71 / 113
Ⅱ-ⅰ.あなたの隣に
2-10.夜更けの言い合い(ジルヴァント視点)
しおりを挟む
夜が更け、セレネー領の執政塔も随分と人気がなくなった頃。
最近では珍しく代官の執務室に明かりがついていた。
「――それで、昼間から番様を愛するのに熱心になられたあまり、大事なことをお伝え忘れた、と?」
「……そうだ」
ジトリと見据えられ、そっと視線を逃がす。
幼少の頃からの付き合いがあるマイルスに責められると、他に対してと違って冷淡に応じられない。
「はぁ……。フラン様には、王都に立ち寄る心構えを早めにしていただきたかったのですが」
「明日にでも話す」
「当然です」
どちらが主人かわからないやり取りだ。
フランと昼間から戯れた結果、積み上げられることになった書類に目を通しながら、少しばかり不満を抱く。
「……この書類、お前でも片付けられただろう」
「私には私の仕事がありますので」
にこり、と微笑むマイルスから圧を感じるのは気のせいではあるまい。視界の端に捉えたそれを、なんとか見なかったことにする。
どうやら午後のティータイムを延長したことが、思った以上にマイルスを怒らせたようだ。
「そんなに怒ることか?」
「私は殿下たちの寝所に立ち入るなんて無粋な真似は二度としたくございません」
きっぱりと言い切られて、なるほどと頷く。
マイルスが怒っているのは、仕事を先延ばしにさせたことではなく、寝所まで呼びにこさせたことらしい。
それは俺も予想できていなかったのだからしかたないと思うのだが。急ぎの仕事を持ち込む方が悪いのではないか?
「……フランは意識を失っていたから覚えていないぞ」
「そのようなことを問題にしているわけではございません」
「では、呼びに来てもしばらく続けたことか」
「意識を失われているフラン様にあまりに鬼畜な行いと思いはしますが、そこが問題ではありません」
さらに冷たい眼差しになっているんだから、絶対それも問題視しているだろう? とは、さすがに言葉にできなかった。
確かに、あれはフランに悪いことをしたと思う。だが、あと少しというところで意識を失われた場合、止まれないのは許されていい気がする。男の――アルファの本能だろう。
「フランを見たこと、俺は許してやったというのにな」
「心外なことをおっしゃらないでください。見てませんよ。天蓋を下ろしていらっしゃったでしょう」
「布一枚隔てていようとも、同じ空間にいるなぞ、お前以外だったら許しはしない」
言い換えれば、それほどプライベートエリアに入りこまれようとも、マイルスだけは許容できるほど信頼している、ということ。
言外の意を過たず理解したマイルスが、咄嗟に返す言葉を失い口を閉ざした。それを横目で眺め、フッと笑う。
主人を主人とは思えない言動をすることもあるマイルスだが、その忠誠に偽りはない。それに対して俺が明確に信頼を示すようになったのは、実はフランが傍にいるようになってからだ。
慣れない言葉に密かに照れるマイルスを、案外可愛いやつだなと思いはすれど、さすがに言葉にはしない。あまりに気持ち悪いから。
「ごほんっ。――そのようなことより、王都に立ち寄る話です。陛下から『必ず王城に寄るように』と言われていますでしょう? 王太后陛下にご挨拶する可能性は低いでしょうが、フラン様にも警戒していただく必要がございます」
話を本題に戻し、苦々しい表情で呟くマイルスに、俺も顔を顰めてしまった。
王太后のことは話をするだけでも嫌なのだが。そうも言ってられない現状にげんなりする。
「……兄上と話すにしても、長居するつもりはない。フランにあまり負担を強いずに済むはずだ」
「それを陛下がお許しになりますか?」
「王太后のことは、すでに兄上に相談している。配慮してくれるだろう」
「そうだといいのですが……」
曖昧に言葉を濁すマイルスに首を傾げてしまう。
王太后の問題は今に始まったことではない。だから、マイルスがいつも以上に気にする様子を見せることが不思議だ。
「なにがそれほど気になる?」
「……王女殿下のお誕生日が近いでしょう?」
「そうだったか?」
「殿下にとっては姪御様でしょうに」
「顔すら覚えていない」
事実を言っただけなのに、マイルスが大きくため息をついた。
「では、王女殿下が殿下に非常に関心を寄せられていたことも記憶にないのですか?」
「なんだそれは」
あまりにも身に覚えのない話だった。
そもそも兄上ときちんと話したのは、即位式があった四年前が初めてだ。その際に、兄上の子どもである王子・王女と顔を合わせはした。俺は興味がなく、大した会話もしなかったはずだ。
その後、兄上とは手紙のやり取りなどはしていたものの、王城に出向いたのはフランと出会ったパーティーの時だけ。
そこで王女とは挨拶をしたが、どんな言葉を交わしたか覚えていない。おそらく挨拶くらいしかしていないだろう。
つまり、王女に関心を寄せられる心当たりが皆無だ。
「……殿下はご容姿だけは素晴らしいので」
「褒め言葉と受け取っておこう」
「中身の問題にご自覚がございますようで嬉しい限りです」
内容のない会話をすぐに打ち切り、ふむ、と考え込む。
「王女は俺を鑑賞物として求める、と?」
「さすがに王弟殿下にそこまで不遜なことをおっしゃるほど幼い方ではないでしょう。ですが、お誕生日パーティーへの出席は求められてもおかしくないかと」
嫌な予想が聞こえて、思わず眉を寄せてしまった。
「――お断りになるにしても、陛下はたいそう王女殿下をお可愛がりになっていらっしゃるそうですから、ご機嫌を損ねないよう気をつける必要がございます」
追撃するような言葉を放つマイルスを、ギロッと睨んでみる。だが、全くこたえた様子を見せないのだから、やはりこいつに可愛さなんて存在していなかった。
「……王城を訪ねるのをやめよう」
「無理です」
「それをどうにかするのがお前の仕事だろう」
なんとか押し付けてみようとするが、マイルスの拒否の態度は一向に変わらない。
不毛なやり取りは月が傾くまで続いた。
最近では珍しく代官の執務室に明かりがついていた。
「――それで、昼間から番様を愛するのに熱心になられたあまり、大事なことをお伝え忘れた、と?」
「……そうだ」
ジトリと見据えられ、そっと視線を逃がす。
幼少の頃からの付き合いがあるマイルスに責められると、他に対してと違って冷淡に応じられない。
「はぁ……。フラン様には、王都に立ち寄る心構えを早めにしていただきたかったのですが」
「明日にでも話す」
「当然です」
どちらが主人かわからないやり取りだ。
フランと昼間から戯れた結果、積み上げられることになった書類に目を通しながら、少しばかり不満を抱く。
「……この書類、お前でも片付けられただろう」
「私には私の仕事がありますので」
にこり、と微笑むマイルスから圧を感じるのは気のせいではあるまい。視界の端に捉えたそれを、なんとか見なかったことにする。
どうやら午後のティータイムを延長したことが、思った以上にマイルスを怒らせたようだ。
「そんなに怒ることか?」
「私は殿下たちの寝所に立ち入るなんて無粋な真似は二度としたくございません」
きっぱりと言い切られて、なるほどと頷く。
マイルスが怒っているのは、仕事を先延ばしにさせたことではなく、寝所まで呼びにこさせたことらしい。
それは俺も予想できていなかったのだからしかたないと思うのだが。急ぎの仕事を持ち込む方が悪いのではないか?
「……フランは意識を失っていたから覚えていないぞ」
「そのようなことを問題にしているわけではございません」
「では、呼びに来てもしばらく続けたことか」
「意識を失われているフラン様にあまりに鬼畜な行いと思いはしますが、そこが問題ではありません」
さらに冷たい眼差しになっているんだから、絶対それも問題視しているだろう? とは、さすがに言葉にできなかった。
確かに、あれはフランに悪いことをしたと思う。だが、あと少しというところで意識を失われた場合、止まれないのは許されていい気がする。男の――アルファの本能だろう。
「フランを見たこと、俺は許してやったというのにな」
「心外なことをおっしゃらないでください。見てませんよ。天蓋を下ろしていらっしゃったでしょう」
「布一枚隔てていようとも、同じ空間にいるなぞ、お前以外だったら許しはしない」
言い換えれば、それほどプライベートエリアに入りこまれようとも、マイルスだけは許容できるほど信頼している、ということ。
言外の意を過たず理解したマイルスが、咄嗟に返す言葉を失い口を閉ざした。それを横目で眺め、フッと笑う。
主人を主人とは思えない言動をすることもあるマイルスだが、その忠誠に偽りはない。それに対して俺が明確に信頼を示すようになったのは、実はフランが傍にいるようになってからだ。
慣れない言葉に密かに照れるマイルスを、案外可愛いやつだなと思いはすれど、さすがに言葉にはしない。あまりに気持ち悪いから。
「ごほんっ。――そのようなことより、王都に立ち寄る話です。陛下から『必ず王城に寄るように』と言われていますでしょう? 王太后陛下にご挨拶する可能性は低いでしょうが、フラン様にも警戒していただく必要がございます」
話を本題に戻し、苦々しい表情で呟くマイルスに、俺も顔を顰めてしまった。
王太后のことは話をするだけでも嫌なのだが。そうも言ってられない現状にげんなりする。
「……兄上と話すにしても、長居するつもりはない。フランにあまり負担を強いずに済むはずだ」
「それを陛下がお許しになりますか?」
「王太后のことは、すでに兄上に相談している。配慮してくれるだろう」
「そうだといいのですが……」
曖昧に言葉を濁すマイルスに首を傾げてしまう。
王太后の問題は今に始まったことではない。だから、マイルスがいつも以上に気にする様子を見せることが不思議だ。
「なにがそれほど気になる?」
「……王女殿下のお誕生日が近いでしょう?」
「そうだったか?」
「殿下にとっては姪御様でしょうに」
「顔すら覚えていない」
事実を言っただけなのに、マイルスが大きくため息をついた。
「では、王女殿下が殿下に非常に関心を寄せられていたことも記憶にないのですか?」
「なんだそれは」
あまりにも身に覚えのない話だった。
そもそも兄上ときちんと話したのは、即位式があった四年前が初めてだ。その際に、兄上の子どもである王子・王女と顔を合わせはした。俺は興味がなく、大した会話もしなかったはずだ。
その後、兄上とは手紙のやり取りなどはしていたものの、王城に出向いたのはフランと出会ったパーティーの時だけ。
そこで王女とは挨拶をしたが、どんな言葉を交わしたか覚えていない。おそらく挨拶くらいしかしていないだろう。
つまり、王女に関心を寄せられる心当たりが皆無だ。
「……殿下はご容姿だけは素晴らしいので」
「褒め言葉と受け取っておこう」
「中身の問題にご自覚がございますようで嬉しい限りです」
内容のない会話をすぐに打ち切り、ふむ、と考え込む。
「王女は俺を鑑賞物として求める、と?」
「さすがに王弟殿下にそこまで不遜なことをおっしゃるほど幼い方ではないでしょう。ですが、お誕生日パーティーへの出席は求められてもおかしくないかと」
嫌な予想が聞こえて、思わず眉を寄せてしまった。
「――お断りになるにしても、陛下はたいそう王女殿下をお可愛がりになっていらっしゃるそうですから、ご機嫌を損ねないよう気をつける必要がございます」
追撃するような言葉を放つマイルスを、ギロッと睨んでみる。だが、全くこたえた様子を見せないのだから、やはりこいつに可愛さなんて存在していなかった。
「……王城を訪ねるのをやめよう」
「無理です」
「それをどうにかするのがお前の仕事だろう」
なんとか押し付けてみようとするが、マイルスの拒否の態度は一向に変わらない。
不毛なやり取りは月が傾くまで続いた。
1,020
お気に入りに追加
3,715
あなたにおすすめの小説
変なαとΩに両脇を包囲されたβが、色々奪われながら頑張る話
ベポ田
BL
ヒトの性別が、雄と雌、さらにα、β、Ωの三種類のバース性に分類される世界。総人口の僅か5%しか存在しないαとΩは、フェロモンの分泌器官・受容体の発達度合いで、さらにI型、II型、Ⅲ型に分類される。
βである主人公・九条博人の通う私立帝高校高校は、αやΩ、さらにI型、II型が多く所属する伝統ある名門校だった。
そんな魔境のなかで、変なI型αとII型Ωに理不尽に執着されては、色々な物を奪われ、手に入れながら頑張る不憫なβの話。
イベントにて頒布予定の合同誌サンプルです。
3部構成のうち、1部まで公開予定です。
イラストは、漫画・イラスト担当のいぽいぽさんが描いたものです。
最新はTwitterに掲載しています。
国王の嫁って意外と面倒ですね。
榎本 ぬこ
BL
一国の王であり、最愛のリヴィウスと結婚したΩのレイ。
愛しい人のためなら例え側妃の方から疎まれようと頑張ると決めていたのですが、そろそろ我慢の限界です。
他に自分だけを愛してくれる人を見つけようと思います。
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
王道学園の冷徹生徒会長、裏の顔がバレて総受けルート突入しちゃいました!え?逃げ場無しですか?
名無しのナナ氏
BL
王道学園に入学して1ヶ月でトップに君臨した冷徹生徒会長、有栖川 誠(ありすがわ まこと)。常に冷静で無表情、そして無言の誠を生徒達からは尊敬の眼差しで見られていた。
そんな彼のもう1つの姿は… どの企業にも属さないにも関わらず、VTuber界で人気を博した個人VTuber〈〈 アイリス 〉〉!? 本性は寂しがり屋の泣き虫。色々あって周りから誤解されまくってしまった結果アイリスとして素を出していた。そんなある日、生徒会の仕事を1人で黙々とやっている内に疲れてしまい__________
※
・非王道気味
・固定カプ予定は無い
・悲しい過去🐜
・不定期
本物の聖女が現れてお払い箱になるはずが、婚約者の第二王子が手放してくれません
すもも
BL
神狩真は聖女として異世界に召喚されたものの、
真を召喚した張本人である第一王子に偽物として拒絶されてしまう。
聖女は王族の精力がなければ生命力が尽きてしまうため、王様の一存で第一王子の代わりに第二王子のフェリクスと婚約することになった真。
最初は真に冷たい態度を取っていたフェリクスだが、次第に態度が軟化していき心を通わせていく。
そんな矢先、本物の聖女様が現れ、偽物の聖女であるマコトは追放されるはずが──
年下拗らせ美形×お人好し不憫平凡
一部嫌われの愛され寄りです。
【完結】第三王子は、自由に踊りたい。〜豹の獣人と、第一王子に言い寄られてますが、僕は一体どうすればいいでしょうか?〜
N2O
BL
気弱で不憫属性の第三王子が、二人の男から寵愛を受けるはなし。
表紙絵
⇨元素 様 X(@10loveeeyy)
※独自設定、ご都合主義です。
※ハーレム要素を予定しています。
巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく
藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。
目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり……
巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。
【感想のお返事について】
感想をくださりありがとうございます。
執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。
大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。
他サイトでも公開中
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる