愛の言葉に傾く天秤

秋月真鳥

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後日談

エリーアスの出産

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 赤ん坊が欲しくなった理由について、エリーアスはギルベルトに話してくれた。

「私にとってはユストゥスのことが一番心配だったんですよ。それが結婚して、ユストゥスも家庭を持つようになったのだから、私の肩の荷も下りた気がして、そう思ったら、私は自分の望んでいることを叶えていいのではないかと考えるようになりました」
「エリさんはずっと赤さんが欲しかったのか?」
「ギルベルトは育った家庭が複雑だから、子どもを持つことに抵抗があるかもしれないと思っていましたが、私は赤ん坊が欲しいと思っていましたよ」

 ギルベルトの方も結婚して一年近くたって落ち着いてきたので、ちょうどいい時期ではなかったのかとエリーアスは話してくれた。
 エリーアスの言葉にギルベルトは驚きはしたが、まだ目立たないエリーアスのお腹に赤ん坊がいることが今は嬉しくて堪らない。

「エリさん似かな? 俺に似てるかな?」
「どっちでも可愛いと思いますよ」
「男の子かな? 女の子かな?」
「私は女の子がいいかなと思っています」

 どちらに似ていても可愛いだろうが、エリーアスは赤ん坊が女の子であることを望んでいる。その理由をギルベルトは知りたかった。

「なんで女の子がいいんだ?」
「私もギルベルトも、男ばかりの兄弟だったでしょう? 女の子の姉妹がいたらどんな感じだろうと考えたことがあります。男の子でも可愛いとは思いますけどね」

 どちらでも構わないが、女の子だったら嬉しいというエリーアスに、ギルベルトは赤ん坊が女の子であることを願っていた。医療技術が発達していても、赤ん坊の出産には慎重にならなければいけない。エリーアスの場合は疑似子宮を作って、そこで赤ん坊を育てているので、特に細かくケアが必要だった。
 月に一度の検診にいくときでも、ギルベルトは必ずエリーアスについていった。食事の様子などを伝えて、赤ん坊がエコー検診で映っている画面を見せてもらう。
 始めは豆のように小さかった赤ん坊が、少しずつひとの形になってくるのは感動的だった。

「断言はできませんが、女の子のように見えますね」

 エコー検査で教えてもらった性別に、医療技術が進んでいても赤ん坊の性別を断言することはできないが、恐らく女の子だろうと言われてギルベルトもエリーアスも顔を見合わせて微笑んだ。
 エリーアスが妊娠したことを知ったユストゥスとライナルトは、酷く羨ましがっていた。

「兄さんはいいな」
「俺たちも赤ちゃんが欲しい」
「ライナルト、あなた、産めるの?」
「そ、そうか、俺が産むのか」

 赤ん坊は欲しいけれど、自分が産むとなると抵抗を示すライナルトだが、家に訪ねてくるたびに少しずつ大きくなっていくエリーアスのお腹を羨ましそうに見ていた。

「悪阻は酷かったのか?」
「それほどでもなかったですよ」
「疑似子宮が育つときに他の内臓を押し上げると聞いているが、大変だったか?」
「ギルベルトと私の赤ん坊を産めると考えれば、何も大変なことはなかったです」

 穏やかに答えるエリーアスの姿を拝んで、ユストゥスとライナルトが「聖母」と言っているが、その言葉にエリーアスは苦笑している。

「俺も産む! エリーアスができるなら、俺にもできる!」

 結局ライナルトも赤ん坊を産むことを心に決めたようだった。

「兄さんの赤ちゃんと僕の赤ちゃんが仲良くなれるといいな」

 まだ病院にも行っていないのにユストゥスは目を細めて幸せそうにしていた。
 ライナルトとユストゥスも子どもを持つことを決めたようだが、エリーアスについてギルベルトは小さな疑問を抱いていた。

「エリさんはユストゥスには相談してから決めてそうなイメージがあったんだけど、何も言ってなかったんだな」
「ユストゥスと結婚しているわけではないでしょう。ユストゥスは弟です。相談するならば、結婚している私の伴侶のギルベルトに一番にしますよ」

 ギルベルトにだけ相談して赤ん坊を産むことを決めたエリーアスに、生まれてもいないのにギルベルトは泣きそうになってしまう。

「俺のことをそんなに信頼してくれてるのか」
「私の夫はあなただけですよ」
「エリさん」

 エリーアスの隣りに腰かけて丸みを帯びてきたお腹に抱き付くようにしてギルベルトは呟く。

「本当は怖かったんだ。俺が赤さんの父親になれるかどうか」
「ギルベルト……」
「俺は暖かな家庭も、子どもとの接し方も知らない。俺がちゃんと父親になれるかどうか、怖くて、エリーアスが赤さんを産むのが怖かった」

 ギルベルトの父親はいい父親とは言えなかったし、兄弟たちともいい思い出はない。そんな家庭で育ったギルベルトが父親になれるのか悩んでいたと素直に言えば、エリーアスはギルベルトの金色の髪に手を差し込んで撫でてくれる。

「私が一緒だから平気ですよ」
「エリさん……」
「私は10歳のときにユストゥスが生まれて、忙しい両親の代わりにユストゥスを育て上げたんですよ。ユストゥスはいい子でしょう?」
「俺が紛争地帯に行こうとしたときに止めてくれて、エリさんに大事な言葉を言っていないんじゃないかって教えてくれた」

 ユストゥスの存在がなければエリーアスとの結婚は成立していないし、今頃紛争地帯でギルベルトは命を落としていたかもしれない。それを考えるとユストゥスには感謝しかないのだが、そのユストゥスをエリーアスが育てたと聞けば、エリーアスは立派な母親になれる気がする。エリーアスに教えてもらえばギルベルトもいい父親になれるのではないかと光明が差してくる。
 毎日エリーアスに食事を作って、お弁当も作って、ギルベルトは大学に通いながらも、できる限りエリーアスのサポートを続けて来た。
 妊娠が分かってから約八か月後、エリーアスは大きなお腹を抱えて産科の病院に入院した。疑似子宮ではそこまでしか赤ん坊は育てられないし、元々子宮のなかった体の中に子宮を作り出しているのだから、長期間は危険になって来る。帝王切開で出産に臨むエリーアスをギルベルトは半泣きで見送った。
 手術室にエリーアスが入ってからどれくらい経っただろう。手術室前の椅子で待っていたギルベルトの元に、看護師がやってきた。

「無事に産まれましたよ。おめでとうございます」
「無事に……エリさんは?」
「麻酔からまだ覚めていませんが、病室に今から運びます。赤ん坊は新生児室にいるので、呼べばベビーベッドごと病室に連れて行きますよ」
「連れて来てください!」

 エリーアスと生まれて来た赤ん坊。どちらかを選ぶなんてできずに、ギルベルトは病室に向かっていた。病室には運び込まれたエリーアスが数名の看護師の手によってベッドに移されている。
 すぐに他の看護師が新生児用のケースのようなベビーベッドに入れられた産着を着た小さな赤ん坊を連れて来てくれた。

「小さい……エリさん、頑張ってくれたんだな」
「……ギルベルト?」
「エリさん、目が覚めたか?」

 麻酔から目を覚ましたエリーアスはギルベルトの顔を見てしばらくぼんやりしていたが、緩慢な動作でベビーベッドの方に顔を向ける。

「赤ん坊の顔を見せてください。寝たままだとよく見えない」
「そ、そうだな。えっと、どうやって抱っこするんだ? 首が据わってないんだよな」

 ぎこちなく赤ん坊を抱き上げてエリーアスに見せると、赤ん坊とギルベルトの顔を見比べてエリーアスが微笑む。

「ギルベルトに似てますね」
「髪の色はエリさんに似てるよ?」
「女の子ですね」

 オムツを捲って覗いたエリーアスが目を輝かせるのに、ギルベルトはなぜか視界が歪んで来ていた。ぽろぽろと涙がこぼれて、赤ん坊の産着に染みを作る。

「ギルベルト、どうしました?」
「どうしたんだろう、俺……俺……」

 ひっくとしゃくり上げた瞬間、ギルベルトは赤ん坊を抱き締めて号泣していた。エリーアスが無事だったこと、赤ん坊も無事に産まれてきたこと、赤ん坊が女の子だったこと、小さな赤ん坊が自分に似ていたこと、エリーアスの満足そうな表情。何もかもが嬉しすぎて限界を突破したのだ。
 涙腺が崩壊したギルベルトから赤ん坊を抱き取ってエリーアスが笑っている。

「泣き虫なお父さんですね。これからが大変なんですよ?」
「わ、わかって、る……エリさん、本当に、本当にありがとう」

 赤ん坊を産むことを選んでくれて、体の中で赤ん坊を育てて、赤ん坊を無事に帝王切開で産んだエリーアスがいなければ、小さな赤ん坊は存在することがなかった。泣いているギルベルトに、ぶふぉっ! という音が聞こえた。

「あ、オムツですね。さっそく出たかな」
「お、オムツ! 俺で替えられるか?」

 小さな赤ん坊をベビーベッドに寝かせたエリーアスに習って、ギルベルトは赤ん坊のお尻を拭いてオムツを替えた。

「エリさん、うんこが緑色だ!」
「胎便というのですよ。羊水を飲んでいた名残なのです」
「てことは、まだミルクを飲んでないのか! 次はミルクだ」

 忙しくミルクの準備を始めるギルベルトをエリーアスはにこやかに見つめていた。 
 エリーゼと名付けられた赤ん坊は、エリーアスと一緒に一週間で退院して、家に連れ帰られた。
 ギルベルトがまだお腹の傷が回復しきっていないエリーアスのために、大学を休学して赤ん坊の世話をすると言い張るのを、エリーアスが穏やかに説得するのはその後のこと。
 赤ん坊との生活は始まったばかりだった。
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