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274.選択肢と未来
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アシェルたちが立ち去った後、ノアは寝支度を整えて寝室に向かった。
寝室では一足先に支度を済ませていたサミュエルが、枕を背もたれにして本を読んでいる。ベッドサイドの明かりに照らされた横顔からは表情が窺えず、ノアは一瞬声をかけるのを躊躇った。
「ノア、おかえり」
扉のところで立ち尽くしていたノアに気づき、サミュエルが視線を上げて微笑みかける。いつも通りの雰囲気に、ノアはホッとして頬を緩ませ、サミュエルに歩み寄った。
差し伸べられた手に手を重ねると、ベッドの上に引きずり込まれる。サミュエルの腰を跨ぐような体勢で向かい合うと、自然と距離が縮まっていった。
「ん……」
しっとりと合わさる唇。触れては離れ、近距離で見つめ合っては微笑み合う。戯れのように鼻をすり合わせ、そのくすぐったさにノアは首をすくめた。
ポスッと軽い音に、意識が口づけから逸れる。サミュエルの肩に手を置いて僅かに距離を取った。
音の出所は、サミュエルが持っていた本。ノアを抱きしめるために投げ出され、シーツの上でページを広げていた。
「何を読んでいたんですか?」
「サージュが寄越した、初代グレイ公爵の記録だよ」
「ん、何か……分かり、ました、か? んぅ……」
ノアが尋ねている間も、サミュエルは口づけをやめるつもりはないようだ。ノアは後頭部に回された手の力に逆らわず、口づけの合間に言葉を交わす。
漂う雰囲気は甘く、身体が蕩けてしまいそうなのに反して、会話の内容にまったく色気がなく、そのギャップがなんだか面白くなってきた。
「そうだね。……その記録は、本人が書き記したものより悲惨な結果だということかな。愛する人は命を落とすし、初代グレイ公爵自身は深い悔恨を抱いて、王家を憎んで生きることになる」
「……現実では、起きなかったことですね」
間近で翠の瞳がゆっくりと瞬きをする。ベッドサイドの光を受けて、いつもより温もりを感じる瞳だ。
ノアはサミュエルの頬を撫でながら、首を傾げて少し考える。
「――もし、現実で起きていたら、今よりも王家とグレイ公爵家の関係は悪くなっていて、ライアン様が起こした騒動を、平穏におさめることも難しかったのでしょうか?」
「どうだろう? 仮定の上に、さらに推測を重ねたところで、真実は得られない気がするけど。でも、その可能性はあるだろうね」
曖昧な返答が精一杯であることは、ノアも分かっている。
長い歴史の中にはいくつも選択肢が存在していて、一つの選択がされると同時に、他の選択肢の先にある未来は消え失せる。『あのときああしていれば、ああなっただろう』なんて振り返ったところで、都合の良い想像でしかないのだ。
「……僕は、今が、好きです。こうして、サミュエル様に寄り添えるのが、幸せだと感じています」
「私もだよ」
微笑み合い、再び唇を重ねる。
初代グレイ公爵が運命を捻じ曲げていたとしても。その反動がノアたちの世代に現れて、シナリオが狂い、さらなる反動がこの先の未来に生じかねなくとも。
ノアはサミュエルと寄り添える今を愛しているから、望む未来のために全力を尽くすだけだ。それを、他人がエゴイズムと謗ろうと、気にするものか。
そもそも、未来は自分たちが作るものであって、誰かに決めつけられるいわれはない。
「んぅ、っ……」
不意に体勢が変わったと思ったら、身体がシーツに沈み込んでいた。
唇を這った熱い舌が、歯列を割ってノアの舌に絡む。口蓋をくすぐられると、下腹部の奥にじわりと熱が溢れた。
「ノア、愛してる」
「僕もです、サミュエル様……」
口づけの合間に囁かれる愛の言葉に、ノアの心はゆるゆると緩んでいく。
不意に、サミュエルの唇が笑みをかたどった。ちゅ、と音を立てて離れると、翠の瞳がノアを覗き込むように見つめる。
「――サミュエル様、どうかなさいましたか……?」
きょとんと見上げるノアの頬を、サミュエルが慈しむように撫でた。そして、ゆっくりと覆いかぶさってくると、耳たぶを甘噛みして、舌を這わす。
その熱い感触に、ノアはピクッと身体を震わせてから、もぞもぞと身じろぎした。
息が触れるのもだけれど、なにより下半身が重ねっていることが居心地が悪い。お互いの興奮をまざまざと感じてしまうから。
「その言い方――」
「え、あ……」
唐突に囁かれた言葉を、ノアは一瞬理解しそこねたけれど、少し考えてハッと息を呑む。
間近にあるサミュエルの顔を窺うと、翠の瞳が愉快げにノアの視線を受け止めた。
「ほら、サミュと呼んで」
「うぅ……サミュ、様……」
「様はいらないんだけど」
耳元でクツクツと低く響く笑い声が、やけに色っぽく聞こえて、ノアは恥ずかしくてたまらなくなり、ぎゅっと目を瞑って身体を固くした。
「サミュ……」
「うん、いいね」
声を絞り出して名を呼ぶ。どこか甘く響いた自分の声に、ノアは驚いてしまった。それを上回る勢いで、サミュエルの声が甘いから、すぐに気にしていられなくなったけれど。
「――もっと呼んで。敬語もダメだよ」
「難しいです……」
「じゃあ、今夜は自然に言えるように訓練をしようか」
「……明日は領主館に移動ですから……ダメですよ?」
「何が?」
薄目を開けて軽く睨んでも、サミュエルはうっとりと微笑み、ノアに口づけるだけだ。どうやっても止められる気がしない。
ノアは天井を見上げて、そっと息を吐いた。
明日の自分馬車に乗って移動できるだけの体力が残っているよう、神様に祈るしかなさそうだ。
寝室では一足先に支度を済ませていたサミュエルが、枕を背もたれにして本を読んでいる。ベッドサイドの明かりに照らされた横顔からは表情が窺えず、ノアは一瞬声をかけるのを躊躇った。
「ノア、おかえり」
扉のところで立ち尽くしていたノアに気づき、サミュエルが視線を上げて微笑みかける。いつも通りの雰囲気に、ノアはホッとして頬を緩ませ、サミュエルに歩み寄った。
差し伸べられた手に手を重ねると、ベッドの上に引きずり込まれる。サミュエルの腰を跨ぐような体勢で向かい合うと、自然と距離が縮まっていった。
「ん……」
しっとりと合わさる唇。触れては離れ、近距離で見つめ合っては微笑み合う。戯れのように鼻をすり合わせ、そのくすぐったさにノアは首をすくめた。
ポスッと軽い音に、意識が口づけから逸れる。サミュエルの肩に手を置いて僅かに距離を取った。
音の出所は、サミュエルが持っていた本。ノアを抱きしめるために投げ出され、シーツの上でページを広げていた。
「何を読んでいたんですか?」
「サージュが寄越した、初代グレイ公爵の記録だよ」
「ん、何か……分かり、ました、か? んぅ……」
ノアが尋ねている間も、サミュエルは口づけをやめるつもりはないようだ。ノアは後頭部に回された手の力に逆らわず、口づけの合間に言葉を交わす。
漂う雰囲気は甘く、身体が蕩けてしまいそうなのに反して、会話の内容にまったく色気がなく、そのギャップがなんだか面白くなってきた。
「そうだね。……その記録は、本人が書き記したものより悲惨な結果だということかな。愛する人は命を落とすし、初代グレイ公爵自身は深い悔恨を抱いて、王家を憎んで生きることになる」
「……現実では、起きなかったことですね」
間近で翠の瞳がゆっくりと瞬きをする。ベッドサイドの光を受けて、いつもより温もりを感じる瞳だ。
ノアはサミュエルの頬を撫でながら、首を傾げて少し考える。
「――もし、現実で起きていたら、今よりも王家とグレイ公爵家の関係は悪くなっていて、ライアン様が起こした騒動を、平穏におさめることも難しかったのでしょうか?」
「どうだろう? 仮定の上に、さらに推測を重ねたところで、真実は得られない気がするけど。でも、その可能性はあるだろうね」
曖昧な返答が精一杯であることは、ノアも分かっている。
長い歴史の中にはいくつも選択肢が存在していて、一つの選択がされると同時に、他の選択肢の先にある未来は消え失せる。『あのときああしていれば、ああなっただろう』なんて振り返ったところで、都合の良い想像でしかないのだ。
「……僕は、今が、好きです。こうして、サミュエル様に寄り添えるのが、幸せだと感じています」
「私もだよ」
微笑み合い、再び唇を重ねる。
初代グレイ公爵が運命を捻じ曲げていたとしても。その反動がノアたちの世代に現れて、シナリオが狂い、さらなる反動がこの先の未来に生じかねなくとも。
ノアはサミュエルと寄り添える今を愛しているから、望む未来のために全力を尽くすだけだ。それを、他人がエゴイズムと謗ろうと、気にするものか。
そもそも、未来は自分たちが作るものであって、誰かに決めつけられるいわれはない。
「んぅ、っ……」
不意に体勢が変わったと思ったら、身体がシーツに沈み込んでいた。
唇を這った熱い舌が、歯列を割ってノアの舌に絡む。口蓋をくすぐられると、下腹部の奥にじわりと熱が溢れた。
「ノア、愛してる」
「僕もです、サミュエル様……」
口づけの合間に囁かれる愛の言葉に、ノアの心はゆるゆると緩んでいく。
不意に、サミュエルの唇が笑みをかたどった。ちゅ、と音を立てて離れると、翠の瞳がノアを覗き込むように見つめる。
「――サミュエル様、どうかなさいましたか……?」
きょとんと見上げるノアの頬を、サミュエルが慈しむように撫でた。そして、ゆっくりと覆いかぶさってくると、耳たぶを甘噛みして、舌を這わす。
その熱い感触に、ノアはピクッと身体を震わせてから、もぞもぞと身じろぎした。
息が触れるのもだけれど、なにより下半身が重ねっていることが居心地が悪い。お互いの興奮をまざまざと感じてしまうから。
「その言い方――」
「え、あ……」
唐突に囁かれた言葉を、ノアは一瞬理解しそこねたけれど、少し考えてハッと息を呑む。
間近にあるサミュエルの顔を窺うと、翠の瞳が愉快げにノアの視線を受け止めた。
「ほら、サミュと呼んで」
「うぅ……サミュ、様……」
「様はいらないんだけど」
耳元でクツクツと低く響く笑い声が、やけに色っぽく聞こえて、ノアは恥ずかしくてたまらなくなり、ぎゅっと目を瞑って身体を固くした。
「サミュ……」
「うん、いいね」
声を絞り出して名を呼ぶ。どこか甘く響いた自分の声に、ノアは驚いてしまった。それを上回る勢いで、サミュエルの声が甘いから、すぐに気にしていられなくなったけれど。
「――もっと呼んで。敬語もダメだよ」
「難しいです……」
「じゃあ、今夜は自然に言えるように訓練をしようか」
「……明日は領主館に移動ですから……ダメですよ?」
「何が?」
薄目を開けて軽く睨んでも、サミュエルはうっとりと微笑み、ノアに口づけるだけだ。どうやっても止められる気がしない。
ノアは天井を見上げて、そっと息を吐いた。
明日の自分馬車に乗って移動できるだけの体力が残っているよう、神様に祈るしかなさそうだ。
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◇長編◇
本編完結
『貧乏子爵令息のオメガは王弟殿下に溺愛されているようです』
本編・続編完結
『雪豹くんは魔王さまに溺愛される』書籍化☆
完結『天翔ける獣の願いごと』
◇短編◇
本編完結『悪役令息になる前に自由に生きることにしました』
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