17 / 218
第1作 桜の朽木に虫の這うこと
第16話 鳥のさえずり
しおりを挟む
「いまから約五十年前、アメリカ合衆国マサチューセッツ州で起きたある『事件』――州都ボストン郊外の閑静な住宅街に、両親と息子二人の四人家族が暮らしていた。物語の主人公はその長男だね。彼は地元の高校を出たあと、やはり地元にある大手フランチャイズのスーパーマーケットに就職した。勤務態度は極めて真面目。実際にその事件が起こるまでの二十年以上、無遅刻無欠勤だった。休日には自宅で鳥の鳴き声をBGMに読書を楽しむ、物静かでごく平凡な男性。しかし――」
「その『事件』とやらが起こったわけだね?」
星川雅は勘の良いウツロに感心した。
「ある日曜日の朝のこと、長男が目覚めると、リビングには誰もいない。通常であれば、母親が朝食の用意を済ませ、父親はコーヒーをすすりながら新聞に目を通しているはずだった。不思議に思った彼は両親の寝室をのぞいた、すると――」
独特の間を置きながら話す彼女に、ウツロは意に反して引き込まれていく。
「絶命していたんだね、両親が。その顔は恐怖にゆがんでいた。まるで未知の怪物でも見たかのようにね。仰天した男はすぐに警察へ通報した。警察が来てからわかったことなんだけれど、弟もやはり、寝室で同じ状態で息絶えていた」
ウツロはゴクリと、生唾を飲んだ。
「両親と弟の遺体には、鋭利な刃物で切り刻んだような傷痕が無数についていた。当然、警察は長男であるその男の犯行を疑った。けれど、検死の結果は驚くべきものだった」
「それは、いったい……」
「鳥だよ。両親と弟の体につけられた傷の正体は、鳥のくちばしについばまれた痕だというんだね」
「鳥、だって……?」
「捜査はすっかりお手上げ。未解決事件として書類倉庫行きになった。でも、問題なのはこのあと」
「いったい、何が……?」
「どこで聞きつけたのか、ひとりの研究者がこの事件に興味を持ち、男の自宅をひょっこりと訪ねてきた。アメリカ・ハーフォード大学教授、グレコマンドラ・ジョーンズ博士。彼女は精神医学や脳神経科学の世界的権威でね。ジョーンズ教授は男にいくつかの質問をした。その中のひとつに、教授は異様な関心を示した。それは事件が起こる前後で、何か変わった体験をしなかったかというのもの。すると男はこう答えた――」
そういえば、夢の中で見たんです。
大きな「桜の木」を――
ウツロはゾッとした。
「そう、魔王桜のことでまず間違いはない。実はこのジョーンズ教授、似たような事件をいくつも調査していて、その共通事項として魔王桜が存在することを突き止めていたんだね」
「そんな、ことが……」
「彼女のさらなる調査で、その男が優秀な弟を引き合いに、幼少期からさんざん両親に罵られていたことがわかった。さらにその男にとって、鳥が何か象徴的な意味を持つことも。教授はこの事件を、その男の『異能力』が発動したものによると推理した」
「異能力、だって? まさか……」
ウツロは真田龍子を見た。
彼女は「君が思っている通りだよ」という顔をしている。
「何の目的でなのかは不明だけれど、魔王桜は出会った者に不思議な能力を与えるらしい。その力をジョーンズ教授は便宜上こう名づけた。『アルトラ』、と。『超越する』という意味の英単語をもじったものだけれど、いくら都合とはいえ遊びすぎだよね」
「アルトラ……異能力……」
「これも都合のいい話なんだけれど、ジョーンズ教授の夫ナイジェルは米国防総省勤務の官僚でね。アルトラの存在は時を置かずして国家機密となった。あの国のことだから、どうせ軍事利用にでもしようなんて考えたんでしょうね。世間知らずの君は、アメリカ前大統領の名前なんて知らないでしょう? ナイジェル・ジョーンズだよ?」
「そんなことを、どうして知っている……?」
「『アルトラ使い』が世界的に存在するからだよ。魔王桜はどこにでも現れるってことだね。よっぽど暇なのかな? そして世界各国はわれ先にと、アルトラの対策をはじめたってわけ」
「……俺も、それを得たということなのかな……その、『アルトラ』を……?」
「その可能性はじゅうぶんにある。だからここからは、それを踏まえた話をするね」
「待ってくれ、俺はそんな能力なんか持っていない。何かの間違いじゃないのか?」
「能力への覚醒は遅れる場合も多いんだよ。君が気づいていないだけって可能性もあるわけだね。とりあえず話を最後まで聴いてくれるかな?」
高圧的な星川雅の態度に、ウツロは押し黙った。
「事件から遅れること約三十年。日本政府は厚生労働省の外局として『特定生活対策室』を組織。公的機関ではあるけれど、もちろん一般には極秘となっている。アルトラ使いを見つけだし保護する第一課、監督する第二課、第二課を補佐する第三課からなる。このアパートは、その『特生対』第二課の朽木支部ってわけ。とまあ、話はこんなところかな」
語り終えると、星川雅は椅子にどっしりと腰かけた。
ギシッと軋む音とともに、彼女はため息を吐く。
「はあ、疲れた。概要はこんな感じだけれど、どう? ウツロくん」
「……難解な話ではあるけれど、言いたいことはだいたいわかったよ」
「何か質問は?」
「俺はこれから、どうなるのかな?」
「あはっ! 一番重要なことだよね、ごめんごめん。ほんと君は鋭いよね、ウツロくん?」
「いちいちほめなくてもいいから、俺の処遇を教えてくれないかな?」
「『処遇』ねえ。しびれる単語をチョイスするじゃん。そうだね、平たく言うと、これからはわたしたちの意思にしたがってもらうことになる。それが『お上』の意思である以上はね」
「はい、わかりました――と、俺が言うとでも?」
「言わなくてもいいよ、言わせるから、無理やりにでもね」
「……たいした自信だね」
腹に一物かかえているウツロをたしなめるように、南柾樹が前に出た。
「もう気づいてると思うけどよ、ここにいるのは全員アルトラ使いなんだぜ? もちろん、虎太郎も含めてな」
ウツロはギョッとして彼らを見回した。
自分も異形の存在だと思ってはいたが、目の前にいる者たちはさらに異形なのか?
そしてアルトラ、か。
魔王桜が与えるという特殊な能力だというが……
おそらく真田さんの「治癒の力」もそれなのだろう。
星川雅や南柾樹はともかく、虎太郎くんまでとは。
さて、どうしたものか……
「どう? あなたがどう振る舞おうと自由だけれど、その気になればねじ伏せるのなんてわけないんだよ?」
またしてもウツロの意図を悟ったように、星川雅は応答した。
その言葉には彼を御する意味合いもあるのだろう。
「ウツロくん、不本意なのはよくわかる。でもどうか、いまのうちはおとなしくしていてほしいんだ」
真田龍子は状況から、ウツロがまた早まった行動に出ないかと心配し、声をかけた。
「真田さんが、そう言うのなら……」
「なんだよ、龍子に惚れたのか?」
「おまえは、嫌いだ」
「ふうん、俺もおまえは嫌いだね。うじうじしやがって……日の当たらねえ、いかにも湿っぽいとこが好きそうだよな? 虫ケラみてえによ」
「虫……」
ウツロがおそらくいちばん傷つくであろう悪態をあえて選んで、南柾樹は叩きつけた。
「柾樹っ、あんたいい加減に――」
真田虎太郎がずいと、南柾樹の前に立ちはだかった。
「虎太郎?」
「ウツロさんは、虫ではありません――!」
(『第17話 投影』へ続く)
「その『事件』とやらが起こったわけだね?」
星川雅は勘の良いウツロに感心した。
「ある日曜日の朝のこと、長男が目覚めると、リビングには誰もいない。通常であれば、母親が朝食の用意を済ませ、父親はコーヒーをすすりながら新聞に目を通しているはずだった。不思議に思った彼は両親の寝室をのぞいた、すると――」
独特の間を置きながら話す彼女に、ウツロは意に反して引き込まれていく。
「絶命していたんだね、両親が。その顔は恐怖にゆがんでいた。まるで未知の怪物でも見たかのようにね。仰天した男はすぐに警察へ通報した。警察が来てからわかったことなんだけれど、弟もやはり、寝室で同じ状態で息絶えていた」
ウツロはゴクリと、生唾を飲んだ。
「両親と弟の遺体には、鋭利な刃物で切り刻んだような傷痕が無数についていた。当然、警察は長男であるその男の犯行を疑った。けれど、検死の結果は驚くべきものだった」
「それは、いったい……」
「鳥だよ。両親と弟の体につけられた傷の正体は、鳥のくちばしについばまれた痕だというんだね」
「鳥、だって……?」
「捜査はすっかりお手上げ。未解決事件として書類倉庫行きになった。でも、問題なのはこのあと」
「いったい、何が……?」
「どこで聞きつけたのか、ひとりの研究者がこの事件に興味を持ち、男の自宅をひょっこりと訪ねてきた。アメリカ・ハーフォード大学教授、グレコマンドラ・ジョーンズ博士。彼女は精神医学や脳神経科学の世界的権威でね。ジョーンズ教授は男にいくつかの質問をした。その中のひとつに、教授は異様な関心を示した。それは事件が起こる前後で、何か変わった体験をしなかったかというのもの。すると男はこう答えた――」
そういえば、夢の中で見たんです。
大きな「桜の木」を――
ウツロはゾッとした。
「そう、魔王桜のことでまず間違いはない。実はこのジョーンズ教授、似たような事件をいくつも調査していて、その共通事項として魔王桜が存在することを突き止めていたんだね」
「そんな、ことが……」
「彼女のさらなる調査で、その男が優秀な弟を引き合いに、幼少期からさんざん両親に罵られていたことがわかった。さらにその男にとって、鳥が何か象徴的な意味を持つことも。教授はこの事件を、その男の『異能力』が発動したものによると推理した」
「異能力、だって? まさか……」
ウツロは真田龍子を見た。
彼女は「君が思っている通りだよ」という顔をしている。
「何の目的でなのかは不明だけれど、魔王桜は出会った者に不思議な能力を与えるらしい。その力をジョーンズ教授は便宜上こう名づけた。『アルトラ』、と。『超越する』という意味の英単語をもじったものだけれど、いくら都合とはいえ遊びすぎだよね」
「アルトラ……異能力……」
「これも都合のいい話なんだけれど、ジョーンズ教授の夫ナイジェルは米国防総省勤務の官僚でね。アルトラの存在は時を置かずして国家機密となった。あの国のことだから、どうせ軍事利用にでもしようなんて考えたんでしょうね。世間知らずの君は、アメリカ前大統領の名前なんて知らないでしょう? ナイジェル・ジョーンズだよ?」
「そんなことを、どうして知っている……?」
「『アルトラ使い』が世界的に存在するからだよ。魔王桜はどこにでも現れるってことだね。よっぽど暇なのかな? そして世界各国はわれ先にと、アルトラの対策をはじめたってわけ」
「……俺も、それを得たということなのかな……その、『アルトラ』を……?」
「その可能性はじゅうぶんにある。だからここからは、それを踏まえた話をするね」
「待ってくれ、俺はそんな能力なんか持っていない。何かの間違いじゃないのか?」
「能力への覚醒は遅れる場合も多いんだよ。君が気づいていないだけって可能性もあるわけだね。とりあえず話を最後まで聴いてくれるかな?」
高圧的な星川雅の態度に、ウツロは押し黙った。
「事件から遅れること約三十年。日本政府は厚生労働省の外局として『特定生活対策室』を組織。公的機関ではあるけれど、もちろん一般には極秘となっている。アルトラ使いを見つけだし保護する第一課、監督する第二課、第二課を補佐する第三課からなる。このアパートは、その『特生対』第二課の朽木支部ってわけ。とまあ、話はこんなところかな」
語り終えると、星川雅は椅子にどっしりと腰かけた。
ギシッと軋む音とともに、彼女はため息を吐く。
「はあ、疲れた。概要はこんな感じだけれど、どう? ウツロくん」
「……難解な話ではあるけれど、言いたいことはだいたいわかったよ」
「何か質問は?」
「俺はこれから、どうなるのかな?」
「あはっ! 一番重要なことだよね、ごめんごめん。ほんと君は鋭いよね、ウツロくん?」
「いちいちほめなくてもいいから、俺の処遇を教えてくれないかな?」
「『処遇』ねえ。しびれる単語をチョイスするじゃん。そうだね、平たく言うと、これからはわたしたちの意思にしたがってもらうことになる。それが『お上』の意思である以上はね」
「はい、わかりました――と、俺が言うとでも?」
「言わなくてもいいよ、言わせるから、無理やりにでもね」
「……たいした自信だね」
腹に一物かかえているウツロをたしなめるように、南柾樹が前に出た。
「もう気づいてると思うけどよ、ここにいるのは全員アルトラ使いなんだぜ? もちろん、虎太郎も含めてな」
ウツロはギョッとして彼らを見回した。
自分も異形の存在だと思ってはいたが、目の前にいる者たちはさらに異形なのか?
そしてアルトラ、か。
魔王桜が与えるという特殊な能力だというが……
おそらく真田さんの「治癒の力」もそれなのだろう。
星川雅や南柾樹はともかく、虎太郎くんまでとは。
さて、どうしたものか……
「どう? あなたがどう振る舞おうと自由だけれど、その気になればねじ伏せるのなんてわけないんだよ?」
またしてもウツロの意図を悟ったように、星川雅は応答した。
その言葉には彼を御する意味合いもあるのだろう。
「ウツロくん、不本意なのはよくわかる。でもどうか、いまのうちはおとなしくしていてほしいんだ」
真田龍子は状況から、ウツロがまた早まった行動に出ないかと心配し、声をかけた。
「真田さんが、そう言うのなら……」
「なんだよ、龍子に惚れたのか?」
「おまえは、嫌いだ」
「ふうん、俺もおまえは嫌いだね。うじうじしやがって……日の当たらねえ、いかにも湿っぽいとこが好きそうだよな? 虫ケラみてえによ」
「虫……」
ウツロがおそらくいちばん傷つくであろう悪態をあえて選んで、南柾樹は叩きつけた。
「柾樹っ、あんたいい加減に――」
真田虎太郎がずいと、南柾樹の前に立ちはだかった。
「虎太郎?」
「ウツロさんは、虫ではありません――!」
(『第17話 投影』へ続く)
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
武神少女R 陰キャなクラスメイトが地下闘技場のチャンピオンだった
朽木桜斎
ライト文芸
高校生の鬼神柊夜(おにがみ しゅうや)は、クラスメイトで陰キャのレッテルを貼られている鈴木理子(すずき りこ)に告ろうとするが、路地裏で不良をフルボッコにする彼女を目撃してしまう。
理子は地下格闘技のチャンピオンで、その正体を知ってしまった柊夜は、彼女から始末されかけるも、なんとか事なきを得る。
だがこれをきっかけとして、彼は地下闘技場に渦巻く数々の陰謀に、巻き込まれていくことになるのだった。
ほかのサイトにも投稿しています。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる