21 / 113
Ⅰ‐ⅱ.僕とあなたの深まり
21.あなたに馴染むまで
しおりを挟む改めて言われたことを考えてみて、ふと首を傾げる。
オメガとしての本能を刺激するような接触は、控えた方がいい——ということは、ジル様と近い距離にいるのもダメじゃない?
ふわりと漂う甘い香り。
同じ馬車内にいるだけで、ジル様に包み込まれているように感じられるほど、その香りは強く僕の本能を刺激している気がする。
惹かれて、もっとほしいと望んでしまうのは、もしかしたら今の体調にとっては良くないのかもしれない。
「あの……僕は馬車を変えた方が良いのでは?」
躊躇いがちに提案する。
本当はジル様から離れたくないけど、発情期のような症状に苦しむのも嫌だ。薬で抑え込むのもつらいし。
「そこまではしなくていいだろう」
「そうですね。殿下が戯れの手をお出しにならなければ」
注釈をつけるマイルスさんを、ジル様が横目で睨む。マイルスさんは完全に受け流しているようだ。
その様子を見ながら、僕は首を傾げた。
僕自身はこんなに影響されていると思うのに、二人はどうして大丈夫だと言えるんだろう。
「——現時点で、過剰にフェロモンが放出されているわけではないので、この程度の距離でしたら大丈夫だと思いますよ。念には念を入れて、暫くは過度な接触をしないよう、私が見張っているだけです」
マイルスさんに穏やかな口調で断言されて、ホッと息をついた。不安が和らぐ。
僕がよく分かっていないことでも、マイルスさんが見ていてくれるなら任せて大丈夫だろうと信頼できた。
昨日初めて出会った人だけど、ジル様に対しての振る舞いや手配の隙のなさから、有能な人だと分かっているから。
僕に対しても、主人の番になる相手だと尊重して気遣ってくれているのが伝わってくるし。
「それなら、良かったです。僕はあまり自覚できていないようなので、マイルスさんに判断していただけるとありがたいです」
微笑みかけると、マイルスさんの目が少し丸くなった。
こういう反応を度々見ている気がする。なにに驚いているんだろう。
「……ジル様の横暴さに慣れていると、フラン様のお優しさが身に沁みますね」
「お前の遠慮のなさも大概だが」
マイルスさんがしみじみと呟いたかと思ったら、間髪入れずにジル様が呆れた声で言い放った。
その遠慮のないやりとりが微笑ましくて、なんだか羨ましい。僕も、ジル様とそんな風に話をできる日が来るのかな。
……いや、冷たい感じで返事をされたら、ちょっと傷ついちゃう気がする。ほどほどに仲の良い感じがいいな。
「——フラン、手を」
「え、……はい」
ジル様がエスコートするように手を差し伸べてきたので、戸惑いつつ手を重ねる。
いったいなにをするんだろう、と思ったところで、指先にジル様の唇が触れた。
ピシッと音がする勢いで固まって、呆然とジル様の瞳を見下ろす。
「本能を刺激しすぎないように気をつけるが、少しずつ慣れていってもらわなくては困る」
「は、はあ……?」
ジル様の青い瞳に囚われそうになっていることに気づいて、視線を逸らして逃げるついでに、マイルスさんの判断を仰いだ。
肩をすくめられたので、今はこれくらいは大丈夫ということだろうか。僕の心臓は全然大丈夫じゃないんだけど。
「フラン、逃げるな」
「ひぅ、っ!?」
指先に硬い感触。パッと視線を戻したら、ジル様が柔く歯を立てていた。咎めるように見つめられて、逃げることなんてできず、息を呑んで固まるしかない。
「俺と番になるんだ。いつまでも慣れないなんて言わないだろう?」
「そ、れは……僕の、意思で、どうにかなる、ものですか……?」
ジル様の香りを感じて、見つめられて、軽く触れられるだけで、僕の身体は僕のものじゃないみたいに制御が効かなくなるのに。
これに慣れる日が来るなんて、まったく思えない。
番になるって、こんなに大変なことなのか。世にたくさんいる番たちは、みんなこの困難を克服しているということ? それなら、どうやって慣れられるのか教えてほしいんだけど。
「フランの意思でどうにもならないんだったら、俺がじっくりと慣らそう」
「……なんだか、頷いてはダメなお話の気がします」
じっくりと慣らすってなんだろう。指先に感じる唇のぬくもり以上に、なにかするつもりなのかな。……それ、絶対に耐えられないと思うんだけど!
顔が熱い。文句を言いたいし、なんなら手を振って接触を拒みたいくらいだけど、そんな不敬な真似をするわけにはいかない。
立場的にも、そして番予定者としても、それが良くない振る舞いであることは分かってる。
でも、どうしても恥ずかしくて、逃げ出したくなる。ここは狭い馬車の中だから、逃げ場なんてないんだけど。
「それなら、フランが覚悟を決めて、自発的に頑張ってくれ」
「……それで、ジル様はおとなしくしていてくださるのですか?」
笑み混じりの言葉は、僕を揶揄っているように聞こえた。
だから、咄嗟に反発するように言葉を返してしまう。でも、その声が甘えた感じで拗ねているように聞こえて、すぐに口を閉ざすことになった。
僕、ジル様に対して、なんて話し方をしてるんだ……!
「ふっ……フランの頑張り方によるな。だが、まぁ、手加減はしよう」
「全然するつもりがないように聞こえるんですが!」
ジル様の口元に浮かんだ笑みを見て、遠慮も忘れて文句を言ってしまった。
こういう話し方を一切気にしていないとわかって気が緩んだ、というのもあるけど、一番は今後のジル様の振る舞いに不安を感じたからだ。
と言っても、少し期待も湧いた気がしてるから、強く咎められない。
手加減した慣らし方ってどういうものなのだろう……?
「フランは可愛らしいな」
悶々と悩む僕を見て、手を解放したジル様が楽しそうに呟いた。
可愛いと言えば、なんでも許されるみたいになってない? ……それで、『まぁ、いっか』なんて思っちゃう僕もどうかしてるけど。
997
お気に入りに追加
3,655
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
馬鹿な彼氏を持った日には
榎本 ぬこ
BL
αだった元彼の修也は、Ωという社会的地位の低い俺、津島 零を放って浮気した挙句、子供が生まれるので別れて欲しいと言ってきた…のが、数年前。
また再会するなんて思わなかったけど、相手は俺を好きだと言い出して…。
オメガバース設定です。
苦手な方はご注意ください。
国王の嫁って意外と面倒ですね。
榎本 ぬこ
BL
一国の王であり、最愛のリヴィウスと結婚したΩのレイ。
愛しい人のためなら例え側妃の方から疎まれようと頑張ると決めていたのですが、そろそろ我慢の限界です。
他に自分だけを愛してくれる人を見つけようと思います。
【完結済】(無自覚)妖精に転生した僕は、騎士の溺愛に気づかない。
キノア9g
BL
完結済。騎士エリオット視点を含め全10話(エリオット視点2話と主人公視点8話構成)
エロなし。騎士×妖精
※主人公が傷つけられるシーンがありますので、苦手な方はご注意ください。
気がつくと、僕は見知らぬ不思議な森にいた。
木や草花どれもやけに大きく見えるし、自分の体も妙に華奢だった。
色々疑問に思いながらも、1人は寂しくて人間に会うために森をさまよい歩く。
ようやく出会えた初めての人間に思わず話しかけたものの、言葉は通じず、なぜか捕らえられてしまい、無残な目に遭うことに。
捨てられ、意識が薄れる中、僕を助けてくれたのは、優しい騎士だった。
彼の献身的な看病に心が癒される僕だけれど、彼がどんな思いで僕を守っているのかは、まだ気づかないまま。
少しずつ深まっていくこの絆が、僕にどんな運命をもたらすのか──?
いいねありがとうございます!励みになります。
その部屋に残るのは、甘い香りだけ。
ロウバイ
BL
愛を思い出した攻めと愛を諦めた受けです。
同じ大学に通う、ひょんなことから言葉を交わすようになったハジメとシュウ。
仲はどんどん深まり、シュウからの告白を皮切りに同棲するほどにまで関係は進展するが、男女の恋愛とは違い明確な「ゴール」のない二人の関係は、失速していく。
一人家で二人の関係を見つめ悩み続けるシュウとは対照的に、ハジメは毎晩夜の街に出かけ二人の関係から目を背けてしまう…。
公爵様のプロポーズが何で俺?!
雪那 由多
BL
近衛隊隊長のバスクアル・フォン・ベルトランにバラを差し出されて結婚前提のプロポーズされた俺フラン・フライレですが、何で初対面でプロポーズされなくてはいけないのか誰か是非教えてください!
話しを聞かないベルトラン公爵閣下と天涯孤独のフランによる回避不可のプロポーズを生暖かく距離を取って見守る職場の人達を巻き込みながら
「公爵なら公爵らしく妻を娶って子作りに励みなさい!」
「そんな物他所で産ませて連れてくる!
子作りが義務なら俺は愛しい妻を手に入れるんだ!」
「あんたどれだけ自分勝手なんだ!!!」
恋愛初心者で何とも低次元な主張をする公爵様に振りまわされるフランだが付き合えばそれなりに楽しいしそのうち意識もする……のだろうか?
傾国の美青年
春山ひろ
BL
僕は、ガブリエル・ローミオ二世・グランフォルド、グランフォルド公爵の嫡男7歳です。オメガの母(元王子)とアルファで公爵の父との政略結婚で生まれました。周りは「運命の番」ではないからと、美貌の父上に姦しくオメガの令嬢令息がうるさいです。僕は両親が大好きなので守って見せます!なんちゃって中世風の異世界です。設定はゆるふわ、本文中にオメガバースの説明はありません。明るい母と美貌だけど感情表現が劣化した父を持つ息子の健気な奮闘記?です。他のサイトにも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる