恋の相手は土地神様

秋月真鳥

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3.二人の秘密とラーイの怪我

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 リラはレイリが好きだった。
 二人きりでいるときには、リラはレイリのことを「ママ」と呼んで甘えていた。
 まだ喋ることが上手くできない幼児の時期に、一生懸命レイリを呼ぼうとして出た音が「ま」で、それを二つ繋げた「ママ」という呼び名は、母親のことを指すようで、リラはお気に入りだった。

 二人きりのレイリの部屋でお乳を飲ませてもらいながらリラはレイリのもう片方の乳首を指で摘まむ。触れていると安心するので触ってしまうのだが、レイリはそういうときに眉をひそめていることがある。

「ママ、お胸痛いの?」
「痛くはないのですよ」
「本当?」

 摘まんでしまうと痛いのか、吸われると痛いのか、歯を立てているつもりはないけれどリラは気にしていた。

「痛くはないけど、妙な感じがして」
「妙な感じってどんな感じ?」
「ちょっと説明しにくいですね」

 聡明なレイリが説明できないのであればリラも理解できないであろう。痛くないのであればそれで納得しようとリラは気持ちを切り替えた。

 うっかりとラーイとセイランの前で口を滑らせてしまったのは、リラの一生の不覚だった。

「ねぇ、ママ、今日の給食のデザートは、ヨーグルトだったのよ」

 魔女の森の小学校から帰って来て、社の居間でレイリに飛び付いて言った瞬間、リラもやってしまったと気付いた。ラーイがリラの顔をじっと見ている。

「ち、ちが! 違うのよ! もう、やだ! お兄ちゃん、聞いちゃダメ」
「聞いちゃダメって言われても、もう聞いちゃったよ」
「忘れて!」

 無茶なことを言っていると分かっていても、リラは今のことをラーイの脳内から抹消してしまいたかった。
 恥ずかしがるリラをレイリが抱き締めてくれる。

「恥ずかしがることはないのですよ」
「だってぇ! レイリ様とのヒミツだったのにぃ!」

 頬を膨らませて拗ねているリラの髪を、レイリが優しく撫でてくれた。リラの癖のある黒髪はマオに頼んで三つ編みにしてもらっている。前髪も編み込んで斜めに流している。

「レイリ様と二人きりのときだけ、レイリ様のことをママって呼んでるのよ。絶対内緒だったのに! くやしい!」

 まだ七歳なのでついつい口から出てしまう言葉に、レイリは穏やかに微笑んでいた。

「いいのですよ、リラはずっと僕をママと言って慕ってくれています。それが僕には嬉しいのです」
「もうお兄ちゃんの前では言わない。今度こそ内緒よ!」

 レイリとリラの間だけの秘密を知られてしまって恥ずかしくてリラはレイリを連れてレイリの部屋にこもった。レイリの膝の上に座って宿題の朗読をしていても、気持ちが落ち着かない。

「私、なんで言っちゃったのかしら」
「気にしなくていいですよ。僕がリラの『ママ』であることは確かなので」
「レイリ様はずっと私のママよ」

 生みの親のアマリエとは交流はあるがリラが親と思っているのはレイリである。アマリエは生んでくれただけで、レイリがリラを育ててくれた。

「セイラン兄上は小さい頃から物静かで子どもの遊びに加わらなかったけれど、僕は小さい頃はやんちゃだったのですよ」
「レイリ様がやんちゃだったの?」
「白虎族の子どもたちは噛み付き合って、じゃれ合って手加減を覚えるのです。リラが元気なのを見ていると僕が小さかった頃を思い出します」

 小さな頃からリラは戦うことに躊躇いを持たなかった。戦いはリラにとって身近にあるものだった。

「レイリ様に似ててもおかしくないわ。私はレイリ様に育てられたんだから」
「そうですね。子は親に似るものですよね」

 くすくすと笑っているレイリが昔はやんちゃだったなんて考えられないが、そういう話も聞けてリラは二人きりの時間を持てたことを喜んでいた。

 大陸では土地神様を蔑ろにするような貴族たちの動きが起きていたが、それも土地の人間たちが反乱を起こして、土地神様を信仰する心を取り戻して来ていたので、貴族側が劣勢になっていた。

 気になるのはリラとラーイの生物学上の父のことである。
 生物学上の父はリラとラーイを攫おうとしていた。追い出した土地神様の代わりに魔女の力で土地を治めようと考えていたのだ。
 その企みもセイランとレイリ、アマリエによって阻まれた生物学上の父が仕掛けてきたのは、リラとラーイが八歳になってからだった。

「お母さんは、生物学上の父親とどうして子どもを作ったの?」
「顔ね」
「顔!?」

 小学校の帰りにアマリエに送ってもらいながら、ラーイがアマリエに聞いていた。リラも気になったので話を聞いている。

「顔がよかったから子どもを作っただけよ。それ以外にあの男にいいところなんて何もなかった」
「顔だけだったんだ」
「おかげでラーイがとても可愛く産まれたわ。性格は少しも似ていなくて」

 リラは金色の目に癖のある黒髪で母親のアマリエにそっくりだったが、ラーイは紫色の目に真っすぐな髪でアマリエにあまり似ていない。ラーイは生物学上の父に似たのだろう。
 ラーイが生物学上の父親というのでリラもそう認識していたが、リラはよく意味を理解していなかった。

「お兄ちゃん、生物学上の父親ってなぁに?」
「リラと僕の父親だよ。でも、育ててもらってないし、大事にもされてないから、血の繋がりはあっても父親とは思ってないっていう意味」
「あんなの父親とは思いたくないわ」
「思いたくないけど、父親なんだよね」

 リラがラーイに問いかけて説明してもらっていると、社の庭に誰かが走り込んで来た。
 薄茶色の髪に紫の目、目は落ち窪んでぎらぎらとして、恐ろしい形相になっているそれが生物学上の父だということが、リラは一瞬分からなかった。

「魔女の子を渡せ!」
「性懲りもなくやってきたのかい?」
「バラ乙女仮面、変身よ!」

 アマリエとリラが戦闘態勢を取ると、生物学上の父は弓のようなものを構えた。

「魔法とクロスボウとどっちが強いかな?」

 狙いをつけられてもリラはそれが恐ろしいものだとは思っていなかった。人間の作るものなど大したことがないと馬鹿にしていたのだ。

「リラ、危ない!」
「お兄ちゃん!?」

 何が起きたか分からなかった。
 リラはラーイに抱き締められて地面に倒されて、ラーイの背中に刺さった矢がお腹まで貫いて切っ先が出ている。
 ごぼりと真っ赤な血を吐いて倒れたラーイに、リラもこれが大変なことだと分かっていた。

「ラーイ! よくもラーイを!」
「お兄ちゃん! お兄ちゃん、死なないで! レイリ様ー! セイラン様ー! お兄ちゃんを助けてー!」

 アマリエが生物学上の父を取り押さえて呪いをかけている間、リラは倒れたラーイに取り縋って泣いていた。社からはセイランとレイリが走り出てラーイの異変に気付いて駆け寄る。

「リラ、こちらへ。セイラン兄上が神力でラーイの命を繋ぎ止めます」
「レイリ様ぁ! お兄ちゃんが!」
「セイラン兄上は必ずラーイを助けます」

 レイリに抱き締められて、リラは自分の手にも服にもべったりとラーイの血が付いていることに気が付く。涙を拭かれてリラはレイリの腕の中で泣き続けた。

 ラーイは三日間生死の境をさまよったが、セイランと魔女の森から呼ばれて来たアンナマリの手によって傷をすぐに塞がれて、高熱を出して魘されていたが、なんとか命は助かった。

 セイランもリラも意識が戻らないラーイのそばでずっと泣いていたが、ラーイの意識が戻って安堵していた。

「お兄ちゃん! お兄ちゃん、意識が戻ったのね!」
「ラーイ、苦しくはありませんか?」
「まだ少し痛いけど、平気です。のどがかわいたかな」

 セイランが心配してラーイを離さないので、ラーイは膝の上に抱きかかえられてお茶を飲んでいた。

「お風呂に入りたいです。それにご飯も食べたいです」
「すっかり元気になったようだな。ラーイ、お風呂に行こう。食事もしっかり食べるといい」

 助かったラーイに安堵して、リラはまたレイリの腕にすがって泣いてしまった。
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