抱きたい美女に抱かれる現実

秋月真鳥

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第一部 後天性オメガは美女に抱かれる (雪峻編)

4.シャワーを浴びている間に

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 園部艶華、25歳、色鉛筆画家。
 学生時代から世界的な賞を取り続けて、その作品は高値で取り引きされる。
 大会社の社長令嬢だが、美術を志すために会社を継がないと宣言して以来、両親とは縁が切れている。
 表通りのお洒落なカフェの二階にギャラリーを構えて、自分の作品を売りながらも、世界各国から依頼も受けているという。

「この前は外務省の官僚のワンちゃんを描かせてもらったんだよ」
「写真そっくりだけど……写真じゃダメなのか?」
「写真との差が分からないなんて、雪峻くんはまだまだだね」

 描いたものは全てスキャンしてパソコンにデータとして残している艶華に、昔の作品を見せてもらうが、雪峻は芸術的な感性がないのか、写真と何が違うのかよく分からない。ただ、写真と見間違うようなものを描いているから、艶華に才能があることだけは分かった。
 発情期が治まってから、雪峻は正式に剣道部に退部の届け出を出した。幼い頃から続けている剣道を手放すのは嫌だったが、オメガということが分かって、優秀な選手はほとんどアルファの中で、発情期に慣れないままに試合に出ることが、雪峻には怖かった。
 幸い、艶華に助けられた発情期の日以来、フェロモンが漏れていると指摘されたこともなく、一番近くにいるアルファの幼馴染、要にも剣道部を辞めたことは訝しがられたが、オメガだとは気付かれていない。

「雪峻くん、いい匂い」
「シャンプーの匂いかな?」

 不思議なことに、艶華だけは雪峻のフェロモンが香るようだった。
 相性のいいアルファだと、そういうこともあるのかもしれない。正直に考えれば、艶華と雪峻は、身体の相性も良かった。

「自動車学校、上手くいってる?」
「なんとか」
「私は雪峻くんが家に通ってきてくれて本当に嬉しい。家が綺麗で、帰ったらご飯もある、雪峻くんは可愛い、すごく幸せなんだよ」

 そんなことを言われると、ごく平凡な料理しか作っていないのに、自分が過大評価されたようで恥ずかしくも嬉しくなってしまう。

「可愛いなんて言うな、馬鹿!」
「雪峻くん、真っ赤」

 色白なので、耳まで真っ赤になってしまう雪峻は、艶華に遊ばれているような、揶揄われているような気分になる。
 帰り際に艶華が雪峻を引き留めた。

「お財布出して?」
「どうかした?」

 促されて財布を出すと、自然な動作で中に一万円札を数枚入れられてしまった。何が起こっているか分からずに呆然としていると、艶華が笑顔で「気を付けてね」と雪峻を送り出す。財布を握り締めたまま、一度玄関から外に出てから、雪峻は慌ててドアを開けて戻ってきた。
 渡されていた合鍵がこんなときに役に立つなど思わなかった。

「な、なにこれ?」
「え? 雪峻くん、お財布にあまりお金入ってなかったから。明日もお買い物してきてから来てくれるんでしょう?」
「いやいやいや、普通の買い物で一度にこんなに……こんなに!? 六枚もある!? 六万も使うか、馬鹿!」

 改めてお財布から出して枚数を数えて、雪峻は慌てて一万円札六枚を艶華のたおやかな手に返した。返されて艶華の方が戸惑っている。

「残った分は雪峻くんが服買ったりすればいいじゃない? 今までの子はそうしてたよ?」
「今までのって……俺は、そんなんじゃない」

 十分すぎる給料は貰っているし、自動車学校にも通わせてもらっている。食事代も艶華のために作れば一緒に食べるので、節約できている。これ以上は常識の範囲内ではないと判断して、お金を返す行為に、艶華の目が潤む。

「雪峻くん、良い子だね」
「子って呼ばれる年じゃない!」

 褒められても素直にはなれず、真っ赤になって怒鳴ってしまうのだが、それも艶華は笑顔で受け入れてくれる。一番近くにいたアルファが要という尊大な女性だったので、こんな風に柔らかく受け止められることに、雪峻は戸惑いを隠せなかった。
 それと同時に、「今までの子」という言葉に胸の奥がちりちりと痛む。アルファで25歳なのだからそれなりの経験があって当然なのだが、艶華が初めてで、艶華しか知らない雪峻は、艶華の過去に嫉妬せずにはいられなかった。
 付き合ってもいないのに、艶華に勝手に期待して、勝手に嫉妬する。

「俺って重いやつだったっけ?」

 大学で講義の最中に、ポツリと漏らした言葉に、声を潜めた要が答える。

「恋に夢見てるっていうか、ロマンチストで痛い奴だよね」
「ばぁか、それはお前だろう」
「『運命の番』とか信じて憧れてそう、ベータなのに」
 
 世界にたった一人だけ、その相手と体を交わすと、うなじを噛まなくても他の相手のフェロモンが感じられなくなる、運命の番という関係が、オメガとアルファにはある。そういう都市伝説を、雪峻も知っていたし、憧れていなかったといえば嘘になる。
 ただし、自分がアルファで、美しいオメガの美女が目の前に現れるのを夢見ていたわけだ。自分がオメガで、美しいアルファの美女に抱かれる立場になるとは、想定してもいない。

「最近、良い服着てるし、剣道やめて、なに始めたの? 水商売……とか、絶対無理よね。愛想がないもん」
「水商売なんかするか、馬鹿だろ、お前」

 指摘されて艶華と出かけるようになって、服も経費だと言われて艶華に買ってもらって、それまで着ていたものの十倍は値段のするようなものを着るようになっていた。
 お財布に金を入れられたように、そういうのも含めてのハウスキーパー。
 つまりは、ハウスキーパーというのは隠語で、本来の意味はセフレなのかもしれないと気付いた瞬間、雪峻は耳まで真っ赤になっていた。

「どうしたの!? 気持ち悪い」
「嘘だろ……」

 要の言葉など聞いていられない。
 次の発情期を艶華が待っていて、そのときに体の関係を持つために、雪峻にお金を渡しているのであれば、雪峻にも艶華に抱かれる言い訳ができる。相手のいない発情期は抑制剤で制御していても、アルファを求めて体が疼いて酷くつらいものだという。
 初めての発情期ですら辛抱できず、行きずりの艶華に縋ってしまった雪峻である。次の発情期を一人で乗り越えられるのか、不安ではあった。
 何より、アルファの庇護の元にいれば、他のアルファへの牽制のオーラのようなものが付くらしくて、雪峻がオメガだと分かりにくいし、襲われにくくなる。
 他の相手のものになるくらいならば、外見も性格も好みの艶華が良いに決まっている。体の相性も、不本意ながら非常に良かった。
 大学の授業が終わると自動車学校に行って、買い物を済ませて、艶華のマンションに帰る。泊まることはないが、発情期には泊まることがあるのかもしれないと考えると、艶華のベッドのシーツを洗うのも、布団カバーを取り替えるのも、なんとなく意味深な気がして照れてしまう。
 絵の納品に行ってきたという艶華は、酷く疲れた顔をして帰ってきた。
 晩ご飯に蒸した手作り肉まんと、蒸し野菜を出すと、大喜びで手を洗ってくる。

「美味しそうー! 湯気が出てるよー出来立てだよー」
「艶華さん、蒸し立ての肉まん食べたことないの?」
「うちは食事はハウスキーパーさんが作り置きしてたのを、レンジでチンだったから、面倒くさくて、温めないで食べることも多かったの」

 両親は食事を作ったり家事をしたりするよりも、仕事にかかりきりのひとたちだった。その分、ハウスキーパーさんやベビーシッターさんに面倒を見てもらえたが、艶華は暖かいご飯を誰かと一緒に食べるようなことはなかった。

「雪峻くんの作ったご飯、一緒に食べてるとすごく美味しいし、食が進むから、太っちゃうかも」
「太っても、艶華さんは胸に肉がつきそう」
「私の胸、好き?」

 咀嚼した肉まんを飲み込んで、艶華が赤い唇を舐める。色っぽい仕草に、何故か雪峻は前よりも後ろがずくんっと疼いた。発情期は約三ヶ月毎に来る。前の発情期からまだ一月しか経っていないから、次の発情期まで二ヶ月はある。
 それなのに、疼く体が妙に熱い。
 食べ終わった艶華が、手を合わせてご馳走さまをする。
 椅子から立ち上がった艶華に頬を撫でられて、雪峻はこくりと喉を鳴らした。

「シャワーを浴びてくるから、その間に、帰るか、今日は泊まるか決めてね?」

 帰ってたら、私は寂しく一人で寝るから。
 甘く囁いて、バスルームに艶華が入っていくのを、雪峻は見送るしかなかった。食べ終わった食器を片付ける時間を考えても、艶華は長い髪を洗って乾かさなければいけないから、十分に逃げてしまえる時間はある。
 食器を片付けた雪峻は、一度は鞄を持って玄関に向かいかけたが、そこで立ち止まってしまう。
 バスルームからは、ドライヤーの音が聞こえてくる。
 もうすぐ艶華がバスルームから出てくる。
 動けないままに、雪峻は玄関の靴の前で突っ立っていた。
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