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225.心と理性
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王妃主催のお茶会での立ち居振舞いについて、ルーカスと意見を交わすことで、ノアの考えは固まった。
王妃とは近すぎず、遠すぎず。当たり前に、王妃として見なし、対応すればいい、ということだ。
それは言葉にするのは簡単だけれど、実際にするとなると、繊細なバランス感覚を必要とする気がする。
そのことに、後から気づいたノアは、少し怖じ気づいた。
(僕に、できるかな……)
執務のため、ルーカスは先に立ち去った。残されたノアたちは、お茶会の開始まで、この応接間を使っていいと許可をもらっている。
そこで、ソファに埋もれるように深く座り込みながら、ノアは嘆息した。
ルーカスの依頼を安請け合いしてしまった気がしてならない。
そもそも、社交が苦手なノアにとって、王妃と対面で話すことすら緊張を強いられるのだ。もし、わがままを言われたとして、それを気分を害さないように断ることができるだろうか。
ノアが「う~ん……」と小さく唸っていると、サミュエルがクスリと微笑む。
「おや。ノアがあまりにもあっさり頷くから、王妃への対応は問題ないのかと思っていたんだけどね」
「……気づいていたなら、止めてください」
サミュエルの腕の中で、ノアは少し恨めしげに横顔を見上げた。
チラリと見下ろしてきたサミュエルが、ふふっと再び笑う。
「そんな可愛い顔をしていると、キスをしたくなるよ」
「……駄目です。ここは王城ですよ」
「私たちしかいないのに?」
「ロウもザクもいます」
これまで存在感を消していた二人の名を挙げる。
でも、その二人からは、少し嫌そうな顔をされてしまった。サミュエルとの会話に巻き込まないでほしいと思っているようだ。
「彼らは空気みたいなものだろう」
「……空気?」
二人を見ると、「いやいや」と首を振られた。存在感を消しているのは確かでも、空気のように無視されるのは違うらしい。
ノアにしても、サミュエルの行動を抑える意味で、二人を空気扱いすることはできない。本当にサミュエルとノアだけになったら、どんな行動をされるか分かったものではないから。
(――いや、でも、まぁ……それが嫌というわけでも、ないけれど……。やっぱり、婚約者としての振る舞いを超えてしまうのは、よくないと思う……。サミュエル様を、ガッカリさせたくはないけれど……)
ノアの考えはまとまらない。サミュエルを受け入れることへの覚悟は定まってきた気がする。でも、本当に受け入れるのは今ではないだろう。
そうして密かに悩むノアの顔を、サミュエルが横目で眺め、面白そうに口許を緩める。
「拒まれている気がしないな。もしかして、キスくらいはいいかなと思っている?」
「…………駄目です」
ノアの迷いが、長い沈黙に表れていた。
サミュエルは嬉しそうに微笑み、ノアの顎に指先を引っ掛ける。
くいっと顔を仰向けたノアは、間近にサミュエルの麗しい微笑みが広がっているのを見て、パッと顔を赤らめた。
この距離感に慣れたと思っても、すぐに羞恥がよみがえる。いつになったら、当たり前にサミュエルと触れ合えるのか。
目を潤ませて恥じらうノアを見て、サミュエルが瞳に欲を滲ませた。
「ここでは駄目?」
「……駄目です」
「家ならいい?」
ノアは黙り込む。
気持ち的には「いい」と言えるのだけれど、それははしたない気がした。でも、サミュエルが喜ぶのは、ノアが素直に答えることだろう。
「………………いい、です、けど」
頬が燃えるように熱い。
サミュエルを見つめ続けるのも耐えられなくて、ノアはぎゅっと目を瞑った。
グッと息を呑む気配が伝わってくる。
「……危うく、襲ってしまうところだったな」
低く掠れた声が、ぞくりとするほどの熱情を纏い、ノアに囁きかけてくる。
「え」
驚き、思わずパチリと目を見開くと、先程より近くに、翠の瞳があった。ノアを貫くような、強い光を秘めている。
ノアは一瞬呼吸を忘れた。
「――だめ、です、ってば……」
唇に触れる熱い呼気に、身体が震える。それが恐れのせいなのか、それとも期待によるものなのか、ノア自身にさえ分からなかった。
ノアの拒絶の声も、どこか甘い響きを伴っているように思えて、恥ずかしくてたまらない。
自分を制御するのは、なんと難しいことなのかと、ノアは目を伏せて嘆いた。
「ノア……」
愛おしげに、恋しげに名を呼ばれる。頭から足先まで、サミュエルの愛に浸される気がした。
(このままでは……だめだ……流される……)
危機感はあるのに、心がそれを裏切る。
ノアはままならない状況に、じっと固まった。
「――サミュエル様」
不意に聞こえたのはロウの声だった。硬い声音は、警告を発している。
フッと吐息をしたサミュエルが、ノアから距離をとった。
といっても、腕の中に囲っている状況に変わりはない。それでも、ノアはようやく落ち着いて息をつけるようになった。
「……無粋だね」
「褒めてくださってもよろしいのですよ?」
「それはないな」
サミュエルの雰囲気がガラリと変わる。意識して、感情を抑え込んだようだ。
ノアは複雑な気分になる。サミュエルに我慢をさせたいわけではなかったのだ。
それでも、今はロウの行動が正しかったのは明白で、ノアはロウに感謝の意を込めて微笑み掛けた。
王妃とは近すぎず、遠すぎず。当たり前に、王妃として見なし、対応すればいい、ということだ。
それは言葉にするのは簡単だけれど、実際にするとなると、繊細なバランス感覚を必要とする気がする。
そのことに、後から気づいたノアは、少し怖じ気づいた。
(僕に、できるかな……)
執務のため、ルーカスは先に立ち去った。残されたノアたちは、お茶会の開始まで、この応接間を使っていいと許可をもらっている。
そこで、ソファに埋もれるように深く座り込みながら、ノアは嘆息した。
ルーカスの依頼を安請け合いしてしまった気がしてならない。
そもそも、社交が苦手なノアにとって、王妃と対面で話すことすら緊張を強いられるのだ。もし、わがままを言われたとして、それを気分を害さないように断ることができるだろうか。
ノアが「う~ん……」と小さく唸っていると、サミュエルがクスリと微笑む。
「おや。ノアがあまりにもあっさり頷くから、王妃への対応は問題ないのかと思っていたんだけどね」
「……気づいていたなら、止めてください」
サミュエルの腕の中で、ノアは少し恨めしげに横顔を見上げた。
チラリと見下ろしてきたサミュエルが、ふふっと再び笑う。
「そんな可愛い顔をしていると、キスをしたくなるよ」
「……駄目です。ここは王城ですよ」
「私たちしかいないのに?」
「ロウもザクもいます」
これまで存在感を消していた二人の名を挙げる。
でも、その二人からは、少し嫌そうな顔をされてしまった。サミュエルとの会話に巻き込まないでほしいと思っているようだ。
「彼らは空気みたいなものだろう」
「……空気?」
二人を見ると、「いやいや」と首を振られた。存在感を消しているのは確かでも、空気のように無視されるのは違うらしい。
ノアにしても、サミュエルの行動を抑える意味で、二人を空気扱いすることはできない。本当にサミュエルとノアだけになったら、どんな行動をされるか分かったものではないから。
(――いや、でも、まぁ……それが嫌というわけでも、ないけれど……。やっぱり、婚約者としての振る舞いを超えてしまうのは、よくないと思う……。サミュエル様を、ガッカリさせたくはないけれど……)
ノアの考えはまとまらない。サミュエルを受け入れることへの覚悟は定まってきた気がする。でも、本当に受け入れるのは今ではないだろう。
そうして密かに悩むノアの顔を、サミュエルが横目で眺め、面白そうに口許を緩める。
「拒まれている気がしないな。もしかして、キスくらいはいいかなと思っている?」
「…………駄目です」
ノアの迷いが、長い沈黙に表れていた。
サミュエルは嬉しそうに微笑み、ノアの顎に指先を引っ掛ける。
くいっと顔を仰向けたノアは、間近にサミュエルの麗しい微笑みが広がっているのを見て、パッと顔を赤らめた。
この距離感に慣れたと思っても、すぐに羞恥がよみがえる。いつになったら、当たり前にサミュエルと触れ合えるのか。
目を潤ませて恥じらうノアを見て、サミュエルが瞳に欲を滲ませた。
「ここでは駄目?」
「……駄目です」
「家ならいい?」
ノアは黙り込む。
気持ち的には「いい」と言えるのだけれど、それははしたない気がした。でも、サミュエルが喜ぶのは、ノアが素直に答えることだろう。
「………………いい、です、けど」
頬が燃えるように熱い。
サミュエルを見つめ続けるのも耐えられなくて、ノアはぎゅっと目を瞑った。
グッと息を呑む気配が伝わってくる。
「……危うく、襲ってしまうところだったな」
低く掠れた声が、ぞくりとするほどの熱情を纏い、ノアに囁きかけてくる。
「え」
驚き、思わずパチリと目を見開くと、先程より近くに、翠の瞳があった。ノアを貫くような、強い光を秘めている。
ノアは一瞬呼吸を忘れた。
「――だめ、です、ってば……」
唇に触れる熱い呼気に、身体が震える。それが恐れのせいなのか、それとも期待によるものなのか、ノア自身にさえ分からなかった。
ノアの拒絶の声も、どこか甘い響きを伴っているように思えて、恥ずかしくてたまらない。
自分を制御するのは、なんと難しいことなのかと、ノアは目を伏せて嘆いた。
「ノア……」
愛おしげに、恋しげに名を呼ばれる。頭から足先まで、サミュエルの愛に浸される気がした。
(このままでは……だめだ……流される……)
危機感はあるのに、心がそれを裏切る。
ノアはままならない状況に、じっと固まった。
「――サミュエル様」
不意に聞こえたのはロウの声だった。硬い声音は、警告を発している。
フッと吐息をしたサミュエルが、ノアから距離をとった。
といっても、腕の中に囲っている状況に変わりはない。それでも、ノアはようやく落ち着いて息をつけるようになった。
「……無粋だね」
「褒めてくださってもよろしいのですよ?」
「それはないな」
サミュエルの雰囲気がガラリと変わる。意識して、感情を抑え込んだようだ。
ノアは複雑な気分になる。サミュエルに我慢をさせたいわけではなかったのだ。
それでも、今はロウの行動が正しかったのは明白で、ノアはロウに感謝の意を込めて微笑み掛けた。
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◇長編◇
本編完結
『貧乏子爵令息のオメガは王弟殿下に溺愛されているようです』
本編・続編完結
『雪豹くんは魔王さまに溺愛される』書籍化☆
完結『天翔ける獣の願いごと』
◇短編◇
本編完結『悪役令息になる前に自由に生きることにしました』
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