愛の言葉に傾く天秤

秋月真鳥

文字の大きさ
上 下
30 / 49
後編

15.続く幸福な日々

しおりを挟む
 水族館でアザラシの水槽の前からギルベルトはずっと動かなかった。左手でエリーアスの右手をずっと握り締めている。水槽の水の張っていない場所には、白いふわふわのアザラシの赤ん坊が転がっている。水の中を泳いだ母親のアザラシが、時々赤ん坊に近寄って母乳をあげている。

「エリさん、白い。ふわふわだ」
「可愛いですね」
「転がったぞ!? 水に落ちないか?」
「お母さんが助けてくれるんじゃないですかね」

 手を繋いでずっとアザラシの水槽の前から動かない成人男性二人を、周囲がどう見ていたかなんてギルベルトには全く気にならなかった。満足するまでアザラシを見て、帰ろうとするとエリーアスが水族館の売店に寄ってくれる。
 そこには等身大のアザラシの赤ん坊のぬいぐるみが置いてあった。

「ど、どうしよう、エリさん……」
「欲しかったら買ったらいいのでは?」
「キリンのぬいぐるみもあるのにいいのか?」
「ソファのクッションにもなりそうないいサイズですね」

 キリンのぬいぐるみは自立するタイプで、子どもならば背中に乗れると銘打ってあったが、抱き締めるには若干大きすぎる。等身大のアザラシの赤ん坊のぬいぐるみならば、エリーアスが座るソファのクッション代わりになるかもしれない。
 白くてふわふわのアザラシのぬいぐるみをクッション代わりにしてソファで寛ぐエリーアスを想像すると、ギルベルトはなんとしてもそのぬいぐるみを買わなくてはいけない使命に駆られていた。

「タオルもありますね。エコバッグもありますよ」
「エリさん、俺はどうすればいいんだ」
「買ったらいいと思いますよ」

 あっさりと許すエリーアスに、ギルベルトは聞いてみたいことがあった。部屋に戻ると、キリンのシャツを持って来て、エリーアスに突き付ける。

「正直に言ってくれ。エリさんは俺がキリンのグッズやアザラシのグッズを集めることをどう思っているんだ? キリンのシャツを着てる俺と歩いて、恥ずかしくないのか?」

 真剣に問いかけると、エリーアスが水色の目を見開いている。

「そんなことを気にしていたのですか」
「そんなことって……俺には大切なことだ」

 軽いことのように言われてしまうが、ギルベルトにとってはエリーアスがどう思っているかはとても大切なことだった。優しいからエリーアスは言えないだけで、ギルベルトのことを恥ずかしいと思っていたらどうしよう。一緒に歩きたくないと思われていたら、ギルベルトはキリンのシャツを処分することまで考えていた。

「ギルベルトは、小さい頃、自分の服を自分で選びましたか?」
「いや、与えられたのを着てただけだ」
「軍に入ってからはずっと制服で、その後もユストゥスに選んでもらっていたでしょう? 私は、あなたが自分の選んだものを身に着けて、自分の選んだものに囲まれて生きて欲しいと思っています」

 そこにエリーアスの好みは関係ない。
 冷たくも感じられるかもしれないが、エリーアスらしいギルベルトの意志を尊重する発言にギルベルトは感動していた。

「ギルベルトは、私を気にせずに、今まで選べなかった分だけ、自分で欲しいものを選んでいいと思うのです。幸せそうなギルベルトを見ていると、私も幸せですよ」

 もうすぐ23歳になる大の大人がキリンのシャツを着てキリンのぬいぐるみを愛でて、今度はアザラシの赤ん坊のぬいぐるみを買って、タオルとエコバッグまで揃えてしまった。そんなギルベルトにドン引きすることなく、エリーアスは幼い頃に自分で選べなかったギルベルトが今からでもやり直せるように考えてくれている。

「エリさん……」
「これまでにできなかったことも、これから私と経験して行けばいいではないですか。ギルベルトはもう一度人生をやり直すんですよ」

 小さな頃から自分に価値がないと思い込んで、15歳で戦場に出て命を捨てても構わないと思っていた。過去のギルベルトに別れを告げて、ギルベルトはこれからエリーアスと人生をやり直す。
 遠回りをしてしまったかもしれないが、エリーアスという人生の伴侶に出会って、ギルベルトは生まれ変わったのだ。そう思うと、何でもできる気がしてくる。

「大学に行きたい」
「いいですね。どの学部ですか?」
「調理や栄養学を学びたい」

 少し前までなら、エリーアスと一緒に働くために、ギルベルトは医師や薬剤師の資格を取りたがったかもしれない。今はそうではなく、ギルベルト自身がやりたいことが見えて来た。

「栄養学を学んで、エリさんに最高の料理を作りたい」
「大学を調べてみましょうか?」
「エリさんの護衛はできなくなるけど、いいのか?」

 運転して研究所に送ることも難しくなるかもしれない。
 大学に通い出したらエリーアスの傍にいられなくなるし、送り迎えもできなくなることを気にするギルベルトに、エリーアスが淡く微笑む。

「ギルベルトの車を買いましょう。大学通学に必要でしょう?」
「エリさんは?」
「私も自分で運転できるように練習します。義手も義足も慣れたので、問題なくできると思いますよ」

 車を買って、大学を調べて、エリーアスはギルベルトのやりたいことに賛成してくれている。飛び級で士官学校に入ったがそれ以外の学校にはまともに行っていないギルベルトにとっては、大学に行くのが初めての学校生活のようなものだった。

「俺は、それを望んでもいいのか?」
「もっと、したいことがあったら遠慮なく言ってください。できる限りは協力しますよ」

 エリーアスの言葉にギルベルトはエリーアスの身体を抱き締める。左側の義手は冷たかったけれど、それ以外は暖かい。

「一生仕事しなくても暮らせる金があるのに、どうしてエリさんが仕事をするのか聞いたとき、エリさんは崇高な魂を持っていると思ったけれど、エリさんはやりたいからやってたんだって、今分かった気がする」
「そうですよ。私は研究が好きなんです」
「俺にもやりたいことをしていいって言ってくれる。エリさんは最高の伴侶だ」
「そんなの当然じゃないですか。ギルベルトのやりたいことを応援するのが、伴侶としての私の役目ですよ」

 エリーアスの愛に包まれて、ギルベルトは幸福な気持ちで顔を埋めたエリーアスの肩に涙を零した。
 大学への編入試験は問題なく合格することができた。最新式の電気自動車はエリーアスの方に使って欲しかったが、ギルベルトがどれだけ主張してもエリーアスは古い方の電気自動車を使うと言って聞かなかった。

「大学から帰ったら、晩ご飯を用意してエリーアスの帰りを待ってる」
「忙しかったら、冷凍食品でいいですからね」
「俺が作りたいんだ」

 出かけるときに今生の別れのようにエリーアスに抱き付くギルベルトを、エリーアスはぽんぽんと背中を叩いて宥めてくれた。
 大学では他の生徒よりも若干年齢は高いが、ギルベルトは馴染むことができた。近寄って来る相手には警戒してしまうが、時間をかけて友人もできた。
 初夏のギルベルトの誕生日にはユストゥスがケーキを持って訪ねて来てくれた。

「ギルベルトはケーキも作るかと思ったけど、プレゼントだと思って受け取って」
「ありがとう、ユストゥス」
「大学に行き始めたんだってね。いいことだと思うよ。学ぶって楽しいもんね」

 笑顔で話しかけてくれるユストゥスからケーキを受け取って、ギルベルトは夕食の最後の仕上げに取り掛かっていた。
 メニューは若鶏を一匹丸ごと使ったローストチキンで、これから、食卓で解体が始まる。

「ギルベルト、お誕生日おめでとうございます。お誕生日までギルベルトに料理を作らせてしまって申し訳ないですね」
「エリさんは座っててくれ。俺が作りたくて作ってるんだ」

 ローストチキンをオーブンから取り出してお皿の上に乗せて、ギルベルトは肉用のナイフとフォークでもも肉を切り離した。もも肉を一本ずつエリーアスとユストゥスの皿の上に乗せて、ギルベルトは胸肉を切り取る。
 マスタードソースをかけたローストチキンは美味しそうにこんがりと焼けていた。

「美味しいですね」

 食べて微笑むエリーアスの耳元に、ギルベルトはそっと囁きかける。

「今晩は、エリーアスを美味しくいただくからな」

 鶏のもも肉を頬張っていたエリーアスが飲み込んで、脂の付いた指をこれ見よがしにぺろりと舐めた。

「あなたが食べられる方かもしれませんよ?」

 妖艶に微笑むエリーアスにギルベルトの股間が反応しそうになる。

「もう! そういうのは僕がいないときにやってよね!」

 ユストゥスが声を上げて、身体を離したギルベルトとエリーアスはお互いに顔を見合わせて笑い合う。
 今夜は熱い夜になりそうだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

おしっこ8分目を守りましょう

こじらせた処女
BL
 海里(24)がルームシェアをしている新(24)のおしっこ我慢癖を矯正させるためにとあるルールを設ける話。

欲情列車

ソラ
BL
無理やり、脅迫などの描写があります。 1話1話が短い為、1日に5話ずつの公開です。

R18、最初から終わってるオレとヤンデレ兄弟

あおい夜
BL
注意! エロです! 男同士のエロです! 主人公は『一応』転生者ですが、ヤバい時に記憶を思い出します。 容赦なく、エロです。 何故か完結してからもお気に入り登録してくれてる人が沢山いたので番外編も作りました。 良かったら読んで下さい。

彼は最後に微笑んだ

Guidepost
BL
エルヴィン・アルスランは、冷たい牢の中で大切だった家族を思い、打ちひしがれていた。 妹はさんざんつらい思いをした上に出産後亡くなり、弟は反逆罪で斬首刑となった。母親は悲しみのあまり亡くなり、父親は自害した。 エルヴィンも身に覚えのない反逆罪で牢に入れられていた。 せめてかわいい甥だけはどうにか救われて欲しいと願っていた。 そして結局牢の中で毒薬を飲まされ、死んだはず、だった。 だが気づけば生きている。 9歳だった頃の姿となって。 懐かしい弟妹が目の前にいる。 懐かしい両親が楽しそうに笑ってる。 記憶では、彼らは悲しい末路を辿っていたはずだ。 でも彼らも生きている。 これは神の奇跡なのだろうか? 今度は家族を救え、とチャンスを授けてくれたのだろうか? やり直せるのだろうか。 ──そう、エルヴィン・アルスランの時間は18年前に遡っていた。 (R指定の話には話数の後に※印)

【完結】ハードな甘とろ調教でイチャラブ洗脳されたいから悪役貴族にはなりたくないが勇者と戦おうと思う

R-13
BL
甘S令息×流され貴族が織りなす 結構ハードなラブコメディ&痛快逆転劇 2度目の人生、異世界転生。 そこは生前自分が読んでいた物語の世界。 しかし自分の配役は悪役令息で? それでもめげずに真面目に生きて35歳。 せっかく民に慕われる立派な伯爵になったのに。 気付けば自分が侯爵家三男を監禁して洗脳していると思われかねない状況に! このままじゃ物語通りになってしまう! 早くこいつを家に帰さないと! しかし彼は帰るどころか屋敷に居着いてしまって。 「シャルル様は僕に虐められることだけ考えてたら良いんだよ?」 帰るどころか毎晩毎晩誘惑してくる三男。 エロ耐性が無さ過ぎて断るどころかどハマりする伯爵。 逆に毎日甘々に調教されてどんどん大好き洗脳されていく。 このままじゃ真面目に生きているのに、悪役貴族として討伐される運命が待っているが、大好きな三男は渡せないから仕方なく勇者と戦おうと思う。 これはそんな流され系主人公が運命と戦う物語。 「アルフィ、ずっとここに居てくれ」 「うん!そんなこと言ってくれると凄く嬉しいけど、出来たら2人きりで言って欲しかったし酒の勢いで言われるのも癪だしそもそも急だし昨日までと言ってること真逆だしそもそもなんでちょっと泣きそうなのかわかんないし手握ってなくても逃げないしてかもう泣いてるし怖いんだけど大丈夫?」 媚薬、緊縛、露出、催眠、時間停止などなど。 徐々に怪しげな薬や、秘密な魔道具、エロいことに特化した魔法なども出てきます。基本的に激しく痛みを伴うプレイはなく、快楽系の甘やかし調教や、羞恥系のプレイがメインです。 全8章128話、11月27日に完結します。 なおエロ描写がある話には♡を付けています。 ※ややハードな内容のプレイもございます。誤って見てしまった方は、すぐに1〜2杯の牛乳または水、あるいは生卵を飲んで、かかりつけ医にご相談する前に落ち着いて下さい。 感想やご指摘、叱咤激励、有給休暇等貰えると嬉しいです!ノシ

Switch!〜僕とイケメンな地獄の裁判官様の溺愛異世界冒険記〜

天咲 琴葉
BL
幼い頃から精霊や神々の姿が見えていた悠理。 彼は美しい神社で、家族や仲間達に愛され、幸せに暮らしていた。 しかし、ある日、『燃える様な真紅の瞳』をした男と出逢ったことで、彼の運命は大きく変化していく。 幾重にも襲い掛かる運命の荒波の果て、悠理は一度解けてしまった絆を結び直せるのか――。 運命に翻弄されても尚、出逢い続ける――宿命と絆の和風ファンタジー。

蜘蛛の巣

猫丸
BL
オメガバース作品/R18/全10話(7/23まで毎日20時公開)/真面目α✕不憫受け(Ω) 世木伊吹(Ω)は、孤独な少年時代を過ごし、自衛のためにβのフリをして生きてきた。だが、井雲知朱(α)に運命の番と認定されたことによって、取り繕っていた仮面が剥がれていく。必死に抗うが、逃げようとしても逃げられない忌まわしいΩという性。 混乱に陥る伊吹だったが、井雲や友人から無条件に与えられる優しさによって、張り詰めていた気持ちが緩み、徐々に心を許していく。 やっと自分も相手も受け入れられるようになって起こった伊吹と井雲を襲う悲劇と古い因縁。 伊吹も知らなかった、両親の本当の真実とは? ※ところどころ差別的発言・暴力的行為が出てくるので、そういった描写に不快感を持たれる方はご遠慮ください。

その男、有能につき……

大和撫子
BL
 俺はその日最高に落ち込んでいた。このまま死んで異世界に転生。チート能力を手に入れて最高にリア充な人生を……なんてことが現実に起こる筈もなく。奇しくもその日は俺の二十歳の誕生日だった。初めて飲む酒はヤケ酒で。簡単に酒に呑まれちまった俺はフラフラと渋谷の繁華街を彷徨い歩いた。ふと気づいたら、全く知らない路地(?)に立っていたんだ。そうだな、辺りの建物や雰囲気でいったら……ビクトリア調時代風? て、まさかなぁ。俺、さっきいつもの道を歩いていた筈だよな? どこだよ、ここ。酔いつぶれて寝ちまったのか? 「君、どうかしたのかい?」  その時、背後にフルートみたいに澄んだ柔らかい声が響いた。突然、そう話しかけてくる声に振り向いた。そこにいたのは……。  黄金の髪、真珠の肌、ピンクサファイアの唇、そして光の加減によって深紅からロイヤルブルーに変化する瞳を持った、まるで全身が宝石で出来ているような超絶美形男子だった。えーと、確か電気の光と太陽光で色が変わって見える宝石、あったような……。後で聞いたら、そんな風に光によって赤から青に変化する宝石は『ベキリーブルーガーネット』と言うらしい。何でも、翠から赤に変化するアレキサンドライトよりも非常に希少な代物だそうだ。  彼は|Radius《ラディウス》~ラテン語で「光源」の意味を持つ、|Eternal《エターナル》王家の次男らしい。何だか分からない内に彼に気に入られた俺は、エターナル王家第二王子の専属侍従として仕える事になっちまったんだ! しかもゆくゆくは執事になって欲しいんだとか。  だけど彼は第二王子。専属についている秘書を始め護衛役や美容師、マッサージ師などなど。数多く王子と密に接する男たちは沢山いる。そんな訳で、まずは見習いから、と彼らの指導のもと、仕事を覚えていく訳だけど……。皆、王子の寵愛を独占しようと日々蹴落としあって熾烈な争いは日常茶飯事だった。そんな中、得体の知れない俺が王子直々で専属侍従にする、なんていうもんだから、そいつらから様々な嫌がらせを受けたりするようになっちまって。それは日増しにエスカレートしていく。  大丈夫か? こんな「ムササビの五能」な俺……果たしてこのまま皇子の寵愛を受け続ける事が出来るんだろうか?  更には、第一王子も登場。まるで第二王子に対抗するかのように俺を引き抜こうとしてみたり、波乱の予感しかしない。どうなる? 俺?!

処理中です...