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第一章 最悪の別れと衝撃の出会い

三話

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「えー、というわけで、お前が有栖川さんの教育係になったわけだが……」

 
 商談などで使うための、半個室のスペース。

 麗音の挨拶の後、俺は部長に呼び出された。

 部長は、その180センチはある身長でじろりと俺を見下す。

 170センチ無い自分を恨んだ。


「全く、何でお前が有栖川さんの知り合いなんだよ……」


 はあ、と部長は大きな溜息をつく。


「流石のお前でも、社長が、末期がんで入院されているのは知っているよな」

「え、ええ」

「我が虎居(とらい)カンパニーは代々、一族経営を続けている。しかし、社長のご子息は幼い頃生き別れとなってしまったそうなんだ。社長の意向としては、虎居の血を絶えさせるわけにはいかない、親族をかき集めてでも跡継ぎを見つけろと、そういう話があったそうだ。」


 そこまで言うと、部長は一度咳払いをした。


「えー、つまりだな、早い話が、有栖川さんは、社長の……ご子息なんだ。」



 部長の話を聞きながら、俺はとある記憶を思い出していた。

 ある夏の夕方。

 団地の二階のベランダで空を見ていた俺に向かって、何かが投げ込まれて来た。


「ぅおっあっぶね!!……何だ?」


 くしゃくしゃに包まれた画用紙には、クレヨンで『いつものばしょにきて』と書かれていた。

いつもの場所。

団地から少し離れた公園の、山型の滑り台、その下にあるトンネル。

俺が着くと、麗音は駆け寄って抱きついてきた。

「あのね、ママがね、今日の夜、この町を出るんだって」


 麗音はいつも持っているリスのぬいぐるみを抱きしめた。

 俺と麗音は互いに母子家庭で、同じ団地の2個隣に住んでいた。

 麗音の母親はパートや何やらで家を空けることが多く、俺と俺の母親で麗音の面倒を見ていた。
 
 その結果、麗音は俺を「しゅん兄ちゃん」と呼んで慕うようになった。

 麗音の母親はいつも何かに怯えていた。

 それが何なのかは、当時の俺には分からなかった。


「本当に、行っちゃうのか」

「うん、本当は挨拶もダメって言われたんだけど、どうしてもしゅん兄ちゃんには伝えたくて」


 涙をこらえながらそう話す麗音を見て、俺は麗音の母親が、社会が、自分が許せなかった。

 俺がもっと大人だったら、麗音を助けられたのに。

 麗音を悲しませることなんて、しなかったのに。


「しゅん兄ちゃん、いつかきっと、絶対また会おうね」


 夕暮れが深まった中で、麗音は瞳を潤ませながらそう言った。

 俺の家の前で、指切りをして、麗音は自分の家へと戻っていった。


「……おい!聞いてるのか!」

「っふぇ、はい!」


 部長の怒鳴り声で現実に引き戻された。


「全く……どうせ別のことでも考えてたんだろ?お前は本当に仕事ができないな、ウサギじゃなくてノロマなカメだな!本当はカメヤマなんじゃないのか?このカメ!」


これ録音してたらパワハラで訴えられるかな、いやその前に著作権かな、と考えていると、ドサッ、とバインダーの束が置かれた。


「まあ、ノロマなお前でも研修できるように、我が社には新人研修マニュアルがある。せいぜい頑張るんだな」


 そう言うと部長は自席へと戻った。

 一人残された俺は呟く。


「ウサギって、嫌われ者だなあ」


 だって昔からそうだろ。

 うさぎとかめ。

 カチカチ山。

 因幡の白兎。

 不思議の国のアリス。


「……みんな、俺のこと嫌いなんだろうなあ」


 目頭が熱くなるのを堪えながら、俺は麗音の元へ向かった。

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