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第1作 桜の朽木に虫の這うこと
第79話 父と子と
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「父さん……っ!」
なぜそう言い放ったのか、彼にもよくわからない。
しかしウツロは、魔王桜の攻撃からわが身を呈して自分を守った似嵐鏡月を、確かにそう呼んだのだ。
魔王桜は鋭い大枝を乱暴に引き抜いた。
そしてそれをわがもとへ引き寄せ、暗黒の世界を連れ立つように、いずこかへと消え去った。
あとには、さっきまでの桜の森の空間と、七人の人間たちだけが残された。
ウツロは瀕死の「父」に駆け寄り、その体を抱きかかえた。
「父さん、しっかり!」
「……わしを、父と呼んでくれるのか、ウツロ……」
似嵐鏡月は血を吐いて、出血した胸ぐらを手で押さえている。
「お願いです、父さん! 毒虫でもなんでもいい! 俺は父さんと一緒にいたいんです!」
ウツロは顔をくしゃくしゃにしてそう叫んだ。
「……完全に、わしの負けのようだ……わしは自分に負けた、だがウツロ……お前は、お前というやつは……」
似嵐鏡月はそっと、その手をウツロの頭に置いた。
「万城目日和は、生きておる」
一同は驚愕した。
似嵐鏡月がかつて命を奪ったという、悪徳政治家の娘――
その名前が確か、万城目日和だった。
「殺したというのは方便……隠れ里とは別の場所で、わしがひそかに保護し、お前たちと同じように、育てておったのだ……」
彼はなぜ、その少女を生かしておいたというのか。
「わしがあやつを始末しようとしたとき、あやつはこう言い放った」
その技を教えろ、お前を殺すために……!
「わしが死んだと知ったとき、あやつがどんな行動に出るのか、わしにもわからん。わしの代わりにウツロ、お前をつけ狙うかもしれん。あるいは……」
似嵐鏡月は激しく咳きこんで、また血を吐いた。
「父さん!」
「ただ、ひとつだけ言っておこう、ウツロ……お前では、あやつには、勝てん……」
彼はひどく荒い呼吸をしながら、話を続ける。
「ウツロよ、お前は問いかけに解答を見出した……しかしその解答は、やはり問いかけなのだ。お前はその問いかけから、さらに解答を見出さなければならない……その連鎖は果てしなく、終わることのないイバラの道だ……夜はまたやってくるだろう……乗りこえられない夜も、あるかもしれん……しかし、お前の選んだ道なら、進むがいい……迷いに迷って、活路を探すのだ……それがつまり、人間になるということ……そうだろう?」
似嵐鏡月の口調は、次第にとぎれとぎれになっていく。
「わしは、人間のクズだ……だが、最後に、人間に、近づけた気がする……ウツロ、お前のおかげだ……」
末期の言葉だった。
だがウツロは、決してそれを認めたくはなかった。
「なりません、父さん! 死んではなりません! ウツロは父さんと、兄さんと三人で、また暮らすのです!」
似嵐鏡月は体を無理やり動かして、アクタのほうを見た。
「アクタ、わが子よ……愚かな父を、許してくれ……息子をともに連れていく、この外道を……」
涙もしとどに、わびを入れた。
だがアクタは、満足した顔だ。
「なに、言ってやがる、クソ親父……あんたと、行けるなんて、最高の、気分、だぜ……」
ぼろぼろになった状態で、それでも笑っている。
「はは、お前らしいのう……最後の最後まで、間抜けなセリフを、吐きおって……」
「言ってろよ、人間のクズが……」
アクタは笑顔で、涙を流した。
「ウツロよ、ひとつだけ、言い残すことがある……」
「父」は最後の力で、「息子」に思いを託す。
「よいか、たとえ、お前が愛するものを、傷つけられたとしても……怒りでわれを、失ってはならん……もし、そうなりかけたときは、わしのことを、思い出せ……この、愚かな父の言葉を、気つけとし、目を覚ますのだ……よいか、それだけは、忘れては、ならんぞ……」
似嵐鏡月は死期を悟った。
「時間だ、ウツロ……お前が這うさまを、しっかり、見届けさせてもらうぞ……地獄の、底でな……」
「いやだっ、行かないで! 父さんっ!」
「さらばだ、息子たちよ……」
似嵐鏡月は息を引きとる寸前になって、やっと心が晴れわたっていくのを感じた。
「人間とは何か?」という、自身を生涯苦しめた問いかけに、わが子が解答を出してくれた。
自分が真の意味で「父親」になれたような気がしたのだ。
それがあまりに遅かったとしても、外道のまま旅立つよりは、よいのではないか。
それがこの男の、世界を愛するがゆえに世界を呪った男が最後にした、思索だった。
最期におよんでだけれど、認めることができた。
息子たちへの愛を――
「父さん……」
本心など、どうでもいい。
父さんは俺を、認めてくれた。
少なくとも、ウツロはそう、確信していた。
「よかった、ウツロ……」
「アクタ!」
ウツロは今度は「兄」のほうへと駆け寄った。
「俺も、先に、行くぜ……クソ親父と、一緒に、見守ってるからよ……」
もう力など出ないはずなのに、アクタは顔を上げて「弟」を見た。
「その人たちなら、大丈夫だ……ウツロ、俺の代わりに、お前を守って……」
「もういい! しゃべるな、アクタ!」
アクタにもまた、最期がやってきた。
彼は傍らの南柾樹に視線を送った。
「弟を、頼む……!」
南柾樹は黙って歯を食いしばり、うなずいた。
「もう、なってるだろ……」
「アク、タ……?」
「人間、だぜ……ウツ、ロ……」
アクタは父に続いた――
その顔は、ウツロでさえも初めて見る、穏やかさに満ちあふれていた。
「アクタっ、兄さんっ! いやだ、行かないでくれ! 兄さん、兄さあああああんっ!」
ウツロが絶叫する中、桜の森につどう少年少女たちは、それぞれの思いを、それぞれの胸に宿した。
そして夜は、白々と明けてきた――
(『第80話 夜明け』へ続く)
なぜそう言い放ったのか、彼にもよくわからない。
しかしウツロは、魔王桜の攻撃からわが身を呈して自分を守った似嵐鏡月を、確かにそう呼んだのだ。
魔王桜は鋭い大枝を乱暴に引き抜いた。
そしてそれをわがもとへ引き寄せ、暗黒の世界を連れ立つように、いずこかへと消え去った。
あとには、さっきまでの桜の森の空間と、七人の人間たちだけが残された。
ウツロは瀕死の「父」に駆け寄り、その体を抱きかかえた。
「父さん、しっかり!」
「……わしを、父と呼んでくれるのか、ウツロ……」
似嵐鏡月は血を吐いて、出血した胸ぐらを手で押さえている。
「お願いです、父さん! 毒虫でもなんでもいい! 俺は父さんと一緒にいたいんです!」
ウツロは顔をくしゃくしゃにしてそう叫んだ。
「……完全に、わしの負けのようだ……わしは自分に負けた、だがウツロ……お前は、お前というやつは……」
似嵐鏡月はそっと、その手をウツロの頭に置いた。
「万城目日和は、生きておる」
一同は驚愕した。
似嵐鏡月がかつて命を奪ったという、悪徳政治家の娘――
その名前が確か、万城目日和だった。
「殺したというのは方便……隠れ里とは別の場所で、わしがひそかに保護し、お前たちと同じように、育てておったのだ……」
彼はなぜ、その少女を生かしておいたというのか。
「わしがあやつを始末しようとしたとき、あやつはこう言い放った」
その技を教えろ、お前を殺すために……!
「わしが死んだと知ったとき、あやつがどんな行動に出るのか、わしにもわからん。わしの代わりにウツロ、お前をつけ狙うかもしれん。あるいは……」
似嵐鏡月は激しく咳きこんで、また血を吐いた。
「父さん!」
「ただ、ひとつだけ言っておこう、ウツロ……お前では、あやつには、勝てん……」
彼はひどく荒い呼吸をしながら、話を続ける。
「ウツロよ、お前は問いかけに解答を見出した……しかしその解答は、やはり問いかけなのだ。お前はその問いかけから、さらに解答を見出さなければならない……その連鎖は果てしなく、終わることのないイバラの道だ……夜はまたやってくるだろう……乗りこえられない夜も、あるかもしれん……しかし、お前の選んだ道なら、進むがいい……迷いに迷って、活路を探すのだ……それがつまり、人間になるということ……そうだろう?」
似嵐鏡月の口調は、次第にとぎれとぎれになっていく。
「わしは、人間のクズだ……だが、最後に、人間に、近づけた気がする……ウツロ、お前のおかげだ……」
末期の言葉だった。
だがウツロは、決してそれを認めたくはなかった。
「なりません、父さん! 死んではなりません! ウツロは父さんと、兄さんと三人で、また暮らすのです!」
似嵐鏡月は体を無理やり動かして、アクタのほうを見た。
「アクタ、わが子よ……愚かな父を、許してくれ……息子をともに連れていく、この外道を……」
涙もしとどに、わびを入れた。
だがアクタは、満足した顔だ。
「なに、言ってやがる、クソ親父……あんたと、行けるなんて、最高の、気分、だぜ……」
ぼろぼろになった状態で、それでも笑っている。
「はは、お前らしいのう……最後の最後まで、間抜けなセリフを、吐きおって……」
「言ってろよ、人間のクズが……」
アクタは笑顔で、涙を流した。
「ウツロよ、ひとつだけ、言い残すことがある……」
「父」は最後の力で、「息子」に思いを託す。
「よいか、たとえ、お前が愛するものを、傷つけられたとしても……怒りでわれを、失ってはならん……もし、そうなりかけたときは、わしのことを、思い出せ……この、愚かな父の言葉を、気つけとし、目を覚ますのだ……よいか、それだけは、忘れては、ならんぞ……」
似嵐鏡月は死期を悟った。
「時間だ、ウツロ……お前が這うさまを、しっかり、見届けさせてもらうぞ……地獄の、底でな……」
「いやだっ、行かないで! 父さんっ!」
「さらばだ、息子たちよ……」
似嵐鏡月は息を引きとる寸前になって、やっと心が晴れわたっていくのを感じた。
「人間とは何か?」という、自身を生涯苦しめた問いかけに、わが子が解答を出してくれた。
自分が真の意味で「父親」になれたような気がしたのだ。
それがあまりに遅かったとしても、外道のまま旅立つよりは、よいのではないか。
それがこの男の、世界を愛するがゆえに世界を呪った男が最後にした、思索だった。
最期におよんでだけれど、認めることができた。
息子たちへの愛を――
「父さん……」
本心など、どうでもいい。
父さんは俺を、認めてくれた。
少なくとも、ウツロはそう、確信していた。
「よかった、ウツロ……」
「アクタ!」
ウツロは今度は「兄」のほうへと駆け寄った。
「俺も、先に、行くぜ……クソ親父と、一緒に、見守ってるからよ……」
もう力など出ないはずなのに、アクタは顔を上げて「弟」を見た。
「その人たちなら、大丈夫だ……ウツロ、俺の代わりに、お前を守って……」
「もういい! しゃべるな、アクタ!」
アクタにもまた、最期がやってきた。
彼は傍らの南柾樹に視線を送った。
「弟を、頼む……!」
南柾樹は黙って歯を食いしばり、うなずいた。
「もう、なってるだろ……」
「アク、タ……?」
「人間、だぜ……ウツ、ロ……」
アクタは父に続いた――
その顔は、ウツロでさえも初めて見る、穏やかさに満ちあふれていた。
「アクタっ、兄さんっ! いやだ、行かないでくれ! 兄さん、兄さあああああんっ!」
ウツロが絶叫する中、桜の森につどう少年少女たちは、それぞれの思いを、それぞれの胸に宿した。
そして夜は、白々と明けてきた――
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