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Ⅱ-ⅰ.あなたの隣に

2-1.あなたがいれば

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 カーテン越しに感じる強い日差し。
 体感したことのないほどの暑さに、ぐったりとソファに身を横たえた。開け放した窓から吹き込む風で、なんとか生きていられる。

「フラン様、冷やした紅茶をお持ちしました」

 侍女のイリスが心配そうな表情で様子を窺ってくる。それに対して軽く手を上げて揺らすことを返事にした。

 暑すぎて溶けそう……。起き上がる気力と体力がないよ。

 ぼんやりとしながら目を瞑っていたら、不意に抱き上げられるようにして上体を起こされる。
 
「っ……ジル様?」
「水分を取った方がいい」

 銀色の髪に薄青の瞳。まるで氷のようで涼やかな容姿は、暑さにやられた僕の目に優しい。

 いつ見ても綺麗な人だなぁ。
 こんなことを言ったら、ジル様に「フランほどじゃない」と言われるんだろうけど。

「フラン、ほら」
「ん……」

 唇に触れたガラスの冷たさに、反射的に口を開いた。ゆっくりと流れ込む冷えた紅茶に、茹だるようにぼやけていた頭が僅かに鮮明さを取り戻す。

「――美味しいです」
「それは良かった」

 ふわり、と甘い香りが漂う。思わず大きく吸い込んで、目を細めた。ゆるゆると心が緩んでいく。

 紅茶の華やかな香りに混じる甘い香りは、ジル様のもの。
 僕の唯一の番にして、運命。
 契約を交わしてから一ヶ月も経っていないけど、ジル様の香りはもう僕に馴染んで、安心感を齎してくれる。

「ジル様、お仕事は?」
「休憩だ」

 ジル様の膝の上に横抱きにされて、肩に頭をもたれながらぱちぱちと瞬きをした。

 こうして日中にジル様と過ごすのは久しぶりだなぁ。最近のジル様は執務が忙しかったようだし。

 頬を撫でる手に擦り寄りながら、ちょっと首を傾げる。

「お忙しいの、終わったんですか?」
「一旦は、な」
「それは良かったです。これからはもっと一緒に過ごせますか?」

 期待を込めて問いかけたら、微笑みと共に頷きが返ってくる。心臓のあたりにポッと熱がともるような心地がした。

 ふわりと風を感じる。イリスが大きな扇で仰いでくれていた。
 それに礼を伝えようとしたところで、ジル様に額を撫でられて口を閉ざす。

「随分と暑さがこたえているようだな」
「……予想以上でした」

 じっと見つめてくる眼差しは僕の嘘を容易に見抜いてしまいそうで、迷った末にため息混じりに返事をした。

 僕はエストレア国北部にあるボワージア子爵領で生まれ育った。寒冷地である領は、冬の寒さが厳しい一方で、夏は涼しく過ごせる。
 だから、夏がこんなに暑いなんて知らなかったんだ。

 南部地域にあるセレネー領は、温暖な気候だと前もって知っていたけど、温かいというより暑いが近いと思う。

 でも、セレネー領近くに所領を持つ子爵家出身であるイリスに言わせれば「今は暖かいです。もう少しすれば夏が来て暑くなりますよ」とのことらしい。

 それが本当なら、僕は夏には暑さで死んじゃうかもしれない。
 本気でそう悩んでいる。

「難しい顔をしている」

 冷えた指先が僕の眉間を撫でた。シワが寄ってしまっていたかな。

「――夏は避暑地に行くか」
「避暑地……ブルガラ領ですか?」

 頭の中で、最近学んだばかりの王家直轄領について思い浮かべた。数ある領の中でも、避暑に向いた地域はそこだけだった気がする。

 王家が所有する場所は、王都も含めて暑さが厳しくないと言われているらしく、避暑というものが重視されてないんだ。

 王弟殿下であるジル様は、普段セレネー領で暮らしていて、どこかに出かけるとしても、王家直轄領くらいしか目的地にしない。貴族所有の領に行くとなると、社交が面倒くさいんだって。ジル様らしい。

「いや。――ボワージアだ」

 思わず目を見開く。
 じっとジル様を見つめると、穏やかな眼差しで見つめ返された。

「……帰って、いいんですか?」
「ああ。もともと、フランのお父君たちに挨拶に行くつもりだと言っておいただろう?」
「もっと先の話かと思ってました」

 番契約はしたけど、結婚式は一年以上先と決まっている。王族の結婚式は盛大に執り行われるものらしいから、準備期間がそれだけ必要なんだ。

 その結婚式の前にボワージア領に一緒に行ってくれるとは聞いていたけど、いつになるかはわからなかった。
 正直、こんなに早く提案してもらえるとはびっくりだ。

「そうだな。……まぁ、フランが無事番になってくれて、俺も少しは余裕ができたから、そろそろ巣から出しても大丈夫だろうと思って、な」
「んっ……」

 項を指先で擽られて、思わず上擦った声が漏れた。
 オメガの項に刻まれたアルファの所有印は、番に触れられるだけで、甘く痺れるような刺激を齎す。

「――ジル様、悪戯はおやめください」
「ふっ……フランは可愛いな」

 ジル様の手を掴んで咎めても、声が甘ったるく蕩けてしまっていてはなんの効果もなく。仕草以上に甘く熱っぽい眼差しを注がれて、逃げ場をなくして追い詰められた。

 昼間から寝室に連れ込まれるようなふしだらな展開を避けようと、必死に話を元に戻す。

「それでっ、余裕って、どういうことですか?」

 唇を啄むような触れ合いの合間に尋ねると、間近で薄青の瞳がぱちりと瞬いた。

「……言葉のままだが。フランを俺のものにできたから、遠出するのを許容できる。その程度に独占欲を抑え込めるようになった、ということだ」

 今度は僕がぱちりと瞬く番だ。
 しばらく考えて『なるほど』と頷く。

 王都でジル様と出会い、すぐさまセレネー領に連れ込まれたのは、ジル様のアルファとしての独占欲が理由だった。それを抑え込む余裕ができたというなら、ボワージア領へ赴く提案をされたのも納得だ。

 指先で項を撫でる。僅かに凹凸が残る所有印が愛おしくて、自然と頬が緩んだ。
 これが、僕がジル様のものだっていう契約の証。ジル様にとっても大事なものになっているのなら、僕も心から嬉しい。

「ふふ。それなら、一緒に帰りましょう」
「ああ。……まぁ、それより先にこなさなければならないこともあるが、な。苦労をかけてすまない」
「いいえ。苦労だなんて、思ってませんよ」

 僅かに眉を寄せたジル様に擦り寄り、身を預ける。
 どんなに大変なことがあろうと、ジル様が傍にいてくれるなら、僕は大丈夫なんだよ。

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