愛の言葉に傾く天秤

秋月真鳥

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後編

4.エリーアスの弟

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 エリーアスの傍を一瞬も離れたくないギルベルトだったが、エリーアスの弟のユストゥスに呼び出されてしまったら仕方なく出向くしかなかった。ギルベルトの中では生涯の伴侶になっているエリーアスが誰よりも可愛がっている弟なのだ。友好関係を築いておきたいと思わないわけがない。
 家でエリーアスは論文を読んでいるので、ギルベルトはユストゥスに指定されたカフェに出向いていった。服も軍時代は制服を着ていればよかったので不便しなかったが、街に戻ってみると軍服を着るわけにもいかず、少ないシャツとズボンで何とか着まわしていた。自分がどんな格好をしているかも、ギルベルトは特に気にしていなかった。

「その格好、どうにかならないわけ?」
「その格好とは?」
「今は冬! なんで半袖シャツと薄い綿パンなわけ!?」

 言われてみれば周囲の人間は厚着をしている気がするが、極寒の基地で何年も過ごしたギルベルトにとっては、凍傷で指が落ちるわけでもない寒さくらいは気にならなかった。大声を上げてしまったことが恥ずかしかったのか、ユストゥスがこほんと咳払いをする。

「エリさんも優しいけど、ユストゥスも優しいんだな」
「優しい……? これは、優しさなのか?」

 自分のことを気遣ってくれるエリーアスも優しいと思っていたが、弟のユストゥスもギルベルトのことを気遣ってくれる。周囲の人間は何も言わなかった服装のことまで気にかけてくれるのは、ギルベルトにとってはありがたいことだった。

「帰りに服を買っていきたいんだが、ユストゥス、付き合ってくれないか?」
「まだ話もしてないんだけど」
「俺のセンスだと何を買っていいか分からない」
「まず、話させてよね?」

 なぜか若干怒っているようなユストゥスにギルベルトは、大人しくユストゥスの話を聞くことにした。

「ギルベルト・アードラー、あなたと兄さんは、どういう関係なのかな?」
「エリさんは俺のせいで左腕と左脚を失った。俺はその責任を取るつもりだ」

 ギルベルトの返答にユストゥスが身を乗り出して、声を潜める。

「基地ではあなたと兄さんは愛人関係だったって噂なんだけど……」
「愛人? そういうつもりじゃなかった」
「それなら、どうなってるのかな?」
「エリーアスは俺を愛している。身を以て俺を庇ってくれるくらいに俺のことを想ってくれている。俺はそれに応えたい」

 はっきりと告げると、ユストゥスは椅子に座り直して、運ばれてきたコーヒーを一口飲んだ。ギルベルトは運ばれてきたのがブラックのコーヒーだったために、カップを睨んで飲めずにいる。

「遊びのつもりはないんだ」
「遊び? 俺は本気だ」
「兄さんはお人好しだから、上官に迫られて断れなかったのかと思った」
「確かに、最初はそうだったかもしれない」

 最初はエリーアスは嫌々身体を開いていた気がするが、そのうちに口付けをするようになって、一緒に眠るようになった。あの時点でエリーアスの心は変わっていたのではないだろうか。ギルベルトは自分がエリーアスに愛されていると信じて疑っていなかった。

「それならいいんだ。アードラー家から、兄さんに嫌がらせが来るのはいただけないけどね」
「そんなことがあったのか?」
「今のところはないよ。でも、そのうちあるんじゃないかな」

 完全にギルベルトはアードラー家を捨てたつもりで、アードラー家からも捨てられたつもりでいたから、実家がエリーアスに何かしてくることは想定していなかった。エリーアスを生涯の伴侶としてギルベルトが決めたと知ったら、アードラー家の兄弟や父親が何かしてこないとも限らない。

「そのときには俺の命を懸けてでもエリさんを守る! エリさんは俺を命を懸けて守ってくれた」

 声高に宣言すると、ユストゥスがエリーアスと同じ水色の目を見開いてギルベルトを見上げている。いつの間にか椅子から立ち上がってしまっていたようだ。立ち上がって叫んだギルベルトに視線が集まっている。

「あれ、ギルベルト・アードラーじゃない?」
「一緒にいるのはユストゥス・ハインツェ?」
「軍の英雄と、特効薬開発の天才が……」

 本意ではないがギルベルトもユストゥスもどうしても目立ってしまう地位にいた。椅子に座り直してギルベルトは「すまない」とユストゥスに謝る。

「それだけ本気なんだって分かったよ。兄さんは鈍いから通じてないかもしれないけど」
「エリさんは鈍い……そうか、自分の気持ちに気付いていないのか」

 それもあり得るが、昨日抱いた感じでは、エリーアスはギルベルトのことを受け入れて求めていた。それが分かるだけにギルベルトはユストゥスの大事な言葉をそれほど気にしていなかった。
 カフェから帰る途中で、ユストゥスはギルベルトをショップに連れて行ってくれた。そこで服を見繕ってもらって、両手に一杯紙袋を持ってギルベルトはエリーアスの家に戻った。
 家を出たときと同じソファにエリーアスはほとんど同じ形で腰かけてタブレット端末で論文を読んでいた。

「お帰りなさい。用事は買い物だったんですか?」
「ユストゥスが、俺が冬服を持ってないのを心配して、ショップに連れて行ってくれたんだ」
「そういえばそうですね。私はてっきり、あなたが暑がりなのだと思っていました」
「俺も寒さはそれほど気にしない方なんだが、ユストゥスは優しくて」

 エリーアスの弟とも友好的な関係を築けていることをアピールしようとすると、エリーアスが眉根を寄せているのが分かる。何事かと思っていると、エリーアスが懐疑的な瞳でギルベルトを見てくる。

「あなた、もしかしてユストゥスに手を出そうと考えてないでしょうね?」
「はぁ? 絶対にない! 俺はエリーアス一筋だ」
「本当ですか? ユストゥスだけは絶対にダメですからね」

 弟だということもあるのだろうが、嫉妬してくれたのだろうかとギルベルトはエリーアスの表情が厳しいのににやけてしまう。

「ユストゥスはエリさんの弟だから、仲良くしたいだけだよ」
「自分にも弟がいるではないですか」

 弟の話題を持ち出されて、ギルベルトはぴしりと眉間に皺を寄せた。アードラー家の人間がエリーアスとギルベルトの中を邪魔しに来るかもしれないとユストゥスは言っていた。できれば弟も兄も父親も、エリーアスには近付いて欲しくなかったし、指一本触れてほしくなかった。

「俺はアードラー家を捨てているし、アードラー家に捨てられている」
「ご兄弟はあなたを心配していましたよ」
「形だけだろう。体面を保ちたいだけだよ」

 形だけでも次男のギルベルトを大事にしておかないと、アードラー家の体面が保てないのだろう。前線から戻るように命じる将軍である父親の言葉も、聞き飽きるほど通信で聞いていたが、それも社交辞令としかギルベルトは受け取っていなかった。兄も弟もギルベルトに戻るように言っていたが、形だけのものだ。
 本当に連れ戻したいのならば、エリーアスのように直に前線にやってきて、ギルベルトと顔を突き合わせて話をすればよかったのだ。エリーアスの行動と言葉はギルベルトの心を動かしたが、兄弟や父親の言葉は全く響かない。

「エリさん、昼ご飯は何か食べたか?」
「いいえ、論文に集中していました。あなたはユストゥスと食べて来たのでは?」

 問い返されてギルベルトはブラックで出て来たコーヒーに牛乳を入れることを提案してくれるエリーアスがいないカフェで、何も口にしていないことに気付いた。

「コーヒーに牛乳が入っていなかった……」
「カフェオレを頼めばいいんですよ」
「カフェオレってなんだ?」
「牛乳の入ったコーヒーです」

 もしくはミルクを頼めばいい。
 簡単なことのようにエリーアスは言うが、ギルベルトはカフェに入ったの自体が初めてで、自分で注文もできずユストゥスと同じものを頼んで、失敗してしまったのだ。

「エリさんがいないと食べる気がしない」
「お腹が空きましたね。何か作りますか」

 ソファから立ち上がろうとするエリーアスをギルベルトは押し留めた。

「俺が作る。何がいい?」
「何が作れるんですか?」
「レシピを調べれば多分、なんでも」
「時間がかかるものは困りますね。そうだ、冷凍の肉まんがありますよ」
「冷凍の肉まん?」

 食べたことのないものを言われてギルベルトが戸惑っていると、冷凍庫からエリーアスが白いものを出して電子レンジで温めている。数分温めて電子レンジから出した肉まんはふかふかに蒸されていた。
 どうやって食べればいいのか分からないギルベルトの目の前で、エリーアスが自分の分を半分に割って食べ始める。ギルベルトも真似をして半分に割って食べると、肉汁が溢れてとても美味しい。

「一個じゃ足りないな」
「もう一袋ありますよ。二個入りです。温めましょうね」

 エリーアスと食べると冷凍の肉まんでもこんなに美味しいのだと実感して、ギルベルトは愛とは偉大だと噛み締めていた。
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