桜の朽木に虫の這うこと

朽木桜斎

文字の大きさ
上 下
78 / 217
第1作 桜の朽木に虫の這うこと

第77話 人間論

しおりを挟む
「お師匠様ししょうさま、最高の勝負を、ありがとう、ございました……」

 ウツロの目から一筋ひとすじなみだしたたちた。

 たおんだ大きな山犬やまいぬの体がどんどんちぢんでいって、もとの似嵐鏡月にがらし きょうげつの姿へともどった。

「……なぜ、なぜだ……」

 彼は薄れた意識の中、まだそう問いかけていた。

 ウツロもまたもとの姿へと戻り、その場にしゃがんで、りんと正座をした。

かせをはめられ、くさりにつながれていることに立ち向かうからこそ、自由の大切さがわかる。存在を否定されることに向き合うからこそ、自分を肯定こうていできる。矮小わいしょうな自分を認めるからこそ、勇気をしぼることができる。悪を思うからこそ、善に向かうことができる」

 星川雅ほしかわ みやび南柾樹みなみ まさき真田虎太郎さなだ こたろう、そして真田龍子さなだ りょうこ――

 みんなはウツロが自分たちへ向けて、それぞれ言ってくれたことを理解した。

 そしてそれは、ウツロが自分自身へ向けて言ったことでもあり、無理やり言いきかせているのではなく、本心からそう思えたことだった。

 ウツロはこのとき、すべての存在を肯定することができたのだ。

 自身をのろう父までも。

「お師匠様、俺は毒虫だってなんだっていい。毒虫が自分のみにくさを呪ったら、本当に毒虫になってしまう。立ち止まっている毒虫ではなく、俺は、いつづける毒虫になりたい。きっとそれが、人間になるということなんです。それが俺の、『人間論』です……!」

 ウツロはこのように、決然として言い放った。

 似嵐鏡月は少年時代の自分を思い出した。

 思索しさくぐ思索の果てに形成された「人間論にんげんろん」。

 その解答を必死で見出みいだそうとしていた。

「……どうやらわしは、もうひらこうとして、逆にしずんでいたようだのう……」

 鏡月、この能なしが!

 貴様は似嵐の面汚つらよごしだ!

 くすくす、鏡月、またお父様にしかられて。

 本当に、ダメな弟よね。

「わしはただ、ほめてもらいたかった……親父に、姉貴に……それだけなのに……」

 ウツロは悲痛な気持ちになった。

 自分の人生をもてあそんだ父。

 だが、彼もまた、弄ばれた存在だったのだ。

「ウツロよ、わしは自分に負けた……だがお前は、お前というやつは……」

 似嵐鏡月の顔が次第しだいおだやかになっていく。

 うまく言えないけれど、いい気分だ……

 彼は心の中のくもりが晴れていくのを感じた。

「ウツロよ、わしにとどめをすのだ」

「……!」

 その言葉にウツロは衝撃を受けた。

「それだけのことを、わしはお前たちにした。人としてあるまじきこと、生きている価値などない……さあ、ウツロよ、頼む……!」

 ウツロはアクタのほうを見た。

「……ウツロ、お前にぜんぶ、任せるぜ……」

 兄の委任いにんを受け、ウツロも覚悟を決めた。

「されば、お師匠様……!」

 彼は立ち上がり、師に向けてびかかった。

「お覚悟!」

 似嵐鏡月は目を閉じた。

 だが、土をえぐにぶい音を首の横に聞き、再び目をけた。

 ウツロの黒刀こくとうは師をとどめてはいなかった。

 歯を食いしばって涙をこらえる息子の顔が、眼前がんぜんにある。

「……お師匠様、あなたがここで死を選んだのなら……いままであなたに踏みにじられた者の存在は、なんだったというのでしょうか……?」

「……」

「あなたがなすべきことは……生きて、それらへのつぐないをする……それしかないのではありませんか……?」

「ウツロ……」

「生きてください、お師匠様……! そしてまた、アクタと三人で、隠れ里で暮らしましょう……!」

 これを聞いたアクタは、満足そうに落涙らくるいした。

 似嵐鏡月も同様だ。

「……完全に、わしの負けのようだな……そして、強くなったな、ウツロよ……」

「……」

「お前はもう、毒虫などではない……はばたけ、はばたくのだ、ウツロ……!」

 ウツロはこらえきれずに、涙をこぼした。

 その場にいる全員が、泣いていた。

 いままでバラバラだったものを、ウツロがひとつにつなぎ合わせた。

 みんながみんな、それがうれしくてしかたがなかった。

 夜空よぞらが少しずつしらいでくる。

 もう夜明けか。

 しかしそれは、特別な意味での夜明け。

 みんながそう思っていたとき――

「……!?」

「な、なんだ、この音は……!」

 星川雅と南柾樹はあたりを見回した。

「地震……いえ、違うわ……!」

「姉さん、何かがおかしいです……! 気をつけて……!」

 真田虎太郎は姉・龍子を守った。

「いったい、なんだってんだ、こんなときによ……!」

 アクタも満身創痍まんしんそういながら、身を守るしぐさをした。

「この感じ……まさか、まさか……!」

「お師匠様、お気をつけください……!」

 ウツロも地面にしている師をかばった。

 地鳴じなりはどんどん大きくなり、地は割れ、桜の森はけていく。

 そして鎮守ちんじゅ一本桜いっぽんざくら一同いちどうを残して、すべてが粉々こなごなくだった。

 暗黒の世界と化したその空間。

 一本桜がにわかにうごめきだす。

 みるみるうちに巨大化し、アクタ以外の全員が知る、忘れもしない、いや、忘れることなどできない、あの異形いぎょうの王の姿へと、変貌へんぼうげた。

「これは、魔王桜まおうざくら……」

(『第78話 降臨こうりん』へ続く)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

武神少女R 陰キャなクラスメイトが地下闘技場のチャンピオンだった

朽木桜斎
ライト文芸
高校生の鬼神柊夜(おにがみ しゅうや)は、クラスメイトで陰キャのレッテルを貼られている鈴木理子(すずき りこ)に告ろうとするが、路地裏で不良をフルボッコにする彼女を目撃してしまう。 理子は地下格闘技のチャンピオンで、その正体を知ってしまった柊夜は、彼女から始末されかけるも、なんとか事なきを得る。 だがこれをきっかけとして、彼は地下闘技場に渦巻く数々の陰謀に、巻き込まれていくことになるのだった。 ほかのサイトにも投稿しています。

大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。 でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。 けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。 同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。 そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...