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第1作 桜の朽木に虫の這うこと
第16話 鳥のさえずり
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「いまから約五十年前、アメリカ合衆国マサチューセッツ州で起きたある『事件』――州都ボストン郊外の閑静な住宅街に、両親と息子二人の四人家族が暮らしていた。物語の主人公はその長男だね。彼は地元の高校を出たあと、やはり地元にある大手フランチャイズのスーパーマーケットに就職した。勤務態度は極めて真面目。実際にその事件が起こるまでの二十年以上、無遅刻無欠勤だった。休日には自宅で鳥の鳴き声をBGMに読書を楽しむ、物静かでごく平凡な男性。しかし――」
「その『事件』とやらが起こったわけだね?」
星川雅は勘の良いウツロに感心した。
「ある日曜日の朝のこと、長男が目覚めると、リビングには誰もいない。通常であれば、母親が朝食の用意を済ませ、父親はコーヒーをすすりながら新聞に目を通しているはずだった。不思議に思った彼は両親の寝室をのぞいた、すると――」
独特の間を置きながら話す彼女に、ウツロは意に反して引き込まれていく。
「絶命していたんだね、両親が。その顔は恐怖にゆがんでいた。まるで未知の怪物でも見たかのようにね。仰天した男はすぐに警察へ通報した。警察が来てからわかったことなんだけれど、弟もやはり、寝室で同じ状態で息絶えていた」
ウツロはゴクリと、生唾を飲んだ。
「両親と弟の遺体には、鋭利な刃物で切り刻んだような傷痕が無数についていた。当然、警察は長男であるその男の犯行を疑った。けれど、検死の結果は驚くべきものだった」
「それは、いったい……」
「鳥だよ。両親と弟の体につけられた傷の正体は、鳥のくちばしについばまれた痕だというんだね」
「鳥、だって……?」
「捜査はすっかりお手上げ。未解決事件として書類倉庫行きになった。でも、問題なのはこのあと」
「いったい、何が……?」
「どこで聞きつけたのか、ひとりの研究者がこの事件に興味を持ち、男の自宅をひょっこりと訪ねてきた。アメリカ・ハーフォード大学教授、グレコマンドラ・ジョーンズ博士。彼女は精神医学や脳神経科学の世界的権威でね。ジョーンズ教授は男にいくつかの質問をした。その中のひとつに、教授は異様な関心を示した。それは事件が起こる前後で、何か変わった体験をしなかったかというのもの。すると男はこう答えた――」
そういえば、夢の中で見たんです。
大きな「桜の木」を――
ウツロはゾッとした。
「そう、魔王桜のことでまず間違いはない。実はこのジョーンズ教授、似たような事件をいくつも調査していて、その共通事項として魔王桜が存在することを突き止めていたんだね」
「そんな、ことが……」
「彼女のさらなる調査で、その男が優秀な弟を引き合いに、幼少期からさんざん両親に罵られていたことがわかった。さらにその男にとって、鳥が何か象徴的な意味を持つことも。教授はこの事件を、その男の『異能力』が発動したものによると推理した」
「異能力、だって? まさか……」
ウツロは真田龍子を見た。
彼女は「君が思っている通りだよ」という顔をしている。
「何の目的でなのかは不明だけれど、魔王桜は出会った者に不思議な能力を与えるらしい。その力をジョーンズ教授は便宜上こう名づけた。『アルトラ』、と。『超越する』という意味の英単語をもじったものだけれど、いくら都合とはいえ遊びすぎだよね」
「アルトラ……異能力……」
「これも都合のいい話なんだけれど、ジョーンズ教授の夫ナイジェルは米国防総省勤務の官僚でね。アルトラの存在は時を置かずして国家機密となった。あの国のことだから、どうせ軍事利用にでもしようなんて考えたんでしょうね。世間知らずの君は、アメリカ前大統領の名前なんて知らないでしょう? ナイジェル・ジョーンズだよ?」
「そんなことを、どうして知っている……?」
「『アルトラ使い』が世界的に存在するからだよ。魔王桜はどこにでも現れるってことだね。よっぽど暇なのかな? そして世界各国はわれ先にと、アルトラの対策をはじめたってわけ」
「……俺も、それを得たということなのかな……その、『アルトラ』を……?」
「その可能性はじゅうぶんにある。だからここからは、それを踏まえた話をするね」
「待ってくれ、俺はそんな能力なんか持っていない。何かの間違いじゃないのか?」
「能力への覚醒は遅れる場合も多いんだよ。君が気づいていないだけって可能性もあるわけだね。とりあえず話を最後まで聴いてくれるかな?」
高圧的な星川雅の態度に、ウツロは押し黙った。
「事件から遅れること約三十年。日本政府は厚生労働省の外局として『特定生活対策室』を組織。公的機関ではあるけれど、もちろん一般には極秘となっている。アルトラ使いを見つけだし保護する第一課、監督する第二課、第二課を補佐する第三課からなる。このアパートは、その『特生対』第二課の朽木支部ってわけ。とまあ、話はこんなところかな」
語り終えると、星川雅は椅子にどっしりと腰かけた。
ギシッと軋む音とともに、彼女はため息を吐く。
「はあ、疲れた。概要はこんな感じだけれど、どう? ウツロくん」
「……難解な話ではあるけれど、言いたいことはだいたいわかったよ」
「何か質問は?」
「俺はこれから、どうなるのかな?」
「あはっ! 一番重要なことだよね、ごめんごめん。ほんと君は鋭いよね、ウツロくん?」
「いちいちほめなくてもいいから、俺の処遇を教えてくれないかな?」
「『処遇』ねえ。しびれる単語をチョイスするじゃん。そうだね、平たく言うと、これからはわたしたちの意思にしたがってもらうことになる。それが『お上』の意思である以上はね」
「はい、わかりました――と、俺が言うとでも?」
「言わなくてもいいよ、言わせるから、無理やりにでもね」
「……たいした自信だね」
腹に一物かかえているウツロをたしなめるように、南柾樹が前に出た。
「もう気づいてると思うけどよ、ここにいるのは全員アルトラ使いなんだぜ? もちろん、虎太郎も含めてな」
ウツロはギョッとして彼らを見回した。
自分も異形の存在だと思ってはいたが、目の前にいる者たちはさらに異形なのか?
そしてアルトラ、か。
魔王桜が与えるという特殊な能力だというが……
おそらく真田さんの「治癒の力」もそれなのだろう。
星川雅や南柾樹はともかく、虎太郎くんまでとは。
さて、どうしたものか……
「どう? あなたがどう振る舞おうと自由だけれど、その気になればねじ伏せるのなんてわけないんだよ?」
またしてもウツロの意図を悟ったように、星川雅は応答した。
その言葉には彼を御する意味合いもあるのだろう。
「ウツロくん、不本意なのはよくわかる。でもどうか、いまのうちはおとなしくしていてほしいんだ」
真田龍子は状況から、ウツロがまた早まった行動に出ないかと心配し、声をかけた。
「真田さんが、そう言うのなら……」
「なんだよ、龍子に惚れたのか?」
「おまえは、嫌いだ」
「ふうん、俺もおまえは嫌いだね。うじうじしやがって……日の当たらねえ、いかにも湿っぽいとこが好きそうだよな? 虫ケラみてえによ」
「虫……」
ウツロがおそらくいちばん傷つくであろう悪態をあえて選んで、南柾樹は叩きつけた。
「柾樹っ、あんたいい加減に――」
真田虎太郎がずいと、南柾樹の前に立ちはだかった。
「虎太郎?」
「ウツロさんは、虫ではありません――!」
(『第17話 投影』へ続く)
「その『事件』とやらが起こったわけだね?」
星川雅は勘の良いウツロに感心した。
「ある日曜日の朝のこと、長男が目覚めると、リビングには誰もいない。通常であれば、母親が朝食の用意を済ませ、父親はコーヒーをすすりながら新聞に目を通しているはずだった。不思議に思った彼は両親の寝室をのぞいた、すると――」
独特の間を置きながら話す彼女に、ウツロは意に反して引き込まれていく。
「絶命していたんだね、両親が。その顔は恐怖にゆがんでいた。まるで未知の怪物でも見たかのようにね。仰天した男はすぐに警察へ通報した。警察が来てからわかったことなんだけれど、弟もやはり、寝室で同じ状態で息絶えていた」
ウツロはゴクリと、生唾を飲んだ。
「両親と弟の遺体には、鋭利な刃物で切り刻んだような傷痕が無数についていた。当然、警察は長男であるその男の犯行を疑った。けれど、検死の結果は驚くべきものだった」
「それは、いったい……」
「鳥だよ。両親と弟の体につけられた傷の正体は、鳥のくちばしについばまれた痕だというんだね」
「鳥、だって……?」
「捜査はすっかりお手上げ。未解決事件として書類倉庫行きになった。でも、問題なのはこのあと」
「いったい、何が……?」
「どこで聞きつけたのか、ひとりの研究者がこの事件に興味を持ち、男の自宅をひょっこりと訪ねてきた。アメリカ・ハーフォード大学教授、グレコマンドラ・ジョーンズ博士。彼女は精神医学や脳神経科学の世界的権威でね。ジョーンズ教授は男にいくつかの質問をした。その中のひとつに、教授は異様な関心を示した。それは事件が起こる前後で、何か変わった体験をしなかったかというのもの。すると男はこう答えた――」
そういえば、夢の中で見たんです。
大きな「桜の木」を――
ウツロはゾッとした。
「そう、魔王桜のことでまず間違いはない。実はこのジョーンズ教授、似たような事件をいくつも調査していて、その共通事項として魔王桜が存在することを突き止めていたんだね」
「そんな、ことが……」
「彼女のさらなる調査で、その男が優秀な弟を引き合いに、幼少期からさんざん両親に罵られていたことがわかった。さらにその男にとって、鳥が何か象徴的な意味を持つことも。教授はこの事件を、その男の『異能力』が発動したものによると推理した」
「異能力、だって? まさか……」
ウツロは真田龍子を見た。
彼女は「君が思っている通りだよ」という顔をしている。
「何の目的でなのかは不明だけれど、魔王桜は出会った者に不思議な能力を与えるらしい。その力をジョーンズ教授は便宜上こう名づけた。『アルトラ』、と。『超越する』という意味の英単語をもじったものだけれど、いくら都合とはいえ遊びすぎだよね」
「アルトラ……異能力……」
「これも都合のいい話なんだけれど、ジョーンズ教授の夫ナイジェルは米国防総省勤務の官僚でね。アルトラの存在は時を置かずして国家機密となった。あの国のことだから、どうせ軍事利用にでもしようなんて考えたんでしょうね。世間知らずの君は、アメリカ前大統領の名前なんて知らないでしょう? ナイジェル・ジョーンズだよ?」
「そんなことを、どうして知っている……?」
「『アルトラ使い』が世界的に存在するからだよ。魔王桜はどこにでも現れるってことだね。よっぽど暇なのかな? そして世界各国はわれ先にと、アルトラの対策をはじめたってわけ」
「……俺も、それを得たということなのかな……その、『アルトラ』を……?」
「その可能性はじゅうぶんにある。だからここからは、それを踏まえた話をするね」
「待ってくれ、俺はそんな能力なんか持っていない。何かの間違いじゃないのか?」
「能力への覚醒は遅れる場合も多いんだよ。君が気づいていないだけって可能性もあるわけだね。とりあえず話を最後まで聴いてくれるかな?」
高圧的な星川雅の態度に、ウツロは押し黙った。
「事件から遅れること約三十年。日本政府は厚生労働省の外局として『特定生活対策室』を組織。公的機関ではあるけれど、もちろん一般には極秘となっている。アルトラ使いを見つけだし保護する第一課、監督する第二課、第二課を補佐する第三課からなる。このアパートは、その『特生対』第二課の朽木支部ってわけ。とまあ、話はこんなところかな」
語り終えると、星川雅は椅子にどっしりと腰かけた。
ギシッと軋む音とともに、彼女はため息を吐く。
「はあ、疲れた。概要はこんな感じだけれど、どう? ウツロくん」
「……難解な話ではあるけれど、言いたいことはだいたいわかったよ」
「何か質問は?」
「俺はこれから、どうなるのかな?」
「あはっ! 一番重要なことだよね、ごめんごめん。ほんと君は鋭いよね、ウツロくん?」
「いちいちほめなくてもいいから、俺の処遇を教えてくれないかな?」
「『処遇』ねえ。しびれる単語をチョイスするじゃん。そうだね、平たく言うと、これからはわたしたちの意思にしたがってもらうことになる。それが『お上』の意思である以上はね」
「はい、わかりました――と、俺が言うとでも?」
「言わなくてもいいよ、言わせるから、無理やりにでもね」
「……たいした自信だね」
腹に一物かかえているウツロをたしなめるように、南柾樹が前に出た。
「もう気づいてると思うけどよ、ここにいるのは全員アルトラ使いなんだぜ? もちろん、虎太郎も含めてな」
ウツロはギョッとして彼らを見回した。
自分も異形の存在だと思ってはいたが、目の前にいる者たちはさらに異形なのか?
そしてアルトラ、か。
魔王桜が与えるという特殊な能力だというが……
おそらく真田さんの「治癒の力」もそれなのだろう。
星川雅や南柾樹はともかく、虎太郎くんまでとは。
さて、どうしたものか……
「どう? あなたがどう振る舞おうと自由だけれど、その気になればねじ伏せるのなんてわけないんだよ?」
またしてもウツロの意図を悟ったように、星川雅は応答した。
その言葉には彼を御する意味合いもあるのだろう。
「ウツロくん、不本意なのはよくわかる。でもどうか、いまのうちはおとなしくしていてほしいんだ」
真田龍子は状況から、ウツロがまた早まった行動に出ないかと心配し、声をかけた。
「真田さんが、そう言うのなら……」
「なんだよ、龍子に惚れたのか?」
「おまえは、嫌いだ」
「ふうん、俺もおまえは嫌いだね。うじうじしやがって……日の当たらねえ、いかにも湿っぽいとこが好きそうだよな? 虫ケラみてえによ」
「虫……」
ウツロがおそらくいちばん傷つくであろう悪態をあえて選んで、南柾樹は叩きつけた。
「柾樹っ、あんたいい加減に――」
真田虎太郎がずいと、南柾樹の前に立ちはだかった。
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