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Ⅱ-ⅰ.あなたの隣に

2-10.夜更けの言い合い(ジルヴァント視点)

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 夜が更け、セレネー領の執政塔も随分と人気がなくなった頃。
 最近では珍しく代官の執務室に明かりがついていた。

「――それで、昼間から番様を愛するのに熱心になられたあまり、大事なことをお伝え忘れた、と?」
「……そうだ」

 ジトリと見据えられ、そっと視線を逃がす。
 幼少の頃からの付き合いがあるマイルスに責められると、他に対してと違って冷淡に応じられない。

「はぁ……。フラン様には、王都に立ち寄る心構えを早めにしていただきたかったのですが」
「明日にでも話す」
「当然です」

 どちらが主人かわからないやり取りだ。
 フランと昼間から戯れた結果、積み上げられることになった書類に目を通しながら、少しばかり不満を抱く。

「……この書類、お前でも片付けられただろう」
「私には私の仕事がありますので」

 にこり、と微笑むマイルスから圧を感じるのは気のせいではあるまい。視界の端に捉えたそれを、なんとか見なかったことにする。

 どうやら午後のティータイムを延長したことが、思った以上にマイルスを怒らせたようだ。

「そんなに怒ることか?」
「私は殿下たちの寝所に立ち入るなんて無粋な真似は二度としたくございません」

 きっぱりと言い切られて、なるほどと頷く。
 マイルスが怒っているのは、仕事を先延ばしにさせたことではなく、寝所まで呼びにこさせたことらしい。

 それは俺も予想できていなかったのだからしかたないと思うのだが。急ぎの仕事を持ち込む方が悪いのではないか?

「……フランは意識を失っていたから覚えていないぞ」
「そのようなことを問題にしているわけではございません」
「では、呼びに来てもしばらく続けたことか」
「意識を失われているフラン様にあまりに鬼畜な行いと思いはしますが、そこが問題ではありません」

 さらに冷たい眼差しになっているんだから、絶対それも問題視しているだろう? とは、さすがに言葉にできなかった。

 確かに、あれはフランに悪いことをしたと思う。だが、あと少しというところで意識を失われた場合、止まれないのは許されていい気がする。男の――アルファの本能だろう。

「フランを見たこと、俺は許してやったというのにな」
「心外なことをおっしゃらないでください。見てませんよ。天蓋を下ろしていらっしゃったでしょう」
「布一枚隔てていようとも、同じ空間にいるなぞ、お前以外だったら許しはしない」

 言い換えれば、それほどプライベートエリアに入りこまれようとも、マイルスだけは許容できるほど信頼している、ということ。

 言外の意を過たず理解したマイルスが、咄嗟に返す言葉を失い口を閉ざした。それを横目で眺め、フッと笑う。

 主人を主人とは思えない言動をすることもあるマイルスだが、その忠誠に偽りはない。それに対して俺が明確に信頼を示すようになったのは、実はフランが傍にいるようになってからだ。

 慣れない言葉に密かに照れるマイルスを、案外可愛いやつだなと思いはすれど、さすがに言葉にはしない。あまりに気持ち悪いから。

「ごほんっ。――そのようなことより、王都に立ち寄る話です。陛下から『必ず王城に寄るように』と言われていますでしょう? 王太后陛下にご挨拶する可能性は低いでしょうが、フラン様にも警戒していただく必要がございます」

 話を本題に戻し、苦々しい表情で呟くマイルスに、俺も顔を顰めてしまった。
 王太后のことは話をするだけでも嫌なのだが。そうも言ってられない現状にげんなりする。

「……兄上と話すにしても、長居するつもりはない。フランにあまり負担を強いずに済むはずだ」
「それを陛下がお許しになりますか?」
「王太后のことは、すでに兄上に相談している。配慮してくれるだろう」
「そうだといいのですが……」

 曖昧に言葉を濁すマイルスに首を傾げてしまう。
 王太后の問題は今に始まったことではない。だから、マイルスがいつも以上に気にする様子を見せることが不思議だ。

「なにがそれほど気になる?」
「……王女殿下のお誕生日が近いでしょう?」
「そうだったか?」
「殿下にとっては姪御様でしょうに」
「顔すら覚えていない」

 事実を言っただけなのに、マイルスが大きくため息をついた。

「では、王女殿下が殿下に非常に関心を寄せられていたことも記憶にないのですか?」
「なんだそれは」

 あまりにも身に覚えのない話だった。

 そもそも兄上ときちんと話したのは、即位式があった四年前が初めてだ。その際に、兄上の子どもである王子・王女と顔を合わせはした。俺は興味がなく、大した会話もしなかったはずだ。

 その後、兄上とは手紙のやり取りなどはしていたものの、王城に出向いたのはフランと出会ったパーティーの時だけ。
 そこで王女とは挨拶をしたが、どんな言葉を交わしたか覚えていない。おそらく挨拶くらいしかしていないだろう。

 つまり、王女に関心を寄せられる心当たりが皆無だ。

「……殿下はご容姿だけは素晴らしいので」
「褒め言葉と受け取っておこう」
「中身の問題にご自覚がございますようで嬉しい限りです」

 内容のない会話をすぐに打ち切り、ふむ、と考え込む。

「王女は俺を鑑賞物として求める、と?」
「さすがに王弟殿下にそこまで不遜なことをおっしゃるほど幼い方ではないでしょう。ですが、お誕生日パーティーへの出席は求められてもおかしくないかと」

 嫌な予想が聞こえて、思わず眉を寄せてしまった。

「――お断りになるにしても、陛下はたいそう王女殿下をお可愛がりになっていらっしゃるそうですから、ご機嫌を損ねないよう気をつける必要がございます」

 追撃するような言葉を放つマイルスを、ギロッと睨んでみる。だが、全くこたえた様子を見せないのだから、やはりこいつに可愛さなんて存在していなかった。

「……王城を訪ねるのをやめよう」
「無理です」
「それをどうにかするのがお前の仕事だろう」

 なんとか押し付けてみようとするが、マイルスの拒否の態度は一向に変わらない。

 不毛なやり取りは月が傾くまで続いた。

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