内気な僕は悪役令息に恋をする

asagi

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244.どんなときでも変わらない

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 応接間で待っていたサミュエルは普段とまったく変わらない様子で、ノアは思わずホッと息を吐いた。

「やぁ、ノア。早く着きすぎてしまったよ」
「ごきげんよう、サミュエル様。あまりに早くいらっしゃるので、使用人たちが少し怒っていましたよ」

 悪びれなく微笑むサミュエルを見据え、軽く小言を口にする。サミュエルの訪れがノアの緊張を和らげてくれたのは確かで、とても助かったけれど、それとこれとは別問題である。

 サミュエルは肩をすくめて、「すまないね。後で誠心誠意謝ろう」と呟くと、ソファから立ち上がりノアを抱きしめた。

「――ノアに会いたくて我慢できなかったんだ。許してほしい。その姿も、とても綺麗だよ」

 耳元で囁かれ、こめかみに軽く唇が触れる。
 ノアはサミュエルの服を乱さないように気をつけながら、そっと背に手を伸ばして抱きついた。

「……服に、着られてしまっていませんか?」
「まさか。むしろ、ノアを彩るには、まだ輝きが足りていなかったかもしれない。もう少し、飾りを足すかい?」
「こんな直前に、それは無理です」
「それは残念。……まぁ、この上にヴェールと頭飾りをつけるからね。それでバランスが良くなるはずだよ」
「顔、隠れますしね」

 戯れ言を口にしてクスクスと微笑み合う。
 失われていた自信がいつの間にか回復していた。この姿でサミュエルの隣に立っていても大丈夫なのだと、ようやく思えた気がする。

「――サミュエル様も格好いいです。とてもお似合いですね」

 試着の際に見ているけれど、やはり何度見ても、サミュエルは素敵な紳士だ。物語によくある白馬に乗った王子様とは、こんな姿なのかもしれない。
 そう思い微笑んでサミュエルの顔を見上げていると、ちゅ、と軽い口づけが降り注いだ。

 離れてはくっつき、また触れ合う。互いの唇の感触を楽しむように、戯れる。
 大聖堂での誓いの前に、純白の正装でこんなことをしていていいのだろうかと、頭の隅で思いながらも、ノアは止める気が起きなかった。

 濡れた音と共に、廊下の方からはざわめきが聞こえてくる。扉は開け放たれたままで、誰が近くを通りかかってノアたちの行為を目撃しても不思議ではないと分かっている。
 婚約者だから、咎められることはないだろう。でも、誰もが忙しくしているこんな時に、何をしているのかと呆れられるに違いない。

「ノア……ようやくこの日が来た――」

 唇に熱い息が触れる。ノアは伏せていた目を上げて、サミュエルの熱っぽい眼差しに気づいた。
 長く望まれていたことは知っている。でも、今ほど切実な想いが滲んだ声は、聞いたことがなかったかもしれない。

「……はい。この後、大聖堂で誓いを交わしたら、正真正銘のパートナーですね」

 サミュエルの熱意を、ノアは無意識で躱すような言葉を告げる。どう答えれば正解なのか分からなくて、いつも通りに対応してしまったのだ。言ってから、あまり情がない返事になったことを少し後悔した。
 でも、サミュエルは面白そうに微笑んで、ノアの唇にキスを落とす。

「そうだね。そのちょっと冷静な感じも、結構好きだよ」
「冷静では、ないんですけど……」

 ノアの戸惑いも、混乱も、全て分かっていて、サミュエルは「そのままでいい」と告げてくれる。それが嬉しくて、否定を返しながらも、ノアは小さく微笑んだ。
 離れていった唇を追い、軽く背伸びをしたところで、ノック音が聞こえる。

「こほん……」
「っ、ロウ」

 慌ててサミュエルから離れ振り返ると、呆れた顔をしたロウが立っていた。傍には軽食が載せられたカートがある。

「今日くらい、見逃してくれたら良いのに」

 サミュエルが何事もなかったかのように呟きながら、ノアの背に腕を回してソファへエスコートする。
 ノアは熱くなった頬を押さえて、軽く俯いていた。サミュエルとキスをしているところなんて、ロウに何度も見られている。でも、自分からキスをねだったところを見られるのは、いつもより恥ずかしい。

「むしろ、普段は見逃しているでしょう? 今日だから咎めたのですよ」
「なぜ?」
「ノア様の姿を見てお気づきにならないのですか? この格好を乱すようなことがあれば、心を込めて整えた使用人一同に激怒されると思っていただいて構いませんよ。より正確に言いますと――希望通りの新婚生活が始められると思うなよ。という話でございます」

 軽食をテーブルに並べながら、ロウがにこりと笑う。これまでに降り積もった苛立ちが凝縮しているような声だった。
 これには、さすがのサミュエルも反省した様子で、軽く両手を上げる。

「それは恐ろしい。私の一番の楽しみを取らないでほしいな」
「サミュエル様のお心がけ次第でございましょう。――さぁ、ノア様、どうぞお食事を」

 ロウが皿に取り分けたサンドウィッチをノアに渡す。サミュエルへは一切手出しをしないので、存在ごと無視している雰囲気である。

「……ありがとう。でも、さっきのは、止めなかった僕も悪いし」
「いえ。全責任はサミュエル様にございます」
「その言葉は全面的に受け入れよう」

 理不尽な言葉を、サミュエルが受け入れてしまうので、ノアは何も言えなくなる。不満な気分を抑えきれず、少し唇を尖らせながらサンドウィッチに手を伸ばして、ふと気づいた。

「……これ、僕が食べ物をこぼしちゃったら、みんなに怒られるということ?」

 反射的に皿に戻して離そうとしたら、ロウが慌てたように首を振った。

「まさか! そのような不心得者は当家に存在いたしませんよ。どうぞ安心してお召し上がりください」
「これは、君の言い方が悪かったね」
「サミュエル様」

 茶化すサミュエルを、ロウが横目で軽く睨む。それに対し、肩をすくめたサミュエルは、ノアの皿からサンドウィッチを掴み、ノアの口元に近づけた。

「これから食べる間もないほど忙しくなるよ」
「ん……」

 一口大のサンドウィッチを放り込まれ、ノアはもごもごと口を動かす。一度食べると、忘れていた食欲がよみがえった気がした。
 サミュエルは自分にも軽食を取り分け食べながら、ノアの口元にも運び続ける。なんだか餌付けされている猫の気分だ。

「……どんな状況であっても甘い雰囲気を漂わせるのは、一種の才能ですね」

 呆れた声で呟きながら、ロウがため息をついた。

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