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Ⅰ‐ⅰ.僕とあなたのはじまり

5.あなたの名前

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 ふ、と意識が浮上していく。
 ぼんやりとしながら、重い瞼を上げて周囲を窺った。

 青い天蓋と白いシーツ。
 どちらも上質なもので、なんとなく居心地が悪い。貧乏性なんだ。汚したらどうしよう、って真っ先に考えちゃってもしかたないでしょ。

 いや、今はそういうこと考えてる状況じゃないんだけど——と思考を切り替えようとしたところで、天蓋の向こうから声が聞こえた。

「兄上には、余計なことをしないでくれ、と伝えておけ」
「それでお止まりになる方ですかね?」
「……はぁ」

 男の声だ。片方は聞き覚えがある。そして、甘い花のような香り。
 緩やかに身体の熱が上がっていく気配があって、必死に気を逸らした。あの香りに意識を向けてはいけない。

 僕が身じろぎしたことに気づいたのか、近づいてくる足音がする。
 思わず息を詰めて、天蓋を凝視した。

 心臓が高鳴る。
 また会えた、と安堵する心に気づかなかったふりはできなかった。

「目が覚めたか」

 銀の髪に氷のような薄青色の瞳。
 冷たい印象のある男性だった。

 その目に僕が映っている。そのことを理解した途端に、頬が熱くなった。
 発情期ヒートではない。それなのに、心臓がドクドクと拍動し続ける。これは、どうして……?

「——大丈夫か?」
「は、はいっ」

 慌てて答えながら、上体を起こす。

 寝乱れていないかとか、変な顔をしていないかとか、いろんなことが気になって、この人の顔を正面から見られない。

 なんで僕、ここで寝てたの?

 動揺したままシーツに視線を落とす。そんな僕の背中に、柔らかいものが添えられた。

「まだ身体がつらいだろう。寛いでくれ」
「ふぁ……優しい……」

 クッションを背もたれ代わりにと重ねてくれた。見た目に反して、すごく温かくて優しい人だ。

 感情そのままに感想をこぼしたら、男の人の後ろから、プッと吹き出すような音が聞こえた。

「マイルス、笑いたければ部屋の外に出ろ」
「そんなことできませんよ。さすがにオメガの方と二人きりなんて、どんな噂をたてられるか」
「噂なんてどうでもいい」

 心底面倒くさそうに言いながらため息をつく人を、僕は恐る恐る見上げた。
 そろそろ状況の説明がほしい。

「あの、僕、フラン・ボワージアと申します。ボワージア子爵家の三男で——」
「ああ、君の素性については、先に調べさせてもらった。自己紹介ありがとう。俺はジルヴァント・エストレア。立場としては、現王の弟だな」

 ぱちり、と瞬く。

 ……現王の、弟? ということは——

「——おう、てい、でんか……?」
「そう呼ばれることもある。だが、君は」
「っ、た、たいへん、ご無礼をいたしましたっ!」

 何かを言いかけた王弟殿下の言葉を、驚きのあまり遮ってしまった。
 平伏する勢いで頭を下げる。

 全身の血の気が引いた。心臓の高鳴りの意味が変わる。

 今はときめいてる場合じゃない。まさか、王弟殿下の前でぐーすか寝てて、あまつさえ体調を気遣われるなんて。木っ端貴族が許されるわけないでしょ!

「……頭を上げなさい。まだ体調が万全ではないのだから」

 肩を掴まれた。
 思いがけないほどの力強さで、体勢を戻される。ポスッとクッションに埋もれて、目を瞬かせてしまった。

 反射的に上げた視線が、王弟殿下の眼差しを捉えて、心臓がドキッと跳ねるのを感じる。
 なんだか、ちょっと、不機嫌そう……?

 もじもじと指を絡ませながら、どうしたらいいのかと、思考が空回りした。
 こんな状況への貴族として正しい対処法なんて、学んでない。

「——手荒な真似をしてすまない。よければ、俺のことはジルと呼んでくれるか」
「へ……そ、そんな……」

 オロオロと視線を彷徨わせる。

 田舎の貧乏子爵家の息子が王弟殿下を略称——おそらく親しい間柄だけで使われる愛称で呼ぶなんて、許されていいの?
 でも、本人が望んでいるんだし、そう呼ぶのが正しいのかな……?

「俺もフランと呼ばせてもらう」
「は、はい……それは、構いませんが、本当に、僕は殿下を、ジル様と——」

 どもってしまいながら、上目遣いに様子を窺う。
 僕が『ジル様』と呼んだ瞬間に、僅かに細められた目が見えて、呼吸が止まった。

 小さな表情の変化。そこに喜色が滲んでいるように感じられたのは、きっと間違いじゃない。

 心がふわふわと浮き立つ。
 緊張も混乱も遠くなり、ジル様と共にいることへの喜びが満ち溢れた。

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