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第1作 桜の朽木に虫の這うこと
第4話 師の告白、そして――
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「実はな、わしは近々、いまの稼業から身を引こうと思っている」
似嵐鏡月が放った言葉に、ウツロとアクタは愕然とした。
何を言っているんだ?
麻酔をかけられたように、二人の口が弛緩した。
世界が崩壊してなお、何が起こったのか理解できないでいるような顔つきだ。
「なん、と……」
アクタがやっと絞り出したセリフがそれだった。
似嵐鏡月は間髪を入れずに続ける。
「わしはいままで、殺人の請負を生業としてきたわけだが……このへんでもう、引退しようと思うのだ」
二人の世界が崩れ出す。
口から魂が抜け出てもおかしくないような顔だ。
誰でも知っているに誰にも答えられない命題。
そんなものを提示されたような無情感が、彼らを襲う。
「なぜ、ですか……ご教示ください、お師匠様……」
意識が遠のいていくような感覚の中、アクタは亡霊のような口調でたずねた。
「もう疲れたのだ。身を立てるためとはいえ、人さまの命をみだりに奪うことにな。わしがたったひとりの人間を殺めるだけで、その者に関わる者、関わった者の人生のすべてを破壊することになる。決して終わることのない憎しみの連鎖が生まれ、それはわしだけではなく、ひいてはアクタ、ウツロ、おまえたちにまでおよぶことになってしまうだろう。それが、わしにはそれが、耐えきれんのだ」
似嵐鏡月は間を置きながら話を続ける。
「アクタ、ウツロ。身寄りのないおまえたちを引き取り、育ての親となったのは確かにこのわしだ。わしはお前たちに跡目を継がすつもりで、持てる技や知識のすべてを叩きこんできた。しかし、おまえたちがすくすくと成長するにつれ、ずっと思ってきたことがある。罪悪感、というべきものか。なぜわしは、お前たちに普通の生活を与えてやれなかったのかと。わしは不器用な殺し屋だ。できることといえば、人を殺すための術を伝授することくらいだ。だがもし、わしが平凡でも普通の父であれば、あるいはお前たちを学校へ行かせ、充実した青春を送らせ、世にいう温かい家庭なるものを、ともに分かち合えたかもしれんのだ。それをわしは……わしはただ、お前たちの人生を、奪ってしまったのではないかと……」
ときおり声をつまらせながら、彼はこのように語った。
「お師匠様……」
どう返せばいいのか、アクタはわからずにいた。
「だからわしは考えた。いまからでも遅くはないと。廃業し、けじめをつけた上で、おまえたちを自由の身にしてやりたい。こんな隠れ里から出して、もっと広い世界を見せてやりたい。当たり前の、普通の日常をお前たちに取り戻して――」
「お師匠様あっ!」
勢いあまったウツロの大声に制され、似嵐鏡月とアクタはびっくりして口をつぐんだ。
「俺たちにとって……親があるとすればお師匠様、あなたこそがそうなのです……」
膝の上で拳を握り、全身を震わせながら、ふりしぼった言葉がそれだった。
「俺は……肉親によって、捨てられました。この世に必要ない、いらない存在なのです」
「ウツロ……」
似嵐鏡月は悲痛な面持ちになったが、ウツロの話を最後まで聞こうとした。
「ですが、お師匠様。あなた様は……こんな俺を、不要の存在の俺を……拾い上げてくれた……手を差しのべてくださった、衣食住を与えてくださった、学問を教えてくださった、生きていくためのあらゆる術を、伝授してくださった。そんなあなた様が……親でなくて、なんだというのでしょう? 血のつながりなんか関係ない。お師匠様、あなた様こそ、いや、あなた様が俺の親なのです」
「ウツロ、お前を不幸したのは、このわしであるのに……」
「不幸だなんてとんでもないことでございます! 俺は最高に幸福です! お師匠様が、そしてアクタが一緒にいてくれる。俺にはこの里の暮らしが、幸せでならないのです。これ以上なにを望みましょう? ですからお師匠様、そのような弱気にならないでください!」
「なんという、ウツロ……だがお前たちを、わしと同じ闇の中へは、魔道へなど落としたくはないのだ……」
「魔道、喜んで落ちます。俺は世界が憎い。俺を捨てた世界が、俺を全否定したこの世界とやらが。お師匠様のためなら、こんな世界なんか粉々に破壊してやる。愛される者を愛する者の目の前で八つ裂きにしてやる。世界中の人間が俺を憎めばいい。それが俺の、世界への復讐なのです。その本懐のためなら……魔道、喜んで落ちます」
彼の矜持は確かに兄貴分へと届いた。
「お師匠様、俺もウツロとまったく同じ気持ちです」
「アクタ……」
「俺はウツロを本当の弟のように思って、いや、ウツロは俺の弟です。俺は兄として、ウツロを傷つける存在を絶対に許さない。ウツロにこんな仕打ちをした世界が、消えてなくなるまで戦います。世界の頂点でへらへらと笑っているやつを、俺たちの存在に気づこうとさえしないような奴のツラをぐしゃぐしゃにぶん殴って、内臓を引きずり出し、四肢を切り落として、ウツロの足もとに這いつくばらせてやる。そして、許しを請うその舌を、引きちぎってやるんだ」
「アクタ、なんでそこまで……」
アクタの同調に、口火を切ったウツロですら驚いた。
「何度も言わすな、俺たちは二人でひとつ。お前の敵は俺の敵だ。お師匠様、平にお願いいたします。稼業の引退など、どうかご撤回ください。ウツロも俺も、ご覧のとおり覚悟は決まっております」
似嵐鏡月は両眼を深く閉じて考えこんだが、次の瞬間カッと見開き、話し出した。
「いや、撤回はせん。これだけは譲れんのだ。アクタ、ウツロ、どうかわかってくれ」
「なぜでございますか、お師匠様!」
「平に、平にその理由をお聞かせください!」
ウツロとアクタはどうしても納得がいかない。
稼業から身を引くという決意を、なぜ師は頑なに固持するのか。
それがいっこうにわからなかった。
「ならば話そう……話さなければ、お前たちの気持ちを踏みにじることになる」
似嵐鏡月はさらに重く、その口を開いた。
(『第5話 絶叫』へ続く)
似嵐鏡月が放った言葉に、ウツロとアクタは愕然とした。
何を言っているんだ?
麻酔をかけられたように、二人の口が弛緩した。
世界が崩壊してなお、何が起こったのか理解できないでいるような顔つきだ。
「なん、と……」
アクタがやっと絞り出したセリフがそれだった。
似嵐鏡月は間髪を入れずに続ける。
「わしはいままで、殺人の請負を生業としてきたわけだが……このへんでもう、引退しようと思うのだ」
二人の世界が崩れ出す。
口から魂が抜け出てもおかしくないような顔だ。
誰でも知っているに誰にも答えられない命題。
そんなものを提示されたような無情感が、彼らを襲う。
「なぜ、ですか……ご教示ください、お師匠様……」
意識が遠のいていくような感覚の中、アクタは亡霊のような口調でたずねた。
「もう疲れたのだ。身を立てるためとはいえ、人さまの命をみだりに奪うことにな。わしがたったひとりの人間を殺めるだけで、その者に関わる者、関わった者の人生のすべてを破壊することになる。決して終わることのない憎しみの連鎖が生まれ、それはわしだけではなく、ひいてはアクタ、ウツロ、おまえたちにまでおよぶことになってしまうだろう。それが、わしにはそれが、耐えきれんのだ」
似嵐鏡月は間を置きながら話を続ける。
「アクタ、ウツロ。身寄りのないおまえたちを引き取り、育ての親となったのは確かにこのわしだ。わしはお前たちに跡目を継がすつもりで、持てる技や知識のすべてを叩きこんできた。しかし、おまえたちがすくすくと成長するにつれ、ずっと思ってきたことがある。罪悪感、というべきものか。なぜわしは、お前たちに普通の生活を与えてやれなかったのかと。わしは不器用な殺し屋だ。できることといえば、人を殺すための術を伝授することくらいだ。だがもし、わしが平凡でも普通の父であれば、あるいはお前たちを学校へ行かせ、充実した青春を送らせ、世にいう温かい家庭なるものを、ともに分かち合えたかもしれんのだ。それをわしは……わしはただ、お前たちの人生を、奪ってしまったのではないかと……」
ときおり声をつまらせながら、彼はこのように語った。
「お師匠様……」
どう返せばいいのか、アクタはわからずにいた。
「だからわしは考えた。いまからでも遅くはないと。廃業し、けじめをつけた上で、おまえたちを自由の身にしてやりたい。こんな隠れ里から出して、もっと広い世界を見せてやりたい。当たり前の、普通の日常をお前たちに取り戻して――」
「お師匠様あっ!」
勢いあまったウツロの大声に制され、似嵐鏡月とアクタはびっくりして口をつぐんだ。
「俺たちにとって……親があるとすればお師匠様、あなたこそがそうなのです……」
膝の上で拳を握り、全身を震わせながら、ふりしぼった言葉がそれだった。
「俺は……肉親によって、捨てられました。この世に必要ない、いらない存在なのです」
「ウツロ……」
似嵐鏡月は悲痛な面持ちになったが、ウツロの話を最後まで聞こうとした。
「ですが、お師匠様。あなた様は……こんな俺を、不要の存在の俺を……拾い上げてくれた……手を差しのべてくださった、衣食住を与えてくださった、学問を教えてくださった、生きていくためのあらゆる術を、伝授してくださった。そんなあなた様が……親でなくて、なんだというのでしょう? 血のつながりなんか関係ない。お師匠様、あなた様こそ、いや、あなた様が俺の親なのです」
「ウツロ、お前を不幸したのは、このわしであるのに……」
「不幸だなんてとんでもないことでございます! 俺は最高に幸福です! お師匠様が、そしてアクタが一緒にいてくれる。俺にはこの里の暮らしが、幸せでならないのです。これ以上なにを望みましょう? ですからお師匠様、そのような弱気にならないでください!」
「なんという、ウツロ……だがお前たちを、わしと同じ闇の中へは、魔道へなど落としたくはないのだ……」
「魔道、喜んで落ちます。俺は世界が憎い。俺を捨てた世界が、俺を全否定したこの世界とやらが。お師匠様のためなら、こんな世界なんか粉々に破壊してやる。愛される者を愛する者の目の前で八つ裂きにしてやる。世界中の人間が俺を憎めばいい。それが俺の、世界への復讐なのです。その本懐のためなら……魔道、喜んで落ちます」
彼の矜持は確かに兄貴分へと届いた。
「お師匠様、俺もウツロとまったく同じ気持ちです」
「アクタ……」
「俺はウツロを本当の弟のように思って、いや、ウツロは俺の弟です。俺は兄として、ウツロを傷つける存在を絶対に許さない。ウツロにこんな仕打ちをした世界が、消えてなくなるまで戦います。世界の頂点でへらへらと笑っているやつを、俺たちの存在に気づこうとさえしないような奴のツラをぐしゃぐしゃにぶん殴って、内臓を引きずり出し、四肢を切り落として、ウツロの足もとに這いつくばらせてやる。そして、許しを請うその舌を、引きちぎってやるんだ」
「アクタ、なんでそこまで……」
アクタの同調に、口火を切ったウツロですら驚いた。
「何度も言わすな、俺たちは二人でひとつ。お前の敵は俺の敵だ。お師匠様、平にお願いいたします。稼業の引退など、どうかご撤回ください。ウツロも俺も、ご覧のとおり覚悟は決まっております」
似嵐鏡月は両眼を深く閉じて考えこんだが、次の瞬間カッと見開き、話し出した。
「いや、撤回はせん。これだけは譲れんのだ。アクタ、ウツロ、どうかわかってくれ」
「なぜでございますか、お師匠様!」
「平に、平にその理由をお聞かせください!」
ウツロとアクタはどうしても納得がいかない。
稼業から身を引くという決意を、なぜ師は頑なに固持するのか。
それがいっこうにわからなかった。
「ならば話そう……話さなければ、お前たちの気持ちを踏みにじることになる」
似嵐鏡月はさらに重く、その口を開いた。
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