242 / 277
242. 結婚式前夜
しおりを挟む
結婚式前夜のランドロフ侯爵邸は、慌ただしい雰囲気に包まれていた。
仕上がった正装や装飾品を念入りに確認し、翌日に着付けやすいよう侍女や侍従が並べていく。
ノアはその中に、ブレスレットとイヤリングを加えた。
ブレスレットは、ランドロフ侯爵家に代々伝わるものだ。プラチナの鎖がキラリと輝き、散りばめられた真珠とアメジストが濡れたような光を放つ。
ノアの母親が結婚するときに、前ランドロフ侯爵夫人――つまりノアの祖母からもらったもので、今回ノアが引き継ぐことになった。立場的にサミュエルが継いでもいいのだけれど、「似合うのはノアだ」と固辞されてしまったのだ。
イヤリングは、グレイ公爵夫人から借りたものだ。これも、グレイ公爵家が代々継いできた宝飾品である。大きなバイオレットサファイアがプラチナの鎖から垂れ、雫のような潤いのある美しさだ。
この大きさのものはもう手に入れるのは不可能と言われるくらい希少なもので、ノアは慎重に扱った。
この二つの装飾品の傍には、結婚式にあたってしつらえたカフスボタンと、青と紫の花飾りがある。花飾りは、サミュエルが推したヴェールの飾りとして使うことになっている。
正装と装飾品を並べて眺めてみると、なんとも華やかな雰囲気だ。明日これを纏う自分を想像して、ノアは少し胃が痛くなった。
(服と装飾品に、負けてる……)
傍にある姿見に自分の姿を見て、ノアは目を逸らした。やはり地味な色味である。
ここに揃えている服や装飾品を纏ったら、皆そちらばかりに注目して、ノアの印象が残らないのではないだろうか。
そう考えたところで、『それはそれでありがたい?』と思い、ノアは苦笑した。
(主役はどうやったって目立つんだから、服や宝石に紛れて印象が残らないくらいがちょうどいいかも)
壁際のベンチに座り、世話しなく動き回る使用人を眺める。
明日は朝早くから支度をしなければいけないから、今日は早く寝るべきである。それが分かっていても、なんとなく落ち着かない気分で、意味もなく座ってぼぅっとしていた。
「ノア様」
「ロウ。お母様からブレスレットを受け取ったから、グレイ公爵夫人にお貸しいただいたイヤリングと一緒に持ってきたよ」
夜更かしを咎められるのを察して、言い訳をする。ロウは何か言いたげに眉を寄せるも、すぐに諦念のため息をこぼした。ノアの言い訳に付き合ってくれる気になったようだ。
「それはようございました。――ハーブティーをお淹れしますか?」
「うん、お願い」
寝かしつけることを完全に諦めたわけではないと示すようなお茶の選択に、ノアは微笑みをこぼしながら自室に向かう。
このままここにいたら、使用人の邪魔になるし、本当に一睡もせずに明日を向かえてしまいそうだと自覚していたのだ。
自室で、ロウが淹れてくれたハーブティーの香りを楽しみながら一服する。すると、少し気分が和らいだ気がした。
この部屋までは、屋敷内の喧騒は届かない。静かな時の流れが、ノアを物思いに誘う。
「……サムシングフォーといいましたか」
不意に、ロウが静寂を破り、囁くように言う。
ノアは目を伏せたまま小さく頷いた。
「学園の図書室で見つけた本に書いてあったんだ。花嫁に幸せをもたらす四つのもの」
「古く伝統のあるものと、新しいもの、借りたもの、青いもの、ですね」
ノアの言葉に続いて、ロウが呟く。これについては事前に話していたから、ロウも調べていたのだろう。
「――ランドロフ侯爵家で継承されるブレスレットは古いもの。カフスボタンは新しいもの。イヤリングはグレイ公爵夫人から借りたもの。そしてヴェールに添える青い花。……なんというか、ノア様って、結構ロマンチストですよね」
「伝統を大切にしているって言ってよ」
少し揶揄うようなロウの口調に、ノアは上げてじとりと睨んだ。それに対して、ロウは微笑ましげな表情を浮かべる。
「でも、サミュエル様の花嫁として幸せになりたいという想いを込めているのでしょう? 純粋で可愛らしいと思いますよ。サミュエル様も喜ばれることでしょう」
「……そうかな。僕が勝手にしたことだから、気づかれないかもしれないよ」
グレイ公爵夫人からイヤリングを借りるのは、サミュエルを介したから知っているだろう。その時、サミュエルは「なにも母から借りなくても、私が新しいものを用意するのに」と少し不満そうだった。
それでも、ノアがねだったのを受け入れて、借りてきてくれたのだから、サミュエルは優しいしノア至上主義者だ。
「あのサミュエル様が気づかないわけがないと思いますけどねぇ」
サミュエルに『あの』とつけて、ロウが呆れたように言う理由は、ノアも理解できる。サミュエルは色んなことに気づく力に長けているから。
「それは、そうだね」
「ただ、ひとつ懸念するべき点がありますね」
「懸念?」
予想外の言葉に、ノアはきょとんと目を丸くする。
そんなノアを、ロウがなんとも言いがたい表情で見つめた。
「……初夜に浮かれて、思考がいつも通りではない可能性がありますからね」
「しょっ……!?」
ノアはビクッと震えた後に、動きを止めた。じっとティーカップに視線を向ける。今はロウの顔を見ることはできなさそうだ。
じわじわと頬に熱が上り、落ち着かない。ロウはノアを寝かしつけようとしていたはずなのに、どうしてこのようなことを言うのかと、恥ずかしさを紛らわすために怒ってしまいそうだった。
「その初々しさも今日までかもしれないと思うと、なんだか寂しくなります」
「……僕を揶揄うの、やめてほしいんだけど」
「揶揄ってなどおりませんよ。本心です」
チラリと見上げた先のロウの顔は真剣そのもので、ノアはなんと言うべきか分からず口を閉ざした。
仕上がった正装や装飾品を念入りに確認し、翌日に着付けやすいよう侍女や侍従が並べていく。
ノアはその中に、ブレスレットとイヤリングを加えた。
ブレスレットは、ランドロフ侯爵家に代々伝わるものだ。プラチナの鎖がキラリと輝き、散りばめられた真珠とアメジストが濡れたような光を放つ。
ノアの母親が結婚するときに、前ランドロフ侯爵夫人――つまりノアの祖母からもらったもので、今回ノアが引き継ぐことになった。立場的にサミュエルが継いでもいいのだけれど、「似合うのはノアだ」と固辞されてしまったのだ。
イヤリングは、グレイ公爵夫人から借りたものだ。これも、グレイ公爵家が代々継いできた宝飾品である。大きなバイオレットサファイアがプラチナの鎖から垂れ、雫のような潤いのある美しさだ。
この大きさのものはもう手に入れるのは不可能と言われるくらい希少なもので、ノアは慎重に扱った。
この二つの装飾品の傍には、結婚式にあたってしつらえたカフスボタンと、青と紫の花飾りがある。花飾りは、サミュエルが推したヴェールの飾りとして使うことになっている。
正装と装飾品を並べて眺めてみると、なんとも華やかな雰囲気だ。明日これを纏う自分を想像して、ノアは少し胃が痛くなった。
(服と装飾品に、負けてる……)
傍にある姿見に自分の姿を見て、ノアは目を逸らした。やはり地味な色味である。
ここに揃えている服や装飾品を纏ったら、皆そちらばかりに注目して、ノアの印象が残らないのではないだろうか。
そう考えたところで、『それはそれでありがたい?』と思い、ノアは苦笑した。
(主役はどうやったって目立つんだから、服や宝石に紛れて印象が残らないくらいがちょうどいいかも)
壁際のベンチに座り、世話しなく動き回る使用人を眺める。
明日は朝早くから支度をしなければいけないから、今日は早く寝るべきである。それが分かっていても、なんとなく落ち着かない気分で、意味もなく座ってぼぅっとしていた。
「ノア様」
「ロウ。お母様からブレスレットを受け取ったから、グレイ公爵夫人にお貸しいただいたイヤリングと一緒に持ってきたよ」
夜更かしを咎められるのを察して、言い訳をする。ロウは何か言いたげに眉を寄せるも、すぐに諦念のため息をこぼした。ノアの言い訳に付き合ってくれる気になったようだ。
「それはようございました。――ハーブティーをお淹れしますか?」
「うん、お願い」
寝かしつけることを完全に諦めたわけではないと示すようなお茶の選択に、ノアは微笑みをこぼしながら自室に向かう。
このままここにいたら、使用人の邪魔になるし、本当に一睡もせずに明日を向かえてしまいそうだと自覚していたのだ。
自室で、ロウが淹れてくれたハーブティーの香りを楽しみながら一服する。すると、少し気分が和らいだ気がした。
この部屋までは、屋敷内の喧騒は届かない。静かな時の流れが、ノアを物思いに誘う。
「……サムシングフォーといいましたか」
不意に、ロウが静寂を破り、囁くように言う。
ノアは目を伏せたまま小さく頷いた。
「学園の図書室で見つけた本に書いてあったんだ。花嫁に幸せをもたらす四つのもの」
「古く伝統のあるものと、新しいもの、借りたもの、青いもの、ですね」
ノアの言葉に続いて、ロウが呟く。これについては事前に話していたから、ロウも調べていたのだろう。
「――ランドロフ侯爵家で継承されるブレスレットは古いもの。カフスボタンは新しいもの。イヤリングはグレイ公爵夫人から借りたもの。そしてヴェールに添える青い花。……なんというか、ノア様って、結構ロマンチストですよね」
「伝統を大切にしているって言ってよ」
少し揶揄うようなロウの口調に、ノアは上げてじとりと睨んだ。それに対して、ロウは微笑ましげな表情を浮かべる。
「でも、サミュエル様の花嫁として幸せになりたいという想いを込めているのでしょう? 純粋で可愛らしいと思いますよ。サミュエル様も喜ばれることでしょう」
「……そうかな。僕が勝手にしたことだから、気づかれないかもしれないよ」
グレイ公爵夫人からイヤリングを借りるのは、サミュエルを介したから知っているだろう。その時、サミュエルは「なにも母から借りなくても、私が新しいものを用意するのに」と少し不満そうだった。
それでも、ノアがねだったのを受け入れて、借りてきてくれたのだから、サミュエルは優しいしノア至上主義者だ。
「あのサミュエル様が気づかないわけがないと思いますけどねぇ」
サミュエルに『あの』とつけて、ロウが呆れたように言う理由は、ノアも理解できる。サミュエルは色んなことに気づく力に長けているから。
「それは、そうだね」
「ただ、ひとつ懸念するべき点がありますね」
「懸念?」
予想外の言葉に、ノアはきょとんと目を丸くする。
そんなノアを、ロウがなんとも言いがたい表情で見つめた。
「……初夜に浮かれて、思考がいつも通りではない可能性がありますからね」
「しょっ……!?」
ノアはビクッと震えた後に、動きを止めた。じっとティーカップに視線を向ける。今はロウの顔を見ることはできなさそうだ。
じわじわと頬に熱が上り、落ち着かない。ロウはノアを寝かしつけようとしていたはずなのに、どうしてこのようなことを言うのかと、恥ずかしさを紛らわすために怒ってしまいそうだった。
「その初々しさも今日までかもしれないと思うと、なんだか寂しくなります」
「……僕を揶揄うの、やめてほしいんだけど」
「揶揄ってなどおりませんよ。本心です」
チラリと見上げた先のロウの顔は真剣そのもので、ノアはなんと言うべきか分からず口を閉ざした。
93
◇長編◇
本編完結
『貧乏子爵令息のオメガは王弟殿下に溺愛されているようです』
本編・続編完結
『雪豹くんは魔王さまに溺愛される』書籍化☆
完結『天翔ける獣の願いごと』
◇短編◇
本編完結『悪役令息になる前に自由に生きることにしました』
お気に入りに追加
4,631
あなたにおすすめの小説

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた
翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」
そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。
チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。

性悪なお嬢様に命令されて泣く泣く恋敵を殺りにいったらヤられました
まりも13
BL
フワフワとした酩酊状態が薄れ、僕は気がつくとパンパンパン、ズチュッと卑猥な音をたてて激しく誰かと交わっていた。
性悪なお嬢様の命令で恋敵を泣く泣く殺りに行ったら逆にヤラれちゃった、ちょっとアホな子の話です。
(ムーンライトノベルにも掲載しています)
悪役令息の七日間
リラックス@ピロー
BL
唐突に前世を思い出した俺、ユリシーズ=アディンソンは自分がスマホ配信アプリ"王宮の花〜神子は7色のバラに抱かれる〜"に登場する悪役だと気付く。しかし思い出すのが遅過ぎて、断罪イベントまで7日間しか残っていない。
気づいた時にはもう遅い、それでも足掻く悪役令息の話。【お知らせ:2024年1月18日書籍発売!】
勇者召喚に巻き込まれて追放されたのに、どうして王子のお前がついてくる。
イコ
BL
魔族と戦争を繰り広げている王国は、人材不足のために勇者召喚を行なった。
力ある勇者たちは優遇され、巻き込まれた主人公は追放される。
だが、そんな主人公に優しく声をかけてくれたのは、召喚した側の第五王子様だった。
イケメンの王子様の領地で一緒に領地経営? えっ、男女どっちでも結婚ができる?
頼りになる俺を手放したくないから結婚してほしい?
俺、男と結婚するのか?
魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました
タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。
クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。
死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。
「ここは天国ではなく魔界です」
天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。
「至上様、私に接吻を」
「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」
何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

美少年に転生したらヤンデレ婚約者が出来ました
SEKISUI
BL
ブラック企業に勤めていたOLが寝てそのまま永眠したら美少年に転生していた
見た目は勝ち組
中身は社畜
斜めな思考の持ち主
なのでもう働くのは嫌なので怠惰に生きようと思う
そんな主人公はやばい公爵令息に目を付けられて翻弄される
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる