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四章

勇者

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 覇気を纏った心打たれる力強い声は、辰巳の疲れを労う。

「つーか、おいおい。どーなってやがんだよ」

 蠢く虫の数体が、アルトリアの声に顔を向けた。
 向けたまでは当たり前だろう。アルトリアの声はそんな慎ましやかなものでは無い。この喧騒にも負けず劣らずの声だ。だが、虫達は顔を向けただけ・・・・・・・
 この場の時が今止まったかのようにそれ以来微動だとしないのだから驚かずには居られなかった。

 ──辰巳を含む五人を除いて今まさに時間の概念が消え去ったのだ。

 状況の把握が出来ない辰巳は辺りを見渡した。あっけらかんとした表情さえも気にせずに、視界に写したのは、さながら時間を切り取った一枚の絵。
 木々は、風で揺れ動いたまま止まり、雅によって両断された虫は血飛沫を上げている央《さなか》で静止している。
 いくつもの血で出来た結晶柱が連なる空間というのは神秘的と言うよりも悍ましい。

「私は、時を一時的に止める事が出来ます」

 辰巳が生唾を飲み、アルトリアの能力に恐れ戦く中で悠々と辺りの惨状に目もくれずに彼女はすぐ側まで歩いてきた。しかもロンの槍を用いて鎧を纏う姿は見た事が無いはずだ。仮にバルハの話を聞いていたとしても気にしない姿は実に肝が座っている。
 そんな彼女が発言した言葉。何故か不思議と当たり前だと錯覚さえしてしまう。辰巳は、ロンの槍を地に突き刺してアルトリアの姿を今一度しっかり眼中におさめた。

 蒼白の軽装に、羽のついたアミュレット。腰には微細な彫刻が施され神々しさを放つ。どこか匙ざるを得ない重みは、王座の気迫なのか。

「時……って、すげえなそれは」

 流石に、辰巳が用いるアプリにも時を止める能力ははいっていない。時を遅らせる、スローやせいぜい石化がいい所だ。仮にストップがあったとしてもこの界隈一体の時を切り抜く事は出来はしないはず。故に辰巳は、最大限の尊敬を声に乗せた。

「ですが、永続的に……は、無理なんですがね」

 気丈に振舞ってはいるが、よく見たら額からは大して動いても居ないのに汗が滴っている。心做しか肩も上下している。

「なら、なおのことどーしますか?結局、時を止めたとしても私達にコイツらを全滅させる力はないですよ」

 雅は冷静に言う。励ますことも憂いる事も褒め称える事もせず端的に的確に要点を。辰巳は、確かにと眉を顰めて頷いた。

「ならどーする。今の内に」

「言いましたよね? 私は決めたと」

 アルトリアは鞘走らせ静かに、闇に溶け込む高く聳えた塔に切っ先を向けた。

「行きましょう。アルヴァアロンへ」

「行くって、アルトリア。その装備はまさか」

 アルトリアの格好は王女がする華やかなものではなく汗や血を染み込ませる類のものだ。命を託し、命の輝きを金属音として奏でるもの。決して平和を望む者がする格好ではない。辰巳はバルハと一度目が合うが、バルハは視線を落として静かに首を左右に振るった。
 どうやら、この頑固な姫様は自分が決めた事は曲げない信念を兼ね備えているようだ。

「ええ、そのまさかです。私は考えました」

「考えたって何をだ?」

 アルトリアは、剣を地に突き刺し柄に両手を乗せた。

「私の一存のみで罪も無い者達だけを、死に近い場所で争わせ歴史を変える石垣にしてはならない、と。だから、だから決めたのですよタツミ。私も共に剣を取り暗雲に苛まれた未来を切り開きたいと」

「──ですから、私も共に命を賭し民の為に生命を燃やしたい」

 時を止めている為か、声は震え掠れ苦しそうだ。だが、ブレない芯の強さは一国の王に相応しいと辰巳は思っていた。なら、なおのこと自分が導かなければ駄目だと、本当の意味で辰巳は忠義を今覚えたのだ。故に膝をつき、王であるアルトリアに知りうる作法を行い言った。

「分かった、アルトリア。なら、俺は全力でアルトリアを護ろう」

 アルトリアは、辰巳の頭にそっと手を触れた。

「ええ、頼りにしています。私に出来た初めての騎士……そして勇者タツミ」

「話、決まったみたい。なら、行くよ」

 頭上には、輝明龍が翼を翻しながら停止していた。久々にみたシシリはいつに無く積極的に事を進める。
  
「シシリ、お前は余裕そうだな」

「マスター、寂しかったならいつも見たいに熱い抱擁《ほうよう》を」

「してねぇだろ!」

「訂正、豊胸《ほうきょう》を熱い視線でいつもみたいに」

「ふっざけんな! お前が豊胸? はん、見るからにツルテンテンじゃねぇーか」

「カチン。この体型はマスターの好みのはず」

「おい、やめろ」

 不思議と元気が出てきたのは辰巳。気持ちも乗っかり輝明龍が着地したのと同時に乗りかかった。

「アルトリア、何してんだ?早く手を掴んでくれ」

「え? ああ、すいません。ちょっと胸が苦しいなあって……あははは」

「アルトリア……あざとい」

「な、何がですか! シシリちゃん」

 アルトリアとバルハの手を取り少しゴツゴツした背に乗せる。皆が集まるとここまでどうして場が和むのかは不思議だ。ただ言えるのは、シシリが空気を間違えなく変えている。この殺伐とした重たい空気を。

「ここは、四人乗り。だから、そこに捕まってて」

「え、ええ。わかりました。連れて行って頂けるだけ有難いですもんね」

 雅の事は足に掴ませると言った贔屓も見せたが、それでもここに居る五人は今、帝都・アルヴァアロンを目指す。

「みんな、ちゃんと捕まってて」

 時止めを解除し、視界一杯が黒で埋め尽くされる前により高くに飛び上がった。

 ──眼下に広がる波打つ死の絨毯が、光を喰らった瞬間でもあった。
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