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Ⅰ‐ⅲ.僕とあなたの交わり

48.あなたが望むもの

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 孤児院を慰問した日の夜。
 部屋を訪れたジル様とともに、ゆっくりと話をする。僕を寂しがらせないようにと、この時間は恒例になっていた。

「——随分と気合いが入っているようだな」

 寝酒のワインを飲みながら、ジル様がテーブルの上を眺めた。
 テーブルの上には片付けきれなかった紙の束。

 僕はジル様に『孤児院運営監督者』として任じられることが決まったんだ。
 だから、孤児院の運営について資料を集めたり、自分で構想を練ったりして、ジル様が訪れる直前まで作業をしていたんだよね。

 ……ジル様が自分の寝室に戻ったら、作業を続けようと考えていることは、知られていないと思いたい。体に悪いからと止められるのが目に見えてるもん。

「はい。運営費のこともですけど、子どもたちがより良い環境で過ごすためにはどうしたら良いかと考えていて……」

 僕にとって、あの孤児院で過ごす子どもたちは、すでに見知らぬ他人ではない。守り育てるべき存在だと、強く感じてる。
 だからこそ、責任を持って役目をまっとうしたい。子どもたちが幸せに過ごすことができるようになるために。

「そうか。……フランの考え方に触れると、俺が今までどれだけ、自分の環境に胡座をかいてきたのか思い知らされるな」

 苦笑まじりの声だった。その言葉が予想外だったので驚き、ジル様の横顔をじぃっとみつめてしまう。

「ジル様が、ですか?」
「ああ。この領は豊かな領だから、運営はさほど難しいものではない。潤沢にある予算をどこに割り振るか考えるだけだ」

 絶対にそれだけではないはずだけど、今は黙って聞いておこう。ジル様の考えを知りたい。

「——だから、俺は、この領で暮らしている一人一人のことなんて、考えたこともなかった。孤児院のことだって、予算が足りていて、孤児が不自由なく暮らせているならそれでいいだろう、と」

 そう述懐したジル様は「マイルスが俺に進言をしてこなかったのも理解できる」と肩をすくめた。

「今は、そうではない、ということですか?」

 過去のことについて、僕が責めるような権利はないだろう。
 だって、人には立場に付随した悩みや困難がある。今までのジル様は下々に目を向けられるような余裕がなかったってことだと思うから。

 生き残るのに必死で、安寧の場所を守ることだけが、ジル様の生き方だった。おそらく、どこに潜んでいるかもしれない暗殺者を警戒する日々だったはずだ。

 そんな中で、見知らぬ誰かと積極的に交流しようとするものだろうか。ジル様は狭い範囲で生きてきたから、視野があまり広くないんだ。

「ああ。……今日孤児院を訪れて、セレネー領にもこのような場所があるのかと、改めて思い知った気がした。書類の文字を見るだけでは、そこに生きている人がいるなんて実感もなかったからな」
「それは、ジル様にとって、良い変化ですか?」

 文字だけ、数字だけで領内の把握をするのは、広い領を管理する立場なのだから当たり前のことだと思う。必要以上に人の命・生活を背負っているのだと感じることになれば、精神的に負担になりかねない。

 ジル様が下々に目を向ける意識を持てるようになったのは嬉しいけど、僕はそのせいで苦しんでほしくもないんだ。

「……どうなんだろうな。まだわからないが、良い変化にしたいと思う」
「したい?」

 能動的な言葉に変えて告げるジル様を、きょとんとしながらみつめる。変化というものは、受動的なものだと思っていたんだけど……。

「ああ。この変化はフランが俺にもたらしてくれたものだ。だから——」

 まっすぐな視線を向けられた。慈しみが滲んでいるような眼差しに、なんだか心がソワソワするような落ち着かない気分になる。

「その結果が良いものになれば、自ずとフランの評価も上がるだろう? それでフランの居心地が良くなれば、俺にとっても嬉しいからな」

 頬を撫でられた。アルコールが入って、いつもより少し高い体温を感じる。
 不意に、今僕たちは二人っきりなんだって、思い知らされた気がした。今さらなのに、どうしてそんなことを思ったのか。

 新しいお茶の準備をしに部屋を出たイリスに、今すぐ帰ってきてもらいたいような、もう少し二人きりにしてほしいような——。

「……ジル様は、いつも僕を気遣ってくださいますね。とても嬉しいですけど、ジル様が僕に望まれることはないのですか?」

 僕はたくさんのものを与えられてばかりだ。ジル様に何一つ返せている気がしない。
 ジル様の手の甲に指先で触れながら、じっと顔を見上げる。

 僕のことを慈しんでくれる人が望むことをしてあげたかった。それで喜ぶジル様を見れたら、僕も幸せになれる気がするから。

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