5 / 113
Ⅰ‐ⅰ.僕とあなたのはじまり
5.あなたの名前
しおりを挟むふ、と意識が浮上していく。
ぼんやりとしながら、重い瞼を上げて周囲を窺った。
青い天蓋と白いシーツ。
どちらも上質なもので、なんとなく居心地が悪い。貧乏性なんだ。汚したらどうしよう、って真っ先に考えちゃってもしかたないでしょ。
いや、今はそういうこと考えてる状況じゃないんだけど——と思考を切り替えようとしたところで、天蓋の向こうから声が聞こえた。
「兄上には、余計なことをしないでくれ、と伝えておけ」
「それでお止まりになる方ですかね?」
「……はぁ」
男の声だ。片方は聞き覚えがある。そして、甘い花のような香り。
緩やかに身体の熱が上がっていく気配があって、必死に気を逸らした。あの香りに意識を向けてはいけない。
僕が身じろぎしたことに気づいたのか、近づいてくる足音がする。
思わず息を詰めて、天蓋を凝視した。
心臓が高鳴る。
また会えた、と安堵する心に気づかなかったふりはできなかった。
「目が覚めたか」
銀の髪に氷のような薄青色の瞳。
冷たい印象のある男性だった。
その目に僕が映っている。そのことを理解した途端に、頬が熱くなった。
発情期ではない。それなのに、心臓がドクドクと拍動し続ける。これは、どうして……?
「——大丈夫か?」
「は、はいっ」
慌てて答えながら、上体を起こす。
寝乱れていないかとか、変な顔をしていないかとか、いろんなことが気になって、この人の顔を正面から見られない。
なんで僕、ここで寝てたの?
動揺したままシーツに視線を落とす。そんな僕の背中に、柔らかいものが添えられた。
「まだ身体がつらいだろう。寛いでくれ」
「ふぁ……優しい……」
クッションを背もたれ代わりにと重ねてくれた。見た目に反して、すごく温かくて優しい人だ。
感情そのままに感想をこぼしたら、男の人の後ろから、プッと吹き出すような音が聞こえた。
「マイルス、笑いたければ部屋の外に出ろ」
「そんなことできませんよ。さすがにオメガの方と二人きりなんて、どんな噂をたてられるか」
「噂なんてどうでもいい」
心底面倒くさそうに言いながらため息をつく人を、僕は恐る恐る見上げた。
そろそろ状況の説明がほしい。
「あの、僕、フラン・ボワージアと申します。ボワージア子爵家の三男で——」
「ああ、君の素性については、先に調べさせてもらった。自己紹介ありがとう。俺はジルヴァント・エストレア。立場としては、現王の弟だな」
ぱちり、と瞬く。
……現王の、弟? ということは——
「——おう、てい、でんか……?」
「そう呼ばれることもある。だが、君は」
「っ、た、たいへん、ご無礼をいたしましたっ!」
何かを言いかけた王弟殿下の言葉を、驚きのあまり遮ってしまった。
平伏する勢いで頭を下げる。
全身の血の気が引いた。心臓の高鳴りの意味が変わる。
今はときめいてる場合じゃない。まさか、王弟殿下の前でぐーすか寝てて、あまつさえ体調を気遣われるなんて。木っ端貴族が許されるわけないでしょ!
「……頭を上げなさい。まだ体調が万全ではないのだから」
肩を掴まれた。
思いがけないほどの力強さで、体勢を戻される。ポスッとクッションに埋もれて、目を瞬かせてしまった。
反射的に上げた視線が、王弟殿下の眼差しを捉えて、心臓がドキッと跳ねるのを感じる。
なんだか、ちょっと、不機嫌そう……?
もじもじと指を絡ませながら、どうしたらいいのかと、思考が空回りした。
こんな状況への貴族として正しい対処法なんて、学んでない。
「——手荒な真似をしてすまない。よければ、俺のことはジルと呼んでくれるか」
「へ……そ、そんな……」
オロオロと視線を彷徨わせる。
田舎の貧乏子爵家の息子が王弟殿下を略称——おそらく親しい間柄だけで使われる愛称で呼ぶなんて、許されていいの?
でも、本人が望んでいるんだし、そう呼ぶのが正しいのかな……?
「俺もフランと呼ばせてもらう」
「は、はい……それは、構いませんが、本当に、僕は殿下を、ジル様と——」
どもってしまいながら、上目遣いに様子を窺う。
僕が『ジル様』と呼んだ瞬間に、僅かに細められた目が見えて、呼吸が止まった。
小さな表情の変化。そこに喜色が滲んでいるように感じられたのは、きっと間違いじゃない。
心がふわふわと浮き立つ。
緊張も混乱も遠くなり、ジル様と共にいることへの喜びが満ち溢れた。
1,249
お気に入りに追加
3,715
あなたにおすすめの小説
【完結】第三王子は、自由に踊りたい。〜豹の獣人と、第一王子に言い寄られてますが、僕は一体どうすればいいでしょうか?〜
N2O
BL
気弱で不憫属性の第三王子が、二人の男から寵愛を受けるはなし。
表紙絵
⇨元素 様 X(@10loveeeyy)
※独自設定、ご都合主義です。
※ハーレム要素を予定しています。
国王の嫁って意外と面倒ですね。
榎本 ぬこ
BL
一国の王であり、最愛のリヴィウスと結婚したΩのレイ。
愛しい人のためなら例え側妃の方から疎まれようと頑張ると決めていたのですが、そろそろ我慢の限界です。
他に自分だけを愛してくれる人を見つけようと思います。
初心者オメガは執着アルファの腕のなか
深嶋
BL
自分がベータであることを信じて疑わずに生きてきた圭人は、見知らぬアルファに声をかけられたことがきっかけとなり、二次性の再検査をすることに。その結果、自身が本当はオメガであったと知り、愕然とする。
オメガだと判明したことで否応なく変化していく日常に圭人は戸惑い、悩み、葛藤する日々。そんな圭人の前に、「運命の番」を自称するアルファの男が再び現れて……。
オメガとして未成熟な大学生の圭人と、圭人を番にしたい社会人アルファの男が、ゆっくりと愛を深めていきます。
穏やかさに滲む執着愛。望まぬ幸運に恵まれた主人公が、悩みながらも運命の出会いに向き合っていくお話です。本編、攻め編ともに完結済。
変なαとΩに両脇を包囲されたβが、色々奪われながら頑張る話
ベポ田
BL
ヒトの性別が、雄と雌、さらにα、β、Ωの三種類のバース性に分類される世界。総人口の僅か5%しか存在しないαとΩは、フェロモンの分泌器官・受容体の発達度合いで、さらにI型、II型、Ⅲ型に分類される。
βである主人公・九条博人の通う私立帝高校高校は、αやΩ、さらにI型、II型が多く所属する伝統ある名門校だった。
そんな魔境のなかで、変なI型αとII型Ωに理不尽に執着されては、色々な物を奪われ、手に入れながら頑張る不憫なβの話。
イベントにて頒布予定の合同誌サンプルです。
3部構成のうち、1部まで公開予定です。
イラストは、漫画・イラスト担当のいぽいぽさんが描いたものです。
最新はTwitterに掲載しています。
僕がハーブティーを淹れたら、筆頭魔術師様(♂)にプロポーズされました
楠結衣
BL
貴族学園の中庭で、婚約破棄を告げられたエリオット伯爵令息。可愛らしい見た目に加え、ハーブと刺繍を愛する彼は、女よりも女の子らしいと言われていた。女騎士を目指す婚約者に「妹みたい」とバッサリ切り捨てられ、婚約解消されてしまう。
ショックのあまり実家のハーブガーデンに引きこもっていたところ、王宮魔術塔で働く兄から助手に誘われる。
喜ぶ家族を見たら断れなくなったエリオットは筆頭魔術師のジェラール様の執務室へ向かう。そこでエリオットがいつものようにハーブティーを淹れたところ、なぜかプロポーズされてしまい……。
「エリオット・ハワード――俺と結婚しよう」
契約結婚の打診からはじまる男同士の恋模様。
エリオットのハーブティーと刺繍に特別な力があることは、まだ秘密──。
【完結】愛執 ~愛されたい子供を拾って溺愛したのは邪神でした~
綾雅(要らない悪役令嬢1巻重版)
BL
「なんだ、お前。鎖で繋がれてるのかよ! ひでぇな」
洞窟の神殿に鎖で繋がれた子供は、愛情も温もりも知らずに育った。
子供が欲しかったのは、自分を抱き締めてくれる腕――誰も与えてくれない温もりをくれたのは、人間ではなくて邪神。人間に害をなすとされた破壊神は、純粋な子供に絆され、子供に名をつけて溺愛し始める。
人のフリを長く続けたが愛情を理解できなかった破壊神と、初めての愛情を貪欲に欲しがる物知らぬ子供。愛を知らぬ者同士が徐々に惹かれ合う、ひたすら甘くて切ない恋物語。
「僕ね、セティのこと大好きだよ」
【注意事項】BL、R15、性的描写あり(※印)
【重複投稿】アルファポリス、カクヨム、小説家になろう、エブリスタ
【完結】2021/9/13
※2020/11/01 エブリスタ BLカテゴリー6位
※2021/09/09 エブリスタ、BLカテゴリー2位
普段「はい」しか言わない僕は、そばに人がいると怖いのに、元マスターが迫ってきて弄ばれている
迷路を跳ぶ狐
BL
全105話*六月十一日に完結する予定です。
読んでいただき、エールやお気に入り、しおりなど、ありがとうございました(*≧∀≦*)
魔法の名手が生み出した失敗作と言われていた僕の処分は、ある日突然決まった。これから捨てられる城に置き去りにされるらしい。
ずっと前から廃棄処分は決まっていたし、殺されるかと思っていたのに、そうならなかったのはよかったんだけど、なぜか僕を嫌っていたはずのマスターまでその城に残っている。
それだけならよかったんだけど、ずっとついてくる。たまにちょっと怖い。
それだけならよかったんだけど、なんだか距離が近い気がする。
勘弁してほしい。
僕は、この人と話すのが、ものすごく怖いんだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる