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3,異星人で異性人
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購買部は第一校舎の西の端、体育館と校舎に挟まれた位置にあった。
それぞれの建物とは渡り廊下で繋がれており、吹きさらしではあるが、購買部にたどり着くまでに雨に濡れることは無いような作りになっている。また、購買部の前は煉瓦が敷き詰められたちょっとした広場になっており、数名の女子生徒が備え付けられたベンチに腰を掛けてアイス片手に噂話に花を咲かせていた。
購買部の外装はまるでコンビニかスーパーのように、前面がガラス張りになっている。
自動ドアが開き、涼しげな冷気に満たされた店内に俺が足を踏み入れると、店内の上級生が俺に気が付きざわめいた。
休日だというのに開いているのが凄いと思ったが、それ以上にかなりの数の女子生徒が店内にいることに驚いた。
一年の女子制服のネクタイは赤なのでそれ以外のネクタイであることを考えると、二年生以上であることは確かの様である。どうやら俺とエスターは月曜日を待たずに、上級生を認識出来るようになったらしい。
店内のざわめきが広がっていく。
俺も制服姿である。そのネクタイの色は赤なので、いきなり認識不可の生徒が現れたのに驚いたのだろうと思った。
そもそも俺がここにいるのは、先ほどエスターの部屋を訪ねたのだが、あっさりと追い返されてしまったためである。
ドアも開けてもらえなかった俺が考えたのは単純なことである。天野岩戸作戦と呼ばれる戦法で、早い話がドアの前で興味を引くことをして、閉じこもった者が自らドアを開けたくなるようにし向けるのである。その作戦のために物資の調達が必要不可欠であり、外出していいかと聞いた俺に祐子さんが駄目出しを出し、買い物なら購買部で済ませられることを教えてくれたのだ。
ちなみに、祐子さんには百歩譲って第一校舎敷地内なら彷徨って良いと言われた。どうやら俺の状態をモニタしながら遠隔で検査を行っているらしく、その許容範囲が敷地内だということである。
周囲からの痛いほどの視線を感じながら、俺は買い物篭を手にして、店内の品物を見て回った。
一部が半地下になっている売り場面積はかなり広く、品揃えは驚く物があった。下手なコンビニやスーパーよりか品揃えが良い。
良く見てみるとそれぞれの棚には、西や北のアーケードの店名が書かれている。どうやらそれぞれの棚単位で出張販売の形で品物が陳列されているようである。
とある棚などには、トランプや双六程度なら別段驚きもしないが、カードゲームのカードやプラモデル、はたまたフィギュアにラジコンまで置いてある。
俺はプラモデルの前、UボートとタイガーI型で己の物欲と戦った。三割引で売ってますよ。両方とも・・・・・
しかし、今の俺には目的が有ると、それらの誘惑を振り切り、菓子などの食料品の棚に向かった。そこでポテトチップやえびせん、パックではないちょっと高級なお茶の葉もあったので、買い物篭に入れる。
カメラのシャッターが切られる音が聞こえたので右を振り向くと。通路を埋め尽くした女子上級生がこちらに携帯電話や一眼レフの様なカメラを向けていた。
一斉に響き渡る、携帯とカメラのシャッター音。
【ぴろり~ん】とか、【ぴんぽーん】とか、【ばしゃ】とか、【かしゃっ】とか、言葉にすると色々な音がフラッシュの光と供に店内に鳴り響いた。
何を撮っているんだ?と俺は左を振り向くと、こちらにも女子生徒が山になっており、一斉にフラッシュがたかれる。
何を撮っているのかは分からないが、俺は邪魔にならないように、身を屈めて移動しようとしたが、カメラは身を屈める俺に併せて動き、執拗にフラッシュがたかれる。
俺?もしかして撮られてるのって。
「お前ら、店内は撮影禁止だって言っているのがわからないのか!」
もの凄いだみ声が、大音響で店内に響き渡った。
その声と供に、購買部と書かれたエプロンを着けた女子生徒達が、通路を埋め尽くした女子生徒を排除し始めた。
「わ、こら、私は客なのに」
「がたがた抜かすんじゃねぇ、ルールを守らん奴は客でも何でもねぇ、文句が有る奴は後であたしの所にきな!」
だみ声の一括で、蜘蛛の子を散らすように群集が散っていく。
「マヤ、奴らのデータをクラックしろ、ここで撮影した奴は全部ぶち消せ」
「はい、分かりました」
マヤと呼ばれた上級生らしい女子生徒が、バックヤード方向に走り去るのと入れ替わりに二メートル近くの大女が俺の前に大股で歩いてきた。
年齢は三十から四十の間ぐらいであろうか。その身長は二メートルを超しているかもしれない。
大柄で声の様に厳つい顔の女の人だが、人なつっこい瞳が印象的でもある。
「ふん、こりゃ、確かにかなりのべっぴんさんだね、奴らが盛るのも無理はないか。ん?なんだ?お前一年坊主か、この時期に知覚操作から外れているのかい?」
俺はゆっくりと、大女を指さした。
「と、とら姉さん?」
「なんだ、お前、その呼び方をするのは・・・・・ってお前、トモ坊か!」
「お久しぶりです、とら姉さん」
俺は深々とお辞儀をした。とら姉さんは祖父の弟子の一人である。俺の兄弟子に当たるとら姉さんは、それこそ俺など路傍の小石の様に投げ飛ばす強者である。
とら姉さんは遊んでくれたアミアミ姉ちゃん達とは異なり、厳しくも遙か遠い兄弟子である。もっとも稽古以外の時はフランクな口調で話せと昔から言われていた。だから俺はとら姉さんと呼び、とら姉さんは俺のことをトモ坊と呼んでいた。
「トモ坊かぁー、久しぶりだなぁ、でっかくなったなぁ」
そう言いながらとら姉さんは俺の両脇に手を差し入れて、高い高いをした。
「この扱いは変わらないんだ・・・・」
上下左右に揺さぶられながら、俺は苦笑した。この驚愕のパワーと同じく、とら姉さんの身のこなしは素早く、俺は今も避けることが出来なかった。
「そうだな、お前もすっかり一人前になってきたな、この扱いは失礼か」
とら姉さんが俺を降ろしてくれた。
「少し、捕まえるのに手間取った。上達したな嬉しいぞ」
そう言いながらとら姉さんは俺の肩を叩いた。
「捕まってたら、意味ないけどね」
俺は苦笑したが、とら姉さんのその言葉は純粋に嬉しかった。
「しかし、師匠も一言言ってくれれば良いのにな、知らなかったぞ、お前がここに来たなんて」
「そうなの?って祖父はとら姉さんがここにいるって、知っているの?」
「ここの仕事を世話してくれたのが、師匠さ」
「そうだったんだ」
全く知りませんでした。
「あの・・・・・師範、よろしいですか?」
おずおずと女子生徒が声を掛けてきた。
「馬鹿野郎、ここでは師範と呼ぶなと言っているだろうが」
「す、すみませんでした、部長」
声を掛けた女子生徒が、とら姉さんの一括に背筋を伸ばして言い直した。
「あらかたの事態は収拾いたしましたので、通常業務に戻ります」
「ああ、ご苦労さま、・・・って何だ?その顔は、この別嬪さんを紹介して欲しいのか?」
とら姉さんが変な事を言い出した。
「「「「はい、お願いいたします」」」」
その場にいた購買部エプロンを身につけた女子生徒が一斉に斉唱した。俺はその異様さに一瞬たじろいでしまった。
「こいつは矢田貝友弥、あたしの弟弟子で、お前らの兄弟子だ。こんな別嬪さんだが、お前らが束になっても、かなう相手ではない、良く覚えておけ」
「あ、あの・・・・」
「「「「はい、わかりました」」」」
俺の言葉は、購買部員の斉唱にかき消された。
「あ、あの、この先輩方は?」
俺は顔を引きつらせながら、聞いてみた。
「あたしの弟子達だ、ちゃんと師匠にも認められている正統な弟子達だよ、つまりはお前の弟弟子に当たるわけだ。ほれ、なんか言ってやれ」
そう言いながらとら姉さんが俺の尻を叩いてきた。
「え、えーと、」
購買部員を見渡すと、なぜか全員うっとりとした顔で俺を見ていた。異様な光景である。
「矢田貝友弥です、学業では皆様方が先輩になりますので、色々と至らぬ所がございましたら、なにとぞご指導ご鞭撻の程、宜しくお願いいたします」
定型文句を口にし、俺は礼をした。
可憐だ
清楚だ
美しい
お持ち帰りしたい
異様な台詞が聞こえてきた。
見ると鼻血を流している女子生徒までいる。
何ですか?この状況は?
俺はとら姉さんを見上げたが、とら姉さんは口の端に笑いを浮かべたままである。
「ほら、ささっと、持ち場に戻りな」
とら姉さんが手を叩くと購買部員は一斉に散開した。
「あ、いたいた、よかったわー」
購買部員と入れ替えに今度はテリエさんが祐子さんを連れて現れた。
「あら、お姉ちゃん」
お姉ちゃん?
「なんだ、テリエ、トモ坊を探していたのか?」
お姉ちゃん???
俺はテリエさんととら姉さんを見比べた。確かに言われれば似た所がないでもない。
「え、あ、やっぱり矢田貝さんと聞いて、そうかなと思っていたけど、矢田貝君ってお姉ちゃんのお師匠様のお孫さんなのね」
「え?とら姉さんって、異星人だったの?」
「ああ、そうだ、知らなかったのか?」
驚愕の事実です。
「し、知らなかった・・・・・って、祖父は知っているの?」
とら姉さんは頷いた。
マジで知りませんでした。祖父も教えてくれれば良いのにと思いながらも、あの祖父のことだから、わざと言わずに、後で驚いたか聞いてくるに違いない・・・・・
「で?何を慌てているんだ?」
「あ、それそれ、祐子さん、肝心なこと言わずに矢田貝君に敷地内なら歩き回って良いと言ったらしくて」
俺が祐子さんに視線を向けると、祐子さんは視線を外して後頭部を掻いていた。
「あのね、矢田貝君、これから言うことは、決して冗談でも何でもないことだから、それだけは心に留めて聞いてね」
詰め寄ってくるテリエさんに俺は完全に引きながら頷いた。
「矢田貝君って、私達から見ると、凄い美人なの。グラビアやテレビに出るどの人達よりも、もう超絶レベルが違うほどの美形なの。多分、歴代の中でも特に美しいと言われたノーラステイン第一皇子殿下のエルタ様よりも、清楚で可憐に見えるの。もう言葉に出来ないほどのレベルなのよ」
「・・・・・・・」
多分その時の俺の顔は、よくネットなどで見かける、目が丸くて口がぱっかりと開いた絵文字のような顔になっていたと思う。
ナニイッテルンデスカ、コノオニイサンハ
「だから、今日の所は、出歩くときはマスクなどで顔を隠しておかないと、どんな騒ぎになるか分からないからって・・・」
俺は改めて祐子さんに視線を向けた。
「えーと、矢田貝君も自覚しているよね、普通の男の子レベルだと思っているよね?」
俺は頷いた。ここに自分と同じ意見の人が少なくても一人はいることに俺は安心をした。
「だから、私もうっかり言いそびれたの・・・・・」
「いえ、そう言われても、信じないですよそんなこと」
「信じる信じないじゃなくって、とにかく、今日の所は顔を隠していて」
テリエさんが嫌々をする。くねくねと腰を揺する。俺的に凄くNGです、その仕草。
「遅いんじゃないか?」
とら姉さんが呟く。
「遅い?」
「ああ、さっきここにいた上級生に激写されたばかりだ。全員のデータをクラックしろとは指示したが、実際に全員のデータを消去出来るかは、わからない」
テリエさんの肩ががっくりと落ちた。
「だから購買部の前に黒山の人だかりが出来ているのね」
納得したように祐子さんが呟いた。
「ほほう、どれどれ」
とら姉さんが購買部の入り口の方に確かめに歩いていく。
「そもそも、買い物なら、私に言ってくれれば良いのに」
「じゃあ、エスターの好物って何か教えてもらえます?」
「デクル姫様の?」
驚いた顔のテリエさんに、そもそも何で俺が買い物をしているのかを説明した。
「そう、姫様のためなのね・・・でもごめんなさい、姫様のことはよく知らないの、本来なら私のような者では、お話もできないようなお方ですから、近衛騎士のブラッゲ様なら親しいとお聞きしていますが、如何せんあのお方はかなり奔放なお方とお聞きする通り、今回の件でも、昨晩私の所に、一度連絡があったきりですし・・・」
ある意味ブラッゲらしいなと俺は苦笑した。しかし知らないのならば仕方がない。
祐子さんとテリエさんと別れて、俺は買い物を続けることにした。
この際、俺が美形だとかそう言うことは棚上げにして、当面の問題は引きこもったエスター対策である。
俺はアイテム、抹茶アイスを前に考え込んだ。
さぁ思い出せ、エスターが昨晩抹茶アイスを嬉しそうに食べていたのは事実だ。だから、抹茶アイスは最終アイテムとなりえる。しかし、抹茶アイス以上のリアクションを見たことは無かったか?例えばペイゼルのたこ焼きの様な・・・・・・・
ある意味ペイゼルのリアクションはとても分かり易いので、このような状況の場合には対処がとても楽である。その点、普段から表情をあまり変えないエスターの場合、注意をして観察をしていないと分からない。
で、問題は普段そんなにエスターを観察していたかと言われれば、男の観察などをする趣味は俺にはない。ペイゼルが濃すぎるのだ。
うーんと唸る。
あ、待てよ、母が気を利かせて、同室の皆さんに配ってねと送ってくれた草餅。その草餅を俺は食わなかった。誰か食うかと聞いたとき、名乗りを上げたのはブラッゲ、そして、子を心配する親の心を察して、お前が食えと説教してきたエスターに俺は、母は俺が甘い物があまり好きではない事を知っており、添えられた手紙にも、それを承知で送っているから、もし俺が食わないのなら、誰か欲しい人にあげなさいと書かれている事を知らせると、いきなり目が泳ぎだしたので、お前食うか?と聞いた。
結局、ブラッゲとマリネルが半物ずつに分けて食ったが、少しだけ寂しい視線を向けていたエスター。それが実際、見た目より分かり易い奴じゃないかと思い始めた切っ掛けである。
草餅有るのか?
俺は近くにいた購買部員の先輩に聞いてみた。鼻に赤く染まったティッシュを詰めたお姉さんである。
「は、はい、何でしょうか?」
しまった、図らずも濃そうなお姉さんを選んでしまった。
「草餅ってありますか?」
「はい、こちらになります」
前を歩くお姉さんの足下に、赤い液体がぽたぽたと落ちる。
「あの、大丈夫ですか?」
思わず声を掛けてしまう。
「あ、はい、せんせんだいじょうび・・・」
噛んだらしい、しかも言葉が間違っているし。振り向いた鼻の詰め物を伝わり、大量の鼻血がエプロンを汚している。
軽いスプラッター状態に、見ている方が目眩がしそうである。俺はティッシュを取り出して、差し出した。
「わ、私の為に?」
感極まったように涙ぐむ先輩に、俺は勘弁してくれと叫びたい心境であった。
「ありがとう、宝物にします」
いや、しなくて良いから、鼻のティッシュ入れ替えて下さい。俺の心の叫びはあっさりと無視されて、顔を血染めのエプロンで拭い、更に酷い状態になった先輩が和菓子の棚に連れて行ってくれた。
「ありがとうございました」
「いえ、いつでもお声をおかけ下さい。特技科第二種空間物理学研究員養成クラス二年のノエルとご指名下されば授業中でも駆けつけます」
どこのキャバクラだ。って授業中は流石に不味いでしょ。
思いっきり突っ込みたいのをぐっと押さえて、俺は棚に向き直った。
その棚の店の名前を見て、俺は驚いた。祖母が好きな和菓子屋の名前が書かれている。この和菓子屋は、我が家の近くにある由緒ある店である。ちなみに、そこの次期跡取りは、俺の中学時代の友人でもある。
草餅は基本的にナマモノなので棚に出ているのは四個しか無かった。一個百五十円を高いと見るか安いと見るかは、人それぞれである。俺は悩んで四個買い占めた。
念のためにアイス売り場にとって返し、抹茶アイスも二個買った。アイス売り場にお持ち帰り用のドライアイスが有りますと書かれていたのが決定的であった。交渉が長引いた場合でも、これで大丈夫である。
俺が買い物篭の中身を確認しながらレジに向かっていると、ふと雑誌に目が止まった。
ステイン星系ガイド?
祐子さんに手渡された冊子の冒頭に書かれていたタイトルの雑誌が置いてあった。
手に取ってみると、日本人に向けて発行されているステイン星系のガイドブックであった。試しに中を見てみると、ステイン星系の歴史が書かれている記事を見つけた。
・・・・・・・・・・
「立ち読みお断り・・・とそこに書いてある」
思わず読み込んでしまっていた俺の後ろから声が聞こえて、頭をハタキで叩かれた。
振り向くと、先程マヤと呼ばれた先輩がハタキを手に、俺の頭をハタハタとはたいていた。
どうやら、通常業務に戻ったところらしい。
「あ、御免なさい」
俺は慌てて、手にしていた雑誌を篭の中に入れた。
「お買い上げ、ありがとうございます」
マヤ先輩は、ハタキを振りながらレジに向かう俺に深々とお辞儀をしてきた。
レジで会計を済ませると、購買部員全員の【ありがとうございました、またおこしくださいませ】という斉唱に送られて外に出た。
「おう、まいどー」
俺が外に出ると、とら姉さんが声を掛けてきた。腕を軽く振り回している。その向こうでバットスプロケットを引きずるようにしながら歩いてくる祐子さんもいた。
「お買い物は終わったの?」
左手から聞こえた声に振り向くと、どことなく青ざめた顔のテリエさんがいた。
「あ、はい、ってどうしたんですか?」
「お姉ちゃんと祐子さんが、野次馬を追い払っていたの。徹底的に、完膚無きまでに」
追い払うという言葉には、不釣り合いな表現も含まれていたが、俺はそうですかと答えるに留めておいた。
とら姉さんはいいとしても、バットスプロケットを引きずりながら、左右にふらふらと揺れながら歩く祐子さんには例えようもない恐ろしさを感じる。某スプラッタ映画の何回殺しても生き返ってくる殺人鬼のような雰囲気が漂っているからである。
「んじゃ、またこいよ」
とら姉さんが俺の肩を叩いてきた。
「あ、はい。失礼します」
俺はとら姉さんに頭を下げると、歩き出した。
祐子さんは俺の後ろにぴったりと付くと白衣の中にバットスプロケットを隠し、何食わぬ顔でついてきた。その後ろにテリエさんも続く。
「で、どうやってお姫様を誘い出すの?ちなみに、テリエさんも中には入れて貰えなかったそうよ」
「どうしましょう?」
「何も考えていない?」
「考えていることは色々あるけど、どうしようか・・・・・」
俺達は無言で歩いた。
程なく俺達は職員宿泊施設に入り、問題の部屋の前に着いた。
「考えはまとまったかしら」
おずおずとテリエさんが聞いてくるが、俺は首を横に振った。正直、アイテムの収集に目的がすり替わっていたのが事実である。
「そもそも、なんであんな事で凹むんだ?」
「あ、あんなことですか?」
テリエさんが絶句する。
「うん、俺は、ガキの頃から、とら姉さんとか亜由美姉さんとか、それこそ沢山の女の人に容赦なく殴り飛ばされていたんですが、性別のことなんか考えてる暇無かったですよ」
「それは、まだ性別など意識もしない子供の頃のお話しじゃなくて?」
祐子さんが突っ込んできた。
「あ、そうか、初めてとら姉さんと手合わせしたのって、小学一年の頃だ」
「うそ、そんな頃にお姉ちゃんと?」
「とら姉さんに顔面キック貰って、一撃で轟沈した」
「既に幼児虐待の域に達していない?それって」
「すみません、うちのお姉ちゃんは、昔から手加減とか苦手で・・・」
「でも、それ以来、先に攻撃させてくれた」
「へー、とらさんにしては凄い事じゃない」
「おかげでカウンターとか後の手の重要性が良く解ったんだよなぁ」
「カウンター!」
「うん、蹴りに行った足とかを逆に狙って蹴ると、先に出した方はダメージが倍になるから、何回手足の骨が折れたと思ったことか」
「うわ、容赦ない、小学一年相手に」
「すみません、すみません、本当に」
テリエさんが縮こまり、何回も頭を下げてきた。
「そう言えば・・・エスターも何かやってますよね?」
「え?私はよく知らないけど、王族の方々は護身術を習っていると聞いたことは有ります」
「アントの事だな、それがエレクアントの元だ」
「へぇ、アントって言うのか、それって結構実践的なやつですよね、武道と言うよりかは、本当に生き延びるための体術。だからエスターは・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
俺はゆっくりと後ろを振り向いた。
「私がどうした?というか、人の部屋の前で何を騒いでいる」
呆れ返った表情のエスターがドアを開けて、腰に手を当てて立っていた。
「エスター?」
「なんだ?」
俺は言葉が続かなかった。というか、あっさり出てくるな、反則だろそれは。
テリエさんが両手を握りしめて、頑張ってと、体全体で表現していた。
祐子さんは明らかにこの状況を楽しんでいるような笑みを浮かべている。
「あ、あのさ、エスター、お菓子とか有るんだけど、一緒に食べない?」
俺の声が裏返った。子供をあやすにしても、もう少し言い方が有るだろうと自分で突っ込んでみる。
エスターは不審気に片方の眉を上げる。
「構わないが、その前に昼食の時間ではないのか?食堂に行ってもよいのか?テリエ」
「え?」
「あら、本当ね、十二時を回っているわ」
祐子さんが自分の腕時計を覗き込んでいた。
「す、済みません、ただいまご用意いたします」
テリエさんはそう叫ぶと、慌てて走り去った。
「・・・・・・・」
「昼食も食べずに、菓子を食するのは関心しないぞ」
「・・・・・・・」
俺は買い物袋をエスターに差し出した。どっと疲れが出た。
祐子さんが声もなく笑っている。
「どうした?」
思わず受け取ったエスターが聞いてくるが、俺は肩を落として、自室に向かった。
「矢田貝君、お昼ご飯、用意するからね」
俺はドアノブに手を掛けて、いりませんと答えた。
「あらあら、だめよー?ちゃんとご飯食べないと、体に良くないわよ」
「いりません、寝ます・・・・・凄く疲れた俺・・・・」
俺はドアを開けて、部屋の中に入った。
そのままベッドに倒れ込んで毛布を引っ張り上げる。
今なら十二時間は寝ることが出来るような気がする。
俺はゆっくりと目を閉じた。
予想通り、俺の意識は直ぐに闇の中に溶けていった。
それぞれの建物とは渡り廊下で繋がれており、吹きさらしではあるが、購買部にたどり着くまでに雨に濡れることは無いような作りになっている。また、購買部の前は煉瓦が敷き詰められたちょっとした広場になっており、数名の女子生徒が備え付けられたベンチに腰を掛けてアイス片手に噂話に花を咲かせていた。
購買部の外装はまるでコンビニかスーパーのように、前面がガラス張りになっている。
自動ドアが開き、涼しげな冷気に満たされた店内に俺が足を踏み入れると、店内の上級生が俺に気が付きざわめいた。
休日だというのに開いているのが凄いと思ったが、それ以上にかなりの数の女子生徒が店内にいることに驚いた。
一年の女子制服のネクタイは赤なのでそれ以外のネクタイであることを考えると、二年生以上であることは確かの様である。どうやら俺とエスターは月曜日を待たずに、上級生を認識出来るようになったらしい。
店内のざわめきが広がっていく。
俺も制服姿である。そのネクタイの色は赤なので、いきなり認識不可の生徒が現れたのに驚いたのだろうと思った。
そもそも俺がここにいるのは、先ほどエスターの部屋を訪ねたのだが、あっさりと追い返されてしまったためである。
ドアも開けてもらえなかった俺が考えたのは単純なことである。天野岩戸作戦と呼ばれる戦法で、早い話がドアの前で興味を引くことをして、閉じこもった者が自らドアを開けたくなるようにし向けるのである。その作戦のために物資の調達が必要不可欠であり、外出していいかと聞いた俺に祐子さんが駄目出しを出し、買い物なら購買部で済ませられることを教えてくれたのだ。
ちなみに、祐子さんには百歩譲って第一校舎敷地内なら彷徨って良いと言われた。どうやら俺の状態をモニタしながら遠隔で検査を行っているらしく、その許容範囲が敷地内だということである。
周囲からの痛いほどの視線を感じながら、俺は買い物篭を手にして、店内の品物を見て回った。
一部が半地下になっている売り場面積はかなり広く、品揃えは驚く物があった。下手なコンビニやスーパーよりか品揃えが良い。
良く見てみるとそれぞれの棚には、西や北のアーケードの店名が書かれている。どうやらそれぞれの棚単位で出張販売の形で品物が陳列されているようである。
とある棚などには、トランプや双六程度なら別段驚きもしないが、カードゲームのカードやプラモデル、はたまたフィギュアにラジコンまで置いてある。
俺はプラモデルの前、UボートとタイガーI型で己の物欲と戦った。三割引で売ってますよ。両方とも・・・・・
しかし、今の俺には目的が有ると、それらの誘惑を振り切り、菓子などの食料品の棚に向かった。そこでポテトチップやえびせん、パックではないちょっと高級なお茶の葉もあったので、買い物篭に入れる。
カメラのシャッターが切られる音が聞こえたので右を振り向くと。通路を埋め尽くした女子上級生がこちらに携帯電話や一眼レフの様なカメラを向けていた。
一斉に響き渡る、携帯とカメラのシャッター音。
【ぴろり~ん】とか、【ぴんぽーん】とか、【ばしゃ】とか、【かしゃっ】とか、言葉にすると色々な音がフラッシュの光と供に店内に鳴り響いた。
何を撮っているんだ?と俺は左を振り向くと、こちらにも女子生徒が山になっており、一斉にフラッシュがたかれる。
何を撮っているのかは分からないが、俺は邪魔にならないように、身を屈めて移動しようとしたが、カメラは身を屈める俺に併せて動き、執拗にフラッシュがたかれる。
俺?もしかして撮られてるのって。
「お前ら、店内は撮影禁止だって言っているのがわからないのか!」
もの凄いだみ声が、大音響で店内に響き渡った。
その声と供に、購買部と書かれたエプロンを着けた女子生徒達が、通路を埋め尽くした女子生徒を排除し始めた。
「わ、こら、私は客なのに」
「がたがた抜かすんじゃねぇ、ルールを守らん奴は客でも何でもねぇ、文句が有る奴は後であたしの所にきな!」
だみ声の一括で、蜘蛛の子を散らすように群集が散っていく。
「マヤ、奴らのデータをクラックしろ、ここで撮影した奴は全部ぶち消せ」
「はい、分かりました」
マヤと呼ばれた上級生らしい女子生徒が、バックヤード方向に走り去るのと入れ替わりに二メートル近くの大女が俺の前に大股で歩いてきた。
年齢は三十から四十の間ぐらいであろうか。その身長は二メートルを超しているかもしれない。
大柄で声の様に厳つい顔の女の人だが、人なつっこい瞳が印象的でもある。
「ふん、こりゃ、確かにかなりのべっぴんさんだね、奴らが盛るのも無理はないか。ん?なんだ?お前一年坊主か、この時期に知覚操作から外れているのかい?」
俺はゆっくりと、大女を指さした。
「と、とら姉さん?」
「なんだ、お前、その呼び方をするのは・・・・・ってお前、トモ坊か!」
「お久しぶりです、とら姉さん」
俺は深々とお辞儀をした。とら姉さんは祖父の弟子の一人である。俺の兄弟子に当たるとら姉さんは、それこそ俺など路傍の小石の様に投げ飛ばす強者である。
とら姉さんは遊んでくれたアミアミ姉ちゃん達とは異なり、厳しくも遙か遠い兄弟子である。もっとも稽古以外の時はフランクな口調で話せと昔から言われていた。だから俺はとら姉さんと呼び、とら姉さんは俺のことをトモ坊と呼んでいた。
「トモ坊かぁー、久しぶりだなぁ、でっかくなったなぁ」
そう言いながらとら姉さんは俺の両脇に手を差し入れて、高い高いをした。
「この扱いは変わらないんだ・・・・」
上下左右に揺さぶられながら、俺は苦笑した。この驚愕のパワーと同じく、とら姉さんの身のこなしは素早く、俺は今も避けることが出来なかった。
「そうだな、お前もすっかり一人前になってきたな、この扱いは失礼か」
とら姉さんが俺を降ろしてくれた。
「少し、捕まえるのに手間取った。上達したな嬉しいぞ」
そう言いながらとら姉さんは俺の肩を叩いた。
「捕まってたら、意味ないけどね」
俺は苦笑したが、とら姉さんのその言葉は純粋に嬉しかった。
「しかし、師匠も一言言ってくれれば良いのにな、知らなかったぞ、お前がここに来たなんて」
「そうなの?って祖父はとら姉さんがここにいるって、知っているの?」
「ここの仕事を世話してくれたのが、師匠さ」
「そうだったんだ」
全く知りませんでした。
「あの・・・・・師範、よろしいですか?」
おずおずと女子生徒が声を掛けてきた。
「馬鹿野郎、ここでは師範と呼ぶなと言っているだろうが」
「す、すみませんでした、部長」
声を掛けた女子生徒が、とら姉さんの一括に背筋を伸ばして言い直した。
「あらかたの事態は収拾いたしましたので、通常業務に戻ります」
「ああ、ご苦労さま、・・・って何だ?その顔は、この別嬪さんを紹介して欲しいのか?」
とら姉さんが変な事を言い出した。
「「「「はい、お願いいたします」」」」
その場にいた購買部エプロンを身につけた女子生徒が一斉に斉唱した。俺はその異様さに一瞬たじろいでしまった。
「こいつは矢田貝友弥、あたしの弟弟子で、お前らの兄弟子だ。こんな別嬪さんだが、お前らが束になっても、かなう相手ではない、良く覚えておけ」
「あ、あの・・・・」
「「「「はい、わかりました」」」」
俺の言葉は、購買部員の斉唱にかき消された。
「あ、あの、この先輩方は?」
俺は顔を引きつらせながら、聞いてみた。
「あたしの弟子達だ、ちゃんと師匠にも認められている正統な弟子達だよ、つまりはお前の弟弟子に当たるわけだ。ほれ、なんか言ってやれ」
そう言いながらとら姉さんが俺の尻を叩いてきた。
「え、えーと、」
購買部員を見渡すと、なぜか全員うっとりとした顔で俺を見ていた。異様な光景である。
「矢田貝友弥です、学業では皆様方が先輩になりますので、色々と至らぬ所がございましたら、なにとぞご指導ご鞭撻の程、宜しくお願いいたします」
定型文句を口にし、俺は礼をした。
可憐だ
清楚だ
美しい
お持ち帰りしたい
異様な台詞が聞こえてきた。
見ると鼻血を流している女子生徒までいる。
何ですか?この状況は?
俺はとら姉さんを見上げたが、とら姉さんは口の端に笑いを浮かべたままである。
「ほら、ささっと、持ち場に戻りな」
とら姉さんが手を叩くと購買部員は一斉に散開した。
「あ、いたいた、よかったわー」
購買部員と入れ替えに今度はテリエさんが祐子さんを連れて現れた。
「あら、お姉ちゃん」
お姉ちゃん?
「なんだ、テリエ、トモ坊を探していたのか?」
お姉ちゃん???
俺はテリエさんととら姉さんを見比べた。確かに言われれば似た所がないでもない。
「え、あ、やっぱり矢田貝さんと聞いて、そうかなと思っていたけど、矢田貝君ってお姉ちゃんのお師匠様のお孫さんなのね」
「え?とら姉さんって、異星人だったの?」
「ああ、そうだ、知らなかったのか?」
驚愕の事実です。
「し、知らなかった・・・・・って、祖父は知っているの?」
とら姉さんは頷いた。
マジで知りませんでした。祖父も教えてくれれば良いのにと思いながらも、あの祖父のことだから、わざと言わずに、後で驚いたか聞いてくるに違いない・・・・・
「で?何を慌てているんだ?」
「あ、それそれ、祐子さん、肝心なこと言わずに矢田貝君に敷地内なら歩き回って良いと言ったらしくて」
俺が祐子さんに視線を向けると、祐子さんは視線を外して後頭部を掻いていた。
「あのね、矢田貝君、これから言うことは、決して冗談でも何でもないことだから、それだけは心に留めて聞いてね」
詰め寄ってくるテリエさんに俺は完全に引きながら頷いた。
「矢田貝君って、私達から見ると、凄い美人なの。グラビアやテレビに出るどの人達よりも、もう超絶レベルが違うほどの美形なの。多分、歴代の中でも特に美しいと言われたノーラステイン第一皇子殿下のエルタ様よりも、清楚で可憐に見えるの。もう言葉に出来ないほどのレベルなのよ」
「・・・・・・・」
多分その時の俺の顔は、よくネットなどで見かける、目が丸くて口がぱっかりと開いた絵文字のような顔になっていたと思う。
ナニイッテルンデスカ、コノオニイサンハ
「だから、今日の所は、出歩くときはマスクなどで顔を隠しておかないと、どんな騒ぎになるか分からないからって・・・」
俺は改めて祐子さんに視線を向けた。
「えーと、矢田貝君も自覚しているよね、普通の男の子レベルだと思っているよね?」
俺は頷いた。ここに自分と同じ意見の人が少なくても一人はいることに俺は安心をした。
「だから、私もうっかり言いそびれたの・・・・・」
「いえ、そう言われても、信じないですよそんなこと」
「信じる信じないじゃなくって、とにかく、今日の所は顔を隠していて」
テリエさんが嫌々をする。くねくねと腰を揺する。俺的に凄くNGです、その仕草。
「遅いんじゃないか?」
とら姉さんが呟く。
「遅い?」
「ああ、さっきここにいた上級生に激写されたばかりだ。全員のデータをクラックしろとは指示したが、実際に全員のデータを消去出来るかは、わからない」
テリエさんの肩ががっくりと落ちた。
「だから購買部の前に黒山の人だかりが出来ているのね」
納得したように祐子さんが呟いた。
「ほほう、どれどれ」
とら姉さんが購買部の入り口の方に確かめに歩いていく。
「そもそも、買い物なら、私に言ってくれれば良いのに」
「じゃあ、エスターの好物って何か教えてもらえます?」
「デクル姫様の?」
驚いた顔のテリエさんに、そもそも何で俺が買い物をしているのかを説明した。
「そう、姫様のためなのね・・・でもごめんなさい、姫様のことはよく知らないの、本来なら私のような者では、お話もできないようなお方ですから、近衛騎士のブラッゲ様なら親しいとお聞きしていますが、如何せんあのお方はかなり奔放なお方とお聞きする通り、今回の件でも、昨晩私の所に、一度連絡があったきりですし・・・」
ある意味ブラッゲらしいなと俺は苦笑した。しかし知らないのならば仕方がない。
祐子さんとテリエさんと別れて、俺は買い物を続けることにした。
この際、俺が美形だとかそう言うことは棚上げにして、当面の問題は引きこもったエスター対策である。
俺はアイテム、抹茶アイスを前に考え込んだ。
さぁ思い出せ、エスターが昨晩抹茶アイスを嬉しそうに食べていたのは事実だ。だから、抹茶アイスは最終アイテムとなりえる。しかし、抹茶アイス以上のリアクションを見たことは無かったか?例えばペイゼルのたこ焼きの様な・・・・・・・
ある意味ペイゼルのリアクションはとても分かり易いので、このような状況の場合には対処がとても楽である。その点、普段から表情をあまり変えないエスターの場合、注意をして観察をしていないと分からない。
で、問題は普段そんなにエスターを観察していたかと言われれば、男の観察などをする趣味は俺にはない。ペイゼルが濃すぎるのだ。
うーんと唸る。
あ、待てよ、母が気を利かせて、同室の皆さんに配ってねと送ってくれた草餅。その草餅を俺は食わなかった。誰か食うかと聞いたとき、名乗りを上げたのはブラッゲ、そして、子を心配する親の心を察して、お前が食えと説教してきたエスターに俺は、母は俺が甘い物があまり好きではない事を知っており、添えられた手紙にも、それを承知で送っているから、もし俺が食わないのなら、誰か欲しい人にあげなさいと書かれている事を知らせると、いきなり目が泳ぎだしたので、お前食うか?と聞いた。
結局、ブラッゲとマリネルが半物ずつに分けて食ったが、少しだけ寂しい視線を向けていたエスター。それが実際、見た目より分かり易い奴じゃないかと思い始めた切っ掛けである。
草餅有るのか?
俺は近くにいた購買部員の先輩に聞いてみた。鼻に赤く染まったティッシュを詰めたお姉さんである。
「は、はい、何でしょうか?」
しまった、図らずも濃そうなお姉さんを選んでしまった。
「草餅ってありますか?」
「はい、こちらになります」
前を歩くお姉さんの足下に、赤い液体がぽたぽたと落ちる。
「あの、大丈夫ですか?」
思わず声を掛けてしまう。
「あ、はい、せんせんだいじょうび・・・」
噛んだらしい、しかも言葉が間違っているし。振り向いた鼻の詰め物を伝わり、大量の鼻血がエプロンを汚している。
軽いスプラッター状態に、見ている方が目眩がしそうである。俺はティッシュを取り出して、差し出した。
「わ、私の為に?」
感極まったように涙ぐむ先輩に、俺は勘弁してくれと叫びたい心境であった。
「ありがとう、宝物にします」
いや、しなくて良いから、鼻のティッシュ入れ替えて下さい。俺の心の叫びはあっさりと無視されて、顔を血染めのエプロンで拭い、更に酷い状態になった先輩が和菓子の棚に連れて行ってくれた。
「ありがとうございました」
「いえ、いつでもお声をおかけ下さい。特技科第二種空間物理学研究員養成クラス二年のノエルとご指名下されば授業中でも駆けつけます」
どこのキャバクラだ。って授業中は流石に不味いでしょ。
思いっきり突っ込みたいのをぐっと押さえて、俺は棚に向き直った。
その棚の店の名前を見て、俺は驚いた。祖母が好きな和菓子屋の名前が書かれている。この和菓子屋は、我が家の近くにある由緒ある店である。ちなみに、そこの次期跡取りは、俺の中学時代の友人でもある。
草餅は基本的にナマモノなので棚に出ているのは四個しか無かった。一個百五十円を高いと見るか安いと見るかは、人それぞれである。俺は悩んで四個買い占めた。
念のためにアイス売り場にとって返し、抹茶アイスも二個買った。アイス売り場にお持ち帰り用のドライアイスが有りますと書かれていたのが決定的であった。交渉が長引いた場合でも、これで大丈夫である。
俺が買い物篭の中身を確認しながらレジに向かっていると、ふと雑誌に目が止まった。
ステイン星系ガイド?
祐子さんに手渡された冊子の冒頭に書かれていたタイトルの雑誌が置いてあった。
手に取ってみると、日本人に向けて発行されているステイン星系のガイドブックであった。試しに中を見てみると、ステイン星系の歴史が書かれている記事を見つけた。
・・・・・・・・・・
「立ち読みお断り・・・とそこに書いてある」
思わず読み込んでしまっていた俺の後ろから声が聞こえて、頭をハタキで叩かれた。
振り向くと、先程マヤと呼ばれた先輩がハタキを手に、俺の頭をハタハタとはたいていた。
どうやら、通常業務に戻ったところらしい。
「あ、御免なさい」
俺は慌てて、手にしていた雑誌を篭の中に入れた。
「お買い上げ、ありがとうございます」
マヤ先輩は、ハタキを振りながらレジに向かう俺に深々とお辞儀をしてきた。
レジで会計を済ませると、購買部員全員の【ありがとうございました、またおこしくださいませ】という斉唱に送られて外に出た。
「おう、まいどー」
俺が外に出ると、とら姉さんが声を掛けてきた。腕を軽く振り回している。その向こうでバットスプロケットを引きずるようにしながら歩いてくる祐子さんもいた。
「お買い物は終わったの?」
左手から聞こえた声に振り向くと、どことなく青ざめた顔のテリエさんがいた。
「あ、はい、ってどうしたんですか?」
「お姉ちゃんと祐子さんが、野次馬を追い払っていたの。徹底的に、完膚無きまでに」
追い払うという言葉には、不釣り合いな表現も含まれていたが、俺はそうですかと答えるに留めておいた。
とら姉さんはいいとしても、バットスプロケットを引きずりながら、左右にふらふらと揺れながら歩く祐子さんには例えようもない恐ろしさを感じる。某スプラッタ映画の何回殺しても生き返ってくる殺人鬼のような雰囲気が漂っているからである。
「んじゃ、またこいよ」
とら姉さんが俺の肩を叩いてきた。
「あ、はい。失礼します」
俺はとら姉さんに頭を下げると、歩き出した。
祐子さんは俺の後ろにぴったりと付くと白衣の中にバットスプロケットを隠し、何食わぬ顔でついてきた。その後ろにテリエさんも続く。
「で、どうやってお姫様を誘い出すの?ちなみに、テリエさんも中には入れて貰えなかったそうよ」
「どうしましょう?」
「何も考えていない?」
「考えていることは色々あるけど、どうしようか・・・・・」
俺達は無言で歩いた。
程なく俺達は職員宿泊施設に入り、問題の部屋の前に着いた。
「考えはまとまったかしら」
おずおずとテリエさんが聞いてくるが、俺は首を横に振った。正直、アイテムの収集に目的がすり替わっていたのが事実である。
「そもそも、なんであんな事で凹むんだ?」
「あ、あんなことですか?」
テリエさんが絶句する。
「うん、俺は、ガキの頃から、とら姉さんとか亜由美姉さんとか、それこそ沢山の女の人に容赦なく殴り飛ばされていたんですが、性別のことなんか考えてる暇無かったですよ」
「それは、まだ性別など意識もしない子供の頃のお話しじゃなくて?」
祐子さんが突っ込んできた。
「あ、そうか、初めてとら姉さんと手合わせしたのって、小学一年の頃だ」
「うそ、そんな頃にお姉ちゃんと?」
「とら姉さんに顔面キック貰って、一撃で轟沈した」
「既に幼児虐待の域に達していない?それって」
「すみません、うちのお姉ちゃんは、昔から手加減とか苦手で・・・」
「でも、それ以来、先に攻撃させてくれた」
「へー、とらさんにしては凄い事じゃない」
「おかげでカウンターとか後の手の重要性が良く解ったんだよなぁ」
「カウンター!」
「うん、蹴りに行った足とかを逆に狙って蹴ると、先に出した方はダメージが倍になるから、何回手足の骨が折れたと思ったことか」
「うわ、容赦ない、小学一年相手に」
「すみません、すみません、本当に」
テリエさんが縮こまり、何回も頭を下げてきた。
「そう言えば・・・エスターも何かやってますよね?」
「え?私はよく知らないけど、王族の方々は護身術を習っていると聞いたことは有ります」
「アントの事だな、それがエレクアントの元だ」
「へぇ、アントって言うのか、それって結構実践的なやつですよね、武道と言うよりかは、本当に生き延びるための体術。だからエスターは・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
俺はゆっくりと後ろを振り向いた。
「私がどうした?というか、人の部屋の前で何を騒いでいる」
呆れ返った表情のエスターがドアを開けて、腰に手を当てて立っていた。
「エスター?」
「なんだ?」
俺は言葉が続かなかった。というか、あっさり出てくるな、反則だろそれは。
テリエさんが両手を握りしめて、頑張ってと、体全体で表現していた。
祐子さんは明らかにこの状況を楽しんでいるような笑みを浮かべている。
「あ、あのさ、エスター、お菓子とか有るんだけど、一緒に食べない?」
俺の声が裏返った。子供をあやすにしても、もう少し言い方が有るだろうと自分で突っ込んでみる。
エスターは不審気に片方の眉を上げる。
「構わないが、その前に昼食の時間ではないのか?食堂に行ってもよいのか?テリエ」
「え?」
「あら、本当ね、十二時を回っているわ」
祐子さんが自分の腕時計を覗き込んでいた。
「す、済みません、ただいまご用意いたします」
テリエさんはそう叫ぶと、慌てて走り去った。
「・・・・・・・」
「昼食も食べずに、菓子を食するのは関心しないぞ」
「・・・・・・・」
俺は買い物袋をエスターに差し出した。どっと疲れが出た。
祐子さんが声もなく笑っている。
「どうした?」
思わず受け取ったエスターが聞いてくるが、俺は肩を落として、自室に向かった。
「矢田貝君、お昼ご飯、用意するからね」
俺はドアノブに手を掛けて、いりませんと答えた。
「あらあら、だめよー?ちゃんとご飯食べないと、体に良くないわよ」
「いりません、寝ます・・・・・凄く疲れた俺・・・・」
俺はドアを開けて、部屋の中に入った。
そのままベッドに倒れ込んで毛布を引っ張り上げる。
今なら十二時間は寝ることが出来るような気がする。
俺はゆっくりと目を閉じた。
予想通り、俺の意識は直ぐに闇の中に溶けていった。
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