間僕は頑張るから、応援してね!」

 奏歌くんに言われて私は頷く。

「海瑠さんの公演にも行けるようにちゃんと母さんを納得させる成績を取ってみせるよ」

 自信に満ち溢れた奏歌くんの姿に私は安心する。
 ホワイトデーまではもう少し。
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