桜の朽木に虫の這うこと

朽木桜斎

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第1作 桜の朽木に虫の這うこと

第50話 あわれみ

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みやびっ、しっかりして!」

さわんな、豚女ぶたおんな……!」

「雅……」

 気づかう真田龍子さなだ りょうこの手を、星川雅ほしかわ みやび退けた――

「友達ぶって、いい人のフリしやがって」

「雅、わたし、そんなつもりは……」

「ほら、それだよ。善人ぶってさ、吐き気がする!」

 立て続けに呪いの言葉を吐く。

「何か言ってみろよ、豚女」

 真田龍子は、なんとかして星川雅の心を開きたいと思った。

 そのためには、まずこちらの心を開く必要がある――

 彼女はそう、決心した。

ぶたでかまわない」

「……は?」

「わたしは雅の『豚』でかまわないよ」

「……なに、言ってんの……?」

「雅の他人を支配したいという気持ち、わたしが受け止める。だからわたしは、雅の豚でかまわない」

「なに、それ……聖人みたいなこと言わないでよ。わかってるんでしょ? わたしがあんたに何をしてるのか?」

「ええ」

「なら、なんで……」

「もし雅が、誰も支配できないって苦しんでいるのなら、わたしだけは支配していい。そういうことだよ」

「何を、言ってるのか……意味わかんねーよ……」

「少なくともわたしだけは、雅の支配対象でいいってこと」

「そんなこと言って、ポイント稼いで、ウツロをわたしから取ろうってんでしょ?」

「もちろん、わたしはウツロくんを愛してる」

「ははっ、ほら、やっぱりじゃん。結局そこなんじゃない」

「いえ、違う」

「何が違うんだよ?」

「わたしはウツロくんを愛してる。でもそれは、ウツロくんを愛することで、ウツロくんを救い、わたし自身も救うって意味なんだ。そして雅、それとは別に、わたしはあなたに支配されることで、あなたも救いたい。それはあなたを救うことで、わたしも救われるということ」

「トンチ問答かよ。それってすごい、わがままじゃん?」

「わかってる。わがままなのは、わかってる。でもわたしは、ウツロくんも救いたいし、雅のことも救いたい」

自己犠牲じこぎせいとでも言いたいの? あんたのそれは偽善ぎぜんだよ?」

「偽善でいい。わたしだけでも支配することで、雅、あなたが救われるのなら」

「……ああ、そうかよ……」

「――!?」

 星川雅は髪の毛で、真田龍子をからった。

「このままズタズタにすることもできるんだよ?」

「いいよ。それで雅が、救われるのなら」

「……なめやがって」

「――!」

 そのまま一気にげる。

「どうよ? これでもまだ、同じことが言えんのかよ?」

「かまわない……わたしが、ウツロくんを、愛している、事実は、変わらないから……」

「――!?」

 星川雅は葛藤かっとうした。

 真田龍子を殺せば、彼女のウツロへの愛は、永遠に封印される。

 かといって、生かしておいても同じだ。

 どちらに転んでも、二人は愛し合う。

 ジレンマ――

 自分とは関係なく、ウツロと真田龍子は愛し合う。

 そのジレンマに、彼女は何もできなくなった。

「……ずるいよ、龍子……」

 真田龍子を縛る髪の毛がゆるむ。

 耐えられなくなって、星川雅はまた、涙を流した。

「ごめん雅、わがまま言っちゃって。でも、これだけは許してほしいんだ。それ以外なら、なんでも好きにしていいから」

「生意気……必ず、豚にしてやるんだから……」

「楽しみにしてるよ? わたしの『ご主人様』?」

「うるさい、豚女……」

「帝王になるのも、楽じゃないよね」

 星川雅の顔が、いや、心がやされていく。

 真田龍子がその能力を使ったわけではない。

 彼女はアルトラなしで、「親友」の心を開いたのだ。

 それは見せかけの同情などではなく、彼女が友に対して、純粋なあわれみを向けたからにほかならない。

 真田龍子のいつくしみの結果だった。

「なんか、あっちのほうもうまくいったみてえだな。ひやひやしたけどよ」

「ウツロが見守ろうっていうから、おとなしくはしてたがな。マジで危なかったぜ」

 南柾樹みなみ まさきとアクタは肩の力が抜けて、胸をろした。

「俺は、信じてたから。真田さんを、そして、雅を。感傷的かんしょうてきだし、漠然ばくぜんとだけれど、大丈夫だと思ったんだ」

「ほんと、あまちゃんだよな、お前は」

「そこがお前のいいとこだけどな」

 ウツロの判断を、アクタと南柾樹は賞賛しょうさんした。

 信じるという行為こういは、曖昧あいまいであるがゆえに、勇気をともなう。

 それをウツロはやってのけたのだ。

 しかしたとえ結果がどう転ぼうとも、誰もウツロをめることはしなかっただろう。

 それもやはり、二人がウツロを信じていたからにほかならない。

 三人にはこのとき、奇妙な結束力が生まれていた。

 やはり曖昧なものであって、証明など不可能であるが、小さな、しかし確かな信頼の力だった。

「ふふ、ふふふ」

「――!?」

 似嵐鏡月にがらし きょうげつ――

 いつのにか覚醒かくせいしていた彼は、一連いちれんの状況を観察していた。

 そして薄気味うすきみの悪い、下卑げびた笑い声を上げたのだった。

「面白かったぞ、お前たち。信じる力か、そんなことが人間には可能なのだな。まったく、反吐へどが出る」

「お師匠様っ!」

「あら、叔父様おじさま、生きてたんだ?」

「おい、おっさん! この落とし前は、ちゃーんとつけてもらうぜ?」

 ウツロとアクタ、そして星川雅と南柾樹は、場違ばちがいなこの男に、それぞれの言葉をかけた。

 しかし彼自身はまったく、かいしてなどいなかった。

「さえずるな、ガキども。雅、まさかおまえも・・・・アルトラに開眼かいがんしていたとはな。そしてその口ぶりから、どうやらウツロも・・・・出会ったようだな、魔王桜まおうざくらに」

 思わぬセリフを口にしたことに、一同いちどう驚愕きょうがくした。

「わしもなんだよ。わしも出会ったことがあるのだ、魔王桜に。すなわち、わしもアルトラ使いなのだよ。つまりどうやら、アクタをのぞき、このにいるのは全員・・、アルトラ使いというわけのようだ」

 ウツロたちは絶句ぜっくした。

「アルトラにはアルトラで。見せてやろう」

 大柄おおがらなその体が、地鳴じなりのような音を立ててうごめきだす。

「これがわしの、ブラック・ドッグだ……!」

 みるみるうちに似嵐鏡月の体が、山のようにふくがった。

(『第51話 ブラック・ドッグ』へ続く)
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