内気な僕は悪役令息に恋をする

asagi

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247.誓約の儀

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 大聖堂での貴族の結婚式は、基本的に神への誓約の儀と貴族からの承認の儀で成り立つ。
 誓約の儀は、大聖堂内の礼拝の間で行われるため、ノアたちは出迎えた神官たちに導かれ、奥へと進んだ。

 この後にある承認の儀のために、多くの参列者が大聖堂に集まっているはずだ。でも、ノアたちがいるここにはその喧騒が聞こえず、凛とした静けさが満ちている。その清廉な空気が、神に向き合うという真摯な思いにノアをいざなっていった。

「――お入りください。中で神官長がお待ちです」

 大聖堂の最奥にある礼拝の間。その扉が、神官たちの手によって開かれた。
 ノアはスッと姿勢を正し、サミュエルの腕に掛けた手に少し力を込める。道中で和らいでいた緊張が、再びよみがえってきた。

「ノア、行こうか」

 ノアの手にサミュエルの手が重なる。その温かく思いやりのある仕草に、ノアはサミュエルを見上げて僅かに目を細めた。
 微笑みを浮かべるほどの余裕はないけれど、浅くなっていた呼吸が少しゆったりとしたものに変わっていくのを自覚する。

「……はい」

 サミュエルにエスコートされて、ノアは赤い絨毯が敷かれた礼拝の間へ歩を進めた。
 正面上部には、神の姿を表したステンドグラスがあり、様々な色の光を降らせている。その下では、誓約台と神官長が待ち構えていた。
 神官長の数歩手前で立ち止まり、ノアはサミュエルと共に頭を下げて礼をとる。

「神に誓いを立てる者たちよ――」

 静かな空間に、神官長の声が響く。
 頭を下げたまま、ノアたちも神官長に続いて、神への祈りと誓い、祝福を希う言葉を述べて、誓約の儀が進んだ。

「――それでは、誓約書にサインを」

 促されてようやく、ノアたちは顔を上げ、誓約台に近づく。置かれている誓約書に、まずはサミュエルがサインをした。続いてノアがサインをする。

 決まりきった流れに沿って動いているだけなのに、じわじわと結婚が成立したのだと実感が湧いてきた。実際に貴族としての結婚が成立するのは、貴族からの承認の儀を経てからだ。でも、ノアとサミュエルという一個人として婚姻関係が成立したというのが、思っていた以上に嬉しく感じる。

 横目でそっとサミュエルを窺うと、常通り穏やかな表情ながら、喜びが滲み出ているように見えた。それがさらに嬉しい。サミュエルがノアとの結婚を望んでいたことはよく知っているけれど、今同じ気持ちであるということが、幸せの象徴であるように思えた。

 ノアの視線に気づいたサミュエルが、見つめ返して笑みを深める。いつものパターンなら、ここでキスのひとつでもしかねない状態だった。でも、さすがに礼拝の間ではしないようなので、ノアは密かにホッとして、そんな自分がおかしくなって小さく笑った。

「ここに、ノア・ランドロフとサミュエル・グレイの婚姻の成立を宣言する。神よ、二人のこれからに祝福を――」

 頭を下げる神官長に続いて、ノアたちも再び礼をとる。
 俯いた視界が、僅かに明るさを増したように感じた。それが不思議で、ノアは視線を床に這わせる。ステンドグラスを通した光が、先程までより強くなっている気がした。

「あぁ……!」

 なぜか神官長から感嘆の声が聞こえて、ノアは頭の中に疑問符を浮かべた。誓約の儀にこのような段取りはなかったはずである。
 この後、神官長の合図で頭を上げるはずなのだが、その声はかからず、ノアは困惑してしまった。

「……うーん、これは――」

 サミュエルが小さく呟く声が聞こえる。視線を動かすと、パチリと目が合った。
 声に出さずに『これ、どうしたらいいのでしょう?』と尋ねると、「とりあえず、顔を上げてしまってもいいと思うよ。儀式自体はほとんど終わったはずだからね」と小声で返ってくる。

 それならば、とサミュエルと共に顔を上げると、跪いてステンドグラスを仰ぎ見ている神官長の姿が視界に映った。
 固まったように動かないその後ろ姿に、ノアは小さく首を傾げる。

「……日差しが、ちょうど強くなったのでしょうか?」
「そうなのかな。少し不思議な感じがするね」

 ステンドグラスから降り注ぐ光は、燦々と表現してもいいくらい、強さを増していて眩しいくらいだった。神官長はよく凝視できるものである。
 ノアはサミュエルと顔を見合わせ、肩をすくめた。

 そろそろ承認の儀に移る時間になるはずだ。でも、まだ神官長による誓約の儀の終了が宣言されていない。勝手に立ち去るわけにもいかないし、ノアはサミュエルに寄り添うように立ちながら、神官長がノアたちの存在を思い出してくれるよう願った。

「――っ……!?」

 背後で静かに扉が開かれる気配がしたかと思うと、鋭く息を吸う音が聞こえる。おそらく、ノアたちを迎えに来た神官だろう。

「これは……」

 感嘆した声で呟きながら近づいてきた神官を振り返り、サミュエルが首を傾げた。

「誓約の後、神官長が動かなくなったんだけど、どうするべきかな?」
「……誓約の儀の終了が宣言されましたら、この現象もおさまると思います。よろしければ、私が神官長に代わって宣言いたしますが」
「へぇ? この現象、ね。……膠着状態の解消が最優先だから、頼むよ」

 ノアたちが困惑した状況を、神官は理解しているようだ。
 その追求よりも状況の変化を望んだサミュエルに、神官が恭しく頷く。そして、一歩離れ、ステンドグラスの光に向けて手を翳した。

「……神の祝福をもって、二人の誓約の儀を終了する」

 言葉の後、一礼した神官の動きと同時に、スッと光が弱まっていった。
 ノアはパチリと目を瞬かせ、首を傾げる。不思議な状況だと思っていたけれど、ノアの常識には存在しない現象が起きていたようだ。

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