244 / 277
244.どんなときでも変わらない
しおりを挟む
応接間で待っていたサミュエルは普段とまったく変わらない様子で、ノアは思わずホッと息を吐いた。
「やぁ、ノア。早く着きすぎてしまったよ」
「ごきげんよう、サミュエル様。あまりに早くいらっしゃるので、使用人たちが少し怒っていましたよ」
悪びれなく微笑むサミュエルを見据え、軽く小言を口にする。サミュエルの訪れがノアの緊張を和らげてくれたのは確かで、とても助かったけれど、それとこれとは別問題である。
サミュエルは肩をすくめて、「すまないね。後で誠心誠意謝ろう」と呟くと、ソファから立ち上がりノアを抱きしめた。
「――ノアに会いたくて我慢できなかったんだ。許してほしい。その姿も、とても綺麗だよ」
耳元で囁かれ、こめかみに軽く唇が触れる。
ノアはサミュエルの服を乱さないように気をつけながら、そっと背に手を伸ばして抱きついた。
「……服に、着られてしまっていませんか?」
「まさか。むしろ、ノアを彩るには、まだ輝きが足りていなかったかもしれない。もう少し、飾りを足すかい?」
「こんな直前に、それは無理です」
「それは残念。……まぁ、この上にヴェールと頭飾りをつけるからね。それでバランスが良くなるはずだよ」
「顔、隠れますしね」
戯れ言を口にしてクスクスと微笑み合う。
失われていた自信がいつの間にか回復していた。この姿でサミュエルの隣に立っていても大丈夫なのだと、ようやく思えた気がする。
「――サミュエル様も格好いいです。とてもお似合いですね」
試着の際に見ているけれど、やはり何度見ても、サミュエルは素敵な紳士だ。物語によくある白馬に乗った王子様とは、こんな姿なのかもしれない。
そう思い微笑んでサミュエルの顔を見上げていると、ちゅ、と軽い口づけが降り注いだ。
離れてはくっつき、また触れ合う。互いの唇の感触を楽しむように、戯れる。
大聖堂での誓いの前に、純白の正装でこんなことをしていていいのだろうかと、頭の隅で思いながらも、ノアは止める気が起きなかった。
濡れた音と共に、廊下の方からはざわめきが聞こえてくる。扉は開け放たれたままで、誰が近くを通りかかってノアたちの行為を目撃しても不思議ではないと分かっている。
婚約者だから、咎められることはないだろう。でも、誰もが忙しくしているこんな時に、何をしているのかと呆れられるに違いない。
「ノア……ようやくこの日が来た――」
唇に熱い息が触れる。ノアは伏せていた目を上げて、サミュエルの熱っぽい眼差しに気づいた。
長く望まれていたことは知っている。でも、今ほど切実な想いが滲んだ声は、聞いたことがなかったかもしれない。
「……はい。この後、大聖堂で誓いを交わしたら、正真正銘のパートナーですね」
サミュエルの熱意を、ノアは無意識で躱すような言葉を告げる。どう答えれば正解なのか分からなくて、いつも通りに対応してしまったのだ。言ってから、あまり情がない返事になったことを少し後悔した。
でも、サミュエルは面白そうに微笑んで、ノアの唇にキスを落とす。
「そうだね。そのちょっと冷静な感じも、結構好きだよ」
「冷静では、ないんですけど……」
ノアの戸惑いも、混乱も、全て分かっていて、サミュエルは「そのままでいい」と告げてくれる。それが嬉しくて、否定を返しながらも、ノアは小さく微笑んだ。
離れていった唇を追い、軽く背伸びをしたところで、ノック音が聞こえる。
「こほん……」
「っ、ロウ」
慌ててサミュエルから離れ振り返ると、呆れた顔をしたロウが立っていた。傍には軽食が載せられたカートがある。
「今日くらい、見逃してくれたら良いのに」
サミュエルが何事もなかったかのように呟きながら、ノアの背に腕を回してソファへエスコートする。
ノアは熱くなった頬を押さえて、軽く俯いていた。サミュエルとキスをしているところなんて、ロウに何度も見られている。でも、自分からキスをねだったところを見られるのは、いつもより恥ずかしい。
「むしろ、普段は見逃しているでしょう? 今日だから咎めたのですよ」
「なぜ?」
「ノア様の姿を見てお気づきにならないのですか? この格好を乱すようなことがあれば、心を込めて整えた使用人一同に激怒されると思っていただいて構いませんよ。より正確に言いますと――希望通りの新婚生活が始められると思うなよ。という話でございます」
軽食をテーブルに並べながら、ロウがにこりと笑う。これまでに降り積もった苛立ちが凝縮しているような声だった。
これには、さすがのサミュエルも反省した様子で、軽く両手を上げる。
「それは恐ろしい。私の一番の楽しみを取らないでほしいな」
「サミュエル様のお心がけ次第でございましょう。――さぁ、ノア様、どうぞお食事を」
ロウが皿に取り分けたサンドウィッチをノアに渡す。サミュエルへは一切手出しをしないので、存在ごと無視している雰囲気である。
「……ありがとう。でも、さっきのは、止めなかった僕も悪いし」
「いえ。全責任はサミュエル様にございます」
「その言葉は全面的に受け入れよう」
理不尽な言葉を、サミュエルが受け入れてしまうので、ノアは何も言えなくなる。不満な気分を抑えきれず、少し唇を尖らせながらサンドウィッチに手を伸ばして、ふと気づいた。
「……これ、僕が食べ物をこぼしちゃったら、みんなに怒られるということ?」
反射的に皿に戻して離そうとしたら、ロウが慌てたように首を振った。
「まさか! そのような不心得者は当家に存在いたしませんよ。どうぞ安心してお召し上がりください」
「これは、君の言い方が悪かったね」
「サミュエル様」
茶化すサミュエルを、ロウが横目で軽く睨む。それに対し、肩をすくめたサミュエルは、ノアの皿からサンドウィッチを掴み、ノアの口元に近づけた。
「これから食べる間もないほど忙しくなるよ」
「ん……」
一口大のサンドウィッチを放り込まれ、ノアはもごもごと口を動かす。一度食べると、忘れていた食欲がよみがえった気がした。
サミュエルは自分にも軽食を取り分け食べながら、ノアの口元にも運び続ける。なんだか餌付けされている猫の気分だ。
「……どんな状況であっても甘い雰囲気を漂わせるのは、一種の才能ですね」
呆れた声で呟きながら、ロウがため息をついた。
「やぁ、ノア。早く着きすぎてしまったよ」
「ごきげんよう、サミュエル様。あまりに早くいらっしゃるので、使用人たちが少し怒っていましたよ」
悪びれなく微笑むサミュエルを見据え、軽く小言を口にする。サミュエルの訪れがノアの緊張を和らげてくれたのは確かで、とても助かったけれど、それとこれとは別問題である。
サミュエルは肩をすくめて、「すまないね。後で誠心誠意謝ろう」と呟くと、ソファから立ち上がりノアを抱きしめた。
「――ノアに会いたくて我慢できなかったんだ。許してほしい。その姿も、とても綺麗だよ」
耳元で囁かれ、こめかみに軽く唇が触れる。
ノアはサミュエルの服を乱さないように気をつけながら、そっと背に手を伸ばして抱きついた。
「……服に、着られてしまっていませんか?」
「まさか。むしろ、ノアを彩るには、まだ輝きが足りていなかったかもしれない。もう少し、飾りを足すかい?」
「こんな直前に、それは無理です」
「それは残念。……まぁ、この上にヴェールと頭飾りをつけるからね。それでバランスが良くなるはずだよ」
「顔、隠れますしね」
戯れ言を口にしてクスクスと微笑み合う。
失われていた自信がいつの間にか回復していた。この姿でサミュエルの隣に立っていても大丈夫なのだと、ようやく思えた気がする。
「――サミュエル様も格好いいです。とてもお似合いですね」
試着の際に見ているけれど、やはり何度見ても、サミュエルは素敵な紳士だ。物語によくある白馬に乗った王子様とは、こんな姿なのかもしれない。
そう思い微笑んでサミュエルの顔を見上げていると、ちゅ、と軽い口づけが降り注いだ。
離れてはくっつき、また触れ合う。互いの唇の感触を楽しむように、戯れる。
大聖堂での誓いの前に、純白の正装でこんなことをしていていいのだろうかと、頭の隅で思いながらも、ノアは止める気が起きなかった。
濡れた音と共に、廊下の方からはざわめきが聞こえてくる。扉は開け放たれたままで、誰が近くを通りかかってノアたちの行為を目撃しても不思議ではないと分かっている。
婚約者だから、咎められることはないだろう。でも、誰もが忙しくしているこんな時に、何をしているのかと呆れられるに違いない。
「ノア……ようやくこの日が来た――」
唇に熱い息が触れる。ノアは伏せていた目を上げて、サミュエルの熱っぽい眼差しに気づいた。
長く望まれていたことは知っている。でも、今ほど切実な想いが滲んだ声は、聞いたことがなかったかもしれない。
「……はい。この後、大聖堂で誓いを交わしたら、正真正銘のパートナーですね」
サミュエルの熱意を、ノアは無意識で躱すような言葉を告げる。どう答えれば正解なのか分からなくて、いつも通りに対応してしまったのだ。言ってから、あまり情がない返事になったことを少し後悔した。
でも、サミュエルは面白そうに微笑んで、ノアの唇にキスを落とす。
「そうだね。そのちょっと冷静な感じも、結構好きだよ」
「冷静では、ないんですけど……」
ノアの戸惑いも、混乱も、全て分かっていて、サミュエルは「そのままでいい」と告げてくれる。それが嬉しくて、否定を返しながらも、ノアは小さく微笑んだ。
離れていった唇を追い、軽く背伸びをしたところで、ノック音が聞こえる。
「こほん……」
「っ、ロウ」
慌ててサミュエルから離れ振り返ると、呆れた顔をしたロウが立っていた。傍には軽食が載せられたカートがある。
「今日くらい、見逃してくれたら良いのに」
サミュエルが何事もなかったかのように呟きながら、ノアの背に腕を回してソファへエスコートする。
ノアは熱くなった頬を押さえて、軽く俯いていた。サミュエルとキスをしているところなんて、ロウに何度も見られている。でも、自分からキスをねだったところを見られるのは、いつもより恥ずかしい。
「むしろ、普段は見逃しているでしょう? 今日だから咎めたのですよ」
「なぜ?」
「ノア様の姿を見てお気づきにならないのですか? この格好を乱すようなことがあれば、心を込めて整えた使用人一同に激怒されると思っていただいて構いませんよ。より正確に言いますと――希望通りの新婚生活が始められると思うなよ。という話でございます」
軽食をテーブルに並べながら、ロウがにこりと笑う。これまでに降り積もった苛立ちが凝縮しているような声だった。
これには、さすがのサミュエルも反省した様子で、軽く両手を上げる。
「それは恐ろしい。私の一番の楽しみを取らないでほしいな」
「サミュエル様のお心がけ次第でございましょう。――さぁ、ノア様、どうぞお食事を」
ロウが皿に取り分けたサンドウィッチをノアに渡す。サミュエルへは一切手出しをしないので、存在ごと無視している雰囲気である。
「……ありがとう。でも、さっきのは、止めなかった僕も悪いし」
「いえ。全責任はサミュエル様にございます」
「その言葉は全面的に受け入れよう」
理不尽な言葉を、サミュエルが受け入れてしまうので、ノアは何も言えなくなる。不満な気分を抑えきれず、少し唇を尖らせながらサンドウィッチに手を伸ばして、ふと気づいた。
「……これ、僕が食べ物をこぼしちゃったら、みんなに怒られるということ?」
反射的に皿に戻して離そうとしたら、ロウが慌てたように首を振った。
「まさか! そのような不心得者は当家に存在いたしませんよ。どうぞ安心してお召し上がりください」
「これは、君の言い方が悪かったね」
「サミュエル様」
茶化すサミュエルを、ロウが横目で軽く睨む。それに対し、肩をすくめたサミュエルは、ノアの皿からサンドウィッチを掴み、ノアの口元に近づけた。
「これから食べる間もないほど忙しくなるよ」
「ん……」
一口大のサンドウィッチを放り込まれ、ノアはもごもごと口を動かす。一度食べると、忘れていた食欲がよみがえった気がした。
サミュエルは自分にも軽食を取り分け食べながら、ノアの口元にも運び続ける。なんだか餌付けされている猫の気分だ。
「……どんな状況であっても甘い雰囲気を漂わせるのは、一種の才能ですね」
呆れた声で呟きながら、ロウがため息をついた。
74
◇長編◇
本編完結
『貧乏子爵令息のオメガは王弟殿下に溺愛されているようです』
本編・続編完結
『雪豹くんは魔王さまに溺愛される』書籍化☆
完結『天翔ける獣の願いごと』
◇短編◇
本編完結『悪役令息になる前に自由に生きることにしました』
お気に入りに追加
4,631
あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました
SEKISUI
BL
ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた
見た目は勝ち組
中身は社畜
斜めな思考の持ち主
なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う
そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される

【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

転生貧乏貴族は王子様のお気に入り!実はフリだったってわかったのでもう放してください!
音無野ウサギ
BL
ある日僕は前世を思い出した。下級貴族とはいえ王子様のお気に入りとして毎日楽しく過ごしてたのに。前世の記憶が僕のことを駄目だしする。わがまま駄目貴族だなんて気づきたくなかった。王子様が優しくしてくれてたのも実は裏があったなんて気づきたくなかった。品行方正になるぞって思ったのに!
え?王子様なんでそんなに優しくしてくるんですか?ちょっとパーソナルスペース!!
調子に乗ってた貧乏貴族の主人公が慎ましくても確実な幸せを手に入れようとジタバタするお話です。

雫
ゆい
BL
涙が落ちる。
涙は彼に届くことはない。
彼を想うことは、これでやめよう。
何をどうしても、彼の気持ちは僕に向くことはない。
僕は、その場から音を立てずに立ち去った。
僕はアシェル=オルスト。
侯爵家の嫡男として生まれ、10歳の時にエドガー=ハルミトンと婚約した。
彼には、他に愛する人がいた。
世界観は、【夜空と暁と】と同じです。
アルサス達がでます。
【夜空と暁と】を知らなくても、これだけで読めます。
随時更新です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる