20 / 217
第1作 桜の朽木に虫の這うこと
第19話 ラブコメディ
しおりを挟む
「あ――」
医務室を出た先の廊下で、真田龍子が待っていた。
部屋にいたときは確認できなかったけれど、ボトムは七分丈のスパッツという、男性の情念を刺激するかっこうをしている。
黒地の両側に入った細い白ラインは、内側にクイッと曲がっている。
内股になっているからだ。
彼女はパーカーの着つけを手でいじったり、両脚を揺らしたりして、せわしなくもじもじしている。
ユリ。
ウツロはその姿に、可憐に咲きほこる純白のユリを想起したのだった。
ならばさしずめ、あの星川雅は、血に飢えた真っ赤なバラか……
暖色の白壁にスポーティな少女の姿が映えて、ウツロの鼓動は不規則になる。
視線が合うことによって胸が締めつけられ、落ち着きがなくなる。
心臓が沸騰しそうだ……
その正体がいったい何であるのか、無垢な少年はまた考えてしまった。
「ウツロくん、いいね。似合ってるよ、その服」
「え? そ、そうかな」
評価されたことにどぎまぎして、ウツロもつられてパーカーの気つけをいじった。
ちゃんと着こなせているのかが心配だ。
人の目が気になることなど、これがはじめてかもしれない。
彼女の目に、いまの自分がどう映っているのかが、思考回路を占有してしまう。
こんな感じで二人がお互いに見つめ合っているものだから、南柾樹は昭和のラブコメディでも見せつけられているようで、いい加減うんざりしてきた。
「動けるなら放すぜ」
「わっ」
突然支えがなくなって、ウツロはよろめいた。
「あっ、ウツロくん!」
倒れるのではないかと焦った真田龍子が、反射的に体を受け止める。
「あ――」
今度は文字どおり、目と鼻の先で視線が合い、両者の鼓動は急激に加速した。
目を反らすことができない。
体が吹き飛びそうだ。
時が凍りついたように、二人は見つめ合った。
そしてこの瞬間が永遠に続けばいいのにという願いを、それぞれの心で共有した。
南柾樹は辟易している。
まるで場違いじゃねえか。
ピエロもいいとこだ。
世界から置き去りにされたような状況が、彼に虚無感をあおってやまなかった。
ここは黙って消えるのが人情。
南柾樹はその場を去ることにした。
「柾樹?」
「今日は俺、飯の当番だから。昼の支度しなきゃなー」
呼び止めた真田龍子に会話の帳尻を合わせる、と――
「いっ――!?」
「ごゆっくり」
ふり返りざまにウツロの背中をポンと叩いた。
意趣返しという名の置き土産。
南柾樹は翻したその手をズボンのポケットに突っ込むと、廊下に敷かれた赤いカーペットの上を、とぼとぼと歩いていった。
タンクトップからのぞく肩甲骨は、いかにも切ない。
ウツロはポカンと、老木のような背中を見送った。
「妙な男だ……ねえ、真田さん?」
「えっ? ああ、そうだね……ええと、何だっけ……?」
「……?」
「ああ、そうだ。ウツロくん、このアパートの中を案内するね」
「あ、そうか。そうだね、よろしくお願いします」
「か、肩、貸すよ。まだひとりで歩くのは、た、たいへんでしょ?」
「いや、この程度。隠れ里での鍛錬に比べれば、なんてことはないよ。気をつかってくれてありがとう、真田さん」
「え、そう? すごいね。じゃあ、ゆっくりで大丈夫だから、順番に行ってみよう」
「真田さん?」
「え?」
「顔が赤いよ?」
「えっ――!?」
ウツロの手が伸びてくる。
華奢に見えるのに力強いその手が、しなやかな動きをもって。
意外に大胆なんだな、この子……
「ひゃっ」
手が額に触れる。
ひんやりした感触に、思わず奇声を上げてしまった。
「熱はないみたいだね。風邪を引いているのかと心配したよ」
「……ああ、どうも……」
ウツロは真田龍子に特別な感情を持ってはいたけれど、それが何なのかは自分でもまだわかっていない。
いっぽう真田龍子は、ウツロの鉛のごとき鈍さについて打ちのめされた。
やはり認識の不一致とは、おそろしいものである。
真田龍子はやきもきする気持ちを抑えながら、ウツロをアパートの中心へといざなった。
(『第20話 世界について』へ続く)
医務室を出た先の廊下で、真田龍子が待っていた。
部屋にいたときは確認できなかったけれど、ボトムは七分丈のスパッツという、男性の情念を刺激するかっこうをしている。
黒地の両側に入った細い白ラインは、内側にクイッと曲がっている。
内股になっているからだ。
彼女はパーカーの着つけを手でいじったり、両脚を揺らしたりして、せわしなくもじもじしている。
ユリ。
ウツロはその姿に、可憐に咲きほこる純白のユリを想起したのだった。
ならばさしずめ、あの星川雅は、血に飢えた真っ赤なバラか……
暖色の白壁にスポーティな少女の姿が映えて、ウツロの鼓動は不規則になる。
視線が合うことによって胸が締めつけられ、落ち着きがなくなる。
心臓が沸騰しそうだ……
その正体がいったい何であるのか、無垢な少年はまた考えてしまった。
「ウツロくん、いいね。似合ってるよ、その服」
「え? そ、そうかな」
評価されたことにどぎまぎして、ウツロもつられてパーカーの気つけをいじった。
ちゃんと着こなせているのかが心配だ。
人の目が気になることなど、これがはじめてかもしれない。
彼女の目に、いまの自分がどう映っているのかが、思考回路を占有してしまう。
こんな感じで二人がお互いに見つめ合っているものだから、南柾樹は昭和のラブコメディでも見せつけられているようで、いい加減うんざりしてきた。
「動けるなら放すぜ」
「わっ」
突然支えがなくなって、ウツロはよろめいた。
「あっ、ウツロくん!」
倒れるのではないかと焦った真田龍子が、反射的に体を受け止める。
「あ――」
今度は文字どおり、目と鼻の先で視線が合い、両者の鼓動は急激に加速した。
目を反らすことができない。
体が吹き飛びそうだ。
時が凍りついたように、二人は見つめ合った。
そしてこの瞬間が永遠に続けばいいのにという願いを、それぞれの心で共有した。
南柾樹は辟易している。
まるで場違いじゃねえか。
ピエロもいいとこだ。
世界から置き去りにされたような状況が、彼に虚無感をあおってやまなかった。
ここは黙って消えるのが人情。
南柾樹はその場を去ることにした。
「柾樹?」
「今日は俺、飯の当番だから。昼の支度しなきゃなー」
呼び止めた真田龍子に会話の帳尻を合わせる、と――
「いっ――!?」
「ごゆっくり」
ふり返りざまにウツロの背中をポンと叩いた。
意趣返しという名の置き土産。
南柾樹は翻したその手をズボンのポケットに突っ込むと、廊下に敷かれた赤いカーペットの上を、とぼとぼと歩いていった。
タンクトップからのぞく肩甲骨は、いかにも切ない。
ウツロはポカンと、老木のような背中を見送った。
「妙な男だ……ねえ、真田さん?」
「えっ? ああ、そうだね……ええと、何だっけ……?」
「……?」
「ああ、そうだ。ウツロくん、このアパートの中を案内するね」
「あ、そうか。そうだね、よろしくお願いします」
「か、肩、貸すよ。まだひとりで歩くのは、た、たいへんでしょ?」
「いや、この程度。隠れ里での鍛錬に比べれば、なんてことはないよ。気をつかってくれてありがとう、真田さん」
「え、そう? すごいね。じゃあ、ゆっくりで大丈夫だから、順番に行ってみよう」
「真田さん?」
「え?」
「顔が赤いよ?」
「えっ――!?」
ウツロの手が伸びてくる。
華奢に見えるのに力強いその手が、しなやかな動きをもって。
意外に大胆なんだな、この子……
「ひゃっ」
手が額に触れる。
ひんやりした感触に、思わず奇声を上げてしまった。
「熱はないみたいだね。風邪を引いているのかと心配したよ」
「……ああ、どうも……」
ウツロは真田龍子に特別な感情を持ってはいたけれど、それが何なのかは自分でもまだわかっていない。
いっぽう真田龍子は、ウツロの鉛のごとき鈍さについて打ちのめされた。
やはり認識の不一致とは、おそろしいものである。
真田龍子はやきもきする気持ちを抑えながら、ウツロをアパートの中心へといざなった。
(『第20話 世界について』へ続く)
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
武神少女R 陰キャなクラスメイトが地下闘技場のチャンピオンだった
朽木桜斎
ライト文芸
高校生の鬼神柊夜(おにがみ しゅうや)は、クラスメイトで陰キャのレッテルを貼られている鈴木理子(すずき りこ)に告ろうとするが、路地裏で不良をフルボッコにする彼女を目撃してしまう。
理子は地下格闘技のチャンピオンで、その正体を知ってしまった柊夜は、彼女から始末されかけるも、なんとか事なきを得る。
だがこれをきっかけとして、彼は地下闘技場に渦巻く数々の陰謀に、巻き込まれていくことになるのだった。
ほかのサイトにも投稿しています。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる