愛の言葉に傾く天秤

秋月真鳥

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前編

13.ギルベルト暗殺未遂

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 エリーアスが部屋の鍵を開けたのに合わせて廊下に潜んでいた兵士がドアを開けた形だった。敵国の軍服を着た兵士に後ろに回り込まれて、額に銃を突き付けられるのを、エリーアスは防ぐことができなかった。

「こいつが隊長の愛人か」
「こいつの命が惜しければ、抵抗しないことだな」

 三人組の兵士の一人がエリーアスを捕えていて、残り二人がドアに鍵をかけてギルベルトに銃を突き付けて詰め寄っている。ギルベルトは構えていた銃を捨てて、膝を突いて両手を上げていた。

「そのひとに手を出すな」
「そうは言われてもな……」
「目の前で大事な相手が死んでいくのを、見ているがいい」

 ぐりっと突き付けられた拳銃の銃口が強くエリーアスの額を抉る。その状況でもエリーアスは三人の兵士から漂ってくる匂いに反応していた。
 血だけではない、腐ったような膿んだような臭いがしている。

「待ってください。私は医師です。あなたたち、負傷していますね?」
「だからなんだ?」
「命乞いは聞かないぞ?」
「いいえ、取り引きです。バルテン国の医療技術が高いのはあなたたちもご存じでしょう? 私と隊長を開放するのならば、治療を受けさせて、この国に亡命する手続きを取ってもいいのですよ?」

 完全なるはったりだったが、兵士の間に動揺が走ったのはエリーアスも感じ取っていた。腕や脚を失えば、他国では使い物にならないと判断されるが、この国ならば本物と変わりない性能の義肢をつけられて、普通に生活することができる。望むのならば義肢をつけて戦場に舞い戻ってくる兵士までいるのだ。
 最高の技術での治療を受けられると聞けば、兵士たちの心が揺らいでも仕方がないだろう。

「ほ、本当か?」
「お前、裏切るのか!?」
「俺の腐り落ちかけてる腕が、使えるようになるかもしれないんだぞ?」

 腕が腐り落ちかけていても処置をしないままに暗殺に追いやるようなことを敵国はしているらしい。そんな使い捨てにされる運命の兵士にしてみれば、充分な治療が受けられて、この国の義肢を手に入れることができて、亡命までできるという条件はかなり心を動かすものだった。

「私と隊長を殺しても、他の隊員が物音に気付いてやって来て、あなたたちは殺されます。捨て石にされるか、ここで手厚い治療を受けるか、どちらがいいのかを考えたら、少しでも知能があれば分かることでしょう?」

 エリーアスの言葉に明らかに兵士たちは動揺していた。腕が緩んだ隙にエリーアスが兵士の手を振り払って、ギルベルトが投げ捨てていた銃をギルベルトの元に蹴る。蹴り上げられた銃を空中で受け止めて、ギルベルトは躊躇いなく撃った。
 腕を狙われて、三人の兵士が銃を取り落とす。落ちた拳銃をエリーアスが拾って兵士たちの前に仁王立ちした。

「騙したな……!」
「どうせ、俺たちは殺されるんだ」
「と、言っていますが、どうしますか、アードラー隊長?」

 ギルベルトの指示を仰ぐと、ギルベルトは隊員を呼んでいた。

「こいつらを医務室に運べ。ハインツェ先生、時間外だが、診てやってくれるか?」
「よろしいのですか?」
「どんな命でも尊重されなければいけないって言ったのはハインツェ先生だろう?」

 ギルベルトに向けて言った言葉を、ギルベルトはきちんと覚えていて、それを実行してくれている。エリーアスは素早くジャケットを脱いで白衣を着て医務室に向かった。撃たれた腕の傷を一番に診ていたが、手袋を外した兵士の手は指が欠けていたり、腕自体が腐り落ちそうになっていたりして、酷い状態だった。

「切断が必要になりそうですね。カペル技師を呼んで来てください」

 兵士を運んでくれた隊員に頼めば、兵士がぼろぼろと涙を零している。

「俺の腕が、切り落とされちまう!」
「最高の義肢を取り付けますので、生活には支障はないです」
「俺の腕が!」
「既に壊死している部分は切り落としてしまわないと、更に広がります」

 説明して麻酔をかけていると、他の兵士が戸惑ったように言う。

「義肢をつけてくれるっていうのは、嘘じゃなかったのか?」
「助けられるなら助けますよ。私は医師ですからね」
「頼む、俺の脚も診てくれ!」

 頼まれて兵士たちの全身を診れば、酷い状態で、これでよく暗殺部隊として送り込まれてきたものだとエリーアスは呆れてしまう。本当にこの兵士たちが死んでもいいと思って敵軍は送り込んで来たとしか思えない。

「助けてくれ……死にたくない」
「死なせません。できる限りのことはします」

 医療用の手袋越しに必死にエリーアスの手を握って縋って来る兵士に、エリーアスはしっかりと答えていた。
 処置は朝方まで続いた。酷い状態で放置されていた壊死している腕を切り落としたり、その神経をデニスが義肢と繋いだりしている間、エリーアスも他の兵士の容体を診ながら処置を行っていた。栄養状態はとてもいいとは言えなかったが、幸い内臓には損傷がなかったので、誰も命に別状はなかった。

「もう、楽しんでたのに、最悪。なんで敵兵の命を救わなきゃいけないわけ?」
「そう言いながらも処置は見事なものじゃないですか」
「手抜きをするのは僕のプライドが許さないからね。あぁ、眠い!」

 全部の処置が終わって兵士たちが病室に運ばれた後で、デニスは文句を言っていたが、口で言っていることと違って、義肢の取り付けに関しては完璧だった。一人が片腕を失って義肢になって、一人が片足を失って義肢になって、一人が失った指を義指で補った。三人ともがそんな状態だったのによく暗殺に来させたものだとエリーアスは呆れかえっていた。

「ハインツェ先生、終わったか?」
「終わりました。処置に関しては、書類を見てください。私は眠い」

 夜を徹しての治療だったために一睡もしていないエリーアスが欠伸を嚙み殺していると、ギルベルトが書類を差し出してくる。

「あの三人の意識はあるか? 亡命の書類を作っていたんだが」
「本当に亡命させるつもりだったんですか?」
「亡命させると言ったのはハインツェ先生だろう」

 敵の兵士を動揺させて仲間割れさせるために治療と亡命の話をしたつもりだったが、ギルベルトはそれを本気と捉えていたようだ。確かにあんな扱いをされていて、敵地に戻されても命を奪われるだけだろうから、亡命するしか彼らが生き延びる手段はない。

「命は全て尊重されるべきですからね」
「あの三人は?」
「今は麻酔で眠っています。あなたも少し眠った方がいい」

 結局書類を作ったりしていて、ギルベルトも眠っていないだろうと指摘すれば、ギルベルトが頬を赤くして目を反らす。

「ハインツェ先生と一緒なら……」
「一人で眠れないわけでも……そうでしたね、あなたは一人ではぐっすりと眠れないのだった」

 15歳の初陣のときから暗殺を警戒してギルベルトはずっとぐっすり眠ったことがないとエリーアスに打ち明けていた。エリーアスの方は他人の気配を感じると眠れない体質なのだが、ギルベルトとの場合は不思議と眠れていたのは、抱かれて意識が飛ぶほどまで快楽を享受していたからかもしれない。抱かれない日でもそれに慣れてしまって、ギルベルトと寝ることにエリーアスは疑問を抱かなくなっていた。

「シャワーを浴びたい……。着替えを持って部屋に行きます」
「分かった。待ってる」

 凝り固まった肩を解すように回して、軽くストレッチをしていると、ギルベルトの目が期待しているような気がする。本当に眠るだけのつもりなのだが、身体を要求されたらエリーアスはきっぱりと断る気でいた。
 着替えを持ってギルベルトの部屋に行くと、ギルベルトがシャワーを浴びた状態でバスローブでベッドの上に正座している。

「まさか、抱きたいとか言いませんよね?」
「い、言わない。だから、お願いだ。バスローブで寝てくれ」
「は?」

 いつ呼ばれるか分からないのでいつでも医務室に行ける格好で寝るつもりだったエリーアスは、ギルベルトの言葉に思い切り顔を顰めてしまった。

「エリーアスの胸に頭を乗せて寝たいんだ」
「やっぱり、自分の部屋で寝てきます」
「あぁ!? 帰らないでくれ! 俺が悪かった!」

 なぜかベッドの上で土下座するギルベルトに、エリーアスは呆れた表情になる。

「あなたもいつ呼ばれるか分からないのですから、軍服で寝た方が賢明ですよ」
「エリーアス……」
「泣きそうな顔をしても無駄です。緊急事態で勤務は休むとしても、呼ばれれば駆け付けなければいけない。それが私とあなたの立場です」

 はっきりと告げると落ち込んだ表情で、ギルベルトが嫌々軍服に着替えているのが分かる。下のズボンは履いているが、上はシャツだけでジャケットは脱いでソファにかけている。それを確認して、エリーアスはバスルームに入った。
 血みどろの治療を行った汚れも疲れも洗い流すようにシャワーを浴びて、バスルームから出て来たエリーアスがベッドに倒れ込むと、ギルベルトは当然のように胸に頭を乗せてくる。
 着ているシャツを邪魔そうに睨んでいるが、脱いでやるつもりもボタンを開けてやるつもりもなかったエリーアスに、不満そうにしながらも、シャツ越しに胸を揉んで、胸に耳を当ててギルベルトは目を閉じた。
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