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Ⅱ-ⅰ.あなたの隣に
2-2.学びは大切
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山積みにされた教本と、ピンと背筋が伸びた女性を前に、僕も姿勢を正して作った微笑みを浮かべる。
正直、体がカチコチに固まって痛いくらいだけど、泣き言を吐くことはできない。
「よろしいですか、フラン様。王族の一員になられるからには、相応の振る舞いが必要で――」
女性――礼儀作法教師であるベアトリス先生の声に耳を澄ませる。たとえ同じことを何度も言われていようと、それにうんざりした顔をすれば、厳しい叱責がくることもすでによく理解していた。
念願だった礼儀作法の教師がやって来たのは、つい一週間前。
ベアトリス先生は、ジル様の伯父であるルトルード侯爵の従兄妹だそう。伯爵家の次男に嫁いだ後は、高位貴族に礼儀作法を教える先生として重用されているらしい。
その教え方は結構厳しくて、もともと勉強より外を出歩くのが好きな僕にとっては、ちょっと苦痛に感じることもある。
高位貴族の子息は幼い頃からこんな感じで学んでるんだろうから、すごいなぁ。僕ももっと頑張らなくちゃ。
「フラン様。お披露目のパーティーは、もう一週間後に迫っているのです。フラン様は随分とのびのびとお育ちのようですから、このままではパーティーで浮いてしまわれますよ」
「……はい。そうならないよう、どうか僕をお導きくださいませ」
なかなか合格点をもらえず、何度も苦言を呈される。その度に、僕はダメだなぁと思い知らされて、少し落ち込んじゃう。
王族に相応しい振る舞いを、体に叩き込むように学んで一時間。
「……本日はここまでにいたしましょう。明日の授業までに復習しておいてくださいませ」
「はい。ありがとうございました」
頭を下げる角度は浅く。
すでにジル様の番として公的に認められている僕は、王弟妃になっていなくても、王族に準じる身分だ。教えてもらう立場であっても、ベアトリス先生に対しへりくだった振る舞いをしてはいけない。
「角度が深いです。もっと顔をお上げくださいませ」
「失礼しました」
微調整して顔を上げると、ベアトリス先生が小さく頷く。
ベアトリス先生は優雅に丁寧な礼をとると、すぐに立ち去った。その後ろ姿が見えなくなったところで、ドッと疲労感が押し寄せてくる。
「――つ、かれたぁ」
「お疲れ様です、フラン様。紅茶とお菓子の準備ができております」
ぐったりとテーブルに身を伏せるようにしてもたれると、イリスのいたわりに満ちた声がかかる。
淹れられたばかりの紅茶の香りが、疲労感を癒やしてくれた。
「ありがとう、イリス」
「いえ。……それにしましても、ベアトリス様は少々お厳しすぎませんか」
紅茶を飲みながらイリスの顔をチラッと見上げる。抑えきれない憤懣が瞳に浮かんでいた。
イリスがこんな感じで不満を漏らすのは初めてじゃない。それが僕を思いやってのことだとわかるから、咎める気にならなくて、いつもつい聞き流してしまっていた。
「う~ん……高位貴族の方々は、幼い頃からこんな感じで学んでるんじゃないのかなぁ?」
「そうなんでしょうか? 高位貴族の方って、すごいんですね……」
納得がいかなそうだ。それでも一旦は僕の言葉を受け入れて、憤懣を鎮めてくれる。
「イリスも僕と同じ子爵家だもんね」
「はい。……あの。殿下にお伺いしてみてはどうでしょう? マイルス様でも良いのですが」
真剣な眼差しで言われて、返す言葉を探しながら視線を彷徨わせた。
こうして促されるのも、もう何度目かな。イリスはよっぽど僕のことを心配してくれてるんだなぁ。
「……ベアトリス先生は、間違ったことはおっしゃっていないと思うけど」
「教えていることが正しくても、教え方が間違っている気がします」
「……そう?」
なんとか躱そうとしてみても、今日のイリスは引いてくれなかった。我慢の限界です、と顔に書いてある。さて、どうしたらいいかなぁ。
「フラン様はどうしてそれほどまでに、殿下にご相談になることを拒まれるのですか?」
「拒んでいるわけじゃないよ。……でも、ベアトリス先生はジル様がようやく見つけてくれた先生だし……」
「ですが、フラン様と相性がよろしくありません」
はっきりと言われて、咄嗟に否定できなかった。
お菓子を食べて時間を稼いでみるも、返す言葉が見つからない。
そんな僕を眺め、イリスが小さく息を吐く。
「――私が侍女として相応しくないことを言っているのはわかってます」
「違うよ! イリスにダメなところなんて一つもない」
「では、フラン様の本当の御心をお教えくださいませんか? 侍女として仕える方の御心を把握できていないのは、失格と謗られてもしかたないことですが」
「イリス……」
真剣な眼差しから目を逸らすしかなかった。
正直、ベアトリス先生との授業が僕の負担になっているのは間違いなかったから。最近、体が重く感じるのも、暑さのせいだけじゃないんだ。
「――お披露目まで、あと一週間しかないんだ」
「はい、承知しております。ベアトリス様も度々脅しの文句にしてらっしゃいますし」
ベアトリス先生について語るイリスの声が刺々しい。僕以上に、イリスの方がベアトリス先生と相性が悪いのかも。
イリスの態度に苦笑しながら気づかなかったふりをする。
「たとえベアトリス先生が厳しくてつらくなっても、僕はお披露目を成功できるならそれでいいんだよ」
「フラン様……。御自分をそれほどまでに追い詰める必要はないと思います。今のままでも、フラン様は十分な振る舞いをしてらっしゃるんですから」
「そうかなぁ……」
あんなにベアトリス先生に叱られまくっていて、十分とは思えない。
一週間先に迫ったお披露目のパーティーに、不安は募るばかりだ。
お披露目のパーティーは、僕がジル様の番になったことを知らしめるために開かれる。
セレネー領近くの領だけでなく、遠方からも貴族たちがやって来るらしい。その多くが伯爵家以上のお家柄だ。
きっとジル様の番として相応しいか見定めるような厳しい眼差しが向けられる。
僕はその眼差しに対して、堂々とした立ち振る舞いをしなくちゃいけない。それがジル様の番として今できる唯一のことだから。
「……ベアトリス様に教えていただく度に、フラン様の輝きが陰っていかれるようで、私も悲しくなってしまいます」
「イリス……」
目を伏せて嘆くイリスに、なんと答えればいいのだろう。
――僕はどうしたらいいのかな……。
正直、体がカチコチに固まって痛いくらいだけど、泣き言を吐くことはできない。
「よろしいですか、フラン様。王族の一員になられるからには、相応の振る舞いが必要で――」
女性――礼儀作法教師であるベアトリス先生の声に耳を澄ませる。たとえ同じことを何度も言われていようと、それにうんざりした顔をすれば、厳しい叱責がくることもすでによく理解していた。
念願だった礼儀作法の教師がやって来たのは、つい一週間前。
ベアトリス先生は、ジル様の伯父であるルトルード侯爵の従兄妹だそう。伯爵家の次男に嫁いだ後は、高位貴族に礼儀作法を教える先生として重用されているらしい。
その教え方は結構厳しくて、もともと勉強より外を出歩くのが好きな僕にとっては、ちょっと苦痛に感じることもある。
高位貴族の子息は幼い頃からこんな感じで学んでるんだろうから、すごいなぁ。僕ももっと頑張らなくちゃ。
「フラン様。お披露目のパーティーは、もう一週間後に迫っているのです。フラン様は随分とのびのびとお育ちのようですから、このままではパーティーで浮いてしまわれますよ」
「……はい。そうならないよう、どうか僕をお導きくださいませ」
なかなか合格点をもらえず、何度も苦言を呈される。その度に、僕はダメだなぁと思い知らされて、少し落ち込んじゃう。
王族に相応しい振る舞いを、体に叩き込むように学んで一時間。
「……本日はここまでにいたしましょう。明日の授業までに復習しておいてくださいませ」
「はい。ありがとうございました」
頭を下げる角度は浅く。
すでにジル様の番として公的に認められている僕は、王弟妃になっていなくても、王族に準じる身分だ。教えてもらう立場であっても、ベアトリス先生に対しへりくだった振る舞いをしてはいけない。
「角度が深いです。もっと顔をお上げくださいませ」
「失礼しました」
微調整して顔を上げると、ベアトリス先生が小さく頷く。
ベアトリス先生は優雅に丁寧な礼をとると、すぐに立ち去った。その後ろ姿が見えなくなったところで、ドッと疲労感が押し寄せてくる。
「――つ、かれたぁ」
「お疲れ様です、フラン様。紅茶とお菓子の準備ができております」
ぐったりとテーブルに身を伏せるようにしてもたれると、イリスのいたわりに満ちた声がかかる。
淹れられたばかりの紅茶の香りが、疲労感を癒やしてくれた。
「ありがとう、イリス」
「いえ。……それにしましても、ベアトリス様は少々お厳しすぎませんか」
紅茶を飲みながらイリスの顔をチラッと見上げる。抑えきれない憤懣が瞳に浮かんでいた。
イリスがこんな感じで不満を漏らすのは初めてじゃない。それが僕を思いやってのことだとわかるから、咎める気にならなくて、いつもつい聞き流してしまっていた。
「う~ん……高位貴族の方々は、幼い頃からこんな感じで学んでるんじゃないのかなぁ?」
「そうなんでしょうか? 高位貴族の方って、すごいんですね……」
納得がいかなそうだ。それでも一旦は僕の言葉を受け入れて、憤懣を鎮めてくれる。
「イリスも僕と同じ子爵家だもんね」
「はい。……あの。殿下にお伺いしてみてはどうでしょう? マイルス様でも良いのですが」
真剣な眼差しで言われて、返す言葉を探しながら視線を彷徨わせた。
こうして促されるのも、もう何度目かな。イリスはよっぽど僕のことを心配してくれてるんだなぁ。
「……ベアトリス先生は、間違ったことはおっしゃっていないと思うけど」
「教えていることが正しくても、教え方が間違っている気がします」
「……そう?」
なんとか躱そうとしてみても、今日のイリスは引いてくれなかった。我慢の限界です、と顔に書いてある。さて、どうしたらいいかなぁ。
「フラン様はどうしてそれほどまでに、殿下にご相談になることを拒まれるのですか?」
「拒んでいるわけじゃないよ。……でも、ベアトリス先生はジル様がようやく見つけてくれた先生だし……」
「ですが、フラン様と相性がよろしくありません」
はっきりと言われて、咄嗟に否定できなかった。
お菓子を食べて時間を稼いでみるも、返す言葉が見つからない。
そんな僕を眺め、イリスが小さく息を吐く。
「――私が侍女として相応しくないことを言っているのはわかってます」
「違うよ! イリスにダメなところなんて一つもない」
「では、フラン様の本当の御心をお教えくださいませんか? 侍女として仕える方の御心を把握できていないのは、失格と謗られてもしかたないことですが」
「イリス……」
真剣な眼差しから目を逸らすしかなかった。
正直、ベアトリス先生との授業が僕の負担になっているのは間違いなかったから。最近、体が重く感じるのも、暑さのせいだけじゃないんだ。
「――お披露目まで、あと一週間しかないんだ」
「はい、承知しております。ベアトリス様も度々脅しの文句にしてらっしゃいますし」
ベアトリス先生について語るイリスの声が刺々しい。僕以上に、イリスの方がベアトリス先生と相性が悪いのかも。
イリスの態度に苦笑しながら気づかなかったふりをする。
「たとえベアトリス先生が厳しくてつらくなっても、僕はお披露目を成功できるならそれでいいんだよ」
「フラン様……。御自分をそれほどまでに追い詰める必要はないと思います。今のままでも、フラン様は十分な振る舞いをしてらっしゃるんですから」
「そうかなぁ……」
あんなにベアトリス先生に叱られまくっていて、十分とは思えない。
一週間先に迫ったお披露目のパーティーに、不安は募るばかりだ。
お披露目のパーティーは、僕がジル様の番になったことを知らしめるために開かれる。
セレネー領近くの領だけでなく、遠方からも貴族たちがやって来るらしい。その多くが伯爵家以上のお家柄だ。
きっとジル様の番として相応しいか見定めるような厳しい眼差しが向けられる。
僕はその眼差しに対して、堂々とした立ち振る舞いをしなくちゃいけない。それがジル様の番として今できる唯一のことだから。
「……ベアトリス様に教えていただく度に、フラン様の輝きが陰っていかれるようで、私も悲しくなってしまいます」
「イリス……」
目を伏せて嘆くイリスに、なんと答えればいいのだろう。
――僕はどうしたらいいのかな……。
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