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Ⅰ‐ⅳ.僕とあなたの高まり
59.夜の帳が下りる
しおりを挟む晩餐会では、日頃話さない人たちと交流を持てて楽しかったし、色々と考えるきっかけにもなった。
それが終われば、僕はイリスに急かされるように、夜の支度に追われたんだけど。
「フラン様、湯浴みのお手伝いは——」
「いりません。大丈夫だから」
「そうですね。殿下もお嫌がりになるでしょうし」
真剣な顔で頷いたイリスは、それでも浮足立った雰囲気で「夜着はこちらで、湯浴み後のマッサージオイルはこちらがいいでしょう……」と支度に余念がない。
僕以上に張り切っているように見えるのはなぜだろう。
夜が深まるにつれて緊張していた気分が、イリスを見ていると落ち着く気がする。自分よりいっぱいいっぱいな人を見ると良いって本当だったんだ。
湯浴みの後にマッサージを受けて、なんだかいつもより薄い気がする夜着を身に纏う。
ジル様はもう、寝室にいるのかな。
これまで僕が私室にしている部屋には三つの扉があった。
一つは廊下に繋がるもの。もう一つは、普段寝ている寝室。そして最後の一つが、ジル様の私室との間にある主寝室に繋がっていた。
——これまで、主寝室の鍵は閉められていたんだけど、今日はすでに開けられている。
それがどういうことなのか、言葉にしなくてもわかってた。
ジル様に告げたような覚悟が決まったとは思えないけど……まぁ、なるようになるよね。
「……うー……」
主寝室の扉に伸ばした手が止まる。
その先にジル様がいるかも、って思ったら、途端に手が動かなくなっちゃった。
恐怖はないけど、緊張感がすごい。今歩いたら、右手と右足が同時に出そうなくらい、頭の中がいっぱいいっぱいになってる。
イリスはもう落ち着いているから、見ても緊張は和らがないし。
「大丈夫ですよ、フラン様。殿下をご信頼ください」
「信頼はしてるけど……僕が大丈夫なのかなって思っちゃう……」
アルファと褥を共にするなんて、経験がないんだ。未知のことで想像もできない。
発情期の時みたいに、もう衝動に身を任せる状況の方が楽なんじゃないかって思えるくらい緊張してる。
「……一応、発情誘発薬はご用意してますが」
「え?」
「初めてアルファのお相手をする方は、薬を使われる場合も多いのですよ。通常の状態よりも、受け入れやすくなるそうです」
真剣な表情のイリスと向き合う。
「……ううん、いらない、かな」
しばらく考えて、そう答えた。不安はあるけど、きちんとジル様のことを認識して過ごしたい。
「わかりました。では、しまっておきますね」
微笑むイリスに頷き、再び扉に向き合う。
一旦落ち着いて考えられたからか、今度はすんなりと手が伸びた。
ゆっくりと開いた扉の先は、ベッドサイドに明かりが灯るだけで薄暗い。
目を慣らした頃には、ベッドに腰掛けて寝酒を飲んでいるジル様に囚われるように惹き付けられていた。
いつもは丁寧に撫でつけられている髪が、今は少し乱れてる。ジル様も湯浴みを済ませてるんだろう。……こんな姿を見るのは初めてだ。なんだか色気がある。
「フラン、そんなところに立っていないで、おいで。暗いか?」
「い、いえ……失礼します……」
「フランの部屋でもあるんだから、遠慮する必要はない」
ジル様の青い瞳が、深みを増しているように見えた。
視線は僕を捉えて離れず、一挙一動を食い入るように見られている気がする。
心臓の高鳴りが耳元でしているように思えるくらい大きくなっていた。
——香りが、甘い……。部屋中がジル様の匂いで満たされているように、呼吸するたびに僕の中に入り込んでくる。なんだかクラクラしてきた。
「ん……」
力が抜けそうな体を引きずるように運んで、ベッドにぽすんと腰掛ける。
隣からジル様の手が伸びてきて抱きしめられたら、そのまま倒れ込んでしまった。
「……随分と熱い。それに、フランの香りがする」
首元で匂いを嗅がれた瞬間にゾクッとした。
まるで発情期の時みたいに、思考が働かない。
「チョーカーを外してきたんだな」
「番契約をしたので……」
覚束ない声で答える。
発情期じゃない時に項を噛まれても、番になれる確率は低い。でも、ジル様とはもう公的には番として扱われるのだから、肉体的な番関係になるかどうかはともかく、チョーカーで拒む必要はないと思ったんだ。
「そうか、嬉しいな。……こんなに嬉しいと、思うとは考えていなかった」
「んぁっ……!」
ジル様の熱い息がかかったかと思ったら、首筋にキスをされた。
そんな些細な接触に、驚くほど強く感じ入ってしまって目を見開く。
……こんなこと、今まで感じたことがない。なんか変だ。
「——ジル様、僕、なんだかおかしいです……」
「ん? ああ、少し俺のフェロモンにあてられたんだろう。おかしい状態ではない。発情期に近くなっているだけだ」
「そうなのですか……?」
頭がよく働かないんだけど、ジル様がそう言うなら、大丈夫なんだろう。少なくとも、ジル様が嫌じゃないなら別にいいや。
身体が熱い。ジル様の胸元にすがりつくように抱きつきながら、目を瞑る。
すっかり身を預けてしまっているけど、ジル様は全然揺らがなくて安心感がある。
「フラン、覚悟はできたか?」
「……どうでしょう? でも、ジル様なら、なにをされても、僕、嫌じゃないと思うんです」
「っ……そうか。フランの思いを裏切らないよう努めよう」
なぜか動揺したジル様に首を傾げてしまったけど、より強まった甘い匂いに意識が奪われた。
頭がぼんやりする。身体中から力が抜けて、まずいと思うのに、どうすることもできない。ジル様にお任せすれば大丈夫なんだろうけど、本当にこんな状態でお相手ができるのかな。
「——フラン」
「はい……」
呼びかけられて、なんとか顔を上げる。ほとんどジル様の手に促された形になった。
後頭部を支えてくれる手を感じながら、ジル様を凝視する。
……熱く、滾るような愛情に満ちた眼差しだった。欲が溢れている、とも言える。
そんな眼差しをジル様に向けてもらえるのは、なんだか心地いい気がした。これはオメガとしての本能かもしれない。
優秀なアルファに愛されることを拒むオメガはいないのだ。そこに愛がこもっているのならなおさら。
重なる唇の柔らかさと熱に目を伏せながら、これからの時間を思ってドキドキする胸を押さえた。
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