可愛いあの子は男前

秋月真鳥

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四章 奏歌くんとの四年目

6.秋公演と真里さん来訪

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 オペラ座の怪人の怪人を主役にその悲哀を描く物語。
 父親亡き後に音楽を教えていた若い歌姫に裏切られて、怪人は狂っていく。
 開演中にシャンデリアを客席に落とす大仕掛け。

「あれだけ可愛がってやったのに! 私の歌姫をオペラ座を汚すとは!」

 怒りのままにオペラ座の公演でひとを殺し、役に入れ替わった怪人と若き歌姫は歌い合う。

「あなたのしたことは許されない。もう元には戻れないの」
「あんな若造のどこがいい!」

 次々とオペラ座の関係者を殺して行こうとする怪人。
 狂った怪人を止めようと、若き歌姫の恋人が立ち上がる。
 その恋人を人質に取った怪人に、若き歌姫はマスクを取った醜い顔に口付ける。

「あなたの醜さは顔ではない」

 その心だと告げられて、怪人は人質を放し、燃えるオペラ座の地下に消える。
 演じ終えてカーテンコールに出て来た私たちに拍手喝さいが贈られる。歓声を浴びながら私と前園さんはデュエットダンスを踊った。百合よりも小柄な前園さんを持ち上げてくるくると回る振り付けでは拍手が上がる。
 二人で手を取って客席に深々とお辞儀をする。
 前の方の席で奏歌くんがハニーブラウンの目を煌めかせながら見ているのが分かった。
 秋公演はやっちゃんと茉優ちゃんと奏歌くんを招待した。美歌さんは仕事で来られないとのことだった。
 仕事が終わったら合流するからという美歌さんに、私も反省会が終わったら篠田家に合流するつもりだった。
 今日は茉優ちゃんのお誕生日。
 お祝いのモンブランタルトは公演の前に買っておいて楽屋の冷蔵庫の中に入れさせてもらっている。反省会を終えて橘先輩に教えてもらったお店で予約して買ったモンブランタルトを持って、私はタクシーに乗り込んだ。
 奏歌くんも栗が好きだと言っていた。モンブランタルトを喜んでくれるだろうか。
 わくわくして行った篠田家は、異様な空気に包まれていた。

「久しぶりだね」

 ソファに腰かけた真里さんを正面から美歌さんが睨み付けている。やっちゃんは茉優ちゃんを部屋の隅に避難させていた。

「約束通り一年は大人しくしておいたんだから、ご褒美があってもいいんじゃない? やっちゃんは、その子の血、味見したの?」

 にこにこと奏歌くんとよく似た顔で笑う真里さんだが、その笑いの裏にあるものを感じ取れないほど私は鈍くなかった。奏歌くんが私に近付いてぎゅっと脚にしがみ付いてくる。

「海瑠さん、油断しないでね」
「分かってるよ」

 二人でしっかりとくっ付いていると、真里さんが笑顔をこちらに向けた。

「奏歌に運命のひとが見付かったのは本当に良かったよね。奏歌もまずい輸血パックなんて飲んでたら、いつ自分の命を手放したくなるか分からない」

 自分が吸血鬼であることに耐えられず、人間と流れる時間が違うことに苦悩して、血を飲むのをやめてしまう吸血鬼は多くいるのだと真里さんは言う。血を飲まなくなれば吸血鬼は衰弱して行って、最終的には灰になって消えてしまう。

「僕の最高傑作の奏歌が消えちゃったら悲しいからね」

 悲しいという割に、奏歌くんを最高傑作と評する真里さんに私は悪寒がしてくる。奏歌くんは作品でも何でもないし、真里さんの所有物でもない。

「今日は大事な日なんだ、帰ってくれないか?」
「帰る? ここは僕の家でもあるんじゃないのかな?」

 美歌さんと婚姻関係にはないが、奏歌くんの父親である真里さんは海外を飛び回っていて住居を定めない。それ故にこの家が一応真里さんの登録された住所だと言われても、このひとが篠田家の一員だとは認めたくない気持ちがあった。

「父さんは、なんでこりないのかな! 歓迎されてないのに、気付いてよ!」
「空気なんて読んでたら、長い生を過ごしてはいられないよ」
「父さんは邪魔なの! どこかに行って!」

 可愛い息子の奏歌くんにはっきり言われても真里さんが動こうとする気配はない。どうすればいいのか。
 迷っていると、インターフォンが鳴った。

「お邪魔しまーす! 茉優ちゃんのお誕生日に私まで呼んでもらえるとか、最高です! めちゃくちゃありがとうございます!」

 緊迫した空気を打ち破って入って来たのは沙紀ちゃんだった。
 笑顔で挨拶をして、茉優ちゃんに近付いていく。真里さんが沙紀ちゃんの姿を見てソファから飛び上がったのが分かった。

「茉優ちゃん、急だったんでお誕生日お祝いが準備できてなくてごめんね! これ、私が描いた絵なんだけど」

 鞄から取り出した絵を沙紀ちゃんは真里さんの反応に気付かずに茉優ちゃんに渡している。茉優ちゃんも戸惑いながらそれを受け取っている。

「ちょ、ちょっと、用事を思い出しちゃった! 僕、ホテルに帰るね!」
「どうぞ、ご自由に」

 ソファから立ち上がった瞬間、真里さんがバランスを崩して前に倒れる。ローテーブルに思い切り顔を打って鼻血を出した真里さんは、ティッシュで鼻を押さえながら足早に玄関の方に歩いて行くが、途中のドアで小指をぶつけて悶絶する。
 さすがお稲荷さん。
 美歌さんの方を見れば、深々と頷いていた。
 真里さんの来訪に気付いた美歌さんが、茉優ちゃんのお誕生日を口実に沙紀ちゃんを呼んでくれたのだ。沙紀ちゃんは全く気付いていないが、お稲荷さんの加護があるのか、沙紀ちゃんの周囲で真里さんが邪な考えを抱くと勝手に酷い目に遭うようだった。

「助かった。沙紀ちゃんありがとう」
「助かったとか、大げさですよ。誕生日お祝いに絵をプレゼントしただけなのに。あ、ついでにうちの神社のお守りもどうぞ」

 可愛いピンクのお守りを渡されて茉優ちゃんの表情がやっと解れた。

「ありがとうございます」
「茉優ちゃんとやっちゃんさんの似顔絵、そんなに似てなかったかなぁ?」
「いいえ、とっても嬉しいです」

 恐怖の対象となっていた真里さんが去ってしまって、篠田家は完全に平和になっていた。茉優ちゃんもソファに座って、やっちゃんが紅茶を淹れてくれて、私がケーキを出す。

「海瑠さん、ご飯食べてないでしょう? 子どもたちは寝なきゃいけないから、ケーキにしますけど、海瑠さんはご飯も食べて行ってください」
「いただきます」

 茉優ちゃんのためにハッピーバースデーを歌って、モンブランタルトの上に立てた1が二つの数字の蝋燭を吹き消してもらう。

「このタルト、めっちゃお高い有名店のじゃないですか!? 私も食べていいんですか?」
「沙紀お姉ちゃん、食べて行って。来てくれてすごく嬉しいの」
「茉優ちゃん! 私、妹が欲しかったの!」

 真里さんから無意識に守ってくれた沙紀ちゃんを茉優ちゃんは慕っているようだった。沙紀ちゃんの方も茉優ちゃんを可愛がっている。
 紅茶を飲みながらタルトを食べるみんなを見守りつつ、晩御飯をいただいていると、奏歌くんがタルトに手を付けていないのに気付いた。

「どうしたの? 好きじゃなかった?」
「海瑠さんを待ってるんだ」

 優しい奏歌くんは私が食べ終わるのを待っていてくれた。
 晩御飯を食べ終わって、奏歌くんと並んでモンブランタルトを食べる。タルト生地はしっかりとバターの香りがして、モンブランは濃厚でとても美味しい。沙紀ちゃんも知っている有名店というだけはある。

「今日の公演、すごく素敵だったよ。僕、海瑠さんのファントムなら怖くないかも」
「本当?」
「もちろん、げきの中では怖かったんだけど、演じてるのが海瑠さんだと思うと、歌姫がなんでファントムを選ばないのか腹が立っちゃった」

 そこまで感情移入して見ていてくれたなんて、役者冥利に尽きる。喜んでいると沙紀ちゃんが人差し指を立てて唇に当てた。

「ネタバレはやめてね?」
「そっか。沙紀ちゃんはライブビューイングのチケット取るんだったね」
「取れたんですよ! すごく楽しみにしています」

 こんなにも沙紀ちゃんが大活躍してくれるなら、お礼に公演のチケットを取ってあげればよかった。
 後悔していると美歌さんも同じことを考えたようだった。

「クリスマスの特別公演は、私の分のチケットを沙紀ちゃんにプレゼントしてあげてくれませんか?」
「え!? 良いんですか?」
「沙紀ちゃんは海瑠さんの大ファンみたいだもの。ファンに見てもらった方が海瑠さんも嬉しいでしょう」

 それだけではなく今日のお礼の意味もあるのだが、それを話しても沙紀ちゃんは理解できないだろう。
 懸念していた真里さんへの対策方法が分かった。
 これは私たちにとって大きな収穫だった。
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